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幕間 侍女の目に映る彼ら(R15)



 「ネヴィルさま、どうして」

 

 私室に掲げた主人一家の肖像画を前に少女は呟く。

 弱気を胸に押し込めて廊下に脚を踏みしめる、毎朝の行事だった。

 

 「おはようございます、シリルさま」

  

 青年が笑顔を見せる。戦死した兄ネヴィルに代わり総領の地位を継いだ男が。


 「午後の予定だが。ヒロさん、いやカレワラ男爵閣下が客人としてお見えになる」

 

 目をみはる侍女に片目をつぶる応答はなかなか様になっていた。


 「急なことで済まない」

 

 不必要な会釈、特別な存在であることを示すそれに対する答えは驕るでも拒むでもなく。


 「アカイウス卿からの予定変更ですか……はい、滞りなく。気さくな方ですし、食事にはこだわりをお持ちでありません。お茶かお酒の格を上げれば失礼にはあたらぬものと存じます」

  

 気の利く侍女その指をすれ違いざま握って男が背を見せる。

 笑顔で見送りながら女はよそに思いをめぐらせていた。


 カレワラ男爵。彼女が憧れたネヴィルの親友、だったのだろう。

 15歳の少女には男の付き合いにまで理解が回りかねたけれど。

 ただひとつ、その名を口にするときネヴィルの目から濁りが消えることだけは覚えていた。



 

 「息災のようだね」

 

 これと言った特徴が感じられぬカレワラ男爵だが、意気地なしであることだけは確認済みだった。

 案の定小さく背に視線を送るようにしてこちらを見やるあたりも侍女には卑屈に思われた。

 退室させたいならシリルに命ずれば良いものを本人に慫慂する。無視すれば困ったような微笑を作るばかりで、煮え切らぬその顔のまま主人のシリルともうひとりの客に向き直る始末で。


 「大まかなところはシリル君から……その件ならばすぐにも止められる。あとはそちらで原因さえ清算してもらえれば……」

 

 頼まれごとをされながら対価も求めず安請け合い。

 いかにも良いご身分ですこと……消した表情の下で侍女が笑いを噛み殺す。

 



 「おまえに気遣ったんだろう」


 ええ、いちど拒否したらすぐに身を引く優しい(・・・)方でしたと。そんな嘘を真実に交えるぐらいのことは――己を守りあるじを傷つけぬために――躾の良い侍女においては嗜みに過ぎない。


 「シリルさまのお指図無き限り……しかし私には難しいお話でした」

 

 知りたいときは愚者を装うに限る。

 男とは説明なるものをしたくて仕方ない生き物なのだから。


 「もう一方の客人、俺に仲介を頼み込んだ民部の少丞じょうだが。寝室に生首が放り込まれていたらしい……問い詰めたところ、商人に扮してヒロさんの悪評を吹聴した男たちの首だと」


 女は身の震えを覚えていた。

 男の兄、憧れたネヴィルなら決して口にしない悪趣味に。


 「『原因の清算』、広めた噂を打ち消すならば許してやると仰せなのさ。工作要員を皆殺しにしておいて、要求水準も明かさぬまま」

 

 ネヴィルなら決して口にしない話、その友カレワラ男爵が聞かせまいとした話。

 意図に気づけなかった自分がネヴィルに遠く背を向けてしまったような気がして、少女が面を伏せたそこはシリルの――弓騎兵に特有の――分厚い胸板で。馴染みつつあるその暖かさ心地良さに、彼女はまたたまらない嫌悪を覚えていた。


 「次の戦は頼りにしている、か。兄貴を殺した負い目ぐらいは感じてもらいたいものだが」


 きっかけは知らず、ネヴィルならば喜んで飛び込んだに決まっている。

 兄が身を以て贖ったその令名に便乗するシリルの気安さに耐え難くなった侍女は思わず爪を立てていた。


 「どうした?」


 少女が涙を拭う。

 決めたのだ。幸せになってみせると。愛する男の弟に抱かれることで。


 「シリル様ならば、必ず。でももし何かあったらと……」


 男の身が膨れ上がる。

 そこから先を楽しむぐらいの余裕は侍女も身に着けつつあった。

 

 

 

 「急なお客さま、ですか?」


 2日続き。

 ハウエルの家では――家の規模、格からして――やや珍しいことではあった。

  

 「くれぐれも粗相など……いや」


 大慌てに目を怒らせ、笑顔にほどけた。「お前ならば必ず」と。

 愛されている実感に侍女はどこか倒錯的な喜びを覚えていた。


 「任せたぞ、エミールさまだ」


 エミール・バルベルク男爵。やはりシリルの上役だがこちらは寄親、事実上の主君に近い。接遇に万一の間違いもあってはならぬ相手だ。

 



 「貴様か、代わった侍女長」


 侍女は容姿に自信があった。

 舐め回すような男の視線も慣れていた。

 が、この日彼女が感じた視線は異質のもの。


 「バルベルクに尽くさせろ。その限りで見逃す」


 うつむかざるを得ず、しかし失ったネヴィルに誓いを立てたからには覚悟の上と思い直し。

 改めて面を上げた時には侍女の眼前にエミールの姿は無かった。 

 

 「シリルを借りるぞ」


 己が身以て宮廷に評判を買い党内に忠誠を競わす、醒めた頭脳の持ち主。

 少年ながら理想的な貴族として敬意を集めつつあるエミールの後ろ姿だけを認めていた。




 「ネヴィルさま、どうして」


 呟きながら夜具に潜り込んで数刻、妙な熱と残り香を漂わせた男が侍女の背にその身を沿わせた。

 細い影が俯せのまま寝台に押し付けられる。

 噛み締めた口から漏れる声が高まりを迎えていった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ネヴィルと両思いだった侍女久しぶりですね。彼女視点のヒロが見れたのが新鮮で良かったです。 [気になる点] 他の人の感想の返信を読んだのですが、エミールとシリルは衆道の関係にあるのですか?何…
[一言] これでもキル数が頭一つ抜けた戦勝将軍の中隊長の筈なのだが。まあ、戦に関わりのない侍女からすれば、こんなものですか。
[一言] 複数期に亘り近衛中将を勤め、大戦に勝ったとしても侍女やシリルから見ると、ヒロよりもエミールの方が威がある様ですね。 成長率が高いはずで、建国神話にも関わっているのにもかかわらず、少々情けな…
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