第三百九十七話 ぶろでい その1
「それこそあいつが『ぶろでい』だよなあ」
繰り広げられる手練を前に近衛師範がつぶやいた。
視線の先にある青年の名はコニー・バッハ。
検非違使から番長に昇任した、近衛府を代表する剣の使い手だ。
その腕たるや、俺もといエドワードでも三本のうち一本取れるかどうか……自意識過剰だな。
引き合いに出すべきは雅院警護の塚原先生、あるいは陛下侍衛の西国無双。彼らを相手に三本のうち一本は「必ず取る」、それがコニー・バッハである。しかもまだ25歳、「これから」の男であるにも関わらず。
そんなコニーに投げかけられた「ぶろでい」、近ごろ近衛府で流行りの言葉である。
聞くにつけ、どうやら現代日本語で言うところの「ヤバい」「えぐい」「えげつない」――用例として「打球音がえぐい」「パスもヤバいけどシュートがマジえげつない」とかいうアレ――堅苦しく言うなら「卓越している」「技巧が超絶している」ぐらいの意味であるらしい。
近衛府は若者文化の発信地――この物語はおじさん文化圏にも馴染みの深い共通語により記されております――であるだけに、身内にのみ通ずる言葉が次々と生まれては消えていく。
もちろん定着する言葉もある。例えば「ぬるぬる」あるいは「臭いの」。なんぞ気持ち悪いシロモノのように思えるが、これは食堂で聞かれる言葉である。
50年ほど前のこと、女官に二股かけられた近衛兵があった。
「寝取られた」近衛兵が――事実は単に女官がうわてであっただけ、我ら男はいつだって自意識過剰なのである――「寝取った」近衛兵に決闘を申し込んだ。
悪いことに二人は親友、しかも腕前にはそれこそ「えげつない」レベルの差があって。
そこを「男ならば素手で勝負。組み打ちにて」と、寝取った側が申し出た。友を殺さず済むようにと。
だが当日、勝利を収めたのは寝取られ男。全身にバターを塗りたくる「ぬるぬる戦術」により。
寝取られ男は勝利で溜飲を下げる、反則スレスレで負けた男もメンツは立つ、ついでに賭けも大盛り上がり。
「しかし臭えな」「そこは香油とかあるだろ」……優れた機転から詰めの甘さまでひっくるめて笑い話に収まったと。
以来近衛兵はバターのことを「ぬるぬる」「臭いの」と呼び慣わし、定着したという次第。
そんな近衛府――浮華にして軽佻、絢爛にして華麗なる若人の園――にあってすらコニー・バッハの輝きは眩しさをもって眺められていた、中隊長閣下をしのぐほどにってうるさいわ。一般近衛兵から見た中隊長は雲上人、憧れ以上に権威の象徴なんだっての。
その点「番長」は身近な栄光、若手武闘派にあっては掴み取るべき目標であるからして。
強面ティムル・ベンサムにせよ番長を名乗った時期がある。
そこから30代で検非違使大尉、50代で五位薄緋の小隊長、これぞ近衛兵の憧れである。
かつての番長マグヌス・トリシヌスに至ってはその一格上、中隊長閣下の一歩手前まで駆け上ったではないか。
「かっこいいよなー、コニーさん」
男は単純が一番。
こういうシンプルな憧れも悪くないと思うのよ。
赤だ青だ、五位だ六位だと矮小化されるのは納得いかんのでありますよ。
「近衛番長、あれぐらいやれぬことには……」
絶技に下を向く若者には激励の肩パン一発、そのマグヌスが近づいて来た。
「権中将マグヌス・トリシヌス、出立の挨拶にまいりました。近衛府また中隊長代理の名に恥じぬ働きを誓います」
東部イゼル戦線への出向が決まったマグヌスが最敬礼を見せる。
ただの小隊長ではない権中将、また中隊長閣下の名を繰り返し強調しながら。
若者に己が栄光を、背中を、歩むべき道を示すべく。
我また近衛中隊長、芝居がかったそのさまに芝居で答える「能」はある。
だがティムル・ベンサム氏には荷が重かったらしい。
鉄面を謳われるその口角が小さな綻びを繕いきれずにいた。
「ベンサム大尉、きさま指揮の経験はろくにあるまい。間違っても中隊長閣下のご迷惑にならぬよう心せよ」
いわゆる「鬼軍曹」からの叩き上げが部下のしくじりを見逃すわけなど無いのである。
「そもそも近衛は戦が本務、小隊長いや権中将を目指すならば……」
あのティムルにしてひと言の口答えも挟まず直立するばかり。
マグヌスにはまるで頭が上がらないのだ、「同じ道」の大先輩であるだけに。
……にも関わらず、そのマグヌスが稽古上がりの大後輩には配慮を見せるのである。
「コニー、お前はまあ……戦も経験だと思って。つまらぬところで死ぬなよ」
最後のひと言は片目にこちらを窺いながら。
「殺さないでくださいよ中隊長どの」と告げていた。
それというのも。
コニーについては検非違使少尉・大尉から近衛小隊長への道を歩むとは思われていないから。
齢25にして東西の第一人者に迫らんとする技倆の持ち主とあれば、同じ五位の薄緋でもその役割は「次」の侍衛と。ほぼほぼ路線は敷設済み。
これは中隊長の引継ぎ事項でもあれば外部にまで隠然と知れ渡った事実であって、その証拠に王室三巨頭も雅院も、国王陛下すら「侍衛に欲しい」とは言い出さない。
と、申し上げればお分かりいただけよう。
コニー・バッハとは次代王者の地位を勝ち得た者が手にするトロフィーにして国宝の原石、そのひとつに数えられるほどの男なのだ。
「『西』のお袋さまだけは見境無いですけどね。せがれさまの側仕えに寄越せって」
男社会のお約束、それも後ろ暗い話じゃなくてロマンあふれる――男の子は「最強」が大好きなのである――紳士協定なんですけどね。
スレイマン殿下の、息子の足を引っ張っているとなぜ気づかないかなあ。だから王妃殿下は嫌われるのである。
「言うまでもないが近衛府としては断固拒否だ……コニーも気をつけてくれ」
いち番長に中隊長閣下が直接の訓令を下す、それ自体が栄誉の事態。
コニー・バッハ青年もまたその待遇に甘えることがない。
返礼はどこまでも謹厳、勤務態度はあくまでも実直。ティムルとはえらい違いである。
なお、このコニー・バッハについてはもうひとつ逸話がある。
「バッハ商会は君の分家筋か?」
わずか11歳の初対面にしてこういうところ、クリスチアンもやはり貴族の中の貴族であった。
零細だろうが貧乏だろうがコニーは近衛府に出仕できる家柄なのだ。
アマデウスやらショパンと並び誰しもが知る大物だろうと、商会のほうは分家……どころか末流に過ぎない。
以前、11月の行事として宗廟の祭祀に触れたことがある。
これは日本で言うところの盆正月に近いものがあり、親戚一同が集まるのだが。
「『コニーの親父から愚痴られた』と、ティムルから」
参集できないなら仕方ない。だが来る以上は分家当主のバッハ会頭みずから足を運ぶべきなのだ。それを例年三男坊を送って寄越す。蹴り出してやりたいところだが「家廟への寄付で家計が……それすらあれにとっては端金だと思うと……情け無い限り」
そうしたところに筋を違えぬクリスチアンのひと言。
そう、「バッハ商会『の』親戚」ではなくて「バッハ商会『が』親戚」なのだ。
このひと文字を間違うと青あざである。意図的にやろうものなら……意図的に描写を省略している類の話がまた起きる、それだけのこと。ことにコニーの腕前と来た日には。
……「ぶろでい」、ねえ?
マジ「ぶろで」だわー、という用法を耳にしたこともある。
すると形容詞でもあろうか? 「まぶしい」、「美しい」、「えぐい」、「ぶろでい」……いや、アクセントが違う。「ぶろでい」は平板アクセントだった。
尋ねたところで中隊長閣下に教えてくれる若手はいない。
中隊長もクビ突っ込むべきではない、若者言葉におじさんが食いつくものではないように。
大したことではないけれど、わからぬままはどうも居心地悪いのである。
「敬すべき」クリスチアンさんと「剣友」ヒロさんの対立に居心地悪さを覚えているコニー・バッハと同様に。
 




