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第三百七十三話 例大祭 その4



 「タマネギの君」という笑い話が王国にはある。

 貴族の若君が女官を口説こうと手を尽くし良い雰囲気に持っていったところで、殺し文句が「あなたはタマネギのようだ」……なめらかに透き通る肌をお持ちであったに違いない、泥が落とされ皮まで剥かれついでに少しへつられたタマネギのように。


 この話、何も女官に限らない。

 えらいさんの前に連れて来られる模範的庶民もそういうものと決まっている。


 「お前たちの父は医者が診てくれる。もちろん無料だ」

 

 荒廃の巷右京でけなげに生きる姉弟、貧しいながらも清く正しく。

 生活の泥は落とされ煮しめたような色の衣は着せ替えられて……だが地べたから離され籠に入れられてもうっかりヒゲ根を伸ばしてしまう、それがタマネギの愛らしさ。


 「父ちゃんは幸せです。あったかいとこで死ねる」


 人は死ぬもの。

 戦乱と飢餓を知る誰しもが共有する諦観、理解しているつもりであった。

 だいぶ馴染んできたけれど俺もまだまだ「タマネギの君」。

 

 「しかも弔ってもらえるなんて。僕らじゃ穴を掘れないから」


 そうしてうち捨てられ何がしかの時を経てしまうとその、なかなかに厳しい。さすが歴戦の男たちも目を背けざるを得ない……ように見受けられた。何しろ栄光の近衛中隊長その周囲は小隊長に幹部郎党また友人同僚と隙間無く埋め尽くされている。現場までの距離は遠い。

 しかたなく遠目に眺めれば機敏いや機械的に動く男たちの姿、放免に違いない。上下する被り物、邪魔にならぬ簡素な作りでありながら少しでも見栄えを意識したその形がこれまたどこかタマネギに似ていた。

 もう少し詳細を知りたいと緩やかに人波を掻き分け近づいてみれば、作業(・・)の列から離れた刑部省の監督役が物陰で俯こうとして……何を見たものかそれも果たせず逃げ戻る。撤去(・・)にあたるタマネギ頭巾が手を止めるやその背に向けてあごしゃくり仲間に何か言おうとしたその矢先、別の役人から声がかかった。


 「非礼である」


 飛び散る鮮血放免の首級しるし、もぎたてフレッシュピュアオニオン……日本を去って七年が過ぎた。まだ続いているだろうか。ライダーの数を抜いただろうか。


 (何かわからないけど不謹慎だぞ)

 (人殺して震えてたヒロがなあ)

 (軍人は鈍感で不謹慎なぐらいで良いんだ)

 (吐くほうがまともだって。みんなおかしいよ!)

 (新都が平和すぎるのよ。あれはまともじゃない……幸いなことだけど、ね)


 実際、腐乱死体には動揺していた兵士また刑吏が血の匂いに落ち着きを取り戻していた。こうした機微また人使いの妙はさすがだと思う。

   

 「細剣か」


 いっぽう秘書役として側に引き付けたディサロ・キュビは鼻で笑う、つまり同じくキュビ家は「お隣さん」の跡取りラファエロの所業であった。


 「使い分けてるんだろ、街場と戦場と。田舎の名門は作法にうるさいから……そう言えばヒロ、死体が消えれば野犬が荒れる、どうすんだ?」


 刑部の役人が目にした「それ」を足元に転がしていた。

 噛み付いてばかりいたエドワードも変わった、いや変わっていないか。同僚から一歩抜きん出た権中将に任ぜられてなお真っ先に現場へ飛び込み問題を探り出してくるあたり。

 

 「賞金を出すか。犬の死骸を羅城門に持ち込めば大銀貨一枚(≒一万円)……いや待て、遺体を運んだ者にも賞金を出せば」


 「殺しが増えるでしょうな。いかがされました、らしくもない鈍さ。やはりまだ毒が?」


 貴族において鈍感とは褒め言葉であるからして、つまり治りきらぬさきから毒を吐き散らされたというわけ。かくてこそ栄光と伝統の近衛中隊長である。


 「ベンサム大尉、浅慮はそちらだ。期間をひと月、対象を腐乱死体に限れば足る。この寒空では今から殺しても間に合わぬこと明白、賞金の額も野犬並みに抑えれば殺しのリスクがリターンを上回ろうが」


 重宝されるわけだミカエル・シャガール。

 無理筋の思いつきでも実現化の道を作り出してしまう。


 「シャガールどの、さように理の通った頭を持った者など人の世にはおらんのです。殺してから『あれ? なかなか腐らねえな』ですよ。知ったことかと半生で持ち込んでお縄になるヤツが続出すれば我ら検非違使の手が回らない、いえお上が犯罪を助長してどうします。だいたい右京の痩せ細った連中を殺すほうが野犬退治よりよほどたやすい」


 現場経験の少ないミカエル、これは理屈倒れの一本負けであるけれど。「現場に詳しいことこそむしろ恥、出世もできぬ無能の証」と言わんばかりに反りかえる。


 「右京は人が多すぎる。殺しが増えるぐらいでちょうど良かろう……それより問題は管轄です。近衛府令でどこまで回せます? 右京職はいわゆる地方自治体ですからデクスター男爵閣下の建付けにより弁官局の隷下にある、しかして近衛府は蔵人所の指導を受ける、大元から別組織では非違を訴えられた時に調整が難しくなりましょう。いえ、中弁どのとはご懇意ともっぱらの噂……ですが休暇中では」


 現場を離れたあたりについてはシャガール氏が予想を外すことはない。言葉も終わらぬうちからさっそくやって来るのだから呆れてしまう。

 じっさい適切な距離(王国では一般に約5mとされる)を保ちながらこちらを目指すふたりの男は同じ紋章を掲げていた。

 右京で仕事する以上そこは当方にも迎撃の備えあり……末弟ムーサ・ヘクマチアルの存在感は近頃重みを増している。


 「兄のところの幹部郎党です。長々と言いたい放題でしたが要するに『移管はいまだ行われていないはず、右京に手を突っ込むな』と、まあその。説明を求めています」


 いちいち取次ぎを立てるのも煩わしいので「直答を許す」。嫌味たっぷりに。


 「ヘクマチアルご兄弟のいずれが跡目を継がれようとも『右京から離れ中央政府に栄転される』、これは決定事項である。幹部郎党と呼ばれる諸君も変わらず側仕えに励むか中央に職を得るか……まこと同慶の至り」

 

 ムーサに武器を預けたふたりは頷いていた。知りつつゴネに来たらしい。

 郎党は主君の風儀次第だもの、マフィア政治家の子分には利を示すに限る。


 「だが人員整理リストラは当然予想される。跡目を譲ったがわにも郎党はある」


 勝者敗者とはっきり告げればまたぎゃあぎゃあ言うに違いない……いや、ひと言マイクパフォーマンスしないわけにいかなくなるのだ、王国の勤め人というもの。


 「翻って百万都市右京、管理には勝手を知る人手が必要だと言えば? ティムルの下に編入することはないから安心しろ」


 再就職のお約束、むしろ会社の名前が変わるだけ。こんな良い話めったにないと思う……いや、そうでもないか。ブラック体制とかね、王国ではありえないから。だってみんな武器提げてるんですよ?


 「これは話の分かる。イヌ野郎の下はごめんです」

 「しかしさすがに全員を雇い入れる予算など……」


 「理解が早くて助かるよ。ただしあれだ、他所さまに迷惑かけるヤツを検非違使けいさつにはさせられない、分かるだろ?」


 こんどは分からぬふりしてやがる。言質を求めているのだ。

 OK、三行でまとめてやる。


 「あとで一枚噛ませてやる。近衛のやることに口出すな。身内で殺り合っとけ」

 

 お引取りになる後ろ姿は足取りも軽く、これはどうやらご満足いただけたもよう……だが俺の背中では剣呑な気配が噴き上がっていた。

 

 「中隊長どのに質したき儀これあり」


 「ベンサム大尉、前提として近衛府の役職は周り番である。君もいずれ地方に出向する時期が来る。その暁には腹心の昇任も検討されるであろう」


 ここは押し切るべきところ……いや、検非違使大尉に口出しさせてはいけないところだ。王国が貴族社会である限り責を負うのは「上流」だから。


 「統合後の検非違使庁では担当業務の急拡大に伴い、大尉職が左右各二名の四名に増員される。刑事担当の現・検非違使出身、公安外事担当の滝口出身、防犯担当の左右両京職出身……その垣根も徐々に解消され並列体制へと向かう。目途は五十年、現任小隊長が閣僚となり引退するまでには」

 

 「『無理はせぬゆえ安心いたせ』ってそれ無茶する時の常套句だろうが。俺はあんたの女房じゃねえぞと言いたいが……我ら検非違使はもともと中隊長閣下に逆らえない。滝口の件はロシウさんの肝煎りだからヒロさんでは逆らえない……」


 いちいち癇に障る口ききやがって。

 ああそうだ、現状ロシウと喧嘩する余裕は無えよ。滝口にしたところで身分こそ低いが実家は霞の里、山中の里、Q・B・キュビ家……いずれその実力はカレワラ並みかそれ以上。中隊長小隊長に緊張感を持たせずにはいられぬ連中を選ぶあたりがロシウなんだよなあ。


 「で、右京職はみごと黙らせたところで。左京職はどうするんです?」


 「蔵人シャガールどのが仰せのごとく、弁官局にお願いするんだよ」


 大方針について根回し済みである以上、嫌でも仲介するほか無い。

 インディーズ四家の筆頭を名乗るなら存分に働く義務がある。

  

 「中弁どのが病欠でも抜け道をお持ちでしたか。それを知れただけでも王宮の外へ出た甲斐がある」


 ミカエルはこれだ。捌けないはずがないのに現場を嫌う。「上」の仕事に関わりたがる。


 「百万都市王都の警察部門再編! 歴史的瞬間に立ち会いながら私はそれを眺めるばかり。何のために蔵人を仰せつかっているのやら……いえ、それはそうですよね、お祖父さまがたの意を承けた小隊長級で合意形成のうえ懇意の蔵人を通じて各方面の追認を得れば回る……これで何度目、いや何十度になることか。身が千切れるほど手を伸ばしても指さえかからぬ『上流マター』。いえ、諦めませんよ。もう十年、いや五年。弁官になることができれば私にも見えてくるはず。それでも見えなければ見えるまで昇りますとも」

 

 ふつうの「中流」は見えぬことに何思うこともない。ティムルに至ってはむしろ避けたがる。そして責任を避けたがる限りは再編の主導権など渡せない。

 一方でミカエルは関わりたがる。その上昇志向をレイナは危険視し、立花伯爵は歓迎している……ように見える。

 

 「ともかく上との折衝は俺の仕事だ。そう恨めしげな顔をするなよミカエル、見たくも無いものまで見せられるんだぞ」


 「腐乱死体を見せられる現場とどちらがマシですかね……やはり我らが哀れと決まった、奢りを要求します中隊長どの」


 刑吏のひとりが上げる悲痛な声、どうやら途中退席した「病に伏せる父を思う姉弟と慈しみ深き貴族」のひと幕が終わりを告げたらしい。なお退席と言って逃げたわけではない、必要としている方に主役を譲ったまでのこと。


 「では中隊長どの、治療現場へ慰問に伺いましょう」


 姉君の代役として貴族令嬢の社会的義務に励むフィリア子爵閣下の手を取り馬車に乗せる。同乗もエミリ・シャープ嬢またキュベーレー・クロイツ嬢とあれば、それは奢りを要求されてもしかたない。





放免:刑事の下働きに採用された刑余の者。多く汚れ仕事を引き受ける庶民の敵

ラファエロ:QBキュビ家総領。隣国AIキュビ家への工作を企図している

ディサロ:AIキュビ家若手郎党、王都で諜報活動を企図している

ムーサ:ヘクマチアル三兄弟末弟、ふたりの兄との間には一線を引く

霞の里:ヒュームの実家、ニンジャの里

山中の里:マルコ・グリムの実家、同上

エミリ:フィリア付きの侍女

キュベーレー:「ケツアゴ」コンラート・クロイツの従妹、磐森に遊学中


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