第三百八十二話 回り道 その2
「幽霊の料理を食べるのは僕が世界初だと思ってたんだけどねぇ」
「毎日食ってますよ、珍しくも無い」
同じく招かれた客人、それも立花の連枝に対してぶっきらぼうに過ぎたと気づいた天真会は磐森支部長の劉老師、慌てて霊気の塊に……宙に浮かぶコック帽に向けて語りかけた。
「いや失敬、シェフの幽霊ってのは初めてだ。さすがに美味かったよ。どこがどうって説明は俺なんかにゃお手上げだけど」
いつも無口な強火専門のモレノも頷くが、斜向かいからは不評であった。
「私は納得行かないね」
鉄槌打ちに机が立てる鈍い音……ジョッキをお出しすべきでしたか、シスターアグネス。
「凶作明けの端境期。食うや食わずの人間サマがいるってのに幽霊がこんな贅沢なものを。死者は生者に道を譲るべきだ」
「幽霊は料理を作っただけ、食べたのは私ら生きた人間だろうに。完食しといてよく言うこと」
「それ言われちまうと痛いですけどシスターテレサ、そもそも美食自体が」
口答えを止めぬ隣の「姉妹」に食らわせる肩パン、聞いたことも無いほど重い音を立てていた。聖職者がかぶるフードに似ているから僧坊筋、などと思わず由来を思い出すほどに。さすが本職は大きさが違う。
「お許しくださいねご領主さま」
「聖神教も一枚岩ではない、存じております」
雑に言って「財力権力大好き」という人々と「清貧こそ神の教え」という人々が存在する。なお後者が拠り所とする『聖典』その解釈は多く前者によって紡がれる、まいど人の世にありがちな話だ。
「貴族ってのは毒吐かなきゃ生きてられないのかね。俺を見て言うこたないだろ……おっと、かりにも出家が人の悪口など。喜捨に報謝を」
天真会にも派閥がある、李老師の叡智のおかげをもって関わらずに済んでいるけれど――いわく、巻き込んだその結果が身の破滅。枢機卿ともあろう者が人を見かけで判断しては、の。よほど心すべきことよ――
「清貧を思うあまり語彙に至るまで節約する、聖職者の抱える原罪かねえ。ふたこと目には感謝、そして祈りを……かしこくもありがたく、そして誰のためにもなりはしない。ひるがえって世俗に生きる僕としては実のある言葉を贈るとするよ」
ひと息にグラスを傾けて気だるさでも覚えたか、机に肘つき組んだ両手にアゴ乗せて。
しかしシメイの声は案外冴えていた。
「味が濃い、身がパサついて食べにくい。原因の一端はおそらく食材、ほんらい西海の魚を使うところなんだろう? 手に入らなかったなら調整すべきだ、理想を追求するなら食材まで徹底すること。ああそれとスープだが、これは悪くない。論評の余地が無いね」
宙に浮いた帽子が地に落ちるさまを確認もせず、組んだ手の上でそのまま瞑目。
一同それにならってややしばし。
「宗教屋が四人も揃って情け無い話だねえ……いえ」
「そうだなシスターテレサ、俺たちは鈍っちまった。幸いなことに」
静謐と安寧のうちに王子殿下の依頼をひとつ終えるや扉の向こうから喧騒が訪れた。
「お前は何で食わないんだよ……ってそうか、家臣団の手前。食い意地張って暗殺されかけたんだった」
磐森まで足を運んでおきながらメシも食わんと従妹といちゃついていたヤツに言われる筋合いはない。采邑にある領主は忙しいのである、食事会を終えるや家臣団が次々連絡に飛び込んでくるぐらいには。
しかしだからと言って取次ぎの肩を押しのけなくとも……と思う間も無く現れたるは見飽きた顔。
「手配を終えましたよヒロさん」
改めてティムル・ベンサムから受けた似顔絵は――孤児の幽霊から聞き出して作成したものだが――「父親」なる言葉の印象とはかけ離れていた。あまりに若いと思うのはいまだ抜け難き日本人的感覚か。
二十歳そこそこ。重圧から逃げたものか、無謀にも見える挑戦に打って出たか。偉そうに上から言えた義理ではない、俺だって……。違いと言えば養孫という保険の――身も蓋もなく言えば身分と財産なるバッファの――有無、それだけのこと。
「似顔絵情報を右京全体に広めて帰ってくるまで3日、良い実験になりました」
「ヒロてめえ」
子供……の幽霊。ダシにしたと言えなくはない。
エドワードの憤懣も分かる、分かるけれど。
「近衛中隊長ともあろう者が使い走りをするな、そう言ったのはお前だろエドワード。治安防諜のため必要な措置だ、それも『後々』役に立つ。分かるだろうが」
俺もただ回り道するわけには行かないのだ。
急がば回れと言うけれど、急ぐがゆえの回り道。
人は大きく気は長く、心は丸く……
「ことのついでに仕事する? ミカエルじゃあるまいし、いいかげんその貧乏性をどうにかしろって言ってんだ。てめえにはガキの顔も見えてんだろ? よく恥ずかしげも無く……」
中弁ミカエル・シャガール扱いは腹が立つ。
「訂正しろこのニンジン頭! 幽霊に情をかけるなって言ったのはどの口だ」
狙いはアゴかこの野郎、ならば肩持ち上げて我から間を詰め……いけない、近衛府暮らし長きオッサンの存在を失念していた。
「ヒロさんのことだ、そう酷な真似はできない。分かってんでしょう? でも気に食わねえ。なんだこう、『すっぱり行け』ってのは全くその通りだ。俺はあんたのこと嫌いになれそうにないなエドワードさん」
若僧ふたりのあばらに肘当てながらこれだもの。
つつかれていたら悶絶もの、負けを認める他は無い。
「勝手にしろ!」
お言葉に甘えて、では早速……と切り出すあたりの鉄面皮、これもまた年の劫。
「今までもうすうす感じていたところですが、今回の調査ではっきりしました。王都に出て来た連中は出身地ごとに固まって暮らす傾向があります」
訛りに食べ物生活習慣、慣れぬ暮らしに身を寄せ合って。
当たり前?……俗にそれをコロンブスの卵と言うわけで。
「ジェレミアだったか、あんたのおかげだ。言われた通りエッツィオあるいは北西方面出身者の居留地にもあたりをつけた。……ああいえ、ヘクマチアル連中の首を掛け並べてくれたのは中隊長どのの英断でした。犯罪激減、聞き込みも効率から違う」
必要が無ければ調べはしない、状況が許さなければ調べようがない。右京もようやく動き出した……なんてキレイな話で済むはずも無い。「田舎者」に鼻明かされること「都すずめ」は極端に嫌う。
「ついでに東から来る連中の居留地も調べていたようです、ご主君……ソフィア様に恨まれるぞジェレミア、諜報を寝かせとく巣を潰されて」
意地張るあまり追加実験にまで手をつけたのはティムルの勇み足。
目の良さにおいて当家郎党頭に並ぶ者などそうはない。
「それで肝腎のとこはどうなんだ、ガキの親は見つかったのかよ!」
ベテランふたりの睨み合いに赤毛が割って入った。
やられたらやり返せと言わぬばかり鳩尾に拳など当てて。
「戦上手ってのはみんなそうだが、それにしてもあきれたせっかちだ。鈍いアホぼんよりはずっとマシですがね。これから居留地で……」
待機させていた数人が――「甥」のあんへい・エイヴォンに客人レネギウス・エクシアまたドメニコ・ドゥオモ、そしてもちろんお手柄のジェレミア・ガルネッリなどが――立ちあがるやティムルに先んじて扉を開く。やられたらやり返せ、そこは俺も同じですのでね。
「待ておい、検非違使抜きで聞き込みができるわけ……ヒロさん!」
言われるまでも無い。
いましばらくの回り道、急ぎの用があればこそ。
士誠・劉:天真会磐森支部長として孤児院を経営している。暗部出身の死霊術師
モレノ:劉の補佐役。発火能力者
シスター・テレサ:磐森における聖神教の代表、精神病院を経営している。実働部隊出身
シスター・アグネス:テレサの補佐役、実働部隊出身。体術に長ける
レネギウス・エクシア:弓術に優れる「家名持ち」の説法師。王都学園の生徒としてヒロの抜擢を受け、エッツィオ辺境伯領に出向し手柄を立てた。現在は帰京し、ヒロの食客のような立場にある
ドメニコ・ドゥオモ:郊野(新都郊外)に領邦を持つメル家の有力郎党。王都に滞在中。治安維持に協力している
ジェレミア・ガルネッリ:預託商法(円座牧場)の発案者。大戦終了直後に次の戦場を予想し、ヒロに代わる側近としてソフィア・メルに抜擢された男。王都に滞在し諜報活動に協力している




