第三百八十五話 棘 その1
謁見にて起きた小さな出来事、それは千早システム(仮称)の発動である。
雅院にご来駕の――お孫様の顔を見に来た――国王陛下が、身分軽き若者ばらを「偶然」お目に留めるというアレ。
ニーム・ウォルドは家督を継げば五位の男爵、王都を訪ねる機会に恵まれないことも併せれば言うて破格の事態でもない――ロネ・ジュラには決して許されないというシビアさはあるけれど――まさに「小さな出来事」で。しかし今のキュビ家においては少しばかり苛立ちを感じずにはいられない、兵部卿宮さまはさすがそのあたりをよくご存じだった。
「なるほど陛下のお目見えを得た少年に無体はいたしかねますなキュビどの」
どうも武人軍人の気合に押されがちだった中務宮さまもようやく首を持ち上げる。
閣僚首座を降りて以来、意識的に自己主張を心掛けてはいらっしゃるけれど。
「そもそも双葉諸侯は王国から爵位を受けている。憚るならば出兵自体を差し止めてしかるべきかと」
もう遅い、キュビ侯爵はすでに出兵を決断のうえ準備も重ね事実上宣戦布告に至っている。今さら口にすべきではない、口にしては「ならない」……案の定、侯爵の口がひゅうと音を立てた。吸い込んだその勢いのまま重心が下りていく。
そうだ、ここでふたりが決裂してくれれば……いや、まずい。
「武名隠れも無きキュビご一党、誉あるいくさを願いたいものです」
屠殺虐待これをなすべからず、敵(対等の相手)にふさわしき待遇を。
王朝の文雅礼節など所詮その程度、だがそれだけのことが戦場にあっては難しい。
それどころかいま、王宮にありながら俺は……文雅……ああくそ、カッコ悪!
「陛下のなさることに異を挟むつもりはありません、蔵人頭どの」
リーモン子爵ウォルター氏の配慮に返すこれは一種の答礼で。
しかしキュビ侯爵その目の輝きは明らかに非礼……礼の範疇を踏み越えていた。
「思えばむしろやりやすくもある。感謝申し上げるべきところでした」
ウォルド家の側でも畜生いくさを――ゲリラ戦の類だが――封じられたとも言える。戦術の幅を狭められて損をするのはいつだって弱者だ。
いたたまれなかった。
居座り続けては妙な気に当てられそうで。
退出しがてら改めて思うほどにキュビ家の有利は動かない。
そのはずがどうもこの、なんとも妙な。胸騒ぎを覚えるとはこのことかと。
やれるときに潰しておけ……エドワードの言葉までが耳にこびりついて離れない。
ニーム少年に、いやニーム少年を中心として? なにかが回り始めているような? そんな気がしてならなかった。
(なんつうか、自意識過剰? 中二病?)
(その感覚忘れるなよヒロ。目を背けるな、縋ってもいけない。纏うんだ)
ブレインストーミングなどと言うけれど、脳内まで揺れるようなこの気持ち悪さと来たら。
「ベンサム大尉が言伝を……事件ですご主君」
アカイウスらしくもない。事件とは何ごとか、報告は明らかに頼む!
などと怒鳴る前に耳打ちされればこれが案の定厄ネタで。
「オーウェルの発想ではない、ヘクマチアルの手法でもないな」
眩暈に耐えながら歩を進めつつどうにか整理を試みれば……と言うかアレだ、そもそもの話。王都在住貴族なら「行動に出る」着想自体に至らない。
ティムルめ分かっててこっちを試すとは不愉快な……いや、こんな調子でさえなければ笑って流せる、ほんとどうかしてる。
「これはガラード小隊長いや、隠居の父君だな。近衛府においでいただけるよう……辞を尽くしてくれるかアカイウス、国家の大事だ」
政治経済軍事行政にてはあらず、だが王朝にあってはこれも国家の一大事……と言えばいわゆる「年中行事」であるところ、この時期最大のそれは五月の大祭である。
その祭主シアラ殿下が潔斎に入ったところで施設に石が投げ込まれたとあれば目星は付く。絶対に王国貴族では無い。
「投げ込まれたのは文であろうがヒロ。いや、それも問題だが」
なにわろ……いえ、お越しいただいた身としてアルバ氏を怒鳴るわけにはいかない。
代わりというわけでもないが「犯人」には厳しい顔せざるを得ない。
「北郊中央の丘に生えている大樹に登ったところ……いえ、覗くつもりなど!……郊外の全容を知りたいと思ったのです。すると近くに立派な建物があったもので、その」
地勢の「目つけ」は悪くない。さらに千里の目をきわめんと一層を登るあたりもさすがの地侍……は良いのだが、おおよそ少年とは身軽に加え視力に優れているもので。
そこまで聞けば都びとなら誰でも頭に浮かぶ地図、丘の南東1km地点。
斎院――大祭に備え祭主シアラ殿下が潔斎に及ぶ施設――警備のこれは盲点であった。
要するにダイナミック垣間見でシアラ殿下ご降嫁レースにエントリーと、まあその。
もういい分かったと告げるかわりに手を振るところシメイにその手を掴まれた。それで? ってお前、そこは許してやれよもう。
「修道院で長年をひとりお過ごしであるとか。歴代王女殿下の孤独また悲恋も伺い、いたたまれず」
せめて届けと、夜な夜な敷地の周囲を経めぐっては得意の笛声を。
「しかし文をどうお渡しすべきものか、皆目検討がつかず。忍び入ろうにも警備の厳しさ……いえ、どなたかに文を託したらすぐに帰るつもりでした!」
男は誰しもそう言うのである。いやじっさい「けしからぬ振舞い」に出るつもりなどないのである……鉢合わせてしまえば見境などあったものではないけれど。
したがって我ら近衛府、風流人もとい真摯な求婚者たちの求めに応じて周辺の封鎖を解くからには最終防衛ラインをガチガチに固めておくのは理の当然。侵入経路また手段についても各員その身に覚えのあるところ、隙など生ずるはずも無く。
ニーム少年しょうこと無しに隙を見て、石にくるんだ文を投げ入れたと。
雅とは言い難いけれど……いやその直心こそがほんらいの雅でもあろうかと。
「侍女、この場合はお付きの修道女かな? まずはそこから崩すのが正道なんだニーム君。もちろん誠意をもってだね」
誠意とはシメイ、また君に似合わぬ言葉を。
ああ、言葉では無く……ってアレですか。
「手土産は当然のこと、本人を前にするつもりで衣服にも気を使い」
「連れの郎党、連絡係にも『物慣れた』イケメンを配し」
「お付きの彼女たちだってたまには良い思いしたい、そういうもんさ」
近衛府の男どもここぞとばかり先輩風を吹かせたがるが、そのいずれもが控えめに言ってゲスだった。恋は戦争ルールは無用と言うけれど、磐森館の防衛ガイドラインにつき見直しの必要を痛感せずにはいられない。
「しかし私にはそのやりとりをする時間が……そろそろ国許へ戻り、秋には」
それを言われてしまうと弱いのである。
「敵はエドワード? ……一期の思い出か、文字通り」
「とがめようとは言うまいねヒロ君」
俺が悪者か? いや悪者にならざるを得ない、それは分かっている。
それが長責任者管理職(※ただし最低限の良心を備えている者に限る)
「忍び入ること、絶対に許容できない。シアラ殿下に思いを懸ける男たち全員が、いや王国と聖神教にかかわる人々みなが千年にわたり守ってきた紳士協定だ」
口にしながら兆した不安、すかさずシメイに掬われる。
「許されざる恋、障害が大きいほどに燃え上がるとは言うけどねえ」
世紀のロマンスとは裏返せば歴史的醜聞なんやなって。
そして俺はどうあってもそれを禁圧する立場で。
「潔斎の場ゆえ死穢は忌まれる、その旨警告しておく」
戦場に出られぬ身体で帰ってもらうことになるぞと。
国土防衛戦に不参加、それはこの世界に生きる男にとって一生を棒に振る行いだから。
いや待てしかし、あまり厳しくして裏返っても困る。「一生を棒に振ってでも」とか思い詰めたりした日には。
(そして乗り込んだところでシアラ殿下にふられるんですね分かります)
(男気も女心もありゃしない。あんたが喪女だった理由がよく分かるわ)
(やめたれ)
「が、今回の投石は不問とする。文のやり取りも許可……なんだシメイ……わかった! 当方で取り次ぐから!」
ヘタレたのではない。囲師必闕と言うではないか。
逃げ道を作ることで暴発を防ぐ、人間社会の知恵である。
ともかくも一件落着、ようやく眩暈も収まった、ような。
「……なんてことない普通の少年、だよなあ」
開けた窓から見下ろしがてらにつぶやくその声が聞こえたわけでもあるまいが。
そうだ! と叫ぶや振り返りニームがこちらを仰ぎ見た。
驚くほど眩しいその笑顔がなぜだか胸に突き刺さる。
「ありがとうございます中隊長閣下!」
戸惑う俺の顔色など窺うそぶりも感じさせなくて。
「キュビ家もエドワードももう怖くない! 絶対に生き延びます!」
……つかえていた棘が抜けたような。
ニームに感じていたものとはつまりこれか、これだったかと。
(アスラーン殿下の前に出た時みたいな顔してるぞヒロ)
(気づいてるヒロ? あの子あなたの遠慮気後れまでぶっこ抜いてったわよ)
北郊の丘:モデルは船岡山
斎院:モデルは紫野斎院




