第四百二十五話 誠意…………? その2 (R15)
ウォモ夫人と同行した理由だが、これはもちろんドメニコ氏を誘ったからでありまして。
戦に出られなかったメル一党にはせめて磐森での遊猟をお楽しみいただこうと。
彼らも感謝していることであろう、この機会を掠め取った厳しくも徳のあるフィリアさまに。
そんなわけでやけにお上品な彼らを――アスラーン殿下の薬が効きすぎたらしい――手厚くもてなし、「それではまた雅院にて」と微笑む淑女を名残惜しくも見送った秋のたそがれ。振り返れば鬼が立っていた。
「接待のご予定はいま少しお早めにお知らせいただきたいものです」
多少の荒れは覚悟していた、自らの不誠実を省みるに。
「めでたくも大功を挙げられてのご還御、奥向きもお慶びを申し上げたきものとお待ち申しておりますに」
この流れはどんづまり、知っていながら侍女長どのの怒涛に乗るほか手もなくて。
「留守を支えてくれた皆には感謝している。行賞は必ず」
言葉ばかりの威厳を飾る影と形の頼りなさ、それこそまさに夕暮れの中のシルエット。
「忠烈を謳われるべき者の身内が七名。早急にお声がけを賜りたく」
父兄なり婚約者なりが戦死して行き場に難儀している侍女がそれほどに……支えなければ俺の「大功」、それこそ皮肉となるばかり。
そのまま誓いに天を仰ぐ主君を見れば力を添えずにいられない、そんな郎党の鑑たちも口々に響きを返してくれた。
「我らも総出で良縁を探しますゆえ」
「それはもう。七名はさすがに……」
「侍女長どの、ご夫君を亡くされて何年だったっけ」
七人を相手に(もちろん一度に相手するわけではない)勝てるわけないだろと。
そうした何だ、リアルなところの男を忘れ果ててしまわれたのではないかと、陰口が聞こえたものだからもういけない。
「何度申し上げれば……刀を振る暇があったら腰を振ってください」
あんまりだぁ……って、言わせた俺も悪いけど。
「毎日とは申しません。せめて稽古の半分、週3でも」
これにはさすがの重臣衆も――カレワラを支える戦場の鬼、精力横溢の男盛り連中だが――とりなさざるを得ないのである。
「どうか勘弁してください」
「ご主君が励まれているなどと知れてはウチのカミさんが大変なことに」
「やっぱり侍女長どの……」
愛すべき愚か者を主君みずからつまみ出す体にて逃げたところで行き先は私室のほかに無いわけで。
ともあれ現行の秩序(序列)に従えば慣れ親しんだ相手が出てくる、こればかりは幸いであった。
「戦場帰りって、むしろ逆の意味で女を困らせるものじゃありません? 侍女衆みんな期待してたんですよ? それなのに屋敷を建てるの港がどうのとあちこち飛び回って、あげく他家のお姫さまを連れ込まれたんじゃあ……」
連れ込んだとはいかがなものか、何もしちゃいないだろうが……と反論しかけて口をつぐまざるを得ななかった。そもそもいたさぬことを問題視されているのだから。
「ヒロさん……って呼ぶにはだいぶ遠くなっちゃった気もするけど……さぁ、根っこのところで女嫌いだったりします?」
エミール・バルベルク男爵閣下を見るにつけ、それはないはず。
だが朝倉に言わせれば「関わるだけアイツのほうがまだマシ」で……要するにこれは俺の消極性、出入り少なく世を渡ろうとする安定志向のなせる業としか言いようが無くて。
だが幸いにしてヴェロニカはそうした弱音を吐き出せる数少ない相手だった。
「責任とか、人間関係とか。ただでさえ抱え込んでるんだ。これ以上捌ききれる気がしないんだよ。縁ってのは繋がってしまうとどうしようもないから。まして男女は……」
それこそ天真会の教義ではないけれど。
縁とは尊くそれだけに難しいものと、生き残るたび思わされ。
「もろもろ併せてそこは『こっち』、奥とか家庭でフォローするのが貴族でしょう? 『表』のみなさんも尻拭いしてくれますって」
手間のかかるあるじほど仕え甲斐がある、世の人臣が常々こぼすところだが。
「でもそのへん、分かりにくいですよね。家の断絶があったんだもの。立て直しちゃったヒロさんはすごいと思う」
ヴェロニカはこれだ。隙を見せるとくすぐってくる。
ま、そこは互いに承知の上。
「家はノウハウを後に伝えるためにある、貴族は特にそうですよね。ヒロさんもお祖父さまから政治や戦争の話を聞いたりしたんですか?」
俺の功業を割引しているわけではない。
家に対する敬意とは、さながら個人に向けた賛美歌で。
「貴族のお祖母ちゃんやお母さんが娘に継がせるもの、ご存じですか? 男と同じで領地経営とか、ソフィア様みたいに軍事教育まで受ける人もいるんだろうけど」
古い社会だもの、男とは別に「女の世界」がある。
好むと好まざるとその事実は認めざるを得ない。
「……これはある意味『裏切り』なんです。女が男に告げるべきではないところ」
薄い肩を引き寄せる。
言わせるからには当然だと、そんな野暮を口にしたくはなかったから。
「婿取りをする『家付き娘』は良いとして。嫁に出ることを考えれば、夫を『引き付けておく』ことも必要でしょう?」
身を寄せたところでそんな話をされるのは正直キツイ。
だが今しばらく理性と余裕を保たぬことには……ならばええと、俗に「3つの袋を掴みなさい」などと申しますが……お袋(姑の機嫌)と巾着袋(家計)と胃袋だっけ?
(もう少し下にぶらさがってる袋の話だな)
そうだな朝倉、子ができなければ「政局」だもの。
さらに「第二夫人」や「愛人」との間に子ができてしまえば。
「家を守るため、まじめに学んで身につけた技術です。だからこそ、活かせなければ不安になるし腹も立つ」
現代的な意味での性教育ばかりではなく、まさにノウハウ。
汚い、不潔だと切り捨てられて良い話ではない。謀略、軍略と何が違う。
「断絶を知ってるヒロさんなら分かるでしょう? 母と一緒に追い出された頃の私が抱いた絶望。こないだ愛人にした侍女も、いま商都で頑張ってるヘクマチアルのマージダさんも、断絶の瀬戸際に立たされてる。みんな必死なんです」
男がいて、女がいて、子をなして。
そしてはじめて、「古き社会」の家は成る。
「ヒロさんが誰より知ってる千早ちゃんだって断絶を経験してるんです。活かす以前の問題で、あの子はノウハウを継げなかった」
長男を失った母親が精神的に追い込まれ、母娘の時間を取れなかったと。
それは早いうちに本人から聞かされた事情だった。
「代わりになったのが天真会、ロータス姐さんです。『子供ながらに天才的な武芸者、だけど女として知っておかなきゃいけないことがすっぽり抜けてる』あの子を見て、どうしようか困ったって」
そうだ、ロータス姐さん。
分かっていたはずなのに、俺は……。
「だけど姐さんは気がついた。逆用すればいいって。『なすがまま、いいようにされる女』。落差に男は溺れ込むだろうけど、あの体力なら壊されない。主導権を握ったつもりにさせて掌の上」
「やめろ」
「全てが打算だとは言いません。男の世界、君臣とか同僚だって……愛とは違うか……情誼はあるでしょ? それでも近衛貴族なら、特に中隊長ともなれば、飾り立てたその生き様を魅力を売って立つ瀬を買う。千早ちゃんと、私たちと何が違うんです?」
打算、割り切り、利害関係。互いにそこを踏まえるからこそ「付き合える」。
そうだ、何が悪い。俺だって千早に対して誠実かと言われれば…………今もこうしてヴェロニカと一緒に居るわけだが…………いや、誠実だ。負い目を感じようがシラを切り通してやる。そこまで含めて、どこからどこまで、俺は千早に誠実だ。
「男も女もない。いや違いはあるけど同じってことか。受けたら返せ、欲するならば与えよ」
「ですから男爵閣下。侍女によるノウハウの披露を拒むのは臣下に対する非礼とお心得ください」
理屈、言い訳。作ってやるのは男の仕事なんだけどな。
「私の体力だと余裕も無いし、演技なんてできたためしもありませんけど」
あざといことは承知の上で。
それがヴェロニカの身に付けたノウハウ、生存戦略かと……口にすべからざるところだな、それは。