第三百九十六話 三顧? その3
「改めまして、今を時めく近衛中隊長閣下がかような草廬にいかなるご用で?」
小さな緊張、得物との距離、手足の置きどころ。
剛勇の評判に偽り無し。
「顕らかなる武名、かねて聞き及んでおります。検非違使案件ならば数を率いるべきところ」
若輩を侮る視線に返すべきは小心を蔑む憫笑。
「布衣の粗忽者に格別なるご配慮、なるほどお人が悪そうだ」
などと、いつまでにらみ合いを続けても仕方ない。
ここは男のホーム、客から折れるのが筋だから。
「お詫びに参った……と申し上げれば?」
背後でちゃぽんと音が鳴る。
気さくに酒瓶を振っている。
「そちらで贈られた御酒を飲み干してしまったもので」
眉間に浮いた険しさが嫌悪を示していた。
旧主の夫人に贈った酒をほしいままにした男があるなど、気分の良い想像であるわけもなく。
「急病を救われた報恩に局の後ろ盾たらん……式部卿ベルガラック閣下の前にてあるじが立てた誓いです」
アカイウスもそこは辞を尽くしていた。
当家がベルガラックから「押し出された」旧郎党の再就職に動いていること。
その中で働きかけの無い「重鎮」の進退につき、侍女が気にかけていたこと。
「お方さまのご下命……いえ、ご依頼ではないとおっしゃる?」
安堵は分かるがその言いざまはない。
「かりにも近衛中隊長。使いの依頼は受けられない」
依頼(おねだり)するのされるのでも「ない」……世に取り沙汰される関係ではない、その事実を口にしたのはこれが初めてで。
ある意味肩の荷が下りた、ような。
(愛人にはしないってこと?)
(ピンクあなたはもう、ほんとにもう……そうだけどね、世間体としてはやること一緒なのよヤらないだけで)
(かえって難しそうだぞ)
(奇遇だなヴァガン、俺もそう思う)
(既婚者にしか分からぬ機微か? 非モテとしては生温かく見守るか)
「要は好奇心です。ロイ・イェンにシャル・ジャン。ベルガラックにその人ありと言われた義兄弟……」
家主ロイの顔から「色」が消えた。
おなじみの引き抜き交渉とでも思ったか。半ば間違いでもないけれど。
「……訪ねる機会を得るためならば『盗み食い』の汚名など」
「それで『詫び』ですか。口実を構え早速のご来駕、なるほど『駆け上がるご一党』とは何より律儀なものらしい」
男がようやく歯を見せる。
「気になったから会いに来た」、それだけのことを伝えるのがこれほどに難しい。
それがおとなというものか、地位のせいか……散位頭、今ごろ俺を鼻で笑っているに違いない……そんな思いを悟られたわけもあるまい、好奇心は好奇心を呼び覚ましてしまうもの。
「中隊長閣下はいかが思われますか? 散位頭さまが先ほどの見解」
名演説だった、心動かされるものがあった。なおあえて端的に断ずるならば。
少しはてめえで考えろと。
人の世がそう分かりやすく見通し良い景色でたまるものかと。
まあね、騙されてるとは言わないさ、宮さまご自身も信じてるんだろうし。
(本物の詐欺師は自分を騙す、自分から騙されるとか言うわよね)
(カレワラ当主も「騙す側」だろ? いや、「騙してやらなきゃいけない側」か)
(ヒロじゃ役者の格が足らねえよネヴィル。十年早い、文字通りのところで)
……いずれにせよ。
「人を見て法を説いたものかもしれませんが、財の話が抜けています」
デクスター党の言う「財源」よりはやや広義のところで、「経済政策」あるいは「政治は金」とか言われるあたりのレベルにおいて。
兵部卿宮さまはどこで金を生みどこから奪ってどこにばら撒くつもりなのか。
「現状維持」ならば議論の必要から存在しない、中務宮さまの支持率が高い理由である。
対抗馬・アスラーン殿下もついに態度を表明した、メル家との貿易問題へ介入することにより。「まずは極東で財を生む、新都の経済成長をバネにする」と。
「軍を出すにも金が要る、傭兵稼業の身に沁みています。しかし……」
主君が最期を迎えたその日、彼ら義兄弟は君命により別働隊を率いていた。
戦果てて後、責められようが言葉を返さなかった二人には残留の目があったらしい。
が、自ら退転の道を選んだ。
「……軍人にしてその若さで政経に思いを致す、致さざるを得ない。近衛中隊長の重きをいま知りました」
あれこれの「重さ」を知る男は義弟とふたり各地で武名を挙げた。
継承周りの騒動で「捨てられた」仲間への援助を惜しまぬ姿がまた評判を呼んだ。
「せっかくの出会いです、活かさぬ策はない。一壷の詫びとの仰せに甘え、かねての疑問を」
ロイ・イェン。
よほど芯が強く骨の硬い男と言われているが、案外と腰の軽いところもある。
話せば分かる、「あい通ずるもの」を持たぬでもない、動かしようはある。
……散位頭、よく見ている。腹立たしいが適任だ。
「ウッドメル大戦における五路併進につき閣下に伺いたい。成立には前提があると見ました」
そこに目つけができる男は千から先を任せ得る。
なるほど彼ら義兄弟は引く手数多……だが「再就職」を断り続けていた、旧主の夫人が気をもむ中で。
「まさしく。普遍的に用いる策ではありません。条件は2つ、まず絶対的に兵の錬度」
五路併進。
グリム兄弟が心血注いだ、注ぐ「必要のあった」作戦。
簡単な、教本通りの、すぐ見通せる、そうした類の策ではない。いや、見通せたところで「あんがい対策が難しい」類の策と言うべきか。
「もうひとつは相対的と? いや、早計か……待たれよ、答えはお控えあれ」
制止のために目を見開くこともあるまい。
意地になると引かない、その評判にも偽り無し。
ロイ・イェンにとってベルガラック家の正統とは「長兄→次兄→末弟サヴィニヤン→長兄の息アベル」であった。継承騒動で次兄が家史から消されたことを許そうとしない。
だからベルガラックを退転した。遺臣を名乗り、評判をつかみ取り、徒党を組み、旧主の夫人に礼を尽くし。そうして旧主の、義兄の名を掲げるために十年を捧げ。
そんな男が目を輝かせている。パズルに食いつく子供と何も変わらない。
惜しまれ愛されるわけだ。その気は無かったけれど、引き込めるものならば。
「来客です……はい、断りました。しかし『中隊長閣下との約束である』と」
こちらを向く家主の目には苦笑を返しておく。
近衛中隊長職などを拝した以上、飛び込み押し売りはそれこそ日常茶飯事で。
だが差し出された名刺には思わず目を剥いてしまった。
「中隊長閣下に奇襲を仕掛けられるとは……これはお通しせねば」
現れた男、俺と約束しているはずが開幕一声苦情を並べ立てた。
「勇名隠れも無きカレワラ男爵閣下にしてこれは機略が過ぎましょう」
彼ら義兄弟を「引き抜く」のは勘弁してくれ。お前ん家にはアカイウスいるだろうが。欲張りにもほどがある……その理屈は分かる。
「あなたもだ、ロイ君。次兄への義理立てには感謝するが、次期当主アベルからは名誉回復の言質を得ている。過去のわだかまりは捨ててもらえないか」
新たな客は必死の熱弁を振るっていた、それこそ恥も外聞も無く。
恋する人のため、その息子に扶翼を授けんと。
「そのアベルはもとより式部卿にふさわしき器局の持ち主。近ごろは武芸にも進境著しく、君が仕えるに恥ずかしからぬ若者に育った。秋の初陣、手助けしてはもらえまいか」
自ら駕を枉げ顧みる客人、その三人目はサヴィニヤン・ベルガラックだった。
「次兄に比べ不出来どころか文字通り空っぽだった私を、それでも一度は補佐してくれようとしたものを……周囲に言われるがまま断った私が愚かだった。過ちに気づいた今、遅まきながらお願いする。この通り」
あろうことか頭を垂れる主筋を前に、ロイは言葉を失っていた。
ややあって居住まいを正すやサヴィニヤンを引き起こしていた。
「驚きました。当時のあなたは……いえ、お変わりありませんか。芯を持ち続けておいでだ」
「さすがに芸事ひとつぐらいはね、中隊長閣下の御前で恥ずかしい話だが。往時も変わらずダメ公達だった私は案の定、少納言からの退職コース。それでも年を重ねれば、こうして割り込む機略のひとつも身についてしまう」
仕事を辞めれば男は鈍る。本来ならばそれがお決まりお定まり、ではあるが。
かつての友が中央政府の大輔少輔を務めていれば運び込まれる話もある。
陛下の裏金庫番にして芸友のジーコ殿下からいわく言い難い仕事を頼まれもする。
そうして身をかわしあるいは踏み込むうち、身についてしまうあれやこれ。
引きこもりと言われようがニートと罵られようが、年を重ねてしまえば人というもの……
(それでもスポーツマンだけはゆ゛る゛さ゛ん゛)
(分かったから落ち着けピンク)
(ほら、サヴィニヤンは芸事畑だから、ね?)
おかげで俺が落ち着いたわ、まったくもう。
「金橘の方からは、『ベルガラック家には良くしていただいております』と」
これもまた機略。
だがじっさい、彼女はかつての婚家を恨んではいない。
(ま、男が片意地張る理由って言ったらね)
(他にもいろいろあろうがよ? まずソレが挙がるわな)
(サヴィニヤンの芯を見抜いて共感って、それさあ)
(鈍くて純な男だからこそ、な)
(ヒロは正直者だな。ウソつけないからウソついて)
「亡君・義兄のことを思えば、やはりアベルさまベルガラック家にお仕えすることはいたしかねます。しかしサヴィニヤンさま、あなたならば」
去りし日恋を貫きおおせず、今また半端な浮名を流す。そんな俺とはご縁が無かったらしい。
「改めて答えてはいただけませんか、臣下の礼に」
不器用な男の真っ直ぐな声を背に聞いたところで……袖を捕らえられた。
あのさあ、だからさあ、サヴィおじさあ。この期に及んでさあ。
「立会人の務め、喜んで……酒だアカイウス」
バシッと決めてくださいよ? ほんとお願いしますからね?




