第三百八十四話 趣味 その4
雅院への謁見、細かなところは「ひとまず」措くとして。
侍衛の塚原先生がその目を留めた男がいた。ヴィルの配下、ファン・デールゼン騎兵隊の一員がそっと背後に場を移す。
警備万全はありがたい話ながら他所の兵隊を鍛えられてしまうのも痛し痒し、ウチの若い衆もお願いします……そんな心中のつぶやきはともかく視線に気づいた初老の男が挨拶に来た。
「近衛中隊長閣下が少年を侍らせていると伺い」
そういう話は後宮奥深くでどうぞ、それとも大真面目に? いや、その下がった目尻。これは単なる話のツマで、つまり周囲の緊張には気づいていない。
「日ごろ公達の指導監督を業務としているもので、つい……」
その視点で見やるに、塚原先生が気を配るほどの腕でもない。
で、あるとすれば?
「申し遅れました。ジュラ家が当主ロネと申します」
疑いが先行したせいもあるが、なるほどひっかかる。
双葉の豪族は「諸侯」、爵位を名乗るはず……などと探りを入れる間を求め、視線を遠くに遊ばせる。言葉に遊びを乗せてみる。
「気持ちの良い少年たちですね。双葉の風儀がしのばれます」
なるほどとつぶやくロネはその年にふさわしい余裕の微笑を浮かべていた。
「魅かれるのは過去の己をあれらに見ておいでだからですよ」
そうか、21歳から人生を始めたような気になっていたから……と、その「崩れ」を見逃すことなく男が一気に攻勢に出た。
「田舎者の客気など論ずるに及びません。重責を担いながらなお溌剌たる志をお持ちの雅院また閣下にこそ感銘を受けました。まさに我らが双葉島では萩花の君による圧迫、日に重く……みな征討を待ち望んでおります。私も先頭に立ち大いに働きましょう」
ようやく理解できた。
蛮族と呼ばれる敵対勢力に敗れて逃げ込んだ家の当主であったかと。だから爵位を受けるには歴史また家格が――王国から見ての話だが――足りていない、おそらくは勢力も。
つまりこの男ロネ・ジュラは双葉島の戦乱を望んでいる。
萩花の君に屈服し先手となった仇敵を討ち果たすか、戦乱に弱った諸侯を食うか、あるいはもっと単純に……
「ではジュラどの。萩花の君への言伝、お願いできますか?」
間違いなくあちらにも「会釈」している、豪族とはそういうもの。
それをしない・できない男に存在意義など見出せない。
「どこでも閣下への毒口を聞かぬことがない」
瞬時にゆがんだ愛想笑い、そんな釣り針に食らいつけるほど若くはなくて。
「かたじけなくも選を得ましたが近衛中隊長の格に及ばぬこと遠く、不徳を恥じる次第です」
だが食いつくふりはすべきだったか……と、後から思う未熟者。
「閣下は才に溺れておいでだ」
初めて聞く評価に今度こそ動揺を隠せなかった。
慣れない切り口から来るお褒めの言葉、よほど注意が必要らしい。
「腹を読ませぬそのお顔という才に」
そう念を押されると駆け引き話術に過ぎないと気づかされるのである。
決して落胆したわけではないのである。
「私もかつてはあんな少年でしたよ。二十歳を過ぎ、謀を逞しくして……痛い目を見た。老に至るも挽回を果たせず恥をさらしている」
一緒にされても困る。個人的には謀略など好んだ覚えはない。
仕掛けられたから反撃した、それだけのこと。行動原理は決まっている。
「奉敬には等しく恩徳が及ぶことでしょう。誠実を欠くならば同じく報いが」
男の顔から精気が失せる。再び頬に貼り付けた愛想笑いの生硬が失望と軽蔑を示していた。
そうした視線にもいいかげん慣れていたけれど――知ったばかりのお題目を偉そうに。若僧の説教などいらない。悠長なこと言いやがって良いご身分だな。ともに語るに足らず――まあそう言わずと、もう少し交渉してみませんかと。
「いずれにせよ王国と各家の話。皆さまの内輪には不干渉を貫いて参りました」
王国と諸侯、言わばタテの関係において誠実ならば他に何を求める理由も無い。
諸侯間の紛争、ヨコの関係に王国の関心は無いし諸侯の側も口出しを嫌う。
つまりジュラ家が双葉島内でどう動こうが構わない。他家に陰謀をしかけようが知ったことじゃない。さはさりながら、だからこそ。
「再興に懸ける思いは理解できるつもりです。『懸けどころ』があることも」
謀略に頼るほか無いんだよ……それはそちらの主張。
いいから王国に従え……それはこちらの主張。
互いに聞き入れる筋合いは無い、ならば。
せめてそれを「通しておく」のが外交ではありませんかと。
「不誠実には報いを……お家の題銘、『遠く延びては王の威を告げん』でありましたか」
双葉島は遠い。萩花の君ほどの影響力を及ぼしうるはずもない。
それでも薄笑いが消えたあたり「毒口」吐き捨てた連中よりはよほど用心深い。
「つまり3つに分かれている、昨今の傾向として。そう申すのだな?」
蔵人所は「溜まり」に響く鷲鼻公爵閣下の声は高かった。
――北から海渡って亡命してきたキュビ絶許勢(親王国派、ウォルド家など)
――太古より暮らしていたガイジン大嫌い勢(自主独立派、ゲーティア家など)
――南から山越えて亡命した「蛮族」絶対殺す勢(親南嶺派、ジュラ家など)
「双葉の諸侯」とひとからげに見られがちだが、「現状」、「王国との関係では」、どうやらそういうことであると……諸々細かく分析のうえあえてざっくり喝破したのはその見識疑うべくも無いミカエル・シャガールであった。
「いわゆる『蛮族』を屈服させ双葉島に進出した萩花の君……心情的にも利害の上でもさらなる攻勢を期待する勢力・親南嶺派が台頭してきたと。探り当て楔を打ち込んだ点はヒロの成果であるか」
さすがアルバ閣下、カレワラ&シャガールに対し多少気に食わぬところがあってもその評価は公正であった。報告書の名義人・治部少輔ガラード君の名前を出さないあたりマジ謙虚だわー。いとおくゆかしだわー。
「ロネ・ジュラ。故地を追われ辛酸を舐めた『苦労人』か……さぞ甘く見えたであろうな」
ええ、自業自得と反省できるおとなの男でした。
私は到底、いえ私もまだその境地に至ってはおりません。
「『地方豪族』とはそれ自体聡く、またからいもの。油断してくれるだけでも幸いです式部卿宮さま」
修辞もまたこれひとつの趣味だなと、近ごろとみにそう思うのであります。
「策に溺れたかヒロ。雅院への賛辞に喜ぶふりでもすれば良いものを……渡海の予定が無いと宣言したも同然、ジュラとやらの類をみすみす南嶺側に追いやるようなものではないか」
「商都に集積中の物資、その質と量を見れば渡海がありえぬことそもそも瞭然」
趣味どころではなかった。自己弁護は貴族の必須教養である。
身を保ち家を繋いで初めて仕事になるのだから。
「外交により情報を得る、基本であるか。だが中隊長、こちらが得る以上に与えてどうする」
穏やかな口調がやけに重くのしかかってきた。
エドワードにジョンがあの調子だもの、父君の気力も充実しているのも頷ける。
……いい季節になってきた。
「商都で南嶺を、萩花の君を叩く。王国の総意でありましょう。周辺勢力もそれを見越して動いている。キュビ家におかれても同じこと、これ以上多くを期待されても困ります」
双葉島に対して王国が本格介入することは無い、だからキュビ家も安心して軍を起こせるのだ。
ひとのふんどし……やめておこう。王国の固めた土俵で相撲を取っておきながら文句を言うものじゃない。対戦相手にも塩は必要だ。
とはいえひとまず措いた「雅院の謁見・その細かきところ」を見逃さないあたりはさすがキュビ閣下の慧眼と言うべきであったかもしれない。