第三百九十五話 大祓(おおはらえ)
日の出も早い六月晦日、閣僚筆頭デュフォー侯爵の主導による大祓はつつがなく挙行された。
「さすが典礼に長ずるお家柄」(訳:慣れた仕事なら任せられるんだよな)と中務宮さまのお声も高く、そのまま第二部・百官の祓へと式次第は雪崩れ込み……それもひと段落すればそこは貴族の集会である。
およそ辛抱の利かぬ人々が席を離れて三々五々、その多くが見物に集まるところなど例年のことゆえ予想済み、ならば近衛中隊長が身を移すべき場所も当然決まっているのである。
ああそこ、手を伸ばさない! 李下に冠を正さずとか申しますでしょう?
ことにあなたは盗賊の張本などと名高いのですし。
「粋とうそぶくべきでしょうか、これも祭事であれば」
ユースフ・ヘクマチアル氏、積み上げられた祓具の山にゆがんだ笑みを向けていた。
「古風と申し上げましょう」
21世紀チキウ人から見た王国の制度は大概そのひと言でまとめられる、ような気がしていた。
大祓。穢れを払う儀式……には違いないけれど。
祭事を離れた「まつりごと」の方面ではもうひとつの意義を持つ。
「罪あらば二重の解除を供うべし」
その言葉を翻訳するに「罪を犯した者でも、お供えを積み増せば許す」と、まあ。
先例として豪族がご近所と紛争の末に一州が内乱状態に陥ったケースなど。
重大事案にもほどがあると思うのだが。
――その理解は本質を違えているよヒロ君。祓、祭事なんだから――
問題となるのは犯罪の重さではなく罪の深さだそうな、立花閣下の注釈によれば。
豪族の先例で言えば、「水利争い? ならば互いに理由もあるところ」ゆえに許された……いずれにせよ大らかな話ではある。
「ターヘル兄の最期など伺いたく」
そうした留保もつけ加わる。生き残らぬことには参加資格も得られない。
つまるところ大祓、やはり古風ゆかしき祭事なのであった。
「笑顔を浮かべておいででした」
こちらを窺う優美な眉間に皺が寄る。
不快を明白に表出することもひとつの政治技術、いや社交マナーだったか。
「軍人においては稀有の幸いとのみ……長衣を召さるる御身にてあれば」
忘れることだ。まっとうな文官を名乗るなら。
ただしく「みそぎを済ませた」――政治家の常套句とせせら笑うには少しばかり血が流れすぎていたけれど――ところでもある。
「政治は感情などとも申しますが」
兄ターヘルを追い詰めたのは貴様だろうと?
殺し合いの尻拭いに血刀揮わされた俺をこの期に及んで?
祓を経たいまそれは執拗に過ぎるでしょうと。
粛清が足りないとの仰せであれば受けて立ちますが。
「中隊長どのにおかれては誤解があるようです、わたくし事の八つ当たりですよ……それとも何か、お気に病まれるところでも?」
背けられた視線、その先にあったのはユースフ自身の祓具だった。
ヘクマチアルの「罪」は深い。償いには相応の拠出が求められるところ、鑰ひとつ……とも見えるけれど。
私財を蔵ごと提出するその象徴と思えば、ヘタな宝の山よりもよほど粋だし凄みもある。
「このありさまです。『みそぎを済ませた』と我から言い募り、おおどかなる貴顕に認められたところで」
肩をすくめて首を振るのも当然、ユースフの持ち込んだ鑰にはいたずらがされてあった。
犯人――検非違使庁に刑部省、左京職に主税周り、ほか個人的な怨恨を抱えた人々――との政争はいまだ終わりを告げていない、眼前にその証を突きつけられる煩わしさ。
困ったことに容疑者の多くは俺の「お友達」……だからと言って忖度なんかしてくれないんだよなあ。どいつもこいつもてめえの意地と利益に汚いときた。
「誰であれ、いたずらに過ぎません」
横ざまに置かれた鑰に手を伸ばす。縦に戻しておく。
表沙汰にしたところで監査に駆り出されるのは誰かという話だ……が、無作法僭越には違いない。
案の定、鑰の配置その非礼(≒違法状態)に目をそばだてていた紳士各位が息を飲む。
傲慢を咎める視線が突き刺さる。
「おおどかに笑って流したいもの、違いますか?」
大祓に祓具……なべて脛に傷持つ身だろうが。
いちいちを大ごとにしたくはあるまい。
「これは。兄の件と言いますますのご活躍、なるほど些事に心を煩わしてはお疲れを覚えるばかり」
くどい念押し、またぞろ人を殺し心に負担を抱えたかと。
なぜ分かるかと怯えた覚えもある、認めましょうとも。だが種が割れた今となれば。
身を削り中道に斃れた兄を間近に眺めていればこそ。
「何を仰せになりますことか。手厚き潔斎を重ね大祓に臨まれるお姿、よそ事ながら爽快を覚えずいられません」
いつも心に間仕切りを。分厚い鎧を着重ねて。
「まこと、虚心に返るすがすがしさ……これよりいかにあるべきか、意を新たにしたところです」
ユースフ・ヘクマチアルの初心、暴れた理由。ひとえに「存在を認めさせる」ところにある。
暴れること自体を目的とした兄ターヘルに限界を見ていたからこそ。
復讐のさまには違いもあれど……迷惑するのは周りである。いずれ反抗期の少年でもあるまいし。
(声を上げぬ者は存在せぬと同じ。抗わねば何も得られない)
(弱小勢力なんて子供扱い、分かってるでしょ)
……いずれにせよ、分かっているなら構わない。
「これよりは右京に当たる秋の残り陽」
秋の間は立ち退きを猶予してやるさ、俺にも留守の弱みがある。
「穏やかに照り映えることでしょう、中隊長どのの威光およぶ限り」
傾くまでは従ってやる、ね……どこまで信じて良いものやら。




