第三百七十三話 例大祭 その6
雅院主催のイベントとあればヒトモノカネが集まるのは道理というもの……自然にそう思うあたり俺もだいぶ「アカンことになっている」けれど歩みを止めてもいられない。
ともあれ東西の「堂」――王都は南端にそびえる羅城門を挟んで東西に鎮座する二大宗教の拠点――には見知った姿もちらほらと、貧しき民の治療所であるはずが妙に華やいで見えるのは医事療養を担うのが主として女性なるがゆえ。
その中にあってもひとりが異彩を……いや妙に目立っているのは「顔役」の経歴によるものでもあろうか。
「そうか、チェン家の派遣スタッフとして」
「いえ、自主参加です。チェン家は出ました」
ひそひそ声が広がってゆく、それこそさざなみのごとく。
侍女が貴族に捨てられる、日常茶飯事だろ?……と、王国の風俗はそこまで薄情なものでもない。何より療養所は女性の職場とあれば同情や共感(あるいはざまぁの裏返し)の言葉ぐらいは飛び交って然るべきところではあるが……元侍女どのは動揺していた、反応のありようが予想を外れていたせいで。
「イセンのやつ!」
ざわめきの理由はひとえに俺。近衛中隊長閣下が不満をあらわにすればこそ。
親しくもない人々は「磐森三千のあるじ」の怒りに怯え、親しきは「直心」の発露――苦労人にまま見受けられる自制心のゆえか単に顔が薄いせいか、カレワラ氏の感情はどうも表に出てこないものだから――に首を傾げ、郎党衆は「ウチのボスもようやく人から顔色窺われるようになった」と言わんばかりに喜色満面。
「イセンさまには私など相応しくない……なんて白々しくもいじらしく申し上げるつもりでおりましたものを」
しかし動揺しても話題の中心になり損ねてもそこは元扇動家いや侍女あがり、人あしらいのプロらしくたちまち笑顔を作ってみせた。
「こんなところにいられるかと思ったのも事実ですけれど。どれだけお行儀良くしても粗が出るし、同僚の侍女たちはひそひそうるさいし……嫌がらせにやり返すたび彼が責められる、やりきれなくて」
「で、『暇を出す』……君を見かねたにせよ、つまりはイセンの判断だろう?」
ヴェロニカを家から追い出した民部の男と同じ、殺さぬだけマシというに過ぎない……いや、あの男は年若に過ぎて何もできなかったのだ。大のおとなが決断したぶんイセンのほうが冷酷まである。
「お邸をいただきました。右京は八緯二経に」
住所を聞けば「クラス」が分かる、それぐらいには王都も長い。
しごく適切な選択――やや色をつけたか――と言わざるを得ない。
「ケジメをつけられたというわけですの?」
チェン公爵家の御曹司だもの、それぐらいの手切れ金を出さなければ通らない。
貴族仲間におけるメンツの問題、ただそれだけの理由だが。
「ええ、仕事の手配まで。右京の民情調査を依頼すると」
で、折に触れ報告書を取りに寄る……何がケジメじゃ切れてねえ! いい年(王国比)こいて童貞だったくせに一段飛ばしで妾宅とは調子に乗りおる。
それにしても彼女に監視をつけていたヘクマチアルが右京から引き剥がされるや屋敷を持たせるあたり機を見るに敏、さすが政治家ですねえイセン君! 治安担当へのご挨拶お待ちしております!
「素敵なお話ですね。侍女衆にも迎えるべき奥方様にも、そしてあなたにも」
これぞ三方良し、王国貴族の男女観は21世紀日本とはだいぶ異なるけれど。
虚心で眺めるかぎり「素敵なお話」でないとは言えない、ようにも思う。
身分が隔絶したふたり、結ばれるには障害はあまりに大きく。
それでもイセンは恋をした、貫こうとしている。自分なりのかたちで。
「私も従兄弟(コンラート)がイセンさんと親しいものですから、『嫁に行くか』なんて話も出ていて」
顔色を変えるあたり元侍女どの、やっぱり宮仕えには向いてない。
「でもあの人は机の前にあってこそ、でしょう? 私は地面が無いと生きていけませんから。今にして思えばもったいなかったかしら……なんて言うのもはしたない話」
理屈倒れの童貞イセンを励まし慰め男にしたのは元侍女どのそのひとであるからして。
なるほど双葉から大きく育ててもらっておいて果実だけ収穫するのでは農政家のプライドが許さない、素敵なお話だと思います。
(ハエのたかってるお菓子でも食べなきゃもったいないんだぞ)
(ベッドはもちろん台所の調味料まで捨てさせるタイプですね分かります)
(まだ若いのよ、かわいいもんじゃない)
ほんとお前らすれちまって。もう少しその、「良い景色」に目を向けたまえよ。
(刀は腰から離れられん。お前を通じて景色を見るしかねえんだよ)
ともかくほれ、さすがキュベーレー嬢、すがすがしきものかな……
「イセンさんにふさわしき思い人ですね」
ぱっと顔色を明るくした元侍女どのを見るにつけ、立場に二転三転を経てもそのひととなりには一切の変化が無かったことを思い知らされる。相手が貴族だろうが言うべきは言う、噛み付くべきは噛み付く。ただの愛人でいることはプライドが許さないから仕事も請ければ社会活動にも参画し。
それでも彼女は愛人だ、厳然たる事実として。だからこそ「思い人」(恋人)の名にこだわる。
一方で千早。独立した女性、大法人の経営者、鬼も逃げ出す人殺しの親玉――同業なりの自虐である、念のため――にして「思われ人」(愛人)と呼ばれたがる。
「つくづく男女は分からない」
「『仁君にあらせられるゆえのお迷い』と、侍女長どのは。その……『勇将と名高き殿において愛刀は血で染めるもの、愛馬は責めるもの。良臣を集め寵遇される所以も各々力を尽くさせんがため、ならば女を愛するにおいても自ずと扱いがありましょうものを』と」
独裁君主を説得する論法としては満点ではあるまいか。
伝達役に「立場の強い」キュベーレーを選ぶところまで含め。
「彼だけではないのですね、頭でっ……こころ優しき方は」
おう、顔の大きさなら誰にも負けないぞ?
どうしたわけか「治りかけ」からが長いんだよなこの毒は。
「優しさ……仁愛、忠信また勇義。およそ生計立ちてのち生ずるものかと。新都の民をご覧になった雅院のお志により、我らはいまここにあります」
ムダ話に終止符を打ったフィリアの声はよく徹る。
極東の平穏すなわちメル家の統治実績からアスラーン殿下の「大きさ」までを含めた宣言であった。
貴族政治家がそそくさと挨拶に集まってくるなか譲るふうを装い場を外せるのは幸いな限り。己が発想の貧しさに少しばかり逃げ出したいもとい、仕切り直したいような気持ちにさせられていたところだ。
そうして足を向けた会場の片隅にもまた人の気配……それも仄暗きものこれあり。迷わず左手を腰に伸ばしたのは将曹のそれを感じ取れなかった反動のゆえ。
……振り返った目は赤く、濡れていた。
思えば針の蓆ではある。豆狸にいびられ主と仕える姫に睨まれ……悪気が無くともフィリアのまとう雰囲気は――「気当たり」とでも称すべきか――厳しいものがあるから。
「ヒロ君、そんなところで何を? 見損なったの。イセン君とどこで差がついたのか……怖い思いでもされたかの、そちらの方」
慢心、環境の違い……そうじゃない。何もしてませんからね?
分かってて何をおっしゃることか李老師。
「身を用無きものに思いなし……いえ、失礼を申しました」
李老師には敵わない。釣られて思わず口を突く「こんなところにいられない」。
自分が悪いのか周囲が悪いのか、誰のせいでも無くただただ境遇のゆえか。
チェン家の元侍女どのは思いのまま逞しくも右京に凱旋したけれど。
かつてアリエルは流れ漂い身を終えた。
そしていま、エミリは追い詰められているから。
「ひとの心の奥も知るべく」
駆け去るエミリに投げた言葉、フォローにもなりゃしないけど。
コミュを取らぬという選択肢、王国的にはありえないから。
「しのびて通いもせぬものを! 後宮権大輔さま(イセン)との違いを取り沙汰されるのも当然です」
どうしようもない野暮、いやヘボ引用だもの。案の定お返しは痛烈で……あれ? 「通う度胸もないくせに」……おかしな流れだぞこれ。エミリさん、あなたももう少しあるでしょこう返し方が!……って逃げるな、いや逃げてくれるほうが助かるがその、ガツンと拒絶していただかないことにはですね。
「ともあれ報告があったゆえ報せに参りました近衛中隊長閣下。あやしき者を捕らえたとのこと……そう構えることでもないよヒロ君。幸いにして男ゆえ、の」
李老師もさあ、もう少し早めに声かけてくださればその……いや、エミリの(すなわちフィリアの)抱える危うさに気づかせてくれたこと感謝しますけれども!
東堂・西堂:モデルは平安京・東寺と西寺
元侍女:社会活動家からイセンの侍女になった右京の住民
ヴェロニカ:カレワラ家侍女、かつて主君に殺されかけ天真会に保護された
右京は八緯二経:モデルは平安京・西市と西寺の間あたり




