第三百九十二話 称賛 その2
辞去する(そしてアカイウスあたりと一席設ける)刑部権大輔とティムル・ベンサムの袖を引きもせず、立花伯爵くだんの手紙をさっそく取り出し読み上げた。
――カレワラ男爵によって近衛府は古の姿を取り戻しつつあります――
賛辞としては最高ですね、15年20年をいにしえと呼ぶならば……そんな毒口替わりのうろんな視線も予想済み、皮肉な視線を返された。
――反応の鈍さと言い『生ける化石』かと思いましたが、今となれば雅院のお目の高さを思わずにいられません――
古式ゆかしいにもほどがある礼法で挨拶回りしたことは認めるが、いつまで言うかと。
ともあれロシウ・チェン、雅院に――いや、俺を「見つけた」男に対して――意識が向いていることを隠そうともしない。いったい誰に向けた何の賛辞かと。
「ロシウさんのご指導あってのこと、またこちらに帰って以来、皆さま……」
忘れていた。空虚なやり取りは立花の唾棄するところ。
そういうことをしていると力強い言葉を紡げなくなるから……レイナの顔を思い出したのは良かったのか悪かったのか。立花伯爵オサムさん、口をへの字にひん曲げる。
「謹慎を顧みずと駆けつけた友人に対する態度かねそれが」
空虚に空虚を重ねるとマイナスになるってそれ、高校の教科書に書いてありますから。
「わざわざ訪ねておいてじらすこともないでしょう」
勧めたグラスをひったくる。かぱっと口に流し込む。
続けて壜に伸ばした腕をつかまえたあたりから伯爵閣下も気分が乗ってきたらしい。ようやく口を滑らせた。
――彼が中隊長に就任して以来、若手の仲が険悪になりました――
そこかよ。
褒めるなら治績なり軍功なりあるところ、言うに事欠いて悩みの種を。
「悪いことじゃないがね、褒めるにはまだ早い。ヒロ君はもっとやれるはずだもの……ま、親心と思って許してあげることさ」
親心? ああ、息子のスゥツが任官早々クリスチアンと「殴り合い」を始めたことか。そりゃそうだ、近衛府内の隠微な対立などいくらロシウでも見えているはずがない……よね?
ともかく商都で起きた水難事故だが、これが多重抗争の様相を帯び始めていた。
兵部省VS.民部省あるいは兵部卿宮VS.セシル侯爵家。
商都政府VS.中央政府あるいはロシウVS.クリスチアン。
中隊長VS.副官あるいはヒロVS.クリスチアン……は、さすがにね? 「かなり」手加減していますけど、あちらが突っかかってくるのだから仕方ない。
兵站統括VS.渟垂航路統括……この切り口でクリスチアン相手にスゥツが仕掛けたのである。
――北にクリスチアンを送った隙に南を固め、後日の札に伏せる手腕。懐かしい顔を思い出さずにいられません――
種をまいたとおっしゃるか。陰謀論とはロシウさんらしくもない。
そもそも渟垂航路は王国経済の大動脈、両岸にはトワ系各家の利権が渦巻いている。その統括を任せられる男など限られているところ、それこそ先任中隊長もイーサンやクリスチアンにその役を「回さざるを得なかった」ことご承知のはず。
(クリスチアンから横槍入る前に任命したのは間違いないところよね)
(叩き上げを抜擢し不満分子を左遷した直後に公爵家の若君二人をアゴで使う……弟あたりブルってたぜ)
結果論です。
事故が起これば調査に入る現場責任者(スゥツ)が輸送業務のあり方に疑問を呈したとしても。
「現場はこっちに任せろ、留守番は王都と商都の円滑に努めてりゃ良いんだよ」とばかり権限を奪いにかかったとしても、すべて結果論です。
しかしなるほど「上」の連中においては良い傾向だろう。
クリスチアン、スゥツ、ガラード。このあたりみな15歳前後で、それこそ幼馴染でもあるからこそ。
ここにアシャー公爵家のロードリクは……俺やエドワードの枠だな、霊能者だし。年齢的にもB・T・キュビやニコラスの坊やに近いし……うん、シンプルに暴力で頑張れ。
(ギスるわけだわ。間違いなくヒロ君が原因じゃん)
(素朴と粗暴なんざ変わりゃしねえって。千早やユル見てりゃ分かるだろ)
黙りたまえ。古の美風を体現し後世に遺してこそ栄光と伝統の近衛中隊長を名乗れるのである!
そうしたわけでロシウ兄さんの言うことは分かる。
貴公子については惰弱に流れぬよう叱咤激励するぐらいでちょうど良いのだろう。
でもそれ、「言うて似たような仕事・家格」に基づく「長年の信頼関係」が成立しているからこそですよね。
「治績に軍功、若手の競争意識が仕事の成果にのみ向かっている現状をどうにかしたまえ。以前から言っているが詩歌管絃歌舞音曲、もちろん風流の道。得意なところで武芸から手をつけるのは結構だが……」
言いさしてオサムさんの眉が曇った。
どうやら相手の気がとがめるくらいに「痛い」顔を見せてしまったか。
ともあれ。
流行りに関して立花の見立てに過ちなどあるはずもなく、ここのところ武芸は隆盛の兆しを見せていた。
牽引しているのはトワ系「やや落つる」――卿大輔の――家柄で、それこそアベル・ベルガラックの名がまず挙がるところ。
「彼はなにか……仇討ちに類する事情でも?」
国王陛下侍衛を務める「西国無双」に問われた時は思わず目を剥いてしまった。
そのさまが盛大な勘違いを呼んだものか、老人白い歯を見せる。
「士官将軍に恥ずかしからぬ、いや仰がれるに足る程度には鍛えてご覧に入れよう。『恩人』が『卒業』なさる前に」
エドワードのお師匠さま、アベルが俺にかぶれたと見たらしい。
だがアベルの打ち込みようと来たら甘い憧れを超えた真剣そのものと各所の噂はやかましく。
そこに「祖父の停年も近い、自分が母を家を守るのだ」……と、そうした意識が無いとは言わない。
家を守るには宿敵から身を全うする必要があるのだから。
近ごろ気づいたところだが、アベル・ベルガラックとヴィル・ファン・デールゼン、これまた15歳前後のふたりは本気の憎悪をぶつけ合っていた。今のところ郎党の殺害には及ばぬものの、その供回りには双方数名の不審死を出している。
だからアベルはウマイヤ党に指導を加える塚原先生を避けた。西国無双への師事を選び必死に食らいついている。
畑違いに挑むアベルの懸命を目の当たりにしたヴィルもそれこそ「死んでも負けるか」と言わんばかり不得手な事務に励みだす。
こうした風潮まで含めて「古の美風」と言って良いものかどうか。
アベルも、あるいはヴィルの側でも、大人になれば……と思いたいのだが。
(だから、そういうとこが甘いんだよ)
(あなたが責任感じることじゃないわよねえ)
「『下』を競わせその上に乗る、権力者の醍醐味だよね。一度は覚えとく必要があるか、疑似体験だ」
皮肉な口調に似合わず優しげな顔、伯爵の仮面をずらしたオサムさんが……そこはオサムさんらしくちびちびやっていた。
「閣下のごとくありたいもの、心からそう思います」
果たせるはずもないからこそ。
宮廷から逃げたところで、俺は軍人で磐森のあるじで。
権力者たらざるを得ないから。
「これは立花の特権だからね、君は逃げちゃダメさ……逃げられないと言えばもうひとつ。疑似体験なればこそ、いつか終わりが来るわけで」
俺の任期は少なくとも今年いっぱい……「現任からの意見聴取」にしては早きに過ぎる。
だいたい「決まっている」ではないかと。
「エドワードかイーサンでしょう? あくまでも疑似体験、ガチの継承問題を経験させてはもらえないようです、幸いなことに」
きょうの立花伯爵はおかしい。
意味の無いやりとり、空虚な言葉が多すぎる。返すべき言葉が見当たらない。
「ふざけるのもいいかげんにしたまえ」
怒鳴っておきながら、目が合うやしぼんでしまった。
ちんまりと、ただのオサムさんが座っていた。
「いや、これは僕が悪かった……聞きたかったのは『その次』だよ。君の思惑は許容し難い」
それは私のあずかり知らぬところ、答えてはならぬところでしょう。次の中隊長にお尋ねください……最初に浮かんだのはそんな正論だった。
なんの役にも立ちはしない、それでも正論。伯爵と男爵のままでは空虚なやり取りをする他に無い、そんな正論。
本音を語りたければオサムさんとヒロ君に戻るしかなくて。
でもオサムさんとヒロ君には似つかわしくもない話だったから。
一杯空けた、とりあえず。
「他におりません。現状、クリスチアンでは」
いわゆる「制服組」の信頼を失っている。秋に近衛府入りするB・O・キュビとニコラスの御曹司、「十万の将帥」に見限られてしまったから。
今のまま中隊長に就任しても抑えが効かない、それこそアベルよろしく「懸命に励んで」信頼を取り戻さないことには……それでもクリスチアンにはその能力がある。5年以上の猶予がある。
「エミール君にも実績は無い」
「彼ならいくらでも作れます、私の在任中だけで。他に軍人が見当たらないのです、マティアス・ニコラスまでの間」
「栄光と伝統の近衛中隊長だよ?……若者にかぶせる冠じゃないと思うけどね、そうなっているのだから仕方ない……影が濃すぎる」
小柄な肩が波打った。
「王の影」相手に……オサムさんに戻ってもそういうところは変わらないのだから。
「誰しも欠けはある、そう思わなければやっていられません。私ならまずは風流……「華」が無いにもほどがある。幾度と無くお叱りを受けているところです」
陽キャあるいはパリピ気質と言っても良い。
世界も「時代」も違うけど。宮廷人、アイコンであるからには。
「生まれや育ちに由来するもの、努力で補えると信じています。それでも足りなきゃやせ我慢ですよ」
正五位近衛中隊長、若く猛き将軍カレワラ男爵に戻ってみた。
この話を打ち切りたくて。
「やせ我慢を支えるモノを持っていないだろう、あの子は」
オサムさんは立花伯爵に戻ろうとしなかった。
どうあってもこの話を続けたいらしい。
「作れますよ彼は。私の在任中にでも」
「僕は嫌いだねエミール君が」
あーもう、どこの酒場政談だ。
クダ巻き始めたら長いんだよオサムさん。
「近衛は軍府です。軍人としては美点にも数えうる人間性……いえ、認めます。私は嫌いになれない」
グラスをあおる。なんなら壜ごと行っても良かったけれど……デスマッチを避けたかった、相手が相手だけに。
「正直に言いたまえ。いや、直接彼に告げるべきだ。『好きになれない部分がある、改めてほしい』。険悪になってでも為すべきことはあるはずだ」
――それが古の美風、かのロシウ・チェンにして君に送った賛辞じゃないか――
光栄です伯爵閣下、呂律のあやしい巻き舌であっても。
渟垂河:モデルは淀川




