第三百七十一話 恨み その4
後宮にある蔵人所から東の近衛府まではおよそ5km、ちょっとした話し合いを持つにはほど良い間合いというわけで。
「近衛府で預かってもらいたい若者というのはだね」
しかし立花党おなじみの面々――オサムさんだけではなくシメイ、お付きのエメ・フィヤードまでが一緒だった――に囲まれつつの道すがらとは珍しい。
立花の感性とは「オサム伯父(シメイ)がやってくれるなら自分は仕事せずにすむ」そういうものであるからして、すると押し付けられる子弟についても予断が働くのは仕方無いところ。
「カタイ・ド・バンペイユ、私の叔父の直系だ。15歳になる」
つまりはレイナやシメイの「またいとこ」ですかなどと反芻しつつ、相変わらずどこか釣書めいた履歴書に目を落とせば現れたる似顔絵は……使い古された比喩表現だが「バイロン張りの」美少年、まさに吸血鬼の趣。
「これが困ったことに、いわゆるスポーツマンで」
スポーツマン、結構ではないですか。
健全な肉体に健全な精神……そう言えれば良いんだけど。
(健全? 勝ちさえすれば何しても許されるって思ってる畜生ばっかじゃん)
陰キャもとい陰府界隈の姫たるピンクさん、生前陽キャに対してよほど強い恨みを抱いていたものと思われる、けれど。
ぐう畜ならぐう畜でも構わない、どころか場合によってはありがたいのである。近衛府は軍隊、「勝てば官軍」を地で行く組織でありますゆえに。
ただ問題は、王国が貴族社会だという点にありまして。
貴族の生業また正業とは国政、私領経営、軍事活動。
広げても武術芸術、学問教育、信仰生活、奉仕活動である。
そう。無窮に広がる我らが王国、その空の下では今日も心温まるやりとりが繰り広げられていることであろう……。
「体力には自信があるのですが。自分、バカなもので」
卑下に縮こまる少年の大きな背に親戚のおじさんが手を当てる。
「武術に励んでいるようだね、結構なことだ。実は同僚の兄君が百騎長で、有為の若者を募っているんだが」
頭あるなら筆を執れ、力持ちなら手に武器を。末は博士か大臣か、万を率いる将軍か。励め若人家名を挙げよ、未来が君を待っている。
そんな貴族社会における「スポーツマン」に漢字をあてるなら「趣味人」……と言いさしたところを遮ったのは凄まじき妖気と形相であった。
(ハァ? ヒロ君さ、いいかげんそういう遠慮やめなって。クソダサいよ)
淑女たるわが盟幽が悪霊と化すことを見過ごしには出来ないので訂正する。
王国におけるスポーツマンとは「道楽者」もしくは「遊び人」である。
「正業に励まぬ」彼らに対する王国民の評価たるや散々なもの。21世紀日本のカタカナで感覚的に表現するならば「パチンカス」がおそらく最も近く、その地位は「部屋住み三男坊」の下にある。
以上、チキウの記憶に引きずられて筆を枉げたことをここに謝罪します。
が、そこまで言うこともなかろうと思うものでもあるのです。
「余技にせよ中毒、いえのめりこむ情熱があるというだけでも」
それはひとつの長所と言えはしないかと。
だいたい立花一党みなそのクチではないのかと。
正業に励まぬ趣味人の集団、文芸やボードゲームだって「道楽」には違いない。
「乱暴者に育って……バンペイユの家ではどう教育を間違ったのだ」
「私も見捨てたいのはやまやまですが伯父上。それでも親戚です」
「シメイさんが近衛府を出た後、まさかあの人の侍衛に付けとはおっしゃらないでしょうね!?」
(さすが立花は分かってる! 王国一の貴族だね!)
忘れておりました。「文の立花」、その底に流れる体育会系陽キャに対する強烈な嫌悪感を。
しかし嫌々ながらでもねじ込まずに済まされぬなら、より太い伝手を頼るべきではないかと。
「近衛府の人事権者は蔵人頭、リーモン閣下にはお話を……?」
立花家の分家にして最大の与党なのだから。こうした件こそ俺を頼らずと頭越しに話を交わしていただきたいものである。
「ウォルター君にも話をしたが、バンペイユ家のカタイと聞くや頭を抱えてね」
冷静沈着を以て鳴るリーモン子爵にして苦悶することおよそ五分。
唸り声を止めて言うならく。
「現場の負担また反感を思えば、これは中隊長の許しを得ないことには」
そこにあるのは良く言えば「現場への配慮」また「個人的友誼・信頼関係」
その実は「消極的不賛成の意思表明」、「なんなら反対してくれても」
悪意をもって捉えるならば責任逃れ。「私の名で推薦しては経歴の汚点」
「スポーツマン」とはそれぐらいに嫌悪されているのである。
まあリーモン家も立花党とは空気を共有しているからね、仕方ないね。
ここは私の責任と裁量で判断いたしましょうとも。
「それでもやはり、立花とあれば近衛勤めの経歴が必要ですか」
こちらに不満はないけれど、そこは「文の立花」である。典礼や文教政策方面にまま見受けられる「格の高い(実利に乏しい/下手打っても社会に害を及ぼさない)」役所に押し込むというテもあるはず。
ああいや、その地位に就きたくて日々努力を重ねる官吏諸君には申し訳ない言いざまになってしまうか。
(分からなくもないけどねヒロ、本人の才覚は能力の一面に過ぎないの)
(戦場に兵を動員できる、吏員を抱えている、手弁当で仕事を回せる)
(有能な家臣に全てを投げるなら遊び呆けることがむしろ国家への貢献か)
(でもスポーツマンだけはゆ゛る゛さ゛ん゛)
「それも無いとは言わんがね、近衛府ぐらいしか望みが残されていないのだ」
ひどい言われようである、カタイ君も近衛府も……と、薄く変化の乏しい顔ながら浮かべた不審の表情に、さすが付き合いの長いオサムさんはきまり悪げに髭をぽりぽり掻いていた。
「ヒロ君が発明した例の『帆と車輪が付いた波乗り板』、あれがいたく気に入ったらしい。『そういう上司がいるところなら勤めてみるのも悪くないか』と」
なんだ、いつもの立花じゃないですか……と眉を下げる間もあらばこそ。
代を重ねて側に仕える郎党の口から忠義の直言がほとばしるのであった。
「ふざけた物言いにもほどがあります! 『カタイさん、あなたは社会の厳しさを知らないんです、およそ仕事とはそんな気楽なものじゃない。あの中隊長にしても神経質で粘着質、キレるとすぐ刀抜くくせに沸点が読めない困り者で、顔の表情から酒の飲み方まで期待するような面白みなどなにもありはしません』……さんざ説得したんですが」
カタイ君を嫌っているのはよくわかったがねエメ君、私に何か恨みでも?
「だが『レイナ姉さんのお気に入りなんだろ?』と言い返されてはねえ。ヒロ君、もろもろ多少の責任を感じはしないかい?」
恨まれる理由ありましたね。だが親父さんの前で言うことはあるまいシメイ君。
放任主義に見えてオサムさんもあれでレイナのこと相当に心配してるのだから。
とにかく話を聞かずに断れるスジではないこと、よく分かりました。
「本人の希望や適性を教えていただけますか? 軍の通常業務に適さなくとも監察……も無理でも、舞人楽人、儀仗に輜重、軍医獣医の事務担当から製造部門に酒保などもあることですし」
前向きに検討します(官僚答弁ではない)とせっかく声を励ましたというのに。
切り札投げたシメイの側で小柄な体をますます縮めるのはどうしたことかと。
「頼んでおいてすまないが、改めて言われるとどれ一つ務まりそうにない。やはりスポーツマンが社会人になれるはずもなかったのだ……断ってくれヒロ君」
(そうだそうだ! スポーツマンなんて親の金で遊んでばかりいる穀潰しの恩知らず、弱者と見るや徹底的にいじめ倒す卑怯者、一人じゃ何もできないからって数増やしてカサに着るゴキブリ野郎、足し算もできなきゃ自分の名前も書けないド低脳の畜生だ!!)
偏見にもほどがある。前科者でもここまでは言われない。もはや反社か薬中か。
それが王国民から見た――いやさすがにこれ、王国の文化芸術畑から見たと言うべきであろう――スポーツマンの扱いであった。
「嘆かわしさが募るばかりだが、父親から泣き付かれてね。『あのカタイが近衛に興味を示したんだ。まだ、いやもう15歳だが、やり直せると思いたい。これでダメなら廃嫡するから、どうか頼みます』……私も人の親、そこまで言われてしまうと」
いやだから、スポーツマンってそこまでの極悪人じゃないでしょう?
だいたい「非生産的だからと文化を排斥する社会に未来は無い!」って常々おっしゃってるじゃありませんか。
「とりあえず会います。3日後でよろしいですか?」
オサムさんの眉間に皺が寄った。シメイの顔が不審にゆがんでいる。エメの口は呆然と開かれていた。
いずれ難題を頼んでおいて了承された男の顔にしては珍妙きわまる。
妙と言えば、そもオサムさんがここまで強くひとを非難するなどめったに無い。
1月と言うのに暖かいのも薄気味悪い……あ、ウグイスの鳴き声。
そしてこの香り、そういや梅の季節……イーサン?
「お歌とは珍しいね」
この陽気である、春雷にどしゃぶりまで覚悟しないと。
「お待ちしておりました立花閣下、それにシメイ君。帳簿の件でお話があります。何箇所か不明瞭な点について説明をいただきたいものと、当家の寄騎から」
いや、通常運航か。何か落ち着かないけれど。
「我ら立花、脱税はしないよ。その知恵もなければ情熱もない」
「存じております。立花ともあろう方がせせこましい不正をなさるはずがない。お願いとは、むしろその大度のほうです」
レイナあたりを見ていても分かる。ごまかす気分など一切持っていない。
むしろこれが案外几帳面にもいちいち記しているのだが、記した紙を無くしてしまう……ならまだ良いのだ、推測で補完もできるから。とにかく書き付けを部屋中にとっちらかすもので、残された詳細な数字が収入だか支出だか、順番どころか年度に至るまで分からなくなってしまうのである。おまけにお歌やらのネタが上からナナメに走り書きされているものだから読みにくくて仕方無いと、これは以前デクスター党の幹部から。「立花家帳簿の読み取りは幹部昇任の条件にもなっているのです」と胸を張っていたが、写したお歌の走り書きを季節順に並べてくれた奥方には頭が上がらないらしい。
「ヒロ君はノーフォーク伯にしぼられたんだって?」
粘り強い郎党たちを束ねる若君からひょいと渡された紙束は持ち重りがした。
その上半身が一般にイメージされているよりはかなりイカツイこと、付き合いの長い俺は知っている。
「それでも春になった。大規模な戦はもう無いだろうし、みんな落ち着くさ」
ここのところノーフォークにアルバと叩き合いが続いていたが、それもひと段落。チェン家ともアシャー家の件で折衝が始まったとあれば、次はデクスター家か! と期待される向きもあるかもしれないが、申し訳ない。デクスターとだけは関係が良好なのである。
イーサンとの友情、極東以来の腐れ縁……というわけではなく、これもひとえにカレワラが優良納税者たるがゆえ。
算数に強く神経質なニホンジンは帳簿をきっちりさせたがる、そのうえ成立したばかりの家では脱もとい節税ノウハウの蓄積が不足しているものだから。
カレワラ家から抗議したのは一度だけ。腹立たしい事件であった、いつか述べる機会があれば。ともかくデクスター家との関係は良好である。
「書類だが、南北の戦役について数字をまとめてある。それと我らが例大祭がらみの費用から前後数日のシフト表その他、いやトワ系からの要望だね現時点では。目を通してもらえるか」
これよこれ。
「オラ飲め」って言われるよりは「案だけど、良かったら」ってそのひと言。
最近あちこちから突つかれてばかりの身には沁みるわあ。
(何任せても飲み込まざるを得ない完成度で持って来られるんだよなあ)
(「良かったら」のひと言で目尻下げてくれるんだもんチョロいわよね)
(何だかだ近衛府ではイーサンが一番ヒロのこと分かってんだな)
(腐れ縁……魅力的な響きかも)
ここは何か言い返してやらぬことには。
近衛府まではもう数十メートル、言い逃げした者勝ちなのだ。
「あれは……将曹だったか? 僕は付き合い無いからヒロ君かな」
小隊長を通さずに声を掛ける機会は限られる。
移動の道すがら、それは彼ら近衛兵にとっても貴重な機会だ。
分かってはいるが、将曹は珍しい。どうもこの道程は妙なことばかり。
「中隊長職の忙しさ、想像以上らしい。書類については急がないからまた後で」
言い逃げされてしまったが、不思議と恨みは感じなかった。
エメ・フィヤード:立花家有力郎党、軍人。多く侍衛を務める。ヒロ達とは同年代
将曹:王国近衛府のいち階級。技術職・師範職が多い
トワの例大祭:モデルは春日祭
この物語はフィクションです。現実の(以下略)




