第四百十二話 転換
「なあヒロ、あの丘」
見晴らしの利くその丘にはレネギウスを登らせていた。
土塁に向けて弓引くや大慌てで稜線の陰へ飛び降りる。
「防御施設の前面に『いい感じの丘』、お前なら残しておくかコンラート?」
「そりゃ削ってこっちの盛り土にでもするさ。でも時間が無けりゃ……」
会話は立て続けの轟音に遮られた。
そう、時間が無ければ仕方ない。据え置き型大弩の照準でも合わせておくぐらいのところ。
「撃ち込んで三拍、矢文(内容:バレバレなんだよ撃って来いやオラアン)読んでの反応じゃありませんね。敵も想定済みだ」
帰って来たレネギウスは土砂まみれ、唾から泥から悪態までも混ざり散らしたその報告にコンラートは肩を落としていた。
「罠かよ。お前やスレイマン殿下が陣取ってたら……どうして分かる? 才能か?」
初陣で手酷くやられたせいか、萩花の君を相手に回すとどうにも自信喪失ぎみ……コンラートに限らず近衛兵一般に見られる風潮ではある。
「似た者どうしってだけさ、萩花の君と俺」
そうしたわけで土塁の東壁前にも滝口連中を駐屯させてある、トンネル工事をねぎらうために。
「先に動いたほうが損しないか、それ?」
「いつも通りなら、な」
ああしたケレンは無駄手間だ、俺なら丘を削っておく。東の壁にせよ非常口扱いするよりは高く厚く、それが守城の基本だから。萩花の君でも絶対にそうする、同じことを考える……はずのところ、いまの彼にはその余裕がない。
「チャンスなんだな?……いやその、資材糧食が保つならば」
珍しくコンラートの目が獣性を帯び、すぐに弱気を取り戻した。
萩花の君もそこはこちらの足元をご高覧に入れておいでなのである。
やりやすいやらやりにくいやら。
「で? どういうつもりだコンラート。人を視察に引っ張り出して『若手と一緒に教えを請いたい』? 嘘つくにしてももう少しあるだろ」
敵を堺河まで押し込んだこの局面に至ってはできることなど限られる。
そういうところの見極めがつかぬ男ではない。
「実はイーサンとこにセーヌ公の使者が来てる。でも俺は萩花の君に近いだろ? 席を外したんだよ」
なるほど終戦交渉も「できること」のひとつ、そしてコール・シェアー――萩花の君の秘書室長とでも言えば良かろうか――これがクロイツ家有力郎党の親戚であることもひとつの事実。
だからと言ってついでのこと将軍に、最高責任者にまで席を外させるとはいかなる料簡かと。
「そうトガるなって……なあヒロ。俺が言えた義理でもないが、萩花の君に囚われすぎてやしないか?」
将軍位を拝命してよりこのかた影を潜めていた(はずの)マヌケ面を返してしまう。
やはり随伴のエミールがここぞとばかり滑り込む。
「商都と言えば東にノリノワール公、西にセーヌ公。『それこそが基本』だろう?」
これは一本取られた……いや待て、そこじゃない。そこじゃなくて……。
「頭冷やせよヒロ、砦攻めから布陣まで『教本』を実地に示したお前が」
うるさいと怒鳴る代わりに手を挙げる。
視線を送ればその先にはどこまでも高く青い空。
……「たまには自分の土俵に相手を引きずりこめ」、そういう意味かメル公爵。
思えばずっと言われ続けてたよな。誰にも彼にも。
消極的だの受け身だの、何をもって何ゆえにか理解できずにいたけれど。
そういうことかと。
戦場選びに枠組み作り、実践してきたつもりだったんだけどなあ。
どうやら盛大に勘違いしていた。
――言われていたのは発想ではなくその背景、根底だ――
俺はこの社会に馴染もうと必死……とまで言って良いものか、ともかく……まずはそこから思考と行動を組み立てていた。
――状況に自分を合わせよう、状況の中で最適解を比較優位を探そうと――
「イーサン、今ごろ使者をさんざんにどやしてるんだろうな」
「こっちから出した使者を殺されてる、正当な抗議だろ」
そこまで言われんでも分かるっての。
あーくそカッコ悪。
「戦術判断に誤りがあった。ここに訂正する」
戦があるたび、秋が訪れるたびにこれだ。
蒼穹はどこまでも青くそして高く、広やかな平原には率直な宣言がよく似合う。
「萩花の君を土塁から引き出し野戦に持ち込む。諸君の協力を仰ぎたい」
彼ならばここは引き籠もって当たり前……基本どおり常識どおり。危なげ無きその知性に共感、いや共鳴してしまっていた。
「と言うか、任せたエミール。どうせイーサンあたりと絵を描いてるんだろ?」
「違う」知性を頼るに限る。
……参謀とは指揮官の癖を修正するための鏡、だったか。
マルコ・グリムに当主公爵、メル家の影響から抜け出すにはまだしばらくかかりそうだなこれは。
「お許しも出たことだ、では早速。スゥツは本営に戻れ。アルバートのところに行って……めんどうだな」
「兵を借りるのであれば父・商都留守からでも。その旨吹聴して回れば良いのですね?」
口々に続くトワのユニゾンはロードリクの童子舞にとどめを打った。
「『野戦に備え強敵萩花の君を封殺すべく、土塁の周囲に貼り付ける兵を将軍閣下はお求めである』……ふつうに考えれば軍機ですけどね」
この戦役を通じて妙に出番の多い戦術兵器がまたも脚光を浴びる。
「まんじゅう」こわい、まさにこれ。
使者を殺された非礼にイーサン激おこ主戦論、セーヌ公に八つ当たり。
原因を作ったシャルル・ヴァロワは萩花の君配下、さてどう責任取りますかと。
恩人セーヌ公の危機を見過ごせば寄り合い所帯に居場所無し。
出てくれば野戦に持ち込めるが、さてそうなれば。
「俺たちトワの戦はここまで。どうぞ戦場に集中しろや将軍閣下」
「単騎駆けに始まり横綱相撲の布陣合戦と来て、次はどうする?」
背水の陣ではないが、水を背にした敵を相手取るなら……さきにも挙げたがまず思いつくのは戦術的後退だ。戦場を広く使うために。
「口実は『萩花の君に敬意を表し』、距離は半舎・15kmと言いたいところだが」
乗ってこなければ……いや、絶対に乗ってこない。
異才に対抗するためには――俺も萩花の君も、いやロシウまで含めて発想の原点はそこにある。「同じもの」を見たせいで――手厚い備えが求められる。
しかし前の戦場で俺はその「手札」を曝した。ここで戦術的後退を選ぶようでは発想に進歩が無い。萩花の君と共鳴してしまう。その思惑を超えられない。
退けないつまり限られた戦場で、手札を知る敵に、勝利を収める……そのためには。
こちらは近衛、兵3万。敵は3つに分かれて4万強か?
「奇策」では軽い。思惑を外しながらその内実は正攻法……。
「よろしいですかご主君、マグナム・クロウ君がデクスター閣下の言伝を」
近衛兵が、若き幕僚が一斉に振り返った。
その姿を目に留めるべく、何物かを掴むべく。
これが名人アカイウス、そしてマグナム…………また一方の異才。
そうだ、異才。
俺を萩花の君を捕らえて離さないもの。
発想を超える、思考をその根底から変えてこそ。
「異才に抗う者、我と同じく」……萩花の君が俺に抱いたその思惑から覆す。




