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第三百七十四話 判官筆 その2



 「ブツが明確になればいくらでも手繰れるんですよ」


 口にしたティムルから差し出されたのは書き付け三枚。

 正式な調書に仕立てられていない、その事実がすでに面倒を予感させる。


 直接の下手人は後宮職の使部(いわゆる属吏)であった。

 「上の指示に従ったまでだ、近衛ごときが首を突っ込んで良い話では無い。後で痛い目を見るのはお前たちだぞ」と、まあテンプレ通りの捨て台詞。


 「上を守る頑固者も憎らしいが、権柄づくってのはよほど腹立つもんですねえ」

 

 これ見よがしに判官筆を掌中にもてあそびつつ言うセリフかと。

 権柄づく、李老師の渋っ面を思い返すに我らも相当気にかけておくべき話だ。

 が、いまは関係ない。

 

 「やれ。流儀は任せる」


 これが「中隊長ごとき」だったなら、俺のところで濁しもしたが。

 判官筆、本来的には殺傷力の低い護身具でもあることだ。

 

 勇躍した猟犬に掘り返され芋づる式に引っ張られた種芋は「いわゆる納入」を担当する後宮権少輔(ごんのしょう)であった。

 どっしりした腹、分厚い胸板。上に乗った顎にまでたっぷり貫禄がついた五十男。少輔とは課長級、年齢に鑑みれば……これいわゆる「ノンキャリ室長」というヤツで。その道30年40年、広い視野こそ欠けてはいても担当業務に関する限り裏も表も知り尽くしたスペシャリストである。

 それこそ10年後のティムル・ベンサムにして、つまりある意味では権勢を誇るお歴々以上に性質が悪い。ましてやその担当が後宮とあっては。

 取調べにもイセン・チェンが同席を強く求める――求めるようにと、後宮に聳える七つの峰から言い含められている――始末。


 「お腹立ちとは存じますが、口を割るわけに参らぬこともご理解いただきたく」


 口を割ったらこの男の命は無い。一族あげて消されてしまう。

 俺が「握る」ことのできた内匠頭の件とはそこが違う。

 

 「女は容赦無いですからね」


 取調べ、あるいは顔合わせを終えてティムルがひとつ苦笑い。

  

 「しかしなるほど腹立つわ。憎まれ口をそれも言外に」


 若僧に何が分かると言わんばかり。「これで多少は分かっているとでも言いますか? 言っちゃいますか? 知ったかに過ぎねぇんだよ」とこちらを睨む上目遣いが告げていた……のは、意地とプライドの現れとしても。


 『祭祀の牛』を描いてくれたクロードを殺した男、近衛府の敵であるからには憎らしいのは当然で。

 加えてエシャンの歌姫を「納入」したのも彼らだと思えば――私怨はさておくとしても――「裏も表も」の「裏」については推して知るべきものがある。王都の治安を司るにおいて先駆けに立ち陛下の御世を耀かすにおいて扶翼の一端を担う近衛府の長としてはひと太刀叩き込まずにいられない。 

 

 「本人の証言無しでも『行ける』んだろ?」


 ここのところ中隊長どのの発言は景気が良い(検非違使庁調べ)。

 まこと敬愛すべき上官にティムル・ベンサム氏も愛想笑いを惜しまない。


 「それじゃあいつらと変わらない。いけませんよヒロさん、下に責任押し付けちゃ」


 お追従のひとことすらありゃしねえ。覚えてろよ?

 

 「言質は預けるぞイセン……やれ。一族もろとも拘束、弾正台に持ち上げろ」


 その名目で保護した一族は極東にでも――いや、メル家も後宮と紛争を抱えたくは無いか、クレメンティアさまの立場もあるし――「牧場問題」の折衝を控えて高い借りになるのは避けたいところでもある……


 「待ってもらえないかなヒロ君……控えろティムル、やるなとは言ってない……『カレワラ閣下ならまずは落とし所を探してくれるはず』、そんな後宮の言わで語らぬ圧力に押し出された僕の身にもなってくれ」


 泣き言ってのは片肘ついて言うもんだったか?


 「わざわざのご足労には感謝する。だがイセン、君も近衛小隊長ならば」


 「将監に手をかけた……近衛に泥はねたからには落とし所を打診すべきは後宮の側、理屈ではある。だがいつにない強気、あちらは混乱するだろうなあ。どう説明すれば良いやら」


 それは混乱するだろう。自分が殺されかけた……近衛の顔に泥はねられても周りのメンツに気遣った男が、「たかが」将監の死には妥協しないなど理不尽極まる。

 理不尽な要求、世にこれを挑発とかイチャモンって言うんですけどね? つまりは無理筋なんですけども。


 目の前にある平板な顔にいっさいの変化が現れないことを確認したイセン、笑みを浮かべて立ち去った。材料が足りないなら素直にそう言いたまえとすれ違いざま肩パンしつつ。

 



 その日以来、近衛府には艶なる客人が引きも切らず。

 かわいらしいとは申しません、形容詞って便利よね。

 それと言うのもお客人は掌侍の皆さまであったから。後宮の実務統括ゆえその多くは、えーその何だベテランであるからして、ともかく総勢8人が代わる代わる。

 

 なおベテランとは言ったものの、何事にも例外は存在する。

 中に新進気鋭を組み入れること、組織論としては健全なんだろうと思いますが。


 「後宮司所属官吏の逮捕は不当です。抗議いたします。釈放を求めます」


 なにゆえにどう不当なのかについてはいっさい説明がない。

 美貌と度胸と腕力を以て鳴る三席掌侍ナディア嬢にそうした役割は求められていない、近衛府としても重々承知のところだが。

 風船爆弾を観測気球に使うのはご遠慮願えないものかと。

  

 「善処いたします。改めて近衛府で審議のうえ後宮へ持ち上げます(・・・・・・)ので(本来ならその言葉に眉吊り上げるべき小隊長連中もこの日ばかりは笑顔を浮かべていた)、今日はこのあたりに。そんなことより近衛府が誇る武術師範を紹介しましょう……エドワード卿! プリンセス・ナディアを鍛錬場にご案内せよ」


 上機嫌で部屋を後にされる三席掌侍さまの背中を垣間見つつ、若き近衛兵たちもため息をついていた。

 

 「婚約者、いる……わけがないよな」

 「でも中務宮さまがその何だ、そういうことになったら、俺たちでも四位だぜ」

 「厚かましいにも程がある。でも妄想ははかどるよなぁ。美人には違いないし」


 そして連日の訪問も8人め、ようやく大本命が現れた。


 「BBAじゃねえか」

 「お前とは趣味が合わない、よくわかった」

 

 女性のお客人ということであえて開け放ってある扉の向こうから漏れ聞こえくるひそひそ声――ひそやかでなくてもいいじゃない、軍人だもの――に、次席掌侍さまの頬は上下を繰り返していた。


 「えっ、僕の母と同い年なんですか!」


 そのひと言にはさすがに打ちひしがれたように見えたところで(いちおう申し上げておけば王国の結婚は早く、若者が働きだすのもかなり早い)。


 「『とてもそうは見えません』って言っとけ、いいから!」


 姿無きお節介に闘志を再点火させた次席掌侍さま、挨拶も怱々にまくし立てる。


 「王妃殿下は言わずもがな、私どもはこの件にいっさい関わりございませんけれど……クロード将監と近衛府の皆さまにお悔やみを申し上げます。あわせて後宮が経営を承る一員としての責任につき、まずはお詫びを申し上げます」


 これよこれ。話をずんずん切り分けて問題になりそうなところにさっさと踏み込んでくる。ひとつ認めたら次も認めさせられるんじゃないか……なんて余計なことに頭を回さない。それも互いの力関係から有責の割合まで、その目分量が正確だからこそ。


 「お心当たりなど、ぜひに伺いたいものです」


 こちらも腹の探りあいをする必要は無い。

 「後宮われらにも(多少は)責任がある」とまずは申し出てくれているのだから。


 「『後宮のうちには思い当たるところ無し』と申し上げます。くだんの権少輔、その担当が納入とあっては全てのお局と接触がありますし……当局ですと、折衝に当たっていたのは私に直属する女官です。いずれのお局でもほぼ同じ、さきざき権掌侍に上るであろう女官が当たっておりました」


 心当たりの無いことが心当たりだと? 詭弁じゃねえか……ガヤるティムルからうるさそうに顔を背けていた。

 

 「掌侍わたくしどもは近衛小隊長の皆さまとほぼ同格のはずですわね」


 格下の検非違使大尉を無視することも許される、だいたいなぜ同席しているのか……と、それこそ権柄づくな話をわざわざするような方ではない。

 と、あれば。


 「殺された将監は小隊長のひとつ格下、まさに権少輔と同格。だからその首で留めておけとおっしゃる?」


 息を継いだところで、白い指が目に入った。

 かたちの良い唇にそっと押し当てられたそれがすっと視界から消えていく。


 「それでは引き下がれませんわよね、栄光と伝統の近衛中隊長閣下が陣頭指揮を取っておいでの案件」

 

 紅い唇、そのひらめきに思わず意識を奪われて。


 「七英はいずかたの引きを受けて権少輔の地位に?」


 食い気味になってしまったのは悔しいところだった。


 「誤解(・・)があるようですが、私はほかの掌侍さまに比べればこれで後宮入りして日が浅い(・・・・)ものですから……」


 外のひそひそ声を根に持っていらっしゃる。いや、笑顔を浮かべている。

 中身の無い会話、だからこそ交わす価値がある。 


 「……一向に存じませぬけれど、そもそもクロード将監とはどのようなお方なのです? いかなるお仕事を?」


 知らぬわけが無い、調べてこないわけが無い。

 つまりはそれがヒントですか。


 「絵画全般に関わっておりましたが、この件に関しては王室周りと調べがついております……まさか四席典侍さまであると、『次席掌侍さまがそうおっしゃる』のですか?」


 思ってもない、意味も無い言葉。挟まないではいられない。

 細められた次席掌侍の目は輝いていた。たぶん俺も同じ顔をしている。


 「『後宮のうちには思い当たり無し』、そう申し上げたではありませんか。どうかいいかげんになさいませ。『おふざけが許される相手ではありませんわよ』」


 言い放って傍らのイセンに流し目をくれていた。

 確かに彼の立場ではひとつの決断になる、けれどそんなことはどうでも良い。

 この方とのやり取りは楽しい、それで十分だ。

 




後宮職:後宮行政を司る(男性の)組織。イセンは現在その次官(権大輔)

掌侍ないしのじょう尚侍ないしのかみ典侍ないしのすけに次ぐ女官

次席掌侍:王妃(国王第二夫人)の懐刀

三席掌侍:中務宮の娘。後宮警備を担当している


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― 新着の感想 ―
[一言] 自分の顔に泥を塗られても四方八方に気遣い、そしてようやく気遣われ始めたメルの飼い犬が、格下の仲間の殺害には猛犬となって噛みつく。 後宮にありては、重役と旧友以外は殆ど平のオバサンばかりを相…
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