第四百話 くしゃみ
後宮を出たところでイーサンの渋っ面に迎えられた。
なにせ御前会議に携わったは良いとして、小隊長では「会場警備」が関の山。
片や彼のよく知るヒロ君は中隊長で会議の主役、そこへ持ってきて頼まれごと……「退出する近衛大隊長キュビ侯爵を引き止めておいてくれ」など、まるで子供の使いである。
「ご教示たまわりたいことが」
それでも5mほど離れてくれる品の良さが今は救いだった。
なにごとか機密でもあると見たのだろう。
「教わる気もなき常套句、『学会発表』は終わったはずだが」
ええそれはご不快でしょう。
絶対にゲロってもらう、その気で話しております。
「閣下所領の沿岸掃討作戦について」
ちりっと、静電気に似たなにものか。彼我の背中に走ったけれど。
「へーくしょい うぇーい こんちくしょぃ……こりゃまずい紙、紙」
振り返りもたげた首の上にはいつもの苦い顔が載っていた。
手招きに応じ寄り来る男に懐紙を渡している。
「助かります。自分ではどうにもできませんのでね……おーいお前たち、おすそ分けだ! ちり紙だがな!」
集めた部下を見え隠れに散らす兵衛少尉、これもまた王国名産。
どこにでも生えてくる散位頭の同類である。
「あれが衛士に甘んじている。多士済々、羨ましき限り。それで?」
日ごろに増して苦々しげに噛み締められた顎、かすかに横を向いていた。
近衛府には、若い男には決して現れることのないその表情に吸い込まれそうになってあやうく反発した。切り口上を叩きつけていた。
「目と鼻の先にある『ジョワユーズ島』を制圧、沿海を掃討し航路の安全を確保。もって通商の便を図る。それが作戦目標のはず」
キュビ家の目標は遠い双葉島ではない。
近場に散らばる島々を全て押さえるところにある。
だからこそ本格侵攻の構えを見せた、双葉本島に兵を退かせる意図で。
死まで覚悟したニーム&ラング、ウォルド家にしてみればいい面の皮だが。
「……と、ショスタコーヴィチ商会から注進を受けました」
か~ら~の、エドワードの失言(第三百八十七話 憎悪 その5)が発端ではある。が、伏せた。キュビ侯爵の厳しさを思い知ったこの日、赤毛には少しばかり同情を覚えたもので。
「メル公爵は何と?」
「話していません。メルとキュビはお互い見て見ぬふりでしょう?」
見ない聞かない調べない、それもひとつのスタンスだ。
藪をつつくことで損なわれる平和もある。
「いずれ来月には知れわたること、その前に詰めておく必要でも?」
「雅院の施政方針が明らかになったのはごく最近……極東に限るものではないこと、ご存じかと」
西海もまた王国領、財を生み循環させるべきその拠点と位置づけておいでであれば。
「ならばキュビ家として、先んじて兵を起こすべきでは? 命じられあるいは頼まれて軍を動かすのではおもしろくない。王国の『意思』が知れ渡った後ではジョワユーズの防備も固くなる……違いますか?」
名分においておもしろくない、不愉快だ。そんな戦に勝ちは無いから。
「ことは軍事に限られない。キュビの名において航路の安全を確保しておけば通商のイニシアチブを取ることもできる……それは良いとして」
イーサンもついに突っ込んできた、想定どおりに。
おもしろくない、不愉快だ、そんな思いをさせるために仕事を頼むはずもなく。
「あらためて伺うべき、いえお答えいただくべきことがあるようだ」
イーサンの問いは単なる確認に過ぎない。
俺にせよ雅院を担げなどと言う気はない。
「当キュビ家は王国もとい『王室』とは相互非干渉を貫いている。王国との通商はどなたが国王であるかに関わるものではない」
しかし確認であれ、言うまでも無い前提、国是、不文律……の復唱を要求されるのではたまらない。当然の反発、反射的な要求を呼び込まずにはいられない。
「こちらにも疑問がある。カレワラ家は北の商港と関わりが深い。『北回り航路』の繁栄こそが利にかなう。ならばサンバラ海賊衆とあい語らい我らの行動を阻害して当然。この点いかに?」
それが聞きたくて声をかけたのだ。
キュビの作戦行動が始まる前に、俺が王都を留守する前に、顔突き合わせて話せるうちに。互いの疑念を解消すべく。
「俗にインディーズと呼ばれる我らにも我らなりの倫理がある。雅院の構想を自らの利に適うようねじ曲げることありえない」
支えるからにはその枠内で利を図る、これも「人倫においてもとること無き」振舞いではあるけれど……いまは措く。
「雅院の御意は東西との積極交流。ならば私として南回り航路を阻害することありえません。むろん、北回り航路に対する不当な干渉も拒否します」
キュビ家氏長者争いに対する王国の不干渉、あるいは四柱に対する不偏不党。
通商において適用されてこそその実が示される。
「知見の種となったもの、ショスタコーヴィチは何番だ?」
告げて良いものか迷い、息を飲んで。
これは告げるべきところと口を開くその機先を制された。
「良い。タコ5に伝えておけ。貴様らに何言われずとも商売の邪魔などする気は無い。タコ2の首さえ持ってくるならば」
ちりっとしたものが背に走り、応じて侯爵の肩に走るところも見たけれど。
これは火花に通ずるものでもなくて。
「告げよ。『貴様らの流儀が通ると思うな。要求はその首ひとつ、財にあらず』。商人でありながらこちらのやり口に手を出すならば首尾一貫すべし、理屈のはず」
いくらキュビ侯爵でも北回り航路に対して大胆な……いや航路、商売の問題と思うからおかしくなる。エドワードの郎党、キュビ家の男を殺したならば「ありうる」要求だ。
「ぐずぐず言うようならばヒロ、貴様がやれ。王都帰還まで2ヶ月の猶予というわけだ、慣れぬ商人ばらにはちょうど良かろう? もって南北航路相互不干渉の証としよう」
そんなところかと思ってしまうあたりがよく言えば場慣れ、むしろ悪ズレ。
とりあえず「吹っかける」感性も大切、教えてくれたのは名門デクスターの裔であった。
「一方的に過ぎはしませんか? カレワラ男爵の利が見えません」
「私からヒロへの見返り? あまり欲張るものではない」
続けてイーサンに示した説明だが、これが懇切と呼ぶには少しばかり棘の多いものだった。
「東に続いて西と雅院を紐づける功、北回り航路がもたらす莫大な富。カレワラにはショスタコーヴィチと提携して南回りを潰す動機が……」
莫大な富。
やってできないことはないが「友だちをなくす」類の行動でもある。
ならば最初から選択肢に挙がらない、そう思っていたのだけれど。
「……いや、憶測など無益。その実力があること自覚すべきだな」
動機も意図も、善意も害意も、信用も信念すら関係ない。
力は勢いを生む。勢いは「その然らしむるところ」をもたらさずにはいられない。
と、それを俺ではなくてイーサンに向かって念押しするところが嫌がらせ上等の軍人稼業と言うヤツで。
「私が見るに、君の友人にはそこまでの鋭気あるいは殆うさは無い。だが検証は武家の嗜み、兵部卿宮とキュビ家の提携を頭の片隅から捨てぬヒロならば分かるはず」
「真犯人の首ひとつでショスタコーヴィチに冷や水を浴びせ『適切な距離』を保ち、もってキュビ侯爵の確証を買えるならば……ですか」
「カレワラ男爵には安い買い物ではないかな、デクスターどの?」
キュビ閣下、遠くに視線を投げていた。
応じて目を上げれば兵衛少尉率いる人群れはいつの間にか消えていて。
「アレックスが去り、ロシウが朝堂に収まったと思えば次から次と」
ふたたびこちらに向き直った目には見覚えがあった。
近衛府でよく見かけるそれ、若い男と何も変わるところがなかった。
「だからこそやめられない」
次男のジョンとよく似た顔で全く同じことを言い放つ侯爵閣下、そのはるか向こうからくしゃみの声だけが聞こえてきた。
ジョワユーズ島:モデルは小豆島




