第三百七十話 除目周り その4
「ことは私的なトラブルだろうヒロ君。なぜ近衛が出張るのかね」
ご指名につき振り向けば視界を遮る白い影。
メッシュ疑惑の鬢だけ若白髪に先回りされてしまった。
「そこは検非違使の逮捕権限をテコとしたものでしょう、立花閣下」
身分と地位による分断が存在する王国社会、かような無礼は見過ごせない……はずでありながら、時に平場の会話を楽しみたいのも人のサガ。
そこで橋渡しとなるのが淑女主催のサロンであり、紳士が集うクラブであり、あるいは武術道場ではあるけれど。
「とはいえもう少し、限られた人々で集まりたい」という向きのために「溜まり」と呼ばれるスペースが蔵人所に併設されている……と、これは後付けの理屈である。名は体を現すと言うものの「溜まり」ではこれ平べったいにもほどがある。
由来を述べれば蔵人所、後宮内に聳える事務棟だが、これはもともと図書館あるいは資料館であった。
そこに国王の秘書・蔵人が出入りするうち「いわゆる司書部屋」を占拠するに至るも、蔵人の数が増えるにしたがい部屋が手狭になり「いわゆるホール」の一角が仕切られて執務室(狭義の蔵人所)となるや、周囲に余ったスペースが「給湯室」「喫煙所」類似の空間になりおおせたと。
名が平たくとも情報交換と根回しの場であれば、貴族が「昇殿」(後宮お出入りの資格)を渇望する理由の一端を占めるに至りてのち、例のごとく相当の歳月が流れている。
「まず犯人を捕らえ、奪われた前金を治部権大輔に返す。次いで犯人の身柄を兵部少輔に引き渡す代わりに『これでチャラ』の誓約を取る……といったところでは?」
したがって滑らかに舌を動かすミカエル・シャガール氏の威光など相当のもの。なにせ10年弱、俺の宮廷デビュー以前から蔵人所にへばりついているのだから。
この男なら「誓約」に加えて身代金まで毟り取ることであろう。そしてガラード少年を天と仰ぐ治部どのを遮り、感謝の言葉まで仲立ちする……胸そらし両手を広げるさまがありありと目に浮かぶ。
「なるほど悪くない。捕えた犯人を実際目の前にすれば、次のテが自ずと頭に浮かぶ。いちどきに絵を描けぬ者でも流れに乗れるというわけか」
ノーフォーク伯爵の論評を広げた胸いっぱいに受け止めている。賛辞を横取りされたのは俺であった。油断も隙もあったものではない。
「至れり尽くせりではないか、ガラードは何を考えて……」
「さよう、至れり尽くせりであるな。思えばクリスチアンの戦勝も全てヒロの陣立てに基づくもの、南嶺戦役以来の尻拭いご苦労であった」
蔵人所また「溜まり」のヌシと言えばアルバ公爵閣下であるが、きょうはご機嫌ナナメであった。なるほど心にも無いことを口にせざるを得ないとあれば、その鷲鼻の眉間にことさら深い皺が寄るのも理の当然というもので、だから一同まずは笑顔で無言のご挨拶。「曾孫さまへの援護射撃乙」。
不肖この私も往年のアルバ中隊長に敬意を表することといたしまして。
「帷幕の内より将を遣わし千里の外に敵を走らす、近衛中隊長の責務ゆえ」
いえね、敵さんの布陣予想図があれば、それは迎撃の布陣ぐらい描けます。いちおうこの仕事始めて8年めになりますので。
「小憎らしき面を見るものかな。だがガラードの件は収まっていないぞヒロ。せがれクリスチアンの件と言い、君は少々若者を煽りすぎる」
煽ったつもりはない。ひとえに俺の想像力が足りなかったのである。
何が起きたかと言って、「『一流企業』に入社直後の新社会人(みながみなとは言わないが)そのイキリっぷり」をご想像していただければと。
加うるに王国の新社会人とあれば「お坊ちゃま」から「若君」へと呼称が変わり、己が手に郎党の生殺与奪の権を握ったばかりの、まして13歳……それは「強硬手段」に出たくもなる。かりに本人が冷静でも郎党衆が煽り立てると決まっているのでありまして。
曽祖父の寄騎に泣きつかれたガラード男爵、土地を引渡すべく兵部少輔に要請――その一報を聞いた時には両手で顔を覆ってしまった。
ブノワの言葉が正しかった。「法に照らした妥当な判断、すじの通った落とし所。理想的ですね」……つまり現実的ではないのである、ここ王国では。
「報告に上がる……エドワード!」
だがたとえ事前の予測が甘くとも現場の推移は過たぬ、それが軍人貴族だから。
「了解。周辺の封鎖だな」
口わき黄ばみたる子供に言われて立ち退く、それは軍人貴族でないのだから。
つまるところ。時は初春ところは右京、「阿部一族」案件ここに出来……その初動を報告すべく蔵人所へ参上したところが手前の「溜まり」で捕まったと、さような次第でありまして。
「いや、そもそも犯人の身柄を押さえて交換条件を持ちかけたところで」
「しかり、キュビどの。結果は変わらぬ。私の知る兵部少輔はさように軟弱な男ではない」
そう、きょうの「溜まり」は盛況であった。
「お祭り」の予兆には敏感なご同類が――同類と認めたくは無いが――勢揃い。
「いまひとつ分かりかねますが、兵部卿宮さま」
怪しげな雲行きに小さく扇をさしかける、ノーフォーク伯は紳士である。
そして「溜まり」は紳士の社交場である、ひときわ大柄な紳士が宮さまの返答を遮ることも許されるぐらいには。
「当家の土地を買おうと思う、すなわち私を侮るものだ……当然の反応よ」
やはりいまひとつ分かっていなかった俺は紳士たるには経験不足。
でもさあ、言わせてもらえば。まさか初手からフォロー不可能な案件だったなんて思うか普通?
「許せんがトワの軟弱者を叩いたところで自慢にもならぬ。迷惑金で勘弁してやろうと思ったが……」
良いんですかキュビ閣下、そこまで言ってしまって……って、ああそうか。
同族B・T・キュビ家が若君の初陣、ノーフォーク家に泥塗られたから。
「アルバを担ぎ出したとな? 分かっているではないか。ならば相手に取って不足無し、来ぬならばこちらから寄せるゆえ首洗って待っておれ……郎党の手前それぐらいのことを言わぬようでは、まだまだ」
クリスチアン突出事件被害者の会と言えばもうお一方。尻馬に乗るのは結構ですが、蹴飛ばす相手が違いはしないかと。
同じ軍人でも「こちら寄り」のニコラス辺境伯に――同族嫌悪を共にする相手だ――誤算をこすられること大層な屈辱であると知らされて、だが苛立ちが顔に浮かんでしまえば負けである。
「つまりヒロ、これは貴様の読み誤りだ」
何が楽しいのかとこのでかぶつは。
「カレワラ当主であればここまで読み筋かと勘繰りたくもなりますが」
人を生まれで判断するのは良くないと思いまーす。
だいたいあなたのほうがよほど陰険に見えますがねこのメガネは。
「ならばなおのこと結構。いずれこそこそ手打ちなど面白くも無い」
「昨秋中隊長に就任し、せっかくのシーズン開幕が早々クリスチアンに茶々入れられて現場に出られずストレスを溜める……少々不憫ではある」
まだノーフォークをこすってる。キュビ閣下も案外根に持つタイプなんですね……って、そうでなきゃ貴族だ軍人だ政治家だは務まらないんだっけ? ひとに言わせりゃ俺もそうとう粘着質だって。
「だから勃つものも勃たぬのだ」
いるよねー。なんでもかんでもそっちの話にする体育会系のおっさん。
考えごとしてるだけで「そんなんだからもてないんだ」って毎度しょーもない口癖は構いませんが、動物的脊髄反射の後始末させられる部下の身にもなれっての。
「メル閣下にはそのほうがなにかとご都合よろしいのでは?」
「まじめにお願いしますよ皆さま、ことは王都の静謐に関わります」
きょうに限っては少数派のトワ系はノーフォーク伯がその白い歯を噛んでいた。
土地取引の話もできない蛮族相手に場を回すそのご苦労たるやいかばかりかと。
「中隊長の読み筋だろうがハズレであろうが、請けたのはガラードだ」
「やらせましょう、若いのです。カレワラ中隊長、例によって君は監督責任を」
直属上司・蔵人頭どのよりのご下命も遮られた。
それが「溜まり」の流儀であれば。
「カレワラ中隊長は常に監査監督、小隊指揮の話を聞いたことが無いな」
私もご発言を遮ってよろしいですか兵部卿宮さま……とばかりに身を起こすようでは遅いのであった。紳士()修行、その道の険しさと来た日には。
「大戦の功績も棚ぼたに見えて来ますか?」
「見え透いた煽りや圧を加えてはかえってヘソを曲げる、カレワラの当主は歴代それです」
「ならば素直に行くとしよう。大隊長命令だ、現場に出たまえ中隊長。トワの公達に軽く見られまいと、その気持ちは分かるが」
「同じ土俵で組み合うばかりでなく我らのリングに連中を上げることも考えろ」
「私の味方はいないようだ。兵部少輔が哀れに思えてくる」
<問い> 以上5人、祭りの開催を決定付けた紳士がそれぞれ誰であるかを示せ
<選択肢> ア:リーモン イ:ニコラス ウ:キュビ エ:メル オ:兵部卿宮
「『もののあはれ』を知らぬ男ではありません。宮さまにおかれてもそれゆえのご指名でありましょう?」
殺すなよ、ですかリーモン閣下。
なんぼ兵部卿宮さまが偉いと言って、少輔の椅子を配れる数は限られている。有力な与党が血気にはやる年少と大喧嘩して間違いがあっては困るがゆえのご指名であると。
で、何をくれるって……不介入、だよなそこは。強にして大なる者はそれが相手への報酬になるんだから羨ましい。
ミカエル・シャガール:蔵人。叩き上げの優秀な官僚。暑苦しくあざとい
ノーフォーク伯爵:男爵クリスチアンの父
リーモン子爵:蔵人頭。インディーズ武家のひとりで、ヒロとの関係は良好
ニコラス辺境伯:王都滞在中。インディーズ武家。ヒロとの関係は微妙
キュビ侯爵;近衛大隊長、エドワードの父
メル公爵:大隊長、フィリアの父。2mをゆうに越える長身
兵部卿宮:王室の有力政治家。兵部少輔の寄り親




