第四百十九話 胡蝶飄蕩 その3
侍女同伴の来場にお気楽ちょうちょの目は少しばかりとがっていた。
「『郷に入りては』、知らぬでもなかろうに。王都の……その何だ、持ちこまぬでも」
身を竦める気配、髪が触れた。二の腕に頬が熱い。
「かりにも男爵閣下、『旅の恥』というわけにも……」
そと見にはマージダの言うとおりなのだろう。
若い当主が出先で「悪い遊び」を覚えても困る、ゆえに遣わされたと。
だが彼女の来訪はもちろんそうした類の話ではない、もちろんのこと。
「商都戦役が進展するほどに政治の話が増えるはず」なれば「ご主君におかれては堂々たる政論に集中していただくためにも」……悪巧みの才に劣ると正直に書けば良いものを、これぞ毎度のランツ節。
その書信をもたらした少女にもむろん謳い文句があるわけで、「双葉島またサンバラ水域の話とあれば、家格も併せ私が適任であろうゆえ申し出ました」……船手エイヴォン家の増長を防ぐためにと、こちらマージダ節である。
節と言えば奏楽その終止符演目の切れ目に若き紳士が滑り込んできた。
「ああヒロ、頼まれた教練だが見せしめに12名ほど殺したからフォロー頼む」
挨拶するならまずレディだろうと思うのだが、なるほどマージダが淑女かと言われると……いやそもそも眼前の少年たるや「その眼中に女無し」のクチであった。すぐと貴顕に向き直る。
「うち7名は捕らえた間諜を有効利用したものです。残りは見るに堪えぬ者、粛軍のため必須の措置であること補足いたします」
練兵場での殺人、まさに必須ではある。戦場の死者を増やさぬために。
俺もつどいくたりかを手にかけている……夜毎の返り討ちと並び口にしたくもないところだが。
「失礼しました立花閣下、しかしレディのご機嫌伺いこそ最優先でありましょう?……次回は私とご一緒していただけますかマージダさん」
不愉快な話題に顔色変えるオサムさんを返す刀でいなしてしまう、淑女マージダの歓心そのありどころを探り当てながら。こと女性に関する限り見誤りなどありえぬ少年、分かっていたが呆れるほかない。
「身に余る光栄ですバルベルク閣下」
「エミールと呼んではいただけない。傷心を胸にせめて笑顔で去りましょう」
白々しいにもほどがある小芝居を挟む始末であった、伯爵閣下と離れた席を取るために。
オサムさんもさっそく何か思いつき言い返そうとするところ、ふたたび演奏が途切れ喝采が起こったのは幸いであった。
「こちらの番組は短いんですね」
それが舞台の用語だと知ったのは転生後のことだったが、ともあれ王都の舞台芸術は上演時間が長い。主流を占めているのが史実を下敷きにした楽劇だからというところはあろう……と、ミエミエであれこれもいちおう気遣いである。誘ったてまえ不機嫌を貫くわけにもいかぬオサムさん、そこはさすがの笑顔を見せていた。
「ゆえにルヴュもまさしく『主役を張れる』というわけだ。前座あるいは繋ぎに過ぎぬと思っていたが、これほどの可能性を秘めていたとはね」
独自の発展を遂げていることだけは分かった、それもひたすら派手な方向へと。衣装、音楽、そして何より振付けにおいて。
王都の舞台、どうにか慣れた大楽劇だが、これは2時間3時間ときに一日がかりで行われる。結果、演者観客その双方がペース配分を思わざるを得ない。
引き比べて商都の番組は場合によってはわずか3分、演者はその一瞬に全てを賭ける。
結果、無酸素運動とは言わないまでも……一拍の間にいくつの動きを詰め込むかと。
「住民の矜持だろうねえ。建国劇も戦争劇も御免被る、悲恋など野暮の骨頂。どこまでも明るく華やかに」
合目的性の――共同幻想あるいは一体感を醸成するという――臭気から顔を背けにぎやかしてこその技芸、そういうところはあるかもしれませんね……とかカッコつけてみようかとも思ったが反撃が重そうなのでやめておいた。
「王都に比べ芸能が盛んであるようには見受けられます」
数字で理解できるところではあった。
大楽劇と言って役のもらえる俳優は十の桁だ。いっぽう短時間で入れ替わり立ち代わりする商都の劇場では日に百人がそれこそ脚光を浴びる。
「王都の雅に比べれば、とても……理解してくださる文化人の層、厚みが違います」
助け舟を出してくれた礼装の男盛りからもやはり「派手」「華やか」といった印象を受けた。劇場の支配人か、劇団の座頭あるいは脚本家でもあろうか、業界まわりの仕組みにはいまひとつ理解が及ばない。かぶりつきの前列に座を取った大いなる影に気を取られていたせいもあるが。
ともあれ男の述べるがごとく貴族はその全員がパトロン――当家は抱えてなかったな――少なくとも上客と言って良い。すると劇団また俳優の数ではやはり王都に分があると……その比較に意味があるものかはさておき、ざっとした調査ぐらいはしておくかなあ。
(発想がしみったれてるよ。モガッの穴が小さい)
双葉島のレオン・ゲーティアと同じ扱いは勘弁であるからして分からぬなりに芸術談義に耳傾けてみたところが、文の立花そのご当主が妙な気炎を上げだした。
「演者の半ばは副業と聞いて感動したよ。本業の時間を割いてでも関わらずにはいられない、ほんとうの意味で文化が社会に根づいている証ではないか。王都のスノッブ共に……稽古の時間が典故の知識が他人の評価がと言い募ってみずから為そうとしない連中だがね……この姿を見せてやりたい」
陽が落ちてより二刻、燃料補給良し、暖まってくる頃合ではある。まじめに聞いて損をした。
「進出は考えております、右京あるいはその郊外に劇場を作ろうかと……現地の同業とも話し合いを進めているところで」
景気の良いことと――大して興味も無いけれど――笑顔を向けたその先で、あえて無視していた気配が存在を強烈に主張しはじめた。
客席の薄暗がりをフットワークも軽やかに近づいて来る。右に左に首を振るこちらの視線を遮りながら。
「……それでこちらに出張中ですか」
いくつになっても悪戯心の衰えぬ人だもの、声をかけねば何をされるか分からない。
「近衛中隊長閣下の威光あまねく、興業を仕切る顔役がだいぶお行儀良くなったと聞いているで、の。お初にお目にかかるマージダ嬢」
ヘクマチアル家の衰退が民間活力を生んだ、そう言えば聞こえは良いが宗教勢力の伸張を許したことも事実である。
立花と……チェン、どこでも良いから他もう二つ三つの家に介入してもらわないことには。世俗と宗教のパワーバランスを思えば。
「これは李老師、ご高名はかねがね。入れ違いになってしまうのが私としては残念です」
王都ヘクマチアルのことを言われても困る、自分でどうにかすることだ……容赦ないなあって何ですマージダさん指で人の腕を突ついたりして。
「いかにもカレワラ男爵閣下好みのお人柄と、老師とはあちらで」
傷心のはずがいつの間にか近づいていた、そう、バルベルクだ。もとより天真会に近く都市計画に知見がある。巻き込んでぶん投げてしまえば楽ができるではないか。
「オーウェルは硬派、リーモンは上品、ニコラスは無関心」
文化のうちでも文華と縁が深いのはカレワラ家……スキンヘッドのオーウェルと上半身フルスキンのアリエルを見比べただけでも分かるところだが、安直ではありませんかね老師。
「……などと申しては失礼ですかの、立花閣下」
なお一壷を勧めている。おとなはきたない。
それにしても気になるのは前列の大いなる影ことユル・ライネンである。
出先で踊り子と、か……文句は言いませんよ? 俺も男ですし。命を的に働く戦士において無視のできない側面ですし。ただ俺は彼ら夫婦の仲人みたいなものだからして、その……って、なんですオサムさん? え、乾杯?
「戦争に調印、論功行賞から双葉島と仕事が重なったところにあんへい君……ここのところ緊張続きだろうヒロ君、たまには息を抜かなければ」
お気遣い感謝申し上げます立花閣下、でも言うてあなたも貴族の典型陽キャの文系、だいぶズレてるんですよ。息抜きさせようと言うなら夜更かしはちょっと、今は寝るのが唯一の……そういう意味ではないですマージダさん、あまりくっつかないように。




