第三十四話 収束 その3
宴は、いわゆるバイキング形式の立食パーティーだった。
「がさつな武人がマナーを気にしなくて済むようにな。」
とは、アレックス様の言葉。
当然だが、美味い。
酒も出た。
こちらの世界では年齢制限はないのだが、やめておく。
任を解かれたとは言え、追捕副使だった俺は、挨拶をしたり受けたり……何やかんやある。
乱れるわけにはいかないから。
フィリアは最初の乾杯を、ご挨拶程度に。
千早は控えている。
「教義上と言ってはござるが、実のところ、姐さんやアラン兄さんに、まだ早いと言われてござるゆえ。」とのこと。
宴会に間に合ったヒュームは、常にグラスを持ってはいるが……本当に飲んでいるかは怪しい。何か手品を使っているのではないかと思う。この場での社交は、霞の里の代表にとっては戦場のはずだ。
李紘は、ザルなのだそうだ。いつもとまるで変わらない。
ドメニコは、先輩ナイトから入れ替わり立ち代り薦められていたが、「すみません。家訓で、15までは禁止されているのです。」と断っている。「家訓」と言われれば速やかに引き下がるのは、ナイトならではの美徳か。
聞けば、「背が伸びなくなるからいけないんだそうです。」
たぶん、医学的にも、正しい。
功績第二等のノブレスは……薦められれば調子に乗って飲んでしまい、ぐでんぐでん。こういう場では非常に恥ずかしいことなのだそうだが、まあノブレスだし。
日頃アレなヤツというのは、やらかしても大きな恥にはならない。それがうらやましい。
フィリアなんか、ちょっとやらかしても大騒ぎになってしまうだろう。かわいそうに。
「予想も期待も裏切らぬ御仁でござるな。」
と、これはヒューム。
どうにか大きなマナー違反もせずにやり過ごせたようだ。
宴はお開きとなり、皆さんゲストルームに帰っていく。
年下のドメニコに担がれて帰っていく情けないヤツもいるが。
俺は、皆とは逆方向。ゲストルームが館の奥のほうにあるから。
メル家来訪時の俺の部屋、として固定化しつつあるようだ。
ちなみに、千早も奥だが、そういう部屋があるわけではない。
いつもフィリアのところにお泊りしている。
廊下で皆と別れる時など、改めて待遇の差を感じさせているのだろうと思う。
羨む者、食い込もうとする者、まだ値踏みしている者。
非難する気は毛頭ないが、いろいろと感じるところがないでもない。
が、そ知らぬ振りをして笑顔で見送る。
窓に映った俺の表情は、どこかソフィア様に似ていた。
2時間も寝ていないはずだが、目が覚めた。月の光のせいだ。
眺めてみたくなったので、中庭に出る。
「ヒロさんも、眠れませんか?」
暗がりから、フィリアの声がした。
小柄なシルエットが、近づいてくる。
「大丈夫ですか?気分は?」
ああ、人を斬ったことを心配してくれたのか。
「たぶん、大丈夫。フィリアが追捕副使に任命してくれたおかげだと思う。任務で精一杯だったから。」
「任務を終えた今、反動が来たりはしていませんか?」
「ああ、それも大丈夫みたいだ……」
フィリア?
声が震えている。
「フィリア?君こそ大丈夫?」
「全部分かっていました。」
……。
「あの老人、テオドル・ファン・ボッセが死ぬつもりで参加していることも。ああ言っておけば、老人が心置きなく死ねるということも。私が非難した時の、テオドルの顔。お互いに全て分かっていたんです。あの澄んだまなざし。私に感謝していました。今も忘れられません。」
そんなやり取りが、あの時に?
「将は、兵を死なすもの。喜んで死地に赴くように仕向けるもの。兵は、郎党は、死をもって罪を贖い、命をもって功を重ねるもの。私のしたことは、間違ってはいないはずなのに。冷静さを欠くようでは、失格なのに……!今になって……!」
フィリア……。
「君の判断は、正しかった。だけど、たぶん、その感情も、間違ってはいない。その感情を置き忘れてしまうと、きっとどこかで戦略を誤ることになるんじゃないかな。敵も味方も人間で、お互い知恵を絞るわけだろう?人間の心理みたいなものを理解できない将軍は、想像力不足になって、危ういんじゃないか?」
何か違う。
俺はフィリアの、「普通の」人間らしさを認めたいのに。
「普通」とは到底言えない、フィリアの境遇に……言ってみれば迎合したような慰めを口にしている。
「ごめん、フィリア。言葉を飾った。それでいいんだ、フィリア。俺は、そうあって欲しい。人を頭数としか考えないような、道具としか思わないような、そんなフィリアには、なってほしくない。」
フィリアは、まだ震えている。
その顔を見てはいけないような、そんな気がしたから、背を向けた。
落ち着くまでは、ここにいよう。そう思って。
!
フィリアが、背中にしがみついてきた。
……どうやら、震えは収まったか。
「頭が痛い……気持ち悪い……」
「おいフィリア、まさか酒に弱いんじゃ……。」
「ごめんなさい……見苦しいところを……」
「いいから、部屋に急げ!頑張れ!いや、ここで済ませるか!なんなら俺の粗相ってことにしておくから!」
「いえ、尊厳は死守します……」
ふらふらと帰っていく。
酒に弱いとはねえ。
数少ない、フィリアの「かわいげ」が、こんなところにあったなんて。
明くる日は、連休七日目。最終日。
朝食後、討伐部隊の参加者を見送る。
千早とフィリアと俺の三人は、明日、メル館から直接登校する。
午前中は、鍛錬場で過ごした。
「ヒロ、少しいいか?」
アレックス様から、声をかけられたのは、午後のこと。
言われるまま、執務室に赴いた。
「例の暗殺部隊だが、やはり強盗団を装った、北賊のスパイだった。下っ端はただの盗賊だったようだが。」
「ずいぶん早く判明したんですね。」
「いろいろとある、ということさ。」
アレックス様の口調は、やや自嘲気味だった。
何やら恐ろしい手段を使ったのだろう。
嫌悪の感情が顔に浮かんでしまったかもしれない。
「済まんな。嫌な話を聞かせる。」
「いえ、失礼いたしました。」
この人だって好きでやっているわけではない。仕事なのだ。
「で、スパイの頭目、小者に扮していた例の男だが。生き残った二人の大将株も含めて、生かしておく。公安部~号室とか何とか、適当な部署を作って、そこに所属させる。」
「降伏すれば命は助けるという、フィリアの宣言を守るというわけですか。」
「それは考えていなかったが、そうか。メル家の名を出したのであったな。そういう意味もあるなら、やはり生かしておくのは正解か。」
我々の考えだがな?
そう言って、アレックス様が俺を見た。
「生かしておく、ということは、『スパイなのに許された』ということなわけだ。これは『情報を我々に売った』ということを意味する。それを堂々と敵方に見せておくわけだ。どれほどの情報が吸い出されたのか、いろいろと疑心暗鬼になるだろう?もし接触を図ったり暗殺を狙ったりすれば、それがまた我々にとっての機会ともなる。」
「嫌がらせですね。」
「諜報活動や戦争とはそういうものさ。嫌がらせの応酬。」
で、ここからが本題なのだが。
そう口にしたアレックス様。
声のトーンが、少し下がった。
「スパイであったことは、討伐部隊にも知られていない。君と、フィリアと、千早と、ヒューム以外には。しかし、スパイは生かされている。そうすると、北賊としては、『盗賊に扮したスパイに、誰がどうやって気づいたのか』を調べたくなるわけだ。だが討伐部隊にも分かっていない以上、敵としては調べようが無い。」
話が見えてきた。
「意地や面子もあるだろう。このままでは、その圧力をまともに受けるのは……」
「メル家の直系であり、追捕使でもあった、フィリアであると。」
アレックス様がうなずく。
「ある程度の想像はついていると思うが、諜報戦というものは、おそらく君の想像以上に、汚くてえげつない世界だ。メル家の一員である以上は、その対象とならざるを得ないところはあるが、それでも。」
「できるだけ圧力を弱く、あまり矢面に立たないように、汚れをかぶらないように、ですね。その圧力を肩代わりするのが……。」
「お願いできるだろうか。」
アレックス様が、頭を下げた。
「君とヒュームが探り出したということを、公安部内での共通認識とする。それだけと言えばそれだけなのだが、そうすれば敵の関心は、君たちに向かう。」
「どうか頭を上げてください。私とヒュームが探り出し、きっかけとなったことは、事実ですから。」
それだけではない。
昨晩のフィリアを見てしまっては、どうしようもない。
重荷をあの子にばかり背負わせることは、できない。
「その件については、喜んで承ります。」
「特に注意すべきことは無い。学園のセキュリティは万全だし、極東道、新都ともに、防諜のレベルは飛躍的に高めてある。あえて言うならば、護身のために武術の腕を磨くぐらいか。死霊術師ならば不意討ちには対応できるだろうが、それでも一応。」
「励みになります。」
「言うようになったな。これも脱童貞の効果か。……しかし、追捕副使としての働き、フィリアを救った件、それに今回のこの依頼。メル家としては随分と借りを作ってしまったな。」
「いえ、貴重な機会をいただいております。」
俺を見るメル家の郎党の目つきが思い出されてならない。本当に俺は恵まれている。
「おい、俺様のことを忘れてないか?」
朝倉が騒ぎ出した。
「このような名刀もいただいたことですし。」
「借りは返させずに溜めておく方が、何かと得ではある。これは後で大きく報いなくてはいけないな。」
「期待しております。」
「ハハハ。初陣を通して、やっとメル家に馴染んでくれるようになったか。そろそろ夕食どきだ。それではこの話はこれで。」
アレックス様に続いて、執務室を出る。
「あ、そうそう。脱童貞の話と言えば。……あそこで背中を向けたのは、正解だ。胸を貸していたら、さすがに声をかけずにはおれない。保護者代行の任務懈怠として、義父上にどやされてしまう。」
「見ていらしたのですか……。」
「物音や気配には敏感なのが、武人の悲しき性よ。借りを少し減額してもらえると、助かる。」
「こちらこそ、お願いいたします……。」
「しかしソフィアが心配する必要もなさそうだな。あそこで酔ったふりとは、なかなかフィリアにもかわいげがある。」
え?
「メル家は、みな飲めるぞ。ザルの部類だ。もちろん子供には飲ませないがな。」
「あの一言は、私にも響いた。忘れてはならない、人の心だと思う。……フィリアと酒についての情報は、その礼だ。」
参った。
まだまだアレックス様には、とても敵いそうに無い。




