第三百八十四話 趣味 その1
花曇りの肌寒におだしの香りがしみわたる。
金とヒマのある中年男はなぜ麺を打ちたがるのか、永遠の謎である。
「中隊長どののご趣味は?」
麺職人・ご隠居アルバ(鷲鼻の孫、金獅子ガラードの父)の問いに首を傾げてみるが何も思いつかない。
「近ごろは大工仕事をされているとか。それもずいぶん熱心に」
モノ作りも典型的な男の趣味……ではあろうが、聞きつけてくるあたりが内務のチェン家その後継スゥツではある。どうやら磐森に設けた「工房」――ちょいとした製作や修繕やらのためにある共用スペース――から漏れた話でもあろう、例の靴職人が最近出入りしているものだから。
「ヘクマチアル党にオーウェル領の賊、それほどに難敵でしたの?」
貴族連中の手前、これはレイナの気遣いだ。
数十人の武装勢力を立て続けに滅ぼした、飾らず言えば殺した。まして切り刻んだ後に火をかけた……彼女の知るヒロなら間違いなく傷を負うはずだから。
「いえ、前線を離れ王都で穏やかな日々を過ごすうち記憶をひとつ取り戻したのです。子供の時分、私は犬を飼っていたらしく」
気遣いに返す気遣いはウソではないがウソである。
じつのところは幽霊犬ジロウから、タロウ――山の民に飼われている兄弟犬――が別れを告げに来たと、それが理由であった。鼻を鳴らされ一念発起したその翌日ちょうちょにじゃれついている姿を見た時には少しばかり微妙な気持ちになったけれど、ともあれ磐森の執務室その片隅に犬小屋をしつらえた。「記憶を取り戻すよすがに」と、郎党の手前奇矯の言い訳をつぶやきつつ。
「そういえば釣りもなさるはず……」
ご注文承りました典侍さま、また魚を持って参ります。
「いえ、そちらもご趣味と申し上げるには気がねをされているのでしょう?」
ああ、そういう話……貴族の趣味は多く実用を兼ねるから。意図的であれ偶発的であれ。
例えば水に恵まれた磐森、堀の役割をも担う湖に釣り糸を垂れるのもひとり政策戦略を練るため……と言うよりアレだ、「太公望」を意識していると言えなくも無い。
案の定、遠くで竿を振る郎党が独り言をつぶやくのである。大声で。
「山際の道が崩れてうんぬん」
「獣害が発生したそうだ」
「某村のバカどもがしょうもない紛争を。お館に持ち込むべきものかなあ」
ほか、仮面のベネットから報告を受けるにも最適……と、そもそも立花典侍さまのお局にはそれで参上したのである。
「釣りと言えば、ファシルの暴れ川を渡ったのも懐かしい思い出」
生温かい視線に取り囲まれるそのわけは理解できますけどもね?
まじめなと申しますか、いま少し生臭いもとい銅臭のする話なんですよ。
「典侍さまが芸を認めた仮面劇の一座から、『上流で玉が出た』との便りが」
立花またカレワラがファシル漂泊民の庇護者をもって任じている以上、こうしたやり取りは避けられない。
「まためんどくさい」
仮面をかぶりそこねたレイナの気持ちは理解できる。
「発見者」は漂泊民だが、「産地」はリージョン・森で「地権者(?)」は山の民。その取次ぎ担当はメル家。鉱物ならばノーフォーク家との話し合いが必要となり、新規の収入があった時にはデクスター家に声をかけねば後がうるさい。全て交通整理したその後には立花とカレワラで取り分の折衝がある。
「いえ、全てお任せいたします」
ま、このへんは毎度のやり取り。気心知れた仲だけに……
「ならばヒロさん、相談があるんだ」
いきなり口を挟むわ紙束を投げて寄越すわ。
またその紙束が読み進めるほどのこともないうっすい代物、これはなんだい?
「壮大にして独創的な計画だねバンペイユ君、とても僕ごときの手に負えない。せっかく伯爵閣下の御前にあるのだ、ぜひそちらに」
レイナのお局は今日も盛況、父君も……やけに大人しいと思ったらおだしのお代わりに手をつけておいでであった。昨夜も深酒されたのだろう。
ともあれ企画書だが、スポーツマンのための祭典と銘打たれてしまっては。日本にあった頃ならば熱狂もしただろうけど、王国における彼らの扱いに思いを致してしまうと、ねえ?
「体が動くなら戦場に出て敵を殺せ……ヒロさんの立場はわきまえてるつもりだ、道楽の後援者になれとは言えないよ」
軽い皮肉のつもりだろうが、立花の口から「それ」を言われると刺さる。
必要以上に粗雑な言動、カタイめなぜそう突っかかる?
「だから競技場の土地だけ提供してもらえないかと」
地面と聞くや隣からぬっとアゴ、ではなくて首を出す男がひとり。
「400mトラック? こりゃ一万平米、1町歩だな。観客席含め4町歩か?」
王国にも独自の単位はあるのだが面倒なので例によって翻訳させてもらう。
ともあれその声は厳しかった。さすがは農のクロイツケツアゴのコンラート、話のできる男である。
「カタイとやら、立花の君にこんなことを言いたくはないが」
ひとりが一年食うのに必要な田畑の面積が1反歩、10反歩が1町歩。
平地の4町歩ったら――王国の税制により収穫の半分を持ってかれるにせよ――40人、ゆうに4~5家族を養える広さなのだから。
「構わないさコンラート……当家の鍛錬場を生きて出られたら考えてやるよカタイ。そういう話なんだこれは」
我らのギョーカイで言えば兵を5人以上抱えられるという意味になる。
乳兄弟やらの専従兵士含め10人集めてこれであなたも十人隊長、晴れて士官である。
そこから長所を磨いて仲間内から抜きん出れば百人隊長十騎長……これが戦場の華にして平時の名士、責任と名誉を担う「できる男」。要所要所の押さえとして気さくなご領主男爵閣下から業務を親任されるクラスである。
つまり10人・4町歩の領地とは軍人貴族にとって基盤、スタートラインに等しい。この200m四方を得るためなら人は――良識ある王国の社会人ならば――流血を厭わない、殺しに躊躇いを覚えない。
「パンを配ると決めたところで次はサーカスというわけかな?」
アルバのご隠居、柔らかな声で爆弾を放り込みに来た。
閑人は閑人であるがゆえに退屈を嫌う、そういうものでしょうね!
五月の祭礼に先立ちアスラーン殿下の和子さま誕生を発表する旨の閣議決定に関わる話だ。
その際に右京で慶祝の……なんだ、炊き出し?お振る舞い?をしようと。人気取りと言われてしまえば否定し難いが救荒措置である、不作明けの端境期なるがゆえに。
「これはいよいよ懐刀の面目躍如」
この炊き出しお振る舞いだが、こちらは国の政策によるものではない。
心ある貴族による私的な行動である。
「雅院主導の案件です、アルバ前男爵閣下。私はただお手伝いを……」
言いさしたところで向こうから侍女が出てきた。
捧げ持つ文箱、その底には典侍さまのお手蹟を乗せた薄様。
小さく結んで懐に入れ、御簾のそばまでにじり寄る。
「フィリアを担ぎ出して……危険は分かってるでしょ? ここんとこヒロが何考えてるのかまるで見えてこない。もう少し後宮に説明してよ、私に限らなくていいから……」
怒りと不安を押し殺したその声に飾りは感じられなかったから。
横ざま頷き返すほかにない、口元に扇をかざしつつ。
「男には行動と結果で示さなきゃいけないこともある。分かってるだろ?」
「女には納得が必要、分かってるでしょ?」
襟を正し向き直る。隔て越しに真っ直ぐ視線を交わせば……後ろで座を蹴る音がした。
「不器用なことだ。立花の人間とは思えぬほど」
この日唯一のお言葉ではありますが伯爵閣下、立花家の皆さまは相当に不器用な――あるいは窮屈な――生き方をされていると思います、諸家の皆さまとも変わることなく。
「ところで先ほどのうどんだが、ハサン殿下に献上したいのだ」
帰り道、窮屈から逃げて半隠居を決め込んだ男がうそぶいた。
「双葉島産の小麦粉でね。不作の昨年、王国は彼らに助けられている」
寒い年は暑さ穏やかになる南方が豊作、当然の話……のはずもなく。
「鷲につつかれハゲワシにたかられ、それは大工仕事に逃げたくもなるか」
外交を得手とするアルバ家は治部省に勢力を張っている。
若き金獅子ガラード君の初任も当然治部少輔……ということで双葉島からの外交使節を迎え歓待に励んでいたところが「王室最長老のハサン殿下にお目通りしたいもの」と言い出され周囲のおとなに相談したらしい。「年の差もあり、いまだお近づきを得ておらず……」
そしてハサン殿下と言えばカレワラ男爵、「貴君使節に何を吹き込んだ、国家の高権に容喙しようとはその僭越増上慢度し難し!」……などと喚かれたところで鷲でも禿鷲でもありませんのでね、容喙しようにもクチバシの持ち合わせは無いのであります。
「わがまま勝手に育った小隊長を締めつけまとめ上げてこその近衛中隊長、自分たちも散々上から羽を叩きつけてきたくせによく言うものだ」
空行く鳥を見上げようにもあいにくの曇り空、花曇りは着る物に困る。厚着をすれば野暮になるが華やかな薄物を身につけても色は映えぬし……何より寒さが背筋を這い上がる。
「初仕事のガラードはもちろん、さき頃君に迷惑かけた治部権大輔も祖父の仇討ちと言わんばかり張り切って介添えに努めているところ……ま、よろしく頼む」
老人のおなかに優しいゆるふわうどんから双葉名物コシ強めまでを打ち分けゆで分け。
金とヒマのある中年男が打つ麺はこだわり強く、そして何よりめんどくさい。
アルバの隠居:アルバ公爵家の嫡流。「鷲鼻」公爵の孫、「禿鷲」伯爵の子、「金獅子」ガラードの父。アルバ家は外交に強い
ファシル州:モデルは遠江。暴れ河のモデルは天竜川
カタイ:立花家傍系バンペイユ家の若者、近衛将監。王国では蔑まれがちな「スポーツマン」
ハサン殿下:王室最長老、九十台半ば。生前のアリエルを知るほぼ唯一の人物