第四百十三話 鋒矢十三段 その1
会議室にはいつもの面子が勢揃い、将軍閣下の着席を待ち構えておいでであった。
「明後日を期して会戦の約束は取り付けたが、改めて伺いたい。この戦役全体の落とし所だ」
開口一番ことも無げに言ってくれる、けれど。
萩花の君を招待したイーサンの功績も重いから。
「眼前の敵を破り、しかるのち和平を押し付ける」
などと断言してみたところ、無言で続きを促された。
なるほど戦局を確実に見極めぬことには始まらない。
「堺河以北を掃討すれば提案に乗らざるを得ない。敵が意地張って戦を続けたところで……」
およそ無理とは続かぬもの。力関係に沿った国境の取決め――暫定的なものであれ――こそが、結局は紛争回避につながるのだ。
「もはや近衛中枢が出るまでもない」
後は近衛の出向組と兵部の駐戍と商都所属の防衛隊と……毎度お馴染み「その辺りのアレ」はいま気を回す話でも無い。眼前に集中するための環境を整えてもらったのだから。
「なお萩花の君につき、建威将軍の考えを伺いたい」
こだわりは思考の柔軟を奪う、ゆえに問うべきは問う。
……俺は友人に恵まれた。
「戦である以上、討取ることを目標とする。諸君もその気構えで臨まれたい」
言葉はキツイが自然体だ。勢いの趨くところに従うそれだけのこと。
「王室の流れですよ、カレワラご当主」
「そこまでやったらまとまる話もまとまらない」
「南嶺の、それこそ臨時政府だ、パワーバランスが崩れる。騒動は国境にも波及……」
それだけのはずがまあ散々な言われようであった、戦後に備えた政治的配慮半分にしても。
「勝負は水物、取り越し苦労もいいかげんにせい」
むしろそのあたりで俺を責めるのが軍監の仕事でしょうにウマイヤ閣下……いえ、軍人としてはありがたき限り。
ともあれ俺が討る、俺がまとめる、ゴタつくようなら俺が出る。
文句があるなら責任者になれ、中隊長に将軍に任ぜられてからものを言え……などと思っても口に出したらお終いなのだ。近衛はひとしく国王陛下の「弟分」、中隊長はあくまで比較一位のまとめ役。伝統に基づくその建前を尊重する姿勢を崩せばアレだ、「友達がいなくなる」。
したがって説得は粘り強く……とはこれ平場の理屈であるからして、戦場でそう悠長に構えてもいられない。だが千年の歴史を持つ王国はそのあたりにも道具を用意してくれている。
威儀を正す。節を掲げる。
応じて一同背筋を伸ばすなか、なおおもむろに口を開いたのはやはり佐将の座にある青年だった。横から顔を覗かれるのでは隠し事の一つも作れない。
「その覚悟はあるんだね」
意見の一致を見たようでこれまたありがたき限り。
だがイーサンともあろう者が風除けを立てようとは……いえ責任者は俺ですよ分かっていますとも。くじけず話を続けます。
「明後日の布陣、左翼はコンラートに任せた。ゴルディラン党の進出を禦いでくれ」
損耗を顧みず犠牲に動ずることもない。
勇将とはそうあるべきもの、我将軍において履き違えることはない。
「右翼はスゥツ、アベルほか若手また不慣れな人々に任せる。セーヌ公の一党は楽な相手だが油断無きよう……」
思い直した。彼らは俺と「同じ」、ならば説教など無用。
「もとい、存分に暴れてこい。なお衆議定まらぬ折はウマイヤ閣下の断に従え」
はしゃぐ子供たちが老人の名ひとつで居住まいを正す。
このあたりむしろ大人のほうがお行儀が悪い。こっちの言葉にいちいち逆らっては「小銭」を掠めようとするのだから……ともあれ。
「中軍、萩花の君に当たる主力だが」
流れ出した妙な緊張はいちおう将軍の威厳と思うことにした。何が飛び出すか期待されているには違いないだろうし。
「陣形は変格鋒矢」
鋒矢陣とは読んで字の如く「↑」のかたちをした隊形である。
「^」型に配置した兵(これを鏃に見立てる)を前進させ、「|」状に配置した兵(矢柄に見立てる)で後ろから押し込む。機を見て「矢柄」が「鏃」を割って飛び出しさらに敵陣を穿つ。
つまり二段構えの強力な突撃陣形であり、当然の代償として守備の意識はゼロになる。
なお変格においては「兵」を「^」型に配置する代わりに「兵団」を「積み木のピラミッド」状に配置する……と、それは近衛に説くまでもない。
「変格をとるゆえんは多段攻撃、先日の合戦でニコラス隊が見せた『再構築』を師団規模で行うところにある。これが戦術意図だ」
芸の無い力任せにも見えるが、奥行きが狭い場合はこれが理に当たる――他に選択肢もあるが比較を含めた解説の煩を避けるためには、ええと――意外にこれ知られてないんですけどね。
(なぜか不安になる言い方はNG)
「具体の配置に入る。先頭・一段はニコラス前衛、続く二段は紅袍(ベテラン勢また武術師範)。三段にカレワラ、アカイウスがこれを率いる。四段にニコラス後衛、五段にリーモン」
ざわつく理由は重々承知、だが構ってはいられない。
「六段に検非違使隊、七段に義勇兵、八段にオーウェル。なおこれは開戦時の配置であり随時入れ替わる」
みな開いた口を閉じ忘れているが、この程度で呆けてもらっても困る。
最初で最後、拝賜の鉞を執務机に叩き付けた。
「ここまでが『鏃』だ」
鉞を振るわれた怒りと羞恥に血走った眼差しが狂気と歓喜に染まってゆく。
ご理解いただけたようで何より。
「十段にバルベルク。もって『矢柄』の先頭に見立てるが、前に割って入る必要は無い」
そして掲げるたびに思う。節とは便利なものだ、鉞と併せてなおのこと……むろん濫用は控えるべきだが。
「エミールは『鏃』の舵取りに注力せよ。建威将軍の名を以て中軍・変格鋒矢陣の指揮官に補する。その前方、『鏃』と『矢柄』の結節にあたる九段はウマイヤまたハウエルの両騎兵隊。エミールの命を受け『鏃』の外周を刷き回り方向を指示すること」
沓巻そのまま糸のごとき柔軟、繊細そして強靭が求められる。
消耗品かと吐き捨てるあたりはさすがのクラース、虐げられ慣れている。
「……十三段にデクスター、左翼クロイツまた右翼兵団との連絡調整に務めよ」
名指された友は厳しい顔を返してきたが、何も舞台を整えてくれたこと(アタマ押さえつけてくれたこと)への返礼をしたつもりはない。
純軍事的に見て他にいない、それだけだ。
「今次戦闘における総指揮はイーサンに任せる……スレイマン殿下もそちらにご動座願います」
以上が鋒矢十三段、先の先を取り殴りに殴るそのために。
萩花の君が鏡写しに見た――勇躍までは守備重視、有利を重ね優位を取って前に出る――俺の姿をもろともに打ち破る。
「萩花の君を撃って後、左に旋回。ゴルディラン党を退けセーヌ党を逐う」
実のところ萩花の君を破れば挟撃態勢、その後は論ずるまでも無い……が、時に蛇足も必要だ。
気韻を整え場に平康をもたらすために。
「待て待て待て待て。鋒矢は通常『矢柄』まで含めて三段、よほど多くて五段構え」
「十三段てお前さぁ、あのさぁ。大概にしとけって。情報処理と交通整理……」
その率直は深切の証、こっちも言葉を飾るのはやめだ。
「俺が独自に先手を務める。一段から三段を往復して『鏃』の入れ替え再構築に専念するから問題ない」
……なお小さな機略を大方の真実にすべり込ませはしたけれど。
厳しいことは承知の上、それでも俺は近衛中隊長だから。
「十三段のうち五段・『矢柄』を他人任せにしたんだし。『鏃』の八段ぐらいなら捌いてみせる」
なお向けられる疑惑の視線もそのまま熱に浮かされていく。
前代未聞、だがやってくれそうな気がすると。
十三段の鋒矢陣、ぜひ突き抜けてみたいものと。
それぐらいの虚像は見せられるようになった。
それぐらいの実力を見せつけなければ始まらない。




