第三百八十二話 回り道 その1
「もう少し気楽に訪ねるが良かろう、などと言うのも白々しい話か」
王宮は東のかた雅院の西隣、その名もまさに西雅院こそがスレイマン殿下の公邸である。
近衛府からは1kmと離れていないが伺候したのは初めてのこと。
「固くなることもない、霊能のことで聞きたい話があったまで」
ぱちりと閉じられた扇が水平に振られるさま、極東では折に触れ目にしたものだが。
ソフィアさまのそれは決裁の合図、多く人死にの前触れで。ゆえに思わず気が締まったのは幸いだった。
「知ってのとおり私はいわゆる浄霊師だ、このとおり」
軽く振られた扇の先から迫る霊気の塊、スレイマン殿下の顔を覆い隠すほどの大きさはあった。
「お戯れを」
柄頭を立てていなした霊弾、ちょうど後ろの赤毛にトスを上げるかたちとなり。
「倍率と言ったか、霊能も高い部類と聞かされたが。果たして」
バックスピンの効いたスマッシュを受けて庭木が轟音を立てた。
「お追従じゃねえなどうやら。ご自身の目で確かめられたでしょう?」
エドワードの率直、とても俺には真似できない……のはともかく、じっさい相当のものだ。
単に倍率だけならカルヴィン(・ディートリヒ)の上にある。
「おかげで幽霊たちの気配を色濃く感ずることもできる……が、それだけだ。私に何を伝えたいものかが分からぬ。それでも寇を為さぬならと、侍る者どもを放置した結果がこれ」
一個小隊――軍人に限らぬけれど――が庭にひしめいていた。
初めて会った宴、宵闇の中では侍衛側近と分かち難かったけれど。
「聞くにヒロよ、卿は霊と言葉を交わせるとか。彼らにもし何か、訴えがあると言うならば」
えげつない霊弾を撃ち込んでおきながら浮かべる穏やかな笑顔、聖上に瓜二つで。本来的には優しい人なのだろうと思わされた。
集めた限りの情報でも「とにかく気前が良い」――だから今日もエドワードがついてきたのだ、お茶会の相伴に預かるべく――「おとな」たちからそれと無く噂を拾い集めたところでも「人の話を聞く良いお子であった」と。
答えようと口を開いたところで「甘い」の呟きにさえぎられた。
振り向けば笑顔を見せるエドワードはお茶請けを口に放り込んだ直後。言及の対象が分かりづらいのは困りどころだ。
「お言葉を返すようですが殿下、幽霊は浄化なり説得してやるのが一番です。連中は人生を満喫したんです。つまりは過去の人ってヤツで、いまを生きてる、生きなきゃいけない俺たちの時間や労力を奪って良い理屈はありません。霊能持ちならそう教わっておいでのはず」
大霊弾に震え上がった幽霊たちがさらに縮こまる。
スレイマン殿下にせよその優れた霊能を時おり見せていればこそ「寇」なされずに済んでいる、その事実を忘れるべきではない。
「とは申せ、我を慕い縋る者を無碍に拒む気にもなれぬ」
差し出口したエドワードに構い立てせず再びこちらにお言葉があった、同意を求めるがごとく。これはどうやらただに優しいばかりではない、しっかり調べ上げている。
「かつて出入りさせていた陰陽師だが、これもひとかどながら冷たい男で……その言にいまひとつ得心の行かぬところもあり」
リョウ・ダツクツ。王国との非戦を唱えA・I・キュビ家のうちに勢力を蓄えている。南嶺に集中したい現状ありがたい存在だが、俺とあいつは……何だ、時間勝負の競合関係と言える部分が無きにしもあらずで。
ともあれリョウとの確執は王国貴族に広く知られたところ。名を出せば反発するだろうというご期待には現状沿うべき理由もあると思えば……不愉快を装いおもむろに口を開くのが吉か。
「左手奥の小さな霊気、子供です」
話してごらん? と申し向けたところで赤毛が茶を吹いた。
王子さまと貴族の会合で口にするにはあまりに間抜け、分かっているが仕方ない。
「王都で稼いでくると出て行った父を待つうちに病死。なお日ごと辻に出て帰りを待っていたところ、殿下の行列に出会ったと……都へ行けば父に会えるかも、その一心でついてきたようです」
「探してやることは?……いや、済まぬ」
生粋の軍人貴族らしく即座に腰を浮かせる気配があった。
理由は明確、近衛中隊長にさせて良い仕事では無いから。たとえ有力王族でも。
席を蹴りその増上慢を聖上に申述のうえ近衛府の総意として強く抗議……ひとつの選択肢ではある、「局面」を激しくしたいと望むなら。
右後ろの声が先手を取って発言を制していた。
エドワードがそこまで考えているはずもないことをよくよく承知の親友が。
「これは下々の話、殿下にはご理解いただけぬところかと存じますが」
出稼ぎではなく子を捨てたものであったなら、再会したところで……。
幽霊になってまでつらい思いをすることもなかろう、いまや道行きの縁も結ばれ、老いた幽霊の膝に抱かれる身にあれば。
局面を穏やかに収めようと試みるシメイにエドワードはなお反発していたけれど。
陣営が四つあるなか最初に「戦端」を開くのは損、エドワードに噛み付かれては煩、ならばやんわり抗議するに限る。
「ご依頼を受けて回る、そういう生き方もあり得たかとは思います」
ひとりの霊能者として、貴顕の依頼を受け生活を立てる。
新都でオサムさんに出会ったころには諦めたけれど。
「あり得た生き方、か。市井に生きる、メル家の下で東国に居つく、孫ではなく卿みずから跡取りをもうける」
やはりよく調べておいでであった、来歴すなわち思考経路を。
それもそうか、ただに優しきばかりでは。優しくありたいと思えばこそ。
「私にも岐路はあった。兄雅院のごとく戦場に立つ、弟バヤジットのごとく早々と後継レースを降りる」
招いた公達いくたりか、それぞれに目を向けておいでだった。
各々の「生き方」に共感を示すべく。
「さすがに市井は無理であろうか。それでも霊能を活かして将を目指す、芸に打ち込み風流に生きる」
白々しくも仰せになる。あなたは最初から決めていた、選んでいた。他に道が無かっただけのことであったとしても。
その性根を見込んだ人々、見抜いた者も多いはず。現に庭の一個小隊も。
「散開のうえ物陰に控えた霊も感じ取られておいででしょう殿下。御身を守り参らせんと集った軍人ばらです……殿下に候ぜんと望むならば偽り無く述べよ。何ゆえお前たちはここにある」
死者、幽霊は多く正直であけすけだ。いまさら身の上を飾っても仕方ない……長く漂うほどその思いは強くなり、何より話し相手に飢えている。
(戦場でつい怯えを見せました。敵に背を向け、あまつそのまま……)
(あまりに恥ずかしく、死ぬに死ねず)
(だが霊能者に見つかれば消されてしまう。殿下は幽霊の存在を許容されていると、生前聞いた噂では)
(大将軍殿下への償いを果たせば還ります。なにとぞいま一時の猶予を)
告解の場に飢えていたものでもあったか。
暴きあげつらうべきことでもない。
「『今さら功を競うつもりはありません、名乗りはお許しを』と。おくゆかしき者たちです」
力強く頷いていた。聖上そっくりのお顔で。
やはりこの人は降りそうにない。中務宮さまとは違う。
そのくせ抱負や政策がまるで見えてこないのはどうしたことか。
今日も公達を集めて、なお霊能譚を聞きたがるばかり。
「老人がおります。もの珍しさについて来て、そろそろ良いかと思ったところで先ほどの孤児に出会い、見捨てられずに王都までついて来たとのこと。志半ばに斃れた料理人があります。『貴顕の厨房を覗き学んだ今ならば』と申しております。『どなたでも良い、作った料理を食べてもらえれば未練は無い』と。ほかに……」
鋭い声がかかった、庭にほど近き部屋の片隅から。
「中隊長ともあろう方がいいかげんなことを殿下に吹き込むなど」
エドワードの割り込みも無作法、しかし平場の会話なら目くじら立てることもない。
だが六位の「付き人」に差し出口は許されない。許すこと、俺に許されていない。
ただ沈黙をもって応ずるのみ、呆れの視線をスレイマン殿下に据えて。
「前征南大将軍殿下の御名をもって庭の霊に命ず。近衛中隊長がいいかげんを言っているなら庭の砂利を投げつけよ。ただしく諸君の身の上を殿下に伝えたものならばそこの近侍にぶつけること」
シメイはこれで立花、貴族の中の貴族である。不愉快に対しては残酷だ。
めったと見られぬ厳しき号令に応ずるが如き雨あられ……中にえげつないのが混じっていた。得手は投槍かそれとも石か、肩の強い兵士が見せ場とばかり放っているにちがいない。
額を割られた付き人どのだが、なかなかに知恵者であった。たまらぬと見てこちらの陰に逃げてくる。
「もう良かろう……どうやらヒロの霊能は真のもの。諸君の身の上も知れ、私も満足だ」
静かになった庭に笑顔を見せてスレイマン殿下が向き直る。
「先の曲水宴と言い、重ねて楽しませてもらった。何か願いの儀があれば申してみよ」
先の銀杯と言い、なるほど気前が良い。
政治の本質とは――他にも多様な切り口はあろうけれど――ひとえに利益分配であることを思えば、重ね重ねに利を与えれば人を絡め取ることもできる。よくよくご存じの上で実践されているのだろう。
「大蔵卿さまのお邸を拝借したいのです」
詳細を記した書面に見せた含み笑い、やはり聖上によく似ておいでで。
丸めて火に放り込むその狙いの正しさ、やはり浄霊師であると思わせて。
「なるほど、さような事情であれば。だがそれでは祖父も良い面の皮……ならばそうだな、全員とは言わぬ。願い出た幽霊から数人を見繕い心残りを果たしてはやれぬか? その顛末、話の種を私に教えてくれることを以て祖父を説得する対価としよう。後払いでもかまわぬ、おいおい暇を見て」
結局お使いさせられやがってと息巻くエドワードだったが、退出してなお俺から離れようとしない。この男つくづく子供に弱く、やはり顛末が気になっていること間違いないのである。




