第三十三話 初陣 幕間 それぞれの夜
あれは誰何の声ですね。
最初はどうかと思いましたが、その位置で声を上げてもらえれば、私の方で対応できます。
あの子の判断は間違っていなかったようですね。
さすがはドゥオモ家の当主、ということでしょう。
それにしてもすさまじい勢い。相当な筋力と見ていいでしょう。敵ならば侮れません。
「止まりなさい!」
これは……追捕副使のヒロさん。敵ではなかったようで、ひと安心です。
敵ではないとしたら……まさか夜這い!?それにしては大胆に過ぎるわね。初陣を前にして錯乱したのかしら?
そういえば昨晩は蛇を口にしていた。ろくでもないおっさんに炊きつけられたのかしら。
「どういうつもりですか!場合によっては……」
2歩下がったわね。その判断は悪くありません。柔軟だし、成長性は高いと見て良さそうです。
しかしねえ……だいたいこの子は、覚悟が足りないのです。
何です!追捕副使の任を受けるときのあの態度は!今思い出しても腹が立つ!
素人としては、武術の腕は悪くないわ。死霊術を使わせれば、真壁先生の木刀を弾き飛ばすほどでもあります。
しかし殺気に身がすくむようでは、武人としては問題外。それ以上に、「人を殺す」ことへの抵抗が強いということを耳にしています。どこから聞いたかは業務上の秘密だけど。
メイドたるもの、主家に影響しそうな情報は、全身全霊を傾けて入手すべきもの。盗み聞きとか出歯亀とか、噂好きとか。そういう下品なものでは断じてありません。
どうしてソフィア様もアレクサンドル様も、この子にそこまで目をかけるのか。それが分からないのよね。フィリアお嬢様もです。まさかお嬢様……。
それはないか。
中身は軟弱、外見は甘く見て70点。目の肥えたメル家6姉妹のお眼鏡にかなうとはとても思えません。
この子を選ぶぐらいだったら、私はドメニコ・ドゥオモを推すわね。
いえ、実際に推薦いたしました。
「クレアが自分から声を上げるなんて珍しいわ。よほど見込みがある子なのね。採用します。」
ソフィア様には、検討するまでもなく採用していただけました。
これが日頃の信用というものです。常々からつつましく。若いメイド達には見習って欲しいわ。
ドメニコを推薦した理由ですけれど。
鍛錬場での戦い方に、光るものがありました。
どうも動きは鈍いわ、攻撃はすっとろいわで、初めはバカにしていたのだけれど。
木刀でどれほど殴っても、倒れない。よくよく見てみると、こちらの攻撃を少しだけいなしたり、少しだけかわしたりしているみたい。攻撃を受けることを前提とする防御……ナイトね、この子。
後ろに誰かがいることを想定した動きですか。なるほど、私がどれほど殴っても、一本も後ろには通していない。これは面白い。どれほどやれるのかしら。
激しく打ち込もうとしたら、前に出てきたのよね。なるほど、そうやって打撃の勢いを殺そうと。その判断は悪くないわ。だけど、その鈍さではねえ?
後ろに跳び退り、思い切り一撃。やはり急所は外されたけれど、勢いで後ろに転がすのに成功。
どうです?
あら、鈍そうな身体の割には、すばやく立ち上がってきたわね。また前に出てきた。
!なるほど、自分が転がされるような攻撃でも、前に出ていれば後ろにいる人には通らないと、そういうことね!
面白い。どれだけいけるか、試してみます。
ついつい熱くなってしまったことは認めます。フィリアお嬢様と対戦するヒロさんの腕を見ることができなかったのは、残念でした。どうやらフィリアお嬢様が勝ったみたいだけど。それは当たり前ですわね。
最後まで立ち上がってきたドメニコとヒロさんの対戦を見ることはできました。私が痛めつけすぎたせいで、動きに精彩がなかったのが残念。万全なら、どちらが勝っていたかは分かりません。
フィリアお嬢様が声をおかけになって、家柄を知りました。家紋を見て、即座にどこの家の子か判断なさっていたのは、さすがです。その家の栄光の歴史にもきちんと言及なさって。こちらも涙が出そうでした。お仕えしがいのある主家で私は幸せ者。
ドメニコの態度も立派なものでした。これぞメル家の郎党。身元も間違いなし。この子こそ、推薦すべきです。
その点、あのヒロさんなど、お嬢様に対する態度はあまりにぞんざいですし、記憶喪失だなんて、どうも怪しくて仕方ありません。アレクサンドル様に抜かりがあるはずはないし、ソフィア様はなおさら。日頃猫をかぶっていらっしゃるけれど、本当に恐ろしいのはソフィア様。いえ、頼りがいのある主家ですわ。ともかく、あのお二人の「身体検査」をクリアしたならば、安心できるはずですけれど。
今夜、私は早めに起きました。メイドの、侍女の当然の嗜みです。
お嬢様や千早さんのお休みになっているテントの歩哨をしながら待つとします。
お二人ならば、気配にはすぐ気づきますし、あの腕ですから心配はいりませんが、それは私がサボっていい理由にはなりません。
あら、誰か近づいて来るわね。
警備は必要ないのですけれど。それに、女性が泊まっているテントに近づくのは、つつしみというものに欠けています。声をかけようかしら。
と思ったけれど、そこで止まるのね。こちらに背を向けたわ。
適切な距離です。テントに声が届き、主家へのつつしみも保つ。
あの体格は、あの家紋はドメニコですか。本当に良くできた子。推薦した私も鼻が高いです。
そのドメニコが声をかけてくれたおかげで、私も対応できました。
感謝しなくてはね。
「ヒロさん!?」
ああ、まただ。また僕は、この人を止めることができない。
分かっている。ナイトの僕にとって大事なのは、スピードよりパワーだ。動きのキレより分厚い身体だ。真壁先生の木刀を飛ばすような、スピードとキレはいらない。それを受けきる硬い防御こそが、ナイトに必要なもの。
それでも、後ろに通してはいけないんだ。ナイトとは盾、ナイトとは壁。抜かれるのは恥ずべきことなのに……。
ヒロさんは、穏やかな人だ。不埒なことをするとは思えない。だけど通しちゃいけないんだ。いったんはここで止めないと。僕が止めないといけないんだ。
クレアさんが中にヒロさんを通した。やっぱり、何か緊急の用事だったんだろうな。
ひとつしか違わないのに、ヒロさんは真壁先生の木刀を飛ばすほどの腕前で。今回もフィリア様から直々に副使に任命されて。作戦立案にも参画してる。僕は一年でああなれるのかな。
あれ?クレアさんが近づいて来る。
「よくぞそこに立っていてくれました。ドメニコさんが声をかけてくれたおかげで、私もしっかりと対応することができたのです。感謝しますわ。若いのに、すでに立派なナイトですね。」
「当然の仕事です。誰何するのが精一杯で、止めることができず、申し訳ありません。」
謙遜でも何でもない。
主人より早めに起きて歩哨に立つのは、ナイトならば当たり前の心掛けだ(ローテが決まってるなら別だけど)。
とは言え、レディのテントに近づきすぎてはいけない。ナイト以前に、これは貴族の男子なら当然の嗜みだと思う。
クレアさんもいるし、これぐらいが「適切な立ち位置」だろう。
そう思ったんだけど……抜かれてしまうようでは、任務失敗だよ。
「立派な仕事ぶりでした。明日も、お嬢様と、あの子をお願いしますね。」
クレアさんが微笑みを見せて、去って行く。後ろ姿まできれいなお姉さんだ。
それでいて僕なんかより武術の腕もずっと上だっていうんだから、憧れちゃうよな。
僕を推薦してくれた侍女というのも、たぶんクレアさんだろう。鍛錬場であれだけボコボコにされて、情け無い姿を見せたのに、どうしてなのかは分からないけど。
昼にも、クレアさんに声をかけられた。当日の陣形について。
お爺さんが連れて来た小さな子は、フィリア様の背後に配置することになるから、僕はそのさらに後ろ、フィリア様とその子を守るポジションに着けって。
家督を継いではいるけれど、僕はまだ若い。体格もナイトとしてはまだまだだ。「男の子はこれから大きくなるから心配要りません」、「お爺様もお父様も大きな方でしたし、母上様も大きいですから絶対に大きくなれますよ」って母さんもじいやも言っているけれど。
それでも今はまだ、小さいほうだ。だから正面の壁は任せられない。危険の小さい後ろを守れってことなんだ。情けないなあ。
でももっと情けなかったのは、それを顔に出してしまったこと。
ナイトは任務に忠実でなくちゃいけないのに。
「ドメニコさん、ナイトは弱き者、女性や子供を守るのが仕事でしょう?一番名誉あるポジションですよ。」
クレアさんの優しさが、本当につらかった。
ヒロさんの仕事ぶりに近づきたいし、クレアさんの期待にも応えたいし。そう思うと、僕も明日は手柄を上げたいけれど。さっき皆の前で口にしたように、「ナイトの手柄」ってのは苦戦の証明だもんなあ……。
「クレア殿、失礼仕る。呼ばれておらぬ事は存じおりまするが、恐らくはお声がかかるものと存じ、まかり越しましてござる。」
「さすがですわね、ヒュームさん。来ていただこうという指示を、フィリアお嬢様からちょうど受けたところだったのです。」
振り向いたら、テントの前にヒュームさんがいた。
止められないどころか、気づけなかったのか!
ああもう。本当に僕は!
「む?」
テントを出た者がいるでござるな。あの足音はヒロ殿か。
さきほどそっと出て行ったのは、ドメニコ殿であったな。歩哨に立とうということでござろう。
あの若さで、あの覚悟。見上げたものにござる。いや、霞の里の若衆とて、おさおさ劣るものではござらんが……。
昼間の次男坊・三男坊を見ても、そういう若衆がごまんといる。これこそがメル家の力の源泉というものなのでござろう。
やはり、メル家には食い込まねばならぬ。
我ら霞の里の悲願のために。
ファンゾ同様、我らとて北賊とは仲が悪かったのでござる。
しかし、島であるファンゾとは異なり、湖沼はあっても我等は地続き。徹底的に対立するというわけには行かなんだ。
それで態度があいまいになり申した。結果、ファンゾのような自治は得られず、ミーディエ領のいち集落としての扱いを受けるに至った。それが我らの痛恨事。先代……爺様は今も嘆いておる。
ミーディエ辺境伯は、人は悪くないでござる。典型的な「治世の能臣」でござろう。ミーディエは驚くほど豊かになり申した。我らも搾取を受けている訳ではござらんが……。
あの御仁は、辺境伯でありながら、戦のことがまるで分かっておらん。我らをニンジャとして使うことを知らぬ。かと申せ、辺境伯領の集落として扱われては、おおっぴらに他領の主に売り込むこともできぬではないか。
爺様も、父上も、「お前が元服する頃には次が来るぞ」と言っておる。某から見てもさよう思われる。ファンゾの田舎侍どもも、あやつららしく、本能的に嗅ぎ付けておる。
次こそは手柄を立て、自治を手に入れる。ニンジャの里として、堂々と活動を始める。
それが我ら、霞の里の悲願でござる。
ミーディエ辺境伯のもとでは、それは叶わぬ。やはりメル家を寄り親に頼まねば。
何時いかにして、寄り親を乗り換えるか。目下の問題はそこでござる。非難を受けぬようにやらねばならぬ。
ここに来て、某に、フィリア殿の初陣に参加するよう打診が来た。
霞の里への北賊調査の依頼と共に。
メル家も戦が近いと見てござるのだ。もう間違いござらん。
その上、手を結ぼうと、向こうから申し向けてくれたでござる。
これは渡りに船。ここで手柄を立て、メル家に食い込まねば。
初等部の時点では、「メル家に近づきすぎるな」との指令が来ていたでござる。
ニンジャが幼き末娘に近づいたとあれば、いらぬ警戒を呼び起こすから、と。機会は必ず訪れるから自重せよ、と。
あれは父上の慧眼でござった。
……寝起きながら、さすがの速さでござるな、ヒロ殿は。
しかし不思議な御仁でござる。身元の怪しさはこの上ないのに、ずいぶんとフィリア殿に食い込んでおる。父上が睨んでいるように、メル家の諜報網は相当なもの。「身体検査」は通り抜けたのであろうが、それにしても。
まあ、誰がどう見ても、ヒロ殿に間者は務まらぬ。間者にもいろいろあるし、市井に紛れる穏やかな者も、もちろんおるわけでござるが。
あそこまで怪しくて、しかし「†騎士†」「調教師」と称されるに至ったあの人柄。どうにも「あんばらんす」でござる。あそこまで安定感の無い御仁には、間者は務まらぬ。
安定感が無いということは、爆発力があり、如何様にも伸び代があるとも言えるでござるな。
ひと月まえには、ずぶの素人でござったのに、昼には荒武者を軽くいなしておった。
塚原先生とはほぼ互角の真壁先生の木刀を手から飛ばしたという話も聞いた。
すさまじく不気味な妖刀を軽々と使いこなしている。
げに死霊術師とは、恐ろしい。
いや、恐ろしいのは武術ではござらん。
「探索向きの幽霊がいる」と聞いていたので、どれほどのものかと思い、昼前には声をかけてみたのだが……。
予想以上でござった。
まさか隠し通路や罠まで探り当てるとは。
まして顔を見覚え、あの絵の腕前。
「素人だ」と言ってござったな。
どのような情報が求められているか、の取捨選択まではできておらなんだ。
取捨選択をし、分析し、決定する。それが頭領の、某の仕事。
何とか面目を保つことができたでござる。
しかし恐ろしい。
ヒロ殿が敵に回ったとして、某は勝てるのか?
蛇を刺した時、思わず「いけるか?」と考えてしまった。いや、そんな気はござらん。なぜかそういう考えが浮かんだだけで。
後ろから聞こえてきた、真壁先生の言葉どおりでござったよ。なるほど、あの時覚えた違和感は幽霊でござったか。気づかれていたのは未熟だが、違和感を察知することはできたでござる。ギリギリ及第点……、いや、やはり舌打ちものでござるな。
あの御仁のひととなりは穏やかなもの。
こちらから敵視・敵対しない限りは、恐ろしいことはない。
メル家に食い込むのと同様、ヒロ殿とは仲良くしていきたいものでござる。
何せニンジャとて、死霊術師と同様に恐れられるばかりでござるしな……。
さて。あの勢いで走るとは、何か緊急事態か。
と申せ、周囲に危険な気配は無し。
何か作戦上の疑義、抜かりがあったか。
これは、某も必要となるはず。
肩を落としておられる。
ドメニコ殿、済まぬでござるな。
某とて、能力を売り込まねばならぬのでござるよ。