第四百十一話 見極め
軍服の襟に指を差し込みながら――いくつになっても着つけぬらしい――鏡越しのイーサンが口を開いた。
「追撃はほどほどに切り上げたけど、良かったかい?」
最終決戦ならば徹底的に追うところ。
戦役の帰趨を決める勝負どころであれば……これは難しい。
「便利な言葉、あるだろう? まさに『ひとつの判断』だよ」
現場仕事だもの、すべて予定調和といかないことも確かだけれど。
指揮代行を預けた友に無責任が過ぎる気もしてひと言を添えた。
「双葉勢がけっこうな数を占めてたが、商都の地理には不案内。逃がしたところで邪魔にならないから構うことないさ」
取り逃がした敵が「いい感じの拠点」に再集結、それが一番困るのだから。
「追撃を控えた割に捕捉が多かったのはそのせいか。で、送還する?……それも『ひとつの判断』だろうね、建威将軍閣下」
ようやく盛装に身を包み終えた青年にやり返された。
なるほど「その道」に自信は無いが、断を下すのが将軍の仕事だ。
「豪族連を撫で斬りにしたところで。得をするのはどなたやらってね……それじゃ行きますか」
彼ら捕虜との面談には神経を使った。
威を備えて猛からず、寛を示して縦を去り、雅を体しながら奢を排す……言うは易いがぽっと出貴族の付け焼刃には荷が重い。仕方ないのでただ正直なところを述べる。
「王国は来る者を拒まない。奉敬には礼遇を以て応ずるであろう、『諸君の自治も認容される』」
戦役が落ち着くまで商都にてその実を確かめられたいなどと厳かに彼らを送り出し、せっかくの盛装ついでに「内」――笑いを堪えるので必死な近衛の粗忽者連中――にも訓示を垂れてみた。
「今次戦役の目的は明らかである。『四海に威を示す』、賊魁を叩かぬことには」
萩花の君その権威を墜とすことだ。
さすれば双葉島の豪族も王国の恩と威を知るであろう……かっこつけすぎですね。アレだ、彼らもお手紙ぐらいは書いてみたくなるんじゃないかなって。
そこから先はま、いろいろと。宮廷には口説き上手も多いことだ。
そして無人の野を威風堂々、堺河のほど近くまで押し出したところが。
小さな丘陵を利した土塁に行き会い天を仰げば、壁頭高く秋風にひるがえるは案の定これ萩花紋。
複雑にして技巧をこらしたその構造、筆舌には尽くし難いが一言以てこれを覆わば(≒雑に言うなら)「真田丸」。どうやらあくまでも出て来ない、戦わない、力を温存する方針かと。
どこまでも勝負根性がド汚い……が、ま、それでこそ萩花の君だ。
ここいらが潮時と、そのご教示には従いますか。
「教練を行う。しかる後、引き上げだ」
眼前で、河ひとつ隔てた本拠の前で軍事演習を許すなど赤っ恥だもの。
それで戦略目的――権威に傷を入れる――は達成される、こちらも傷を負うことなく。
「ここまで勝ちに勝ち続けていながら」
「堺河以北の確保、目に見える功績ではありませんか」
「十万の師を起こして収穫も無く帰れるものでしょうか」
手柄が無かったからと言って欲の皮を張らなくとも。この戦、実利は二の次ってそれ最初から言われてるから。
だいたいそもそも土地の確保を予定した動員も予算の確保もしていない、そのあたりは戦下手……じゃなくてデスクワークが専門のトワ系諸君こそ理解しているはずでしょう?
と、言うて一斉に反発されては難しい。近衛府とはそうした組織だ。
「分かってる」連中にも彼らなりの主張がある。
「なるほど土塁に加えて野陣まで。しかし連携は甘いと見ます」
商都の防衛に出張った野陣にはゴルディラン、セーヌ、ほか諸豪……の、名代。萩花系とはまさに指揮系統から違う。
「しかし背水の陣ですコクイ卿。手出しは危険でしょう」
背水の陣の成立条件欠いてるけどな……って、俺持ちの意見にケチをつけても始まらないのでここは援護射撃をひとつ。
「やりにくいことは確かだな。水に限らず障害物を背にされると『場』が狭まる。それこそ例えば騎兵を回せないだろう?」
「騎兵を使わずに勝つのがヒロさんの戦術ではないのですか?」
勢い込んだ若者の発言にインディーズ四家老臣の目が尖り……しかしすぐに和んだ。近衛中隊長不適格者を発見できたのだ、喜ぶべき事態である。
なお発言者のために弁護するならば事務仕事はなかなかのもの、蔵人コースを目指すことをお勧めします……私にも立場があるのでいちおう反論しておきますが。
「作戦の幅を狭められた状態で戦うのと自分の意思で局限するのは違う」
自分の意思でつねに局限、つまり「ひとつ覚え」の運用をする方もある。
思えば豪胆この上無い、やはり武家の総領にふさわしいのかもしれない。
「ともかくそういうことだ、戦わないとは言っていない」
記録を見てもらってもけっこう、将軍ゼッタイ言ってないヨー。
「『引き上げ』の言葉が悪かったか。『場』を確保するための戦術的後退だ」
などと口を拭ったところで見透かされてしまうのである。
「萩花の君を叩かぬことには」
「土塁攻めならば戦術的後退の必要は無いはず」
思えば軍旅に泣き言のひとつも漏らさず、剣戟に流血に怯むことも無く。
勤勉で、勇敢で、優秀な少年たちだ。
彼らならきっと簡単にやり遂げるのだろう。
損耗の、人死にの、その重さに足を取られることもなく。
それでも、なお。知っておくべきことはある。
「野戦はともかく攻城の準備をしていない。あの土塁は骨だ」
籠もっている方のお人柄を思えばなおのこと。
「先の野戦と言い、あまりに消極的」
「建威将軍閣下の……いえ、ヒロさんはそんな人じゃない」
「中隊長のおかげで近衛府がここまでやれるようになったんです」
そうか。
強く気高き君たちの代表だったな、俺は。
「諸君は私を信じると言ってくれるのだな」
戦いたいんだな?
「ならば私の見立てを述べよう。あの土塁は確実に落とせる。総員3万を投入し、その半ばを犠牲にすれば必ず落とせる」
戦えるんだな?
「私に命を預けてくれるか」
フェードアウトは貴族のたしなみ、知っているとも。
責める気は無いさ、誰だって命は惜しい。一度死んだ俺が言うんだ間違いない。
まして彼らは重い荷物を、一族郎党の命運までを背負っている。
出遅れたのは誰だ? 感謝申し上げる、お互い損な性分だな。
いいからさっさと行けよ、俺が土塁に目をくれてるうちに。
「誰より俺が落としたいよ」
声が口を衝いた。吐き捨てずにはいられなかった。
眼前の土塁を落とし、堺河の線を確保して。
王国の疆域を広げ陛下の威信を輝かすのだ。
………………犠牲の尊さを証明するために。
2000人だ。味方だけで2000人を俺は殺した。
顔見知りから友人までを地獄の淵に叩き込んだ。
殺しておきながら触れることもできない。
身近な者だけ取り上げること許されない。
抽象化して、数字として命を消費して。
そして勝ちを得た。人を殺して勝ちを得た。
もうひとつ勝てば、もう何千人なり殺せば。
堺河を、あの土塁を得ることができる。
誰の目にも明らかな戦勝記念を、商都を守る要害を。
「これからはあの河が、砦が兵を守ってくれる」
「国境の民も安心して暮らせる」
そう告げることができる。ひと目で納得させられる。
残された老親に、妻に、子に。
「あなたの大切なひとのおかげです」と。
短き陽が暮れる。長き夜にテントの影が浮かび上がる。
眺めるにつけ情けない思いばかりがせり上がる。
「この3万が俺の兵なら」
伯爵辺境伯なみ、10万とは言わない。
だが子爵格では。カレワラ全盛期の勢力を取り戻し寄騎を糾合しても1万では。
せめて3万、気心知れた戦力を持ち合わせれば落とせるものを。
「引き上げだ……死んでいった者たちのために」




