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第三百七十三話 例大祭 その3


 朱雀門(王宮正門/南門)を入ってすぐ東、後宮から見れば真南に5km強。立地の分かりやすさにおいては他の追随を許さぬ式部省へと向かう道を照らすべき夜半の月は雲にかげり、呼吸をするたび視界を塞ぐ息の白さにも耐えがたくて口を開いた。


 「良いのかエミール、近衛使者に立たなくて」


 トワ例大祭へ赴く使者には求められるものがある。あまり年かさでは華やぎを欠き、子供では女官おねえさまがたの期待に答えられない。

 その点エミールは19歳、いわゆる童殿上の経験もあれば女性関係も華やかで、つまり後宮受けの点では最高の人材と言えるのだが。


 「式部少輔が勧学の奠を放棄してどうする。特にウチはトワのくせして内朝閥……」


 だからこそエミールは強いこだわりを持っている。

 国政また外朝業務、すなわちいわゆる「男の仕事」に。

 

 「毎年の祭事だ、嫌でも出番が回ってくるさ。それより寮大輔どの、詳しいところで式次第を確認させてくれ」


 勧学の奠、その第一部はいわゆる祭祀。頌文の読み上げがあり、後に小宴。

 場所を移して第二部が「ざっくり言って学会」である。翰林学士たちによる研究発表、また有識者による分科会、最後だけそこは宮廷行事らしく「お振る舞い」。


 「晴れ舞台だもの、学者せんせいがたに任せとけば良い。式部省で心すべきは『お振る舞い』に不足を出さないこと、食い物の恨みは尾を引くからね」

 

 「分科会への参加者が増えてるらしいな。『学生寮』は式部の管轄にしてテコ入れは貴族の社会的義務だってか?」

 

 目にともる光は強かった、闇を透かさずとも分かるほど。

 さすがの内朝閥、情報の価値をよく分かっている。


 「栄えあるバルベルク家におかれても貴族的精神を発揮してはいただけませんか?」


 修繕建替えぐらいなら誰がやっても同じだが、ここは式部省らしく礼譲の精神を発揮すべき場面でもあろうから。

 返礼に舌打ちと拳を受けたところで、視界の片隅に樺桜の直衣……にしては色味が強い。何の顔料を混ぜたものか、ともかく夜明け前から目に刺さり込む姿が大股に歩み寄って来た。


 「おおこれは中隊長どの、お見舞いにも伺いませず」


 あくびのみならず舌打ちも伝染るものらしいと、役にも立たぬ知識がまたひとつ増え。


 「……その、聞いていませんか、伯爵閣下から?」


 主語も目的語すら省略されるのはその内容がどぎついからと決まっている。


 「中隊長ごときに『何か』漏れて来るわけないだろう? なに焦ってるんだ、出世の神様ミカエル君が」


 大嘘であるが、漏れて来たところで教えてはならぬのが人事ゆえ。

 ミカエルを推したのは立花閣下、その背景に思いをめぐらす間も欲しかった。


 「またそのおとぼけ顔、ほんとうにご存じないんですか?……不肖このミカエル・シャガール、何が足りないと言って家格です。これすなわち人手不足、自覚しつつも公務に励んでいたつもりですが……人手が要求されると申さば、その」


 「それは統治と決まっている。爵位采邑でも貰う予定ができたかい?」


 ミカエルめ鞭でもしならすようにして高々と腕を掲げるや両の手首をひるがえす。

 甲をこちらに見せながらゆっくりと顔の高さまで降ろして来た、首を振りながら。


 「意地悪を言わないでくださいバルベルク閣下。これはついに知州に出されるかと……いえ、不満などあろうはずもありませぬが何しろ『随身を増やしたまえよ』と立花閣下じきじきのお声がかり。心細さに消え入らんばかりでしたが、気を取り直して思うに人材と言えば散位寮、いえ身一つから家臣団を集められたカレワラ閣下にこそおすがりすべきところ」


 身振りといい言葉選びといい、こいつはいちいちが過剰である。

 もうね、ノリを合わせる以外にどうしろと。


 「郎党が集まるまで7年を要した、そう申さば蔵人9年目を迎えるシャガールどのにもご理解いただけよう……冗談だ、そう恨めしげな顔をするものでもない。事務官の目利きは蔵人どのにお任せするとして、侍衛向きならいくらでも見繕って差し上げますとも」


 「腕自慢なら俺の知り合いをお勧めするぞシャガールどの」


 割り込んだは割れ鐘の如き大音、さきの兵部少輔であった。

 「上」で手打ちはしてあるが、次期散位頭に補せられることはまだ伝わっていない。式部省ここにあるのは俺が呼び出したから……だが、偶然来合わせたはずのミカエルとやけに意気投合している。


 「何なら我が郎党を派遣しましょう。おおそうだ、給料はこちら持ちで……屋敷を取り返してくれた恩に答えるためならば」

 

 ミカエルのこれは案外と細くも無い肩をわしづかみにして揺さぶっている。

 日ごろ暑苦しいヤツが負けじと暑苦しいヤツにとっつかまって困惑するさまは見物であったが、少し待てと。いったい何がどうしてそうなった。


 「いえ、兵部少輔どのの屋敷を手に入れた治部権大輔どのですが、これが持て余されまして」

 

 やっかみに苦しんだのだそうな。

 「寄親に泣きついて人の屋敷を奪うとは腹黒い」、「腹黒いどころか暴力ですよ? メルやヘクマチアルでもあるまいに……あなおそろし」と、まあ。


 「励めば励むほど言い甲斐無き者どもに邪魔をされる、我ら中流貴族の定めではありますが。ここは相身互いの助け舟と思いなし」


 屋敷を安く買い叩いたんですねわかります。

 そのことで生まれる中傷などなんとも思わぬ強メンタルの持ち主だもの。


 「旬日を経てのちのこと、後宮はとある局にて宴席が開かれまして。これまた偶然に兵部卿宮さまに拝謁する栄に浴し」


 ソウダネ偶然ってコワイネ。

 

 「少輔どのの戦ぶりに思わず聞き入りました。不敗と名高きカレワラ閣下を相手に回して大奮闘……言われてみればなるほど屋敷にも思い当たりが。素人目にすら『質実』の気が充実いえ横溢せんばかり、これは私などよりふさわしき持ち主があると」


 不敗……常勝って華やかさは無いわね確かに。俺の戦略思想までよく観察しておいでですこと。

 なお華の無さなら「質実」いやむしろ「剛健」の兵部少輔もカレワラ氏に負けていない。代を累ねて手を入れた要塞屋敷からあふれんばかり漂いきたる泥臭さにこれはリフォームのしようもないと悟った慧眼シャガール氏、安価で(たかく)売りつけることに決めたもよう。


 「目に付くもの全てに唾つけて回るとは見事なものだ。どうやら俺は場違いらしいな」


 おうエミール、ミカエルと一緒にするなと。いや学生寮に唾つけたことを指摘された直後では何をか言わんや、だがそもそもこの集まり自体がトワの裏でもといご多忙のトワに代わって唾をべったり……


 (ばっちいぞヒロ)


 彼らのために仕事をしようと、そういう企画ですよね周一・夕陽パイセン?


 「外れてくれても構わないよエミール、我らが事務官刑吏ろうとうにはそのほうがやりやすかろう」


 都市工学の徒と法学畑は相性が悪いのである、世界線の違いを問わず。

 それでも今回ばかりは仲良くやってもらう必要があるというわけで。

 え~お集まりいただきました趣旨でございますが……と、それでは気合が入らないかな。


 「かくはお集まりいただいた趣旨、ご存じのところかと」

 

 「デカい面からあふれ出るこの小物臭。臨死体験すると人間が変わるって、アレ嘘だったんだな」


 だまれこの赤毛、いや合いの手感謝。

 

 「王国を支えるトワ家が疫病退散を祈願して大祭を開く。これと軌を一にすべく我らは右京で……」


 大掃除と、その実態を吐き出す前に留まった。


 「『福祉政策』を施行する。主催は雅院また後見のメル家。殿下からは『皆と幸いを分かち合わん』とのお言葉を賜っている。防疫を大願と誓われた刑部卿宮さま、また兵部卿・式部卿の両宮さまからも協賛を得、『人手』を多く擁する……」

 

 仮にも貴族、どの家でも人手を抱えているけれど。

 右京では例年以上の人死にが出ている。またいわゆる「強制処分」を用いる場面も増える。

 「そうしたこと」に慣れた人手がほしかった。


 「キュビ家、法曹家。また宗教界からも協力があった。近衛府からは再編後の検非違使庁を意識し、第一陣として滝口出身者を中心に参加を命じたものである」


 一日で終わるはずも無い、年を越えそれどころか引き継ぎになるかもしれない。

 それでも手をつけなければ始まらないから。

 

 (動き出しさえすればトワがどうにかしてくれるって思ってんだろ)

 (そういう……どう言えばいいかしらね、「アレ」も大事なのよネヴィル)

 


内朝:王室の家政機関その総称。国政に並ぶ機能と権限を有する

外朝:王国の国政機関その総称

式部省:文教政策と官吏の採用を司る役所

散位寮:その外局。位階はあるが実務に就いていない貴族の登録センター

翰林学士:家格の低い老碩学、敏腕中流貴族、将来性ある公達が就く仕事

学生寮:右京北部に存する、若手官吏の集合住宅その俗称

周一:アサヒ家、ナンチュウ家と並ぶ法曹家セキヨウ家の若手貴族


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― 新着の感想 ―
[一言] 右京で絶賛「仁義なき戦い」やってる連中軒並み叩き出すんですね分かりますん。
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