第三百七十四話 判官筆 その4
「恐れるばかりではないヒロさんの考えを聞かせてください。わざわざデートにお誘いいただいたのですから」
半ばは言葉通り、気づまりな雅院から風光明媚な離宮へと連れ出したことに。
半ばは不満の表明、気詰まりな方を相手に回して援護射撃をさせられたことに。
「デートに引き続きこうして子爵閣下をお招きできること喜びにたえません」
こちらを見やるフィリアの目は冷たいものではなかった。
昔ならば即殴られたところ、いや昔であればこんなことを口にするはずもなく。
「あたしの局に、だけどね。バカ言ってないで始めてよ。どんな面倒持ち込むつもり?」
ここは後宮、四席典侍の事務棟である。
さすがレイナ嬢はよく分かっておいでであったが、きょうの俺は恐れ知らずなのである。
「王国画壇、ほか芸術周りから例の『金の鳥』まで、王族女性年金をレイナとイオさまに仕切ってもらう」
「デートに誘っておいて目の前で他の女性にプレゼントですか!」
「ずぼらな私と『お姫様』のイオさまに……ナントカに真珠とでも言いたいわけフィリア?」
話が始まりゃしない。いや紳士が、俺が話をしなきゃ始まらないのである。
……こちらを待ってくれるようになった。俺も「話」をできるようになった。
「だから実務は絵画なりサロンなりをご存じのナシメント親娘とドミナさんに回してもらう」
「正直、荷が重い。利が大きすぎる。他のお局から強烈な反発を買う……あー、『お守りいただかないことには、とても恐ろしくて』……」
「ドミナ姉と私を引っ張り出している以上、雅院を風除けに立てるつもりでしょうけど……えー、『雅院の格別なるおはからいとは日ごろ勤めている私も存じませんでした』」
「王室女性のお世話については王太后陛下に一時の労を取っていただき、クレメンティアさまへとつなぐって筋書き……いえそのー『もともとそれがコンスタンティアさまのご遺志でありました』」
死人に口は無いけれど。
あの方ならばきっと喜んでくれる、フィリアそっくりの悪戯な微笑を浮かべて。
「うるわしきご遺志を実現するため雅院の仰せに従い王室の皆さまにご奉仕する、身に余る栄誉ですこと!」
「ですよねレイナさん……女は見栄では動きませんヒロさん。男が言う女の見栄とは私たちに言わせれば実利です、それで殴り合うための」
「そ。『実利』をまるごといただくことになればあたしとイオさまへの反発は抑えられない」
「だから言ってるだろ? 『恐れるばかりでは進めない』、今度ばかりは俺が面倒見るから尻はこっちへ持って来い」
「まあはしたない!……冗談抜き物理的に持ち込まれるわよ後宮では」
どっちが下品だか、でも大丈夫。
「カネをひっぱれるやつはつよい」のだから。
宗教界も世俗も貴族も庶民も異世界もチキウも古代も現代も関係ない、これは政治の真理である。
画壇利権を「ご隠居」からむしって「現役」にばら撒く、歓迎されないわけがない。配分を決めるのはむしってきた者の役得だ。
後宮・奥とは女の社会。男の俺にはどうしても理解が及ばないけれど……思えば俺の側から理解するだけが能ではない。
媚びるよりは媚びられるほうが気分も良い、身綺麗でいたければ手を出さなければ良いだけのこと。
「『順序が違う』と跳ね除けることもかなわぬとは。『男子三日会わざれば』とはよく言ったものですね」
ころころと喉の奥で笑いつつ尚侍さまは不快を告げていた。
レイナの後に回されたことに。
「なるほど内匠頭の職掌は儀礼。利権の集まる役職ではありませんでした。まして無能と認定され窓際に追いやられていた状態では『ヘルプ』の名目で権限が削られていたでしょうし」
リターンの小さいところに労力を割く気にはなれなかった。
他家を巻き込み手柄を配るまでも無くカレワラ家中で処理すれば十分。
「ひるがえって後宮権少輔、それも納入担当。ただ断ち切るにはあまりに太いツル……そういうことですの、フィリアさま?」
強気で出たら反発されたでござるの巻。
目の前で「フィリアさんかメル家の入れ知恵ですか?」と来たものだ。
「大きな仕事さえ達成すればメンツは勝手に立つ、理解はできます。しかし自分が殺されかけたことを小さなメンツと切り捨てる感覚は当家の流儀とはやや異なるようです」
「メル家令嬢にして刮目されるとは。これはどうやら祖父が余計なことをしたようですね、中隊長どの。いえ私に落ち度がありましたか」
デュフォー侯爵が陛下のお言葉を「枉げた(?)」せいで中務宮さまとめんどくさいことになった。選択肢が狭まった。尚侍さまに画壇利権を配らないのはその報復……いや、歌姫がらみでメンツをつぶされた憂さ晴らしであるとお考えらしい。
そういう気持ちが皆無とは申しませんが、それこそ今は大きなメンツが立ちますので。
「尚侍さまにはあらためて『納入』事務の総攬を願いあげるべく」
「汚れ仕事ですわね……それこそずぼらなレイナさまや何も知らないイオさまにはできないお仕事。細かいところ、適正化や明朗化の具体的な筋道はクレシダさまに委ねよとおっしゃるのですね?」
汚れ仕事は金になる。
そして実務はトワ本流に委ねるに限る。筆頭典侍はトワ四家のサラブレッドだ。
「なお後宮権少輔には、いま開発銀行の業務に携わっているデュフォー男爵家郎党ギメ氏を……」
言い終える前から遮られるあたり、言葉の運びを間違ったかこれは。
「例の件(男爵嫡男暗殺事件)に関わりのあったあれを中央政府の役につけては家中が納得しません。だいたい中隊長どのおん自ら『首級を取って』おきながら自分だけ身綺麗でいようとおっしゃるの? 仕事のできる公達を放っておく女官などありませぬものを」
逃がす気は無い、か。
いつだか刑部権大輔も言っていた。「金を受け取らないのであれば信用しない」、組むと言うのはそういうこと……だから空いた後宮権少輔には腹心を据えよ、我らと利害を共にせよ、ね。
「とは申せ、中隊長どのはいまだ郎党の層薄く……政府の軍職から離すとカレワラ家の軍制にまで支障が出てしまうのでは?」
フィリアさんもおっしゃるとおり、捩じ込めるタマがないのだ。
アカイウスは清濁併せ呑めるタイプではないし、ちうへいはそれ以上に人が良い。カイ・オーウェンは磐森の重石、剥がすわけにいかない。そこから下はいまだ役に対して格が足りない。
「それであれに過分のお申し出ですか。感謝申し上げますが、寄騎であればお持ちでしょう? フィリップ・ヴァロワの派遣を願います。除目には祖父の名で」
家格、年期、政局向きの能力、もろもろ適任だ。
デュフォー家としてもメル家、征北将軍、雅院との関係を考えるならば。
ギメ氏を引き抜くつもりはなかったが、なるほど過分の肩入れにも見える。
気をつけないとフィリップも召し上げられる、か。
「王妃殿下を納得させる手はおありですの? あちらは王后陛下の『下賜』を受けるわけにもいかないお立場ですし」
その王后陛下には何を渡す必要も無い。雅院の看板を掲げたヒロが手柄を挙げた、それで十分。「こちらで仕切る、ありがたく『下賜』を押し戴くべし」。
次席典侍さまに触れることもなかった。
あちらで後見されている姫君、何人になることか。アシャー家の吸い上げが消え事務手続きが明朗化されればそのまま配分増につながる。文句のあるはずもない。
雅院主導で王室末裔の保護を打ち出したのは二年前のこと。
首尾一貫、王室周りに利益を誘導しその支持を取り付ける。
で、一番大きなパイは三席と四席に。
これでレイナも多少は発言権が増すだろうと思ったが、じっさい尚侍さまと交渉してみればなるほどまだまだ小娘であった。いや、俺も歯が立たないけど……ともあれ。
「王妃殿下のお局にはこれより挨拶に伺います」
多少の手土産はありますので。
「まこと刮目して見るべし、ですわね尚侍さま」
こういうとこ、フィリアもやられっぱなしじゃないからなあ。
これは双方イライラのバチバチですわ。




