第四百二十三話 金貨500枚 その3
帰りは女官と同道した。
万葉侍従と呼ばれる――なんと言えば良いのだろう、男性なら文学青年で通るのだが――文筆畑の名物女官だが、それにしてはご挨拶がその、修辞の極北もとい直心にあふれる名言であった。
「うちのゴミムシがご迷惑を」
俺の前でカッコつけても仕方ない(かつて眼前で親娘喧嘩をやらかした)という事情はあるが、なぜかこのクラスとは会話が弾む、エシャ子と言い「長屋」女官の皆さんと言い。そうした空気はお互い様ででもあるのだろう、侍従どのが見せる笑顔は言葉とともに柔らかかった。
「いっそ踏み潰していただければと思いますものを」
彼女の父である前翰林学士だが、工事中のカレワラ邸内にてその身柄を確保されていた。容疑(?)は敷地への無断立ち入り、とでも言えば良かろうか。
立ち入りといって遠巻きに眺めるぐらいならば文句も無い。だが彼女の父君またの名ゴミムシ博士どのと来た日には「解体中の家からはお宝がわんさか這い出てくるのだ!」と叫んで地面に頭をつけていたとか。
それでは屋根板の一枚も落としかねるというわけで解体現場助監督氏、そこは戦場帰りとあってへんなおっさんにも慌てず騒がず即通報。
しかし捕らえてみれば従五位下、正真正銘の貴族ではなかなか無碍にも扱えぬ……とか何やら毎度の事情でカレワラ家にご滞在を願った次第。
「学士のお家に敬意を表すべきとも思い」
身元引き受けを頼むべく、次席掌侍さまのお局にお呼び立てして今に至る。
万葉侍従どのとしてはまこと面倒以外のなにものでもなかろうがそこはそれ、近衛中隊長閣下から外出のお誘いがあったということにでもしてもろて…………肩書きで女を釣っている? 双方どころか世間ぐるみで納得済みの世界ですし。いいんだよ事務なんだから。
「お礼になりますか、どうか。掌侍さまよりのお言伝を申し上げます」
――ノーフォーク家よりお祝いを受けられたとのこと、数字の符合に首をかしげる向きもあるやに聞いております――
受けた金貨が500枚、盗られた金貨も500枚。
だからどうしたバカバカしいと、セリフ代わりの苦笑には微笑を返された。
「続けます。『中隊長閣下は鼻で笑われることでしょう、英雄とはそうしたもの。しかし』」
伝言ゲームでくすぐりを耳に入れようとはあの方にも似合わぬ下手な小細工、それこそ鼻で笑う……前に言葉を継いだのは万葉侍従の配慮であろう。女官もなかなか窮屈だ。
「『英雄の足を掬うものは小物と、これも古より決まっております。そもそも醜聞と言うもの』……」
口を見やれば広がる扇、わずかに目ばかり覗かせて。
女官と近衛は常にこれ、擬似恋愛とまで言ってしまえば肩も凝るが。
「『程度が低いほど効果的』とでも仰せであったか」
「『せっかくですもの、中隊長閣下に伺ってごらんなさい?』との仰せでした」
……次席掌侍と万葉侍従、ね。
万葉侍従は詩歌文学の専門家だ。その業務はいわば高度技能の派遣社員であって――祭事周りの文案作成、歌会では貴婦人の介添え、宴席に招かれては咄嗟のガヤ回しと――およそ政局には縁遠いはずだが。
ウマがあう、そういうことかもしれない。気を回しすぎるのは俺の悪い癖だ。淑女の前で沈黙するようでは……
「質問ついでにもう一つ、父が何かいたしましたか? 追い払うなりしていただければ幸いに存じますものを」
工事の邪魔をしたと言って身柄を確保するほどのこともない。わざわざ息女に身元引き受けを頼むには理由もあるはずと、整えられたその眉宇は不安に曇っていた。
やはり親娘、足蹴にされたとはいえ――父学士どの、詩歌の類は娘侍従の作品をパクって提出していたもので――優しいところもあるものかと。およそ文学少女という輩は身勝手なものと思っていたが。
「父が犯罪者では勤め先で肩身が……」
笑顔のままに心のままに、期待通り予想の内ながらそんな反応が新鮮に感じられるきょうこの頃。
しかし聞きようによっては不愉快なセリフで歓心を買えると読み切られているあたりかなわないなあって。まあ良いけどね。楽しいから。
「いやなに、大したことではない。だがそれこそ符合の問題で」
解体中の家からはお宝が……ほんとうに出てきてしまったのである、なにやら錦に包まれたあきらか品の良い壷が。
そうなっては博士どのにも尋ねずには済まされない。他人の敷地のお宝をどうして知っていたのかな? とかそのあたりを。
この事実には名にし負う筆達者口達者の万葉侍従どのもさすがに言葉を失い不安げに、いえ扇を鳴らすそのようす、どうやらむしろお怒りのもよう。父君には振り回されっぱなしだったのだろう。馬車が止まるや飛び出そうとするのを引き止めるのに苦労した。
「発見者にいくぶんの権利があるなら差し上げますから、引き換えに現場立ち入りとゴミムシ調査のお許しを!」
現場にたどりつく前からそんな叫びを聞かされるあたり、博士はまことぶれない人物であった……ほんと自重して? 万葉侍従に頭かち割られても知らないからね?
「いや、学問への貢献は官人の義務と言うべきですぞ! 解放しなさい!」
俺の顔を見るやここまで言い出すところ、もはやアンジェラ……さんもすでにご到着でしたか。
ゴミムシみたいに湧いて出るとは言いませんけどね、多少は遠慮してくれても良いと思うの。
「ヘラルドによれば封印の紋章、断絶した侯爵家のものだってさ!」
だいたい紋章官を呼ぶ(しかも費用は俺持ちで)って、あなたどこでそんなコネ……ああそうか、秋の戦で同じ釜の飯を食ってたんだ……まこと戦争の後始末とは厄介である。
ともかく恩賜の敷地にはかつて侯爵家が邸宅を構えていた、これは歴史的な事実であって。ちょうどその末裔が使者として当家に遣わされていた、これもご都合的ながら事実であった。
「あるじ右少弁が申すには、貴家郎党衆の振舞いにつきお尋ねしたき儀これありと……」
マジメ系クズの予備軍と李老師から指摘され、のち立花家を通じてシャガール家に採用された秘書の青年だが、俺は彼に小さな期待を抱いていた……老師の見立て、たまには外れねえかなって。あの人だって神ならぬ身なんだしさあ。
(けっこうクズだよねヒロ君も)
(王国貴族の嗜みよ?)
「そんなことよりこの壷、開けてみてよ!」
口上を途中で遮られたなら噛み付いてもいいんだけど、穏やかな人柄だしなあ。何より相手が悪い。
「よろしいのですか、中隊長閣下」
言われなければ前に出ない、行動の前に必ず許可を得ようとする……マジメ系クズであるかはいざ知らず、受け身にして消極的なことは確かだ。それでもアンジェラ(めんどう)を振り切って逃げるあたりカンは悪くない。社会人適性は高い、間違いなく。
「『某侯爵家にとこしえの幸いあれ、他家にして封を破るものに災いあれ』……そんな文言のある封印を開く気にはなれないからね、新築の屋敷にゲンの悪い」
それではあるじ右少弁の許可を、とか言い出したところで周囲が金属音を響かせる。いいかげん開けろやめんどくさい、ウチのご主君が近衛中隊長が言ってんだぞこのグズがと言わぬばかり……カレワラ家の面々は頼りになるなあ……あ、空が青い。
「それでは、慎んで」
だから使者なら威嚇に噛みつき返すべきなんだけども。帰ったらまたミカエルにどやされるんだろうと思うと、つい近ごろまでの俺を見ているみたいでどうにも切ない。
ともあれ紋章官ベッケンバウアー氏の指導のもと作法どおりに封印を開いてみれば現れたる大金貨50枚、小金貨相当で500枚って……符合の妙に寒気がした。これは呪われてますわ。
「おめでとう!」
誰より早く反応すべし、軍人の嗜みである。
発見者のゴミムシじゃなくて博士もどうせクチバシ入れる気はないだろうし。調査は認めざるを得なくなったけど。
「少弁どのの用件はまた後日伺おう。護衛をつけるから今日のところは帰りなさい」
煩瑣面倒リスクの類は切り捨てるに限る、非情の戦場で身につけたそれが教訓であった。
「ずいぶん古い金貨じゃない? 誰の肖像?」
共に遠ざかるアンジェラの後ろ姿に改めて確信する、やはり正しい判断であったと。