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第三百八十話 爪 その4



 「愚かなことだ、取巻きに守られてあれば良いものを」


 引っ込みがつかなくなった、それは認める。

 近衛府が北から押さえつつある右京は未申なんせい四経七緯、隠れも無きターヘル・ヘクマチアルの拠点を急襲したは良いとして、いきなり背中の痒くなる言葉を聞かされたせいだ。

 

 「『ここは任せて先に行け』? その気もないのに良く言うよ」

 

 ユースフを殺すわけにはいかない。向こうも俺を殺せない。

 襲撃の一報に跳ね起き紋章を確認するなりそこに頭をめぐらせ決め台詞、だからヘクマチアルは嫌われる。


 「付き合って一騎打ちとは青臭いふりご苦労。互いにつらいことだな部下の手前」


 抜かれる両手大剣、流れるようなその動きに目を奪われた。 

 三兄弟では白眉と聞いていたけれど。


 「驚いた……いや」

 

 真っ直ぐ、ただ一直線に光芒が迫ってきた。

 最短距離を通るその剣筋、単に正しいのみならず「品が良い」。

 同門の三席掌侍ナディア嬢に見えた「実戦志向げひんさ」を欠片も感じさせなかった。


 「何を笑う。背中からうるさく型指導フォームチェック、からくりは貴様と同じだよ」

 

 それははかどるに決まっている。ターヘルの背後霊は双子の兄弟、全く同じ体格だもの。悪党の根城で科学的効率的なトレーニングに出会うとは思っていなかった……って、それもあるけどな?

 受けずに見切れば笑みくずれる老け顔のあどけなさ、案外悪くない。

 

 「いや、お前を慕う者がいたとはね」


 サンバラ州に部下を置き捨てにしている。小豪族の「交通整理」もぶん投げた。どこまでも身勝手な男、だがそんなターヘルに夢を見た連中もあるのだろう。その剣筋に見惚れたか、ただただ強さに魅かれたか。


 「ユースフも私の人望かずを見誤ってあの体たらく。弟のくせに兄を敬うことを知らないから怪我をする」

  

 「兄のくせしてユースフを見誤った男が」


 彼方の喧騒がようやく収まった。ややあって立て続けに起こるしわがれた叫び、まっすぐターヘルを見上げてつき従った男たちの怨嗟。

 ……半ばほどを「始末」する、いまさら方針変更もない。

 

 「『上』に取り入る、賢く見えて愚かだよ」


 皺の多い顔、くしゃくしゃに折りたたまれていた。

 そうだな、笑うほか無い。自他を嘲うほか何ができる。


 「安易だ。『逃げ』に過ぎない。我らヘクマチアル、今さら」


 「策」に対する態度には親近感を覚えた。

 いやこの発想、俺に限らず。

 

 「現実的って言うんだろ、それを」


 「いくつだと思ってる、貴様よりは分かってるよ。厚く高い現実の壁、破れるわけも無い。だから暴れる……そう言や分かるだろ、仮にも近衛中隊長」


 「きれいに負けても後が無い、なら……」


 命を高く売りつけんがのみ、理解はできるけれど。

 それは残される者を思えばこその行いで。


 「相手の予想を覆せなけりゃ手の内で踊るばかり、いつまで経っても下働き……いや、仕事なんざそんなもの。汚れ仕事も下積みも構うものじゃない。だがなあ、連中に代わってその手を染めた祖父の受けた仕打ち。返さなきゃ立つ瀬が無い」


 慮外の乱暴者、イッちまってる……何を噂されてもこの男は総領だった。

 この世界に生きる限りどこまでもその理屈から外れることはできないのか。

 枠に嵌められ、志望と期待に挟まれもがき回り、そして狂い。

 

 「ユースフも言っていたよ。それが今や頭下げて見えすいた恭順……他日のためにいま折れる、違うか?」


 間を避けるべく馬鞭を振った。爪が軋む。

 切らせたこと、悔いる気は無い。


 「それで生きてると言えるか? 周りと折り合い己を曲げる。壁を前に一度逃げてしまえば終わりだよ……顔に出てるぞ未熟者」


 中段突き、かわせるものではなかった。

 抜き合わせ撃ち合わせる。

 年に見合わぬ皺だらけの顔ふたつ、憐れむごとく口をつぐみ首を傾げた。


 「どうせつまらないことと決まってる。守るべきもの――一党の重み、君国への忠信、人の世の義理。いや美味いメシ、いい女、バクチに踊る心――比べてしまえば男の意地なんざ鼻クソほどの価値も無い。爪で弾いて捨てるに限る」


 口にするから浅くなる。

 指弾と見せて含み針、案の定つまらないオチ。

 呼吸を、動きを止めてしまえば終わりだよ。体重かけて正面から弾き飛ばすのみ。

  

 「だから最高におもしろい、賭ける価値がある。貴様もそうだろ爪弾き者が」

 

 尻餅ついた男を前にして思う。

 ならばこちらはどうオチをつけたものか。


 「そこまでに、ヒロさん」

 

 カタイと来た。立花にすがるとはね。ためらい無く弟の知恵を盗むんだから。

 やはりヘクマチアルはどこまでも信用ならない。踊らされては負け。


 「伯爵閣下より、ターヘル・ヘクマチアル男爵閣下にも言伝です。『不愉快はお互い様、了見して余生を楽しまれてはいかが……私で良ければいくらでもつきあうよ』とのこと」


 「羨ましいご身分だ。しかしなるほど、私は長くない」


 立ち上がり埃を払い、それでもいちおうの答礼を施して。

  

 「せめて退屈しのぎはご覧に入れたいもの、きょうの返礼に」


 無様でも意地のひとつは張り通す。爪を立て牙を剥く。

 それがヘクマチアルのあり方だから。



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― 新着の感想 ―
[良い点] いっつも殺し合い(?)してますねこの中隊長笑
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