第四百八話 戦場の怪ふたたび? その1
21世紀チキウと前近代の世の中と、違いはいろいろあるけれど。
通信技術の差はひとつ挙げておくべきところであろう。
報告待ちの時間にイラつくようではやっていけない、生きづらさを抱えないでは過ごせない。
とは言えこれをコミュニケーションの時間とでも捉えられればそうそう悪い世でもない。
仕事を離れて趣味の話……と言って戦場の男どものすることだ。呑む打つ買うに子不語の類すなわち怪力乱神(心霊・スポーツ・ゴシップ・宗教)と相場は決まっているけれど。
現にこの日、飛び交っていたのも心霊譚……と言うより都市伝説であろうか。例えば「赤玉」に類する話など、これは王国にも存在していた。精子ではなく文字通り生死の問題として。
いわく、「生涯のうちに殺せる人間の数には上限がある」のだとか。
「あー、でもヒロさん見る限り500は大丈夫じゃないですかね」
「ユルお前たしか、600越えだろ?」
侍衛があるじより少ないはずもない。当然と言えば当然だが。
「大戦だと一日に100人超えることもありますよ。こっち来てからも、現場で柵やなんかを防衛してると30人ぐらいはすぐ」
知らない人はユルの口からこういう話を聞いてはビビリ散らかすのである。
顔が幼いところに持ってきて平時もっさりのっそりしてるせいだが、それをお前が悪いどうにかしろと逆ギレするのが貴族である。あいつらの傍若無人どうにかなんねーかな。
「千人斬りって言うぐらいだし、上限はそれ以上なんだろうなあ」
「ユルお前、実はそうとう稼いでるんじゃないか? 奢れよ」
うちは固定給なんで(震え声)。ボーナスも出してるんで。数に応じたお支払いはフリーランスの特権ですし。よそに比べても悪くないですし。
などとあるじに気まずい思いをさせぬのが侍衛の務めであることをさすが「カレワラの盾」ユル・ライネンはよく分かっていた……と言うかいいかげん不当なタカリから身をかわすぐらいの芸は身につけているのであった。
「『打ち止め』なら、僕はあると思ってます。じっさい叔父の兄弟子が人を殺せなくなって」
断言に会議室のざわめきが消えた。
かつてユルがこれほど他人の注目を集めたことがあっただろうか。
「殺すどころか攻撃全般がダメで。型稽古はできるんだけど、いざ対戦となると振り上げた斧を打ち下ろせなくなるんです。それこそピシッとこう、ロックがかかっちゃう感じで」
嘘をつけるほど器用な男ではない。
訥々としたその口調もこの日ばかりはやけに粘つく響きに聞こえ。
「35歳のとき、戦場でいきなりだったとか。『幸い当流では斧のほかに盾をやってるから切り抜けられた』って。今は盾の専門家で食べてます」
8月の暑熱にひんやりした空気が流れる。
戦場で突然のイップス、へたな怪談よりよほど恐ろしい都市伝説……を中断したのはお待ちかねの報告だった。
「帰ったぞ諸君。良い話と悪い話、どっちから聞きたい?」
「簡潔に頼むコンラート、それなりには大ごとだ」
数名の幹部を急遽派遣せざるを得ないほどの大事件……とは言いたくないんだよなあ……ともかく出来事があった、それは確かな事実であって。
商都を南へ離れること30km、建設中の中継宿営地で騒ぎが起きた。
地面を掘ったところが中から白い肉塊のような物体が出てきたのだとか。
まさか死体!? と現場が色めき立ったのも束の間、そんなことならどれだけ良いか。
「太歳だ!」などと叫ばれたのではたまらない。
「何だそれ」
誰ぞのそんな鈍感には慣れているのか、やはり急遽帰還のエミールがすらすらと口を動かす。
「建築の業界だと有名なんだけどな。方位除けって言えば分かるか?」
太歳。土の中で生活している――と、信じられている。実在するかはもちろん不明――神様である。
この太歳神、住居(の上)で騒がれるのが大キライ。その禁忌を犯す者にはそれはそれはえげつないバチを当てるのだと、民間では広く信じられ深く恐れられているところ。
だから例えば住居の増改築を行う時など、「太歳さまがいらっしゃる方角」を触ってははいけない。これは住居に限らず土いじり全般に――井戸の浚渫から道路工事、あるいは架橋に至るまで――あてはまる「社会常識」なのだそうな。
だがありがたいことにこの太歳神、星の巡りにしたがって年ごとにお引越しをなさる。去年は北北東、今年は南西、来年は真北……といったぐあいに。
だから建築・建設を行いたければ年を改めさえすれば良い。どうしても今年中にやりたいならば図面を引き直すべし。太歳さまを騒がせぬ方角へと増築する、それだけで祟りを免れるのだから安いものだ。
「そんな与太話、貴族や金持ちに通ずるか? 『何が何でも夏までに建てろ』、『俺の気に入った設計図どおりにやれ』……逆らおうものならそれこそ祟られるだろ」
想像力に欠けたその鈍感こそ貴族の美点、とはいえさすがにこれは鈍きに過ぎる。
「現場の作業員が絶対に動かないんだよ! 兵士が脅しつけようが命懸けで刃向かって来るぞ。作りかけの建物を引きずり倒すわ火をかけるわ、ちょっとした動乱だ」
なにせ太歳さまのもたらす祟りと言えば関係者全員の――噂によれば施主は当然のこと、材木卸した問屋から許認可出した役所の課、通りがかりの見物人に至るまで――族滅なのである。それも疫病やら塞がらぬ傷などを用いてじわじわと苦しめながら順繰りに追い詰める(とされている)のだから始末に負えない。
「何か言いたげだが将軍閣下、当教会でも『妖怪』や『悪霊』の存在は認めている。そもそも世俗の『慣習』には寛容であるべきこと、宗教家ならば当然のわきまえだ」
カルヴィンもおとなになったなあ。
「だが要塞や駐屯地でそれを言われても困る。速やかに設計図どおり、当然の要求だ」
高位貴族ならば当然の発言である。
逆らえばそれこそかんしゃく玉が破裂する。
「そのための『方位除け』ですウマイヤ閣下。陰陽寮から人引っ張って、建設前に何やら拝んでお札なり貼りつけて。どうせいるはずもない神様、作業員さえ安心してくれれば」
ほか、亀に腹話術使ったり蛇に書付け飲ませてみたり。
本物のカミサマがいる世界でも人間はそれぐらいには不信心になれるのである。
「とはいえ『モノ』が地中から現れては」
太歳さまはそのお姿についてもよく知られている。名にし負う凶神、それこそマッシブな鬼か醜悪な魔族かはた厳格な閻魔スタイルか……と思いきや、これが(先にも述べたところだが)「肉塊」なのだとか。
「それも今年の方位、宿営地の南西カドから出てしまったんだ。この遠征はそもそもが王都から見て南西、商都から見ても南西だからと念入りに方位除けしてこのザマでは」
陰陽寮にはぼったくられ……多額の寄進をしたと言うのに。
「いちおう聞いておく。まさか本物ではあるまいな?」
オカルト否定派のトワ系官僚団では絶対に口にできないこと。それでも誰かが確認せねばならぬこと。
ウマイヤ閣下のこういうところは正直ありがたい。
「検証のため神異に詳しい私のスタッフを遣わしました」
小さな嘆声、そして注目。
カレワラ伝説にまた一章が付け加わった瞬間である。
鶏鳴狗盗? イロモノ揃いで悪かったな。
「鑑定した俺を忘れてくれるなよヒロ」
と、コンラートのこれは当然の主張、農業の専門家にはお見通し。
現れた肉塊様のそれ、幸いにして太歳神ではなかったのである。
「正体は菌類だった……なに、分からん?……地下に生えるキノコだと思っとけ、トリュフの遠い親戚さ」
「そう聞くと多少のありがたみはあるような」
「レアものには違いないか」
「呑気なことを言ってる場合か。作業員の混乱と暴動を防ぐため兵団もろとも即時後退したんだぞ……その件につき事後承諾を求める、将軍閣下」
この果断こそエミールの美点と、若き幕僚たちの手前大いに称賛したものであった。
……お互いこっぱずかしいったらない、褒賞とか言ってもありがたみの薄い間柄だし。
「だが今さらキノコと言ったところで、人心の問題が」
「レアものならば瑞祥扱いできませんかね。ほら、霊芝とか」
セーフ寄りのアウトじゃないかなそれ。俺だけならともかく、スレイマン殿下がいるところで瑞祥が出るってのは。よっぽどうまく解釈つけて立ち回らんと。
「ともかく実物は持ってきたぞヒロ……何だお前ら目を逸らして。太歳でも何でもない、キノコだと言ってるだろう!」
直視に耐えるかと言われれば……その、あまり見た目の良いものではなかった。
指し棒でつついたところがぶにっとした感触。
「なるほど肉塊に見えなくもない」
「だが即座に太歳と結びつけるあたり、賢い男もあるようで」
会議室の天井に吐息と舌打ちの音が響く。そりゃそうか、やるに決まっていた。
間者を入れての遅滞作戦あるいは破壊工作。消極的なサボタージュから積極的な扇動まで。
「検非違使『隊』から数名を派遣しました。こちらも事後承諾願います」
街場とは勝手が違って悪戦苦闘のさなかでも、こうしたことには頭が回る……むしろ脊髄反射や呼吸といった域に近い。
「なお一筆頼めませんかね、磐森お出入りの人足頭いたでしょう? あの若者宛てに」
「垢」をつけるなど……いや、彼らの業態を思えばこれは「箔」だろうか。
そんなことを迷っていられる立場でもないけれど、逡巡すれば真っ先気づく人もある。
「土中の神とはいえ泥臭いにもほどがあろう」
元学園長のひと声に応ずる乾いた笑声、ベテランたちの喉から漏れた。
控えよティムル、僭越が過ぎると告げていた。
「さすがは『じいや様』がただ、『若君』に甘い。でも良いんですか将軍閣下?」
キャリア戦功に不足があれど、ベンサムの家格は四家重臣に劣るものではない。
そもそもそんな会釈を施すタマでもない。
「好きにやれベンサム大尉、慣れぬ遠慮をすることはない」
挑発に乗った体でも良いだろう?
お前の手綱はこちらで引いてやるからな、いつも通り。




