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第三百七十七話 人使い その6



 そして訪れた中務宮邸でティムルは大歓迎を受けた。

 メッサが起こした騒動に宮さまご満悦であったから。

 口にはのぼせぬそのお心を按ずるに「アホめの鼻をよくぞ明かした」。

 閣僚首座を辞任された中務宮さま、後任デュフォー侯爵の未熟に苛立ちを募らせておいでだったのだ。


 「任官するや即、王都の平和に貢献とは。連れて来てはいないのか?」


 お声がかりに首もたげるや間髪入れぬ反論、これぞ友情の証……と言い切るわけにもいかない。


 「近衛府の賞罰は中隊長の責任において行われます」


 軍府だもの、イーサン・デクスターの発言は正論である。

 なお中務宮さまが正論を重んずることも承知のうえ。


 「宮さまのお心を煩わすべきところではありません」


 イセン・チェンのその言葉も王国における正論だ。

 中務宮さまは――アスラーン殿下にせよ同じこと、高位の継承権を持つ有力王族は――近衛府に出仕した経験をお持ちでない。

 その中務宮さまのほか、配下にあたる左京大夫がきょうの議論の相手である。


 「左京職から警察機能を検非違使庁に移管しては、『暴力装置』の偏在が……」

 

 「そもそも暴力の分離牽制は兵部省と近衛府の並存で十分、首都における分散はむしろ非効率かと。また集中を言うならば、国土の拡大による事務の複雑化に伴って中務省の権限こそ肥大化が……」


 眉根を寄せてイセンの疑問に反論していたイーサン、含み笑いをこらえかねて言葉を切った。


 「民部省も言えた義理ではないけどね? それでも近年、純然たる財務税務、拡大しても民政に集中する試みが進んでいる。手始めに建築や港湾といったインフラ機能は分離移管を軌道に乗せた」


 移管したせいで兵部省内で宮さまとセシル家の政争を呼んでいるのだがそれはそれ。

 ともかく「縦割り不明の業務は民部省へ」を改めようとしたところが「なら中務省へ」の流れが強まっていたことは確かであった。ことに中務宮さまが閣僚筆頭を務めておいでであったゆえに。


 「猿芝居とは言わぬがイセン、議論は君たちの間でも尽くされてきたのだろう?」


 宮さまのおっしゃるとおり。

 討論相手を務めるイセンも遠慮を捨てていた。


 「議題である左京職について、その人事をチェン家でも見直してみたところ……」


 左右の京職、王国の官制上は「地方自治体」である。地方の各州また新都などと横並びの存在だ。

 しかしなにせその位置が中央政府・王宮の至近にある。権限の多くが中央政府とかぶっている。

 かぶってしまえば中央政府に奪われるのは「力関係」の当然として、しかしそれでは「人事の面から」地方自治体としての意味が無いと、チェン家は以前から声を上げていた。


 地方官とくに知州は担当地域のいわば「領主」、政治経済から軍事警察まで全責任と権限を持つことに「キャリア上の」意味がある。

 しかし権限が虫食い状に奪われた京職の職務は中央省庁と大差ない。経験を後に活かしにくい。

 結果、中央へのステップになるふつうの地方勤めと異なり、京職勤めは「上がり」「どんづまり」「タコツボ」の性格が強まっていた。


 「サシュア・イゼル・エシャンまた商都・新都・率府。これら大州に勝るとも劣らぬ職域を受け持ちながら、京職勤めはキャリアパスとして潜在的な価値を活かしきれておりません」


 有能、大物、新鋭のためのステップになって良いはずなのに……と、イセンがそこに目を向ける理由が別にあることもちろん中務宮さまにもわかっている。


 「機能不全は当然行政そのものにも及ぶ。王都それ自体がポテンシャルを活かしきれていない。だから右京の民政にかかる法案を持ってきたというわけか」

 

 中務宮さまは満足げに頷いておいでであったが、そう簡単には終われない。


 「お待ちください、警察機能の話と伺って参上した私としては分からぬことばかり」


 許可無く発言するわけにはいかぬ立場の左京大夫もここはさすがに必死だったけれど。

 同じく発言を許されぬティムルの視線を背に感じてはこちらも真剣にならざるを得ない。


 「そこでつながるのです、左京大夫どの」

  

 いまの京職は「キャリアのタコツボ」。とはいえ縦割りいじりで実態が変わるはずもない。

 必要なのは人事の流動性だ。


 「京職勤めの人々その一部がいちどは検非違使庁・近衛府に出仕する。人事交流です」


 近衛兵は多く中央政府の官吏を兼任する。

 職をぐるぐる回りながら京職にも出入りするようになれば……京職がキャリアパスの一部になる。


 「検非違使庁に移管したところで、しろうとに左京職が従来担ってきた業務をこなせるわけはありません。現職の諸君をスライド採用する予定です」


 それならば悪くないはず、いや「良いこと」のはずが無い、迷いを見せる左京大夫は四十代の半ば過ぎと言ったところか。やはりもう少し「重い」立場でも良いはず……勝負どころでそんなことを思うあたり俺はまだ政治に馴染みきれていない。明快に切って捨てる少弁どのとは年季が違った。


 「左京大夫どのが納得したところで、職務の実態に鑑み中央政府の省庁に寄せるべきか、地方自治体という形式を重んずるべきか。いずれにせよ……」


 納得しきれないかもしれない。だがいちおう「やらずぼったくり」ではないつもりだ。代わりに左京職勤めの価値が増す、多少なりと貴族としての格が上がる。近衛府に関わるとはそういうことだ。


 「そうなれば京職を中務省から弁官局の管轄に移すのが妥当。それが公達の総意と見てよろしいか?」

 

 盛り上がりきれない俺とは対照的に、少弁ミカエル・シャガールの頬は強張りその鬢は震えていた。

 いつもの演技とは違う。明らかに興奮している。


 いままで彼が触れてきた情報とは「(当事者でない限り)公達あるいは上流貴族と呼ばれる人々が根回しし、持ち上げて、『上』の了承を得て、弁官局で固められて、降りてきた」もの。それがついに根回し直後から関与できるところまで来たとあっては、さすがに感動を隠しきれなかったものか。

 

 今まで汗かいてきたつもりだった、いや実際に汗かいてきたけれど。

 それでも俺は恵まれていたと、ぼんやりするのを遮ったのはどこまでも平淡な声だった。


 「トワ系には反対する者おりません」


 そしていわば外様のメル・キュビ両家はこうしたことにあまり口出ししない。

 当然の慣例を省略してこちらに向き直るイーサンの冷えた目に助けられた……つもりはないけれど、自分でも驚くほど間延びした声が口を突いた。

 

 「インディーズでも議論を済ませ、全てを中弁ニコラス閣下にお任せしようと」


 ほぼ全ての貴族が賛成している状況だもの、「俺は聞いてない」とへそ曲げたところで得は無い。

 それでも気に食わない? 腹が立つ?

 弁官局やくしょに縄張りを――新都を上回る経済規模を持つ京職を――運び込む、これは官僚やくにんにおいて最高の功績だ。サプライズでプレゼントされて怒り出すなど醜態ぎゃくギレにもほどがある。

 手ずから箸を取ってご馳走を口に突っ込むような交渉をするとチェン公爵は呆れていたけれど。

   

 「今後はよろしくお願い申し上げます。西海にお帰りの後は、出仕される若君を通じて」

 

 余計な一言にニコラス閣下青筋立てておいでであったが、我ら四家は千年のつきあい。

 我慢していただかぬことには始まらない。 



 「ならば! カレワラ閣下、いえお三方のおかげで懸案がひとつ解決します宮さま」


 間違いなくアドリブだろう、何事もこの男にとっては機会なのだ。

 口にしながらミカエルはすでに身を乗り出し、しかし思い出したように首を傾けていた。

 ティムルに袖を引かれた左京大夫、屈辱に紅潮した頬を隠すべく俯きながら退出した。 

 


 





 「はあ、エシャン知州どのの」


 親子ほどの年の差を物ともせずに案内のエシャ子を口説く……かと思いきや気のない生返事。

 後で聞いたところ「家柄が近いですからね、口説いては生々しきに過ぎる。結婚のちらつく恋なんて冗談ではありません」

 官僚らしい――安易な一般化は慎むとする――上昇志向強きミカエルらしい人でなし発言が返って来たが、ともかくここは尚侍さまのお局である。


 「中隊長どのの仰せ、まこと至言」


 御簾の向こうにある尚侍さまもなかなか手厳しい。

 ミカエルのアイディアだと告げているのに。

 

 祖父君デュフォー侯爵への伝言、いや入れ知恵だ。

 尚侍さまから侯爵側近の侍女を通じて届くはず。


 「侯爵閣下におかれては、中務尚書の地位を求めるべきにあらず」


 かわりに弁蔵人(この場合左大弁と蔵人別当の兼任)を目指して根回しされては? という主張だった。


 「まさに陛下の最側近、イメージ通りのお立場から閣僚筆頭を名乗られてはいかがでしょう」

 

 中務宮は「一番大きな実務省庁のリーダー」なるスタンスで閣僚筆頭を務めてきた。

 だが内朝外朝双方の調整役もまた、国務総攬に相応しきお立場ではないかと。

 

 「中務省はあげられないけど、左右の京職もつけてあげるから弁官局のトップで我慢しなよ」と、まあそういう。

 管轄の「つけかえ」に「手打ち」……政局的な意味も持たせてしまえと。それがミカエルの発案だった。

 


 「そもそも典礼のデュフォー侯爵家いえ、もとが零細王族の祖父では中務省は仕切れません。下僚……実務官僚との信頼感コネが足りませんものね」


 これだもの。そりゃ尚侍を任せられるはずだ。


 「中務宮さまにおかれても『後押しいたします』との仰せでした」

 

 メンツが立てば、また政策の方針が大きく変わることがなければそれで良いとのこと……必死に食い下がるミカエルにこんどはそれでもいちおう相槌を打ちながら、しかし会話はバッサリ打ち切られた。


 「『中務省に手を突っ込まぬなら構わない』、ですか。寛大な仰せに感謝を。両家の関係改善はまた改めて、ナディアさまを通じて」


 後宮政治は男の政治と理路が異なる。

 尚侍さまがやれるとおっしゃるからにはお任せする他無いけれど……どうもミカエル、これまでのところ後宮受けがあまり良いように見えない。尚侍さまはどこまでも俺を相手の会話に終始されていた。


 「照会をいただいた二名、兄ニルスの郎党だそうです」


 まさかミカエルへのあてつけではあるまいが、あてつけだろうとなんだろうと。

 ここは感謝に平伏するほかないところ。


 ニルス・デュフォー相手なら「喧嘩ができる」。

 陛下の秘書たる近衛中隊長が陛下の盟友たるデュフォー侯爵と喧嘩するわけにいかなかったのだ。

 雅院派の最右翼たる総領の男爵閣下にしても同じこと。後継の地位が固まりきっていないデュフォー男爵、検非違使庁(あるいはカレワラ家)とどつきあいになれば強気に終始せざるを得ない。


 翻ってニルスはスレイマン殿下派、俺が追い落とした相手。

 勝ち負け以前の問題で、お互い強気に出たところで「それが自然」で済ませられるのが大きい。






 袖にされて(?)しょぼくれるもまたぞろ貴族のお内緒に触れるを得た喜びに奮い立った少弁どのの肩は大変につかまえ心地の良いものであった。 


 「聞いたからには付き合えよミカエル」


 そして訪れたる馴染みの近衛寮、その中隊長部屋にはすでに「関係各位」を呼び出してあった。

 

 「例の2人組、郎党入れて現在も8名で行動しているらしいが、三日後の夜に右京は三緯三経・運河そばを通りがかる」


 2人組とメッサの騒動は中務宮さまもご存じであった。

 いっぱしの貴族ならば耳目を抱えている。当家においては仮面のヴェネット。

 

 「始末のつけ方はメッサ、君が決めろ。当家からも人数を出す……」


 何人と言いかけたメッサを手で制する。ユルを促す。


 「はちいちがはち、はちにじゅうろく、はっさんにじゅうし。24人!……で、合ってますか?」


 相手が1人だろうが1万だろうが変わらない。

 後腐れなく完封したけりゃ掛付け3倍、数字に弱くともユルはその身に覚えている。

 今度こそダシではない堂々たるお手本、どうですメッサくん。


 「僕とピーターとタレm…タレーランとハーヴェイで4人、コニーさんで5人、検非違使をさらに3人出す? じゃあ8人。メッサと郎党ふたりで3人、あわせて11人。あと13人……ですよね」 


 ゆっくりと指折り数える赤い頬、斧持つ時とのギャップに萌えるそんなあなたは上級者。

 何もかもお膳立てされたメッサくん凶相を蒼白に変じ、頭数を揃える旨力強く断言。


 「方針を決めるのはメッサだが、現場の指揮は先任のハーヴェイが取れ。それぞれ逆らわないこと」


 水軍にはファンゾ衆を集めている。「海、それも外洋を知っている」ことはひとつ、エイヴォン衆への牽制になる。

 その点騎兵は難しい。何かあるたび戦場に派遣してはいるがアカイウスの壁はあまりに高い。だからと言って依存は厳禁、専制君主のつらいところだ。

 

 「方針とは、その……」


 「自由に決めろ」


 礼儀正しくも固まってしまった。

 こっちも困る……って、「よっしゃ祭だ!」ってノリに毒されすぎたかな俺も。


 「どうとでも後のフォローを利かす準備を終えたんですね?……メッサくんだったか、気楽に考えなよ」

  

 そういう声がけできる立場にないからなあ、俺とメッサと。

 タレーランの存在は時に心底ありがたい。 

 


 解散かけて「配下」の姿が消えるや、ミカエルめさっそく食いついてきた。


 「よくもあの掛け算でイラつかぬものです。指折り数えての足し算もこの、腕がかゆくなります。それとタレーラン君ですか、折衝の場で時折見かけましたが、行人(外交役)にあるまじき言動」


 「あれが当家の風儀だ。成り上がりだもの、せめて風通しぐらいは良くありたい」


 などとかっこつけてみたところで能吏ミカエル・シャガールにはお見通しなのである。


 「上と言い下と言い、人あしらいでは気苦労の多いことですねヒロさんも」


 自分のことを棚に上げてよく言うと思うが、確かに苦労しているとも思う。

 俺はただ国防に努めたいだけ、右京を開発したいだけなのに。

 だがその正論なり政策なりを押し通すには「同朋」中弁の機嫌を取らないことには始まらない。「上」の中務宮とデュフォー侯爵の仲を取り持たなくてはいけなくて、「下」が働くための環境を整える必要があって。


 「それでも、二十歳そこそこの若僧が国政に意見を反映できると思えば……」


 扉に近づいたところ、手間が省けた。


 「近衛中隊長、目指すべき価値がある。いやその席に着かずにはおれない。若手にそう思わせることも伝統なんですね」


 なぜここに令嬢が? と、鬢だけ若白髪が――いや、すでに白髪も自然な働き盛りが――目を丸くする。その明晰な頭脳が動き出す前こそチャンスである。


 「付き合えと言っただろ少弁どの。次はメル案件だ」

 

 実を言うとメル家相手は王国官僚団にとって「おいしくない」仕事である。国内問題とは異なり手柄の「点数」がいかにも見えにくいから。

 それでもさんざんいっちょ噛みさせてやったんだ、今度は俺のために……もとい、淑女のためにひと骨折るのが王国貴族のたしなみというものである。

 





左京大夫:左京職のトップ。いわば都知事あるいは南町奉行だが、王国ではそこまで偉くない

サシュア・イゼル・エシャン:それぞれモデルは近江・伊勢・越前

尚侍:後宮は奥の事務総長にして、国王の側室。デュフォー侯爵の孫娘

デュフォー侯爵:国王の「股肱の臣」、零細王族からその美貌を見込まれて侯爵家に婿入りした

デュフォー男爵:侯爵の次男、尚侍の叔父。兄の死により侯爵家総領となる

ニルス:侯爵の孫、尚侍の兄。現状、侯爵家後継から外されている。要領の良い男

タレーラン:カレワラ家外交役、たれ目。

ハーヴェイ:家名パーシヴァル、カレワラ家に古くから仕えていた騎兵の家柄。

コニー:家名はバッハ。ティムルの側近のひとりで近衛府一の刀術使い


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