第四百十九話 胡蝶飄蕩 その2
オサムを押し出し、商都の窓に陽の暮れゆく。
ロシウを振り切り、商都の窓に陽の暮れゆく。
ともあれルヴュの前にロネ・ジュラの使者と顔合わせだけはしておきたかったのである。しかしこれがまたなかなかの難物であった。
「聞かれたとおりを答えるように、あるじからは命じられております」
挨拶も無しに言い放つや押し黙っている。奥歯を噛み締めるようにして。
仕方がないのでとりあえず無難なところでご挨拶。
「ロネどのはつつがなくお過ごしか?」
「はい」
それきり。三拍笑顔を保ち続けた俺がまるきりアホである。
これはひょっとしてひょっとするかと思い立ち、反発覚悟の切り口上。
「襲撃犯が何者であるか、ジュラ家におかれてはご存じか?」
「存じませぬ」
それだけ。
何のつもりか知る由も無いが了解だ、ロネ・ジュラよ。話が早いのは悪くない。
「あんへいは無事か」;「是、ただ怪我をしている。リハビリを要す」
「治ったら送り返してもらえるか」;「否」
さすがに一座が色めき立った……が、やはり続きが無い。口を開かない。
仕方ないので質問を続けるがいきおい声も高くなる。これではまるきり取調べ、やられて腹が立たぬものかと思うのだが目の前の石仏と来たら顔色ひとつも変えはしない。
「あんへいを監禁するつもりか」;「否」
「ならばなぜ送り返さない」;「船が無い。ジュラ家は山家だ」
どこかで誰かが茶を吹いた。
最初に言えば良いものを、そりゃ緊張の糸も切れますわ。
「なるほど襲撃犯はジュラ家ではないようです」
肩震わせるスゥツにお使者どの、大きな目玉を丸くしていた。
「先ほど申しあげたではないか」
物分かりの悪い子供だと言わんばかり、その自若ぶりを見た一座に再び戦慄が走る。こいつはやべえ、本物だと。
頼むよロネのじいさま、俺あんたのことを大物だって言っちゃったんだけど……
「まさに梟雄ですか」
お茶のお代わりを差し出しがてら囁かれた声は低く軽く、耳元に蝶の羽打ちを聞かされた心地がして身が震えた。集まる視線にひねり出す言い訳があるのは幸いであった。
「あんへいの無事を聞いて力が抜けてしまった。細かい話などできそうもない……使者どのもお疲れであろう、今日のところは休まれよ」
常套句も怱々、退がり行く少女に追い縋りその細い肱を捉えれば余裕の笑顔を返された。
「おとぎ草子に聞かされた神代の勇者の物語、貴種流離譚を思い出したのです。行く先々で邪険にされて、さすらいの果て国を開いて大団円」
変な笑いが出た。ノーコンテクストからのフルコンテクスト、極端から極端では頭がついてゆかない。
頼むからと作り笑いに媚を売る。
「すこし大人になってから思ったのです、なぜ邪険にされたのかと。失敗を受けて勇者は貴種は、いかように国を開きしものなるやと」
第一観にそれを思う少女から思わず半歩身を引けば捉えた肱をつと外された。冷えた目でこちらを見ている。蠱道の壷ヘクマチアルから孵った毒蛾が逃げを許そうはずもない。
「あんへいを迎える使節と称して腕利きの30人でも送りつけるか?」
乗っ取り。ジュラ党幹部の皆殺し。
少女が笑み崩れた。返答に男を認めたのだ。
肱を捉えられ半歩の間を詰められる。爪先立ちの吐息が耳に熱い。
「『格上』に噛み付くのであれば覚悟の上でしょう?」
人質交渉など許してはいけない、絶対に。
噛み付くであれルールに――政界の慣習に、役所の論理に、貴族の約束に――則るべし、それは言わで語らぬ王国の流儀だ。ならば古礼伝統を重んずる体で動いてきた俺にも妥協は許されない。
「その気がないからお腹を見せる、嘘のつけないカカシを立てて……一族の男を思い出させます」
それが読み解き方か、使者の人選。
なるほどロネ・ジュラはレオン・ゲーティアとは違う。「自大」意識を持てぬ男だ。
「つまりカレワラと王国の信用を稼げれば十分と。ならばあんへいの身に危険はない」
胸元に顎を立てられた。見上げる蛾眉がひそみを帯びている。
いまさら毒の抜けた肝を――家の子ひとりを気に病むがごとき姿を――見せられてはたまらない、恥をかかすつもりかと難ずる目。
その心は理解する、だが押しつけられたくはない。「格上」に食い下がるなら覚悟の上、だろう?
「ジュラがごときの所領に色気を出したところで。むしろ当家は人が少ない」
二の腕に手を添え押し返せばその眉が俯いた。
こちらの肱を掴み締める指が白い。
「もうひとつ、リハビリと秋の嵐を口実に時間が稼げます。船を手に入れるための」
毒蛾は毒蛾を、その悪謀のはばたきを知る。ついて行かねば仕込まれる。
「あんへいを保護してもらった手前……だが協力を求めはしない、こちらに借りを作る……王国とカレワラの名を騙るぐらいのところであれば咎め立ては難しい」
――王国使節の送還を頼んだにも関わらず船を出さぬ隣邦とはつまり「まつろわぬ者」、ゆえに滅ぼしました。いえ、藩屏たるもの当然の務めです。礼など言われても困ります――
「山家から飛躍を図るならば海は不可欠、戦乱の口火を切るのはロネ・ジュラか」
王国の戦略――双葉諸侯の整理統合――まで計算づくで。「魁を務めん」とは良くぞまあ。
「それが格上あいての付き合いかたでしょう?」
「渾身の力で岩盤を叩きひとかけの原石を分け前に取る、だったか?」
「身を尽くしてぞ……御家に人が少ないとは情け無い仰せです」
翻る背その肱を再び捉えた、駆引きと知りながら。
マージダは……「お前は手放さない」、耳朶に唇を寄せささやいた。
「無理に言わせるあじけなさ……さきに申し上げましたよう、いましばらくは許して差し上げます」
俺の負けだ。小娘相手に。修練が足りていない。
「レディ・マージダその寛容に感謝を……何なりと仰せあれ」
「ではルヴューに連れて行ってください」
内に猶予は与えても外への誇示は譲らない、当然の言い分にまたひとつ負い目を思う。




