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第三百七十三話 例大祭 その9



 「裏番組」などと呼ばれる「勧学の奠」だが、実はこちらこそが国家行事でありまして。

 ただ問題はなんと言っても地味なこと。歌も無ければ踊りも無い、もちろん女っ気も皆無……ならばせめて華の公達が集まるかと言えばそれもない、地道な学徒の祭典である。


 「『学会発表』が一世一代の場だってことは分かるけど」


 以前も述べたが王国の翰林学士(文章博士)には三つのタイプがある。

 少納言まどぎわコースを免れた若き公達については取り巻きの碩学なり新鋭なりに原稿書かせりゃ済む話、なんなら司会に回るテもある。

 蔵人を目指す三十代の精鋭中流貴族はこんなところでも要領が良い。「実務と学問、現実と理想のせめぎあい」で一席ぶち上げている。これは高等文官試験の頻出テーマ、彼らがかつて通った道にして出席者(若手官吏)にとっては最大の関心事、ゆえに会場は札止め満員御礼……だからこっちを見てないで発表に集中してください。「国家行事・勧学の奠を盛り上げた」実績はきっちり記録しとくから!

 そしてついに老碩学による「一世一代」の発表とあれば、その謦咳にいやスキマ時間を埋めに来た物好きから儀典を重んずる高官にいたるまで多く……も無い観衆が詰めかけた会場は微妙な空気に包まれた。

 翰林学士にせよ文章博士にせよ名前からして文学畑だがそこは王国前近代、学問は未分化であるからして「何でも屋」も数多い……ことは確かだが、今期のセンセイと来たら訥々といや嬉々としてゴミムシの話を広げ始めたものだから。


 「橋作りの大家が何をすることか。山林水利、ほか有用な学問にも造詣が深いというのに。かつてエシャン知州代まで務めた五位の官僚それも殿上人の自覚があるのか?」


 そちらに関心の強いエミール、階段教室(?)の上段で憤懣しきり。

 気は荒いがこれで国政には人一倍マジメなところがある。


 「学者が空気読むようになったらこの世の終わり、オサム伯父ならそう言うところだ」


 そのオサムさんは壇上に居並んでいる。休憩のため中座しては戻ってくる姿までが妙にしっくりはまるあたりが立花家千年の伝統だろうか。

 やわらかなその姿を見るにつけ、どこまでも地味で物静かな行事だが、これはこれで悪くないと思う。ゴミムシの系統図よりはカレワラの家系図のほうが長い、それぐらいしか分からなくても悪くない。


 「気になることは何でも調べて片っ端から発表する、むしろ研究者の鑑かもな……」


 穏やかな心でうまいことまとめようとしたところを後ろから襟首掴まれた。

 何か気に障るところでもあったかしらと考える前から引き寄せにかかるその腕力には毎度のことながら馴染めそうにない。


 「ヒロ君。学者ってのはね、一生かけて一本の論文を書けば良いんだ。命を捧げたその論文を世に問うことで真理の高峰に爪跡を刻む、それがボクたちの存在意義だよ」


 厳しくも熱い言葉である……はずが、何か違うような。

 その違和感を究明するのが相棒のお仕事である。

 

 「大狸羽田先生アンジェラが言うとサボりの口実にしか聞こえないけどね――最近は2~3年に一本は論文書かないといろいろ厳しいから。だけどこの時代なら――ここではそれが学問の王道なんでしょう」


 ひとつ頷いて視線を上げれば突き刺さる周囲の視線。

 なるほど学会に毛羽毛現ハルクを連れてくるものではない……が、そもそも引率のインテグラ嬢自体が場違いなのだ。勧学の奠とは本来、酸っぱい臭いを漂わせながら明日を夢見る若き苦学生(それなり給料出ているけれど誰しもいろいろつらいのだ)の祭典である。

 そこに若い女性の一団が立ち入っては目の毒というものだが。


 「ハルクさんにアンジェラさんでしたか? まことさように存じます」


 やはり引率されてきた女官がひとり、険しい顔で同意した。

 所属は雅院、王長子妃クレメンティア殿下付き女官……であったか。


 「万葉かずは侍従どの、でしたか」

 

 実力者にあだ名が進呈されるのは男女を問わぬ官界のならい。

 読んで字のごとく文芸方面の教養を買われて招聘された女性であった。


 「学究において多芸多才は自慢になるものではありません。まして名誉の地位を仰せつかりながら式典の趣旨もわきまえず……着こなしにせよ野暮はともかくサイズも合わせぬだらしなさ、いったいどうしたことですの?」


 いっさいの遠慮を入れぬ辛辣な評価、理不尽を自覚しながら言い募らずにいられない……これぞまさしく身内ならでは。万葉侍従は学士の実の娘であった。

 

 「わきまえるべきはどちらか。仮にも翰林学士、国家を代表する碩学にして陛下のご信認も厚き侍読おそばづかえだぞ?」

 

 式部少輔エミールは女性の……どう言えば良いか、「差し出口」や「しゃしゃり」に対してはひどく厳しい態度を見せる。

 外朝・式部省が主催の国家行事だ、王族個人に仕える女官に口出しされるいわれは無いと。

 行政文書について翰林学士が担う重責に対する、いわば仲間意識に似た思いもあるだろうか。


 「事を荒立てることもあるまいエミール君、その学士どのが発表中だ……それにしても筋金入った酷評ぶり、学士どのが提出すべき詩文は侍従どのの代筆によるという噂が立つのもむべなるかな」


 学者として多芸多才、要地エシャンの知州代を任される敏腕官人でありながら、今期の学士どのはかんじんの詩文がてんでダメなのである。

 昨季以来学士の地位にあるクリスチアンに堂々と添削を乞うたび――本来、公達が教えを乞うものなのだ――蔵人所はあいまいな微笑に包まれるのであった。周囲みな反応に困っている証。

  

 「それどころか留守の間に嫁ぎ先までやって来て私家集を盗み出したと申し上げれば?」


 同じ反応に困るでも、これは笑えないヤツである。

 日ごろ対応に隙のないシメイ・ド・オラニエ氏もさすがに顔色を失っていた。


 「もちろん冗談です。陛下の信任厚く閣僚の選を経た国家の要職。さような醜行のあるはずも……式部少輔さま、皆さま方へ非礼をお詫び申し上げます」

 

 言い捨てて退出する万葉侍従どのの背ははっきりと震えていた。

 ゴミムシのおもしろ習性に会場が沸いたのもあまりに間が悪くて。


 「質さねばならぬところだね」


 たまらずシメイが送った声にようやく侍従どのの歩調が落ち着きを取り戻す。


 「国家を欺いたことか?」


 姿が十分に小さくなってから小声で聞く、卑怯であったろうか。

 俺はカレワラの血を引いていない。

 

 「その伝で言うなら、むしろ己を欺いたことだろうね」


 考えさせる間も与えず、そのままシメイは演説をぶち上げた。

 疑問に答えるためではなかった、のだろう。


 「引用のルールをわきまえず学者が論文を盗用する、詩人がよそ人の作を剽窃する、犯罪にあたらずともこれは罪だよ。公金横領は技官よりも財務官において罪深い。桜守が山に火をつけ武芸者が良民に暴威を振るう、また同じ。犯罪の重大性ではない。掃除かにもり侍従ならば立小便やポイ捨てこそが大罪にあたるという話さ……己の拠って立つ道を自ら瀆す行いなるがゆえに」


 言半ばにしてエミールはしかめ面。

 「建築の」バルベルク侯爵家総領君は実務から遊離した話を好まない。


 「学会にふさわしき独自のご高説にしたがい瀆職……いや自瀆……もまずいな。ともかく不適切な事実が明らかになったとして、糾弾するのか?」


 閣僚どころか陛下の決定した人事にケチをつける行いである。

 大きな権限を持つオサム伯父君の責任は特に重い。 


 へたれ腰砕けのオラニエ氏途端に元気を無くしたけれど、雅院所属の女官衆が見ているとあっては引き下がれない。発表後ただちに学士どのを呼び出し真偽について問い質していた。



 「己を偽るなとの仰せ、しからば申し上げます。私がこれまで国家に捧げた成果は全てゴミムシ研究の副産物です」


 山に住むゴミムシの生態を調べたくて、その生存環境を守りたくて山林水利を志した。

 尾根筋を渡る移動の便のため架橋に頭を巡らせた。

 エシャンには新種を探すべく赴いた。私財を溜め込むヒマがあったら山に入り浸った。

 多芸多才な学士どの、職場職場で十分な実績を収めているのであった。


 「なるほど己に正直な行動。君の言う『罪』にはあたらないようだシメイ、告発せずに済んで良かったな」


 バカバカしいと言わんばかり、エミールは鼻で笑っていた。

 

 「娘の私家集を盗み出したことも事実です。私はどうしても翰林学士になりたかった。300年前に著された専門書、原本は蔵人所にしか存在しないのです。アクセスするためには……」

 

 これもまた、マジメ系クズ……か?


 「父上なら分かるはず。あの文集は寝食削って書き記した、私の人生そのものです」


 「分かるとも。だが知ったことではない。ゴミムシ研究は私の人生において何より優先される」


 学者に人格を求めてはいけない(戒め)


 「それとパクるならせめて丸パクりして! 適当に切り貼りしたせいで句のバランスがめちゃくちゃ! あれを私の代筆だなんて思われたくない!」


 パクられるだけでもつらいだろうに、これはあまりにも悲痛な妥協案で。


 「女に何が分かる! 男に生まれたからには、翰林学士を目指せるからには、『ゴミムシ図録』を手に取らぬなど……」


 ますますいろいろまずいことになっている。

 陛下の侍読を任せて良いものか、これは少々……。


 「学士どのの言い分、わかるなー」

 「でもあんまりじゃない? お歌をパクられ、改悪されて、それを自分の作品と噂されるなんて……想像するだけでも死にたくなる」

 「どうでも良かろう。それより学士どの、さきほど発表にあったエシャンマダラゴミムシについて質問が」


 学者が三人も集まれば収拾などつくはずもなく。

 また一方で世上(あくまでも世上)、女三人集まれば……などとも聞くわけで。

 

 「女だからと侮られて良いわけがありません、万葉侍従どの。武装侍女を3人お貸しします……得物は『かけや』でよろしいかしら?」


 「ミッテランさま、なぜ……!?」


 なぜ勧学の奠に出張っているかと、そんな俺の疑問はお呼びでない。

 うるんだそのまなざし、これはどうやら「イイハナシ」である。


 「学問は分かりませんが、涙にくれる女なら嫌になるほど見てきましたもの。場所はご存じ?」


 (それをヒロとインテグラの前で言うところよね)

 (あざといおばちゃんだなー)


 それでも一抹いやそれ以上の真実が含まれていることは知らぬでもない。


 (流されるなって言ってんだよ、分かっとけ?)


 「実家の奥の院、父が絶対に他人を入れぬ部屋があります。ゴミムシの標本はそこにあるはず」


 半狂乱の学士どのだが宝物の防衛に赴くことは許されない。

 国家行事・勧学の奠はまだ続くのであるからして。

 

 はい全員ちゅうもーく。


 「学士どのは万葉侍従どのに公開謝罪。その際なにをどうパクッたか詳述すること。それと賠償……代わりに私家集の出版ではいかが?」


 「習作も多いのです! そのままという訳には」

 「折を見て(・・・・)雅院から出すべきことご存じないはずがありませんわよね、中隊長どの?」


 めんどくせえなあどこまでも。

 だが「こういう形」の範囲に収められるなら……。


 「後宮に通われているとか」

 「磐森にも山はあると伺っています。ゴミムシの生態調査に協力を……」

 

 うん、知ってた。知ってはいるんだ。

 関わりを持ってしまったら終わりだってことは。

 


知州代:遙任の貴族に代わり現地に赴く知州代行。平安朝で言う受領

アンジェラ:ヒロを転生に巻き込んだ人物。本名、大狸羽田安吾

ハルク:別口で転生して来た大狸羽田研究室の助教。本名、田島春香

インテグラ:フィリアの姉。六姉妹の四女

ミッテラン夫人:アレックスに誅殺された「ミッテラン氏」の妹

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