第三百七十話 除目周り その1
除目(定期人事異動)の季節がやってきた。
その時までどこに回るか分からない、それが制度本来のありようだが。
「ま、だいたい分かるわな」と言われてしまう椅子もある。
立花伯爵が「秋まではヘクマチアルへの抑えが必要になりそうだね」と口を滑らせれば、今期どころか来期までカレワラ氏が近衛中隊長職に居座るであろうとか。「下賎好み」などと陰口叩かれるイセン・チェン氏が用も無く後宮の奥にウロチョロ出入りしていれば、「予習始めてるぜ。あいつ春から後宮権大輔か」である。
「ほんと腹芸できないよな、頭の回転は速いくせして」
発令を受けて言い捨てた口さがなき少年に対しトワ系は軍才を期待していると思しき節がある。
だが後天的にそれを得た若僧と突き合……つき合わざるを得ないように仕向けられるエミール・バルベルクとしては迷惑を感じているものか。
「そして俺は翰林学士から案の定式部少輔。お前の後ろを半周遅れで回らされ、使い走りというわけだ。お呼び出しだぜ? 兵部から転じられた式部尚書の……」
これまでも触れたところだが、王国の官制その上層部は内閣大学士(閣僚・政治職≒日本で言う無任所大臣)――尚書(≒日本で言う事務次官)――卿(局長級)の順に並んでいる。
例えばイーサンの祖父は内閣大学士兼民部尚書。
対してかの式部卿宮さまは内閣大学士兼式部卿。
つまり式部省では大学士とは別に尚書が任ぜられる。王族に政治職は与えても事務方トップまで兼任させることはない、その制度趣旨(勢力肥大化の予防)を思えば任命される尚書にもおおよそ当たりはつけられる。宮さまを牽制するに足る「格」が求められるのだ。
「『禿鷲』アルバ伯爵閣下からだ、寮大輔どの」
禿鷲。父・「鷲鼻」アルバ公爵閣下77歳がいつまでも引退しないため足踏みが続いている息子の伯爵閣下49歳につけられたあだ名である。
ちなみにあの家はここ数百年、「地味顔で晩婚のフサフサ」と「イケメンで早婚の2323」を交互に輩出しているらしく、この春後宮大輔に補せられた前男爵(公爵の孫)が「30代半ばにしてあの毛量、逃げ切りか」と舌打ちされる一方で、カールした猫っ毛に頭を覆われた13歳の新任近衛小隊長ガラード・アルバ男爵(曾孫)のほうは一部紳士から将来の同友会入りを植毛……嘱望されている期待の新人なのであった。
なお俺に対するエミールの呼びかけだが、こちらはカレワラの「縄張り」に由来している。
外局・散位寮のトップは「頭」すなわち「少輔の格」(課長級)である。大輔など存在しないのだが、まあその、人事に対する強力な介入権を式部省内で揶揄されているのでありまして。
ちなみに「散位大輔」とは呼ばれない。音が「三位大夫」(閣僚級)と同じになってしまうから。正五位上の若僧をそう呼ぶのは皮肉を通り越して不謹慎、こちらにまで社会的義務が――口にする者を一党で囲んで足腰立たぬまで殴り倒さねば僭上のそしりを受ける――生じてしまう。
「式部省と言えば民部や治部と並び中務に次ぐ格だろうに、マジもんの大輔は何やってんだよ」
「本物の大輔」を差し置いて若僧が大輔などと呼ばれる時点で不謹慎、エミールが呆れるのも無理は無い。そしてこうした状況の原因といえばお定まり、ひとえに上層部の混乱にある。
上層部と言えば式部族にも「卿の家柄」はいくたりか存在する……が、現職を務める4人のうちひとりは式部の職掌に対してあまりに忠実、ひとりは切れ者だが長期の体調不良、もうひとりがあの宮さまと来たものだから。こと省内政治という点において、後継者の相次ぐ夭折また挫折により心労の多いベルガラック氏(アベル・ベルガラックの祖父)が孤軍奮闘という状況にあった。
そこで行政を有機的に回すべく、「もう三十年、よほど励んでも二十年は早い」ものの式部族としては突出した頭数を抱えている(ゆえにトワ系尚書格に次ぐ家格と位置づけられる)インディーズ軍人貴族はカレワラ家当主の「寮大輔」ヒロと、同じく卿の家格を持ちキャリア十分、実力も早くから高く評価されてきた「桂花大輔」とがそれぞれ若手と中堅を取り纏めざるを得なかったのである。
取り纏めの方法? まずはとにかく膝付き合わせて話し合う、相手の要望をできるだけかなえる。磐森三千の兵を意識させるのはその後だ。
だから政治には金がかかる、善悪の問題ではなくこれは単なる事実である。
ことに貴族たるもの、正々堂々手弁当で国家に貢献してこそ……と言ってしまえば綺麗ごと。金の流れを隠すほど愚かではないというだけだ、税務の総攬が誰かを思えば。
むしろ見せびらかすまである。デクスター伯爵(イーサンの父君)に政治信条を維持していただくこと、俺にとっても必要だから。「やや劣る」家柄でも積極的に参画させるべき者はある……征北将軍閣下とのどつきあいを経て培われたであろう信条のことだが。
ともあれ現状、式部省が不健全な状況下にあることは確かである。エミールの就任は俺にとっても歓迎すべき人事であった。
「『主役は遅れてやって来る』。半周先の俺を観測気球に仕立て、満を持してのご登場……いやこれは掛け値なし、正直助かる。上半期は官吏登用試験もあるし」
「あだ名つくほど勝手しといてよく言うぜ」
俺のあだ名など省内限定のかわいいものだ。同じくお呼ばれしていた「桂花大輔」など、宮廷人なら誰しもが知るところ。呼び出したのも「禿鷲」と来た。取りようによっては父君よりもドスが利いている。
そうして眺めてみればなるほどエミールの言葉ではないが王朝役人の世界、あだ名がついてなんぼというところはある。なぜと言って、みながみな揃いも揃って名家出身の優等生……ならばどこで差別化を図るのかと。だが言うて狭い世界だ、キャリアを重ねれば自然にキャラが立ってくる。あるいは要領の良さを買われ、あるいは文藻の巧により、また剛腕を謳われて。なお意識し過ぎて自らキャラ立てしようとするヤツもいるが、たいていはスベる。
そのエミールとて新任尚書が仕事始めにわざわざ呼び立てるぐらいには大物で、そのうちあだ名を献上されること間違いなし。同じ十代でもアベルやヴィルとは違い俺が「丸め込める」タマではない。
これはどうやら実力派の名流貴族を送り込んで式部省へのテコ入れ……と言えば聞こえは良いが、実のところは公達どうしで「殴り合い」をさせるつもりかと、そう考えたのは認識が甘かった。
就任挨拶がひとわたりするや式部尚書アルバ伯爵、いきなりこちらに目を向けた。
「式部省の業務また散位寮の人事について、不当な介入が行われていると就任前より報告を受けていた」
禿鷲の叫喚に動揺が無かったとは言わないが、先に立ったのは憤慨であった。
不当とは失敬な。何のための縄張りかと言って、式部貴族の郎党に椅子を配るためでもある。「仕事を分かっている」人々で担わなければ前近代の行政は回らない。公私は渾然一体なのだ。
(いいぞヒロ)
(でも上役に叱られてるんでしょ~)
(そうだ反省しろ反省を)
「散位頭は少輔の格、五位の私が口を挟むことなどできようはずもありません」
「少輔」以上はこれ、完全に政治主導であるからして。
反省することすらできないんですよ、残念なことに。
「君とは言っていないのだがな」
語るに落ちた? 最初っから落としてんだよ言わせんな恥ずかしい。
「上長に余計な手間をかけさせぬこと、下僚の義務と心得ます。なお散位寮における『すけ』『じょう』以下については『推薦状を取り纏める』権限がカレワラ家当主にあることは閣議決定事項、私から申し上げるまでも……」
人事異動がいかに行われるかと言って、(少なくともその形式の点においては)どこの社会のどこの組織とも変わるところは無い。
内部の考課表が担当部署へ送られて、そこで人事案が練られるのでありまして。
王国の外庁八省(「少輔」以下)もまた同じ。各省内の考課表がまずは弁官局へ送られ書面審査の後、総務担当の中務省へ回され実質審議を経て人事素案が作成され、閣議へ上げられる。
そこで文句が出ないようなら(出ないように中務省が心血を注ぐ)聖上のご裁可を仰ぐ。
立花伯爵立会いのもと大間書に記され官報に掲示され、我ら一喜一憂する。
と、それは建前で。なんぼ王都が権威を重んずると言っても行政の非効率は嫌われる。
実際は考課表と共に各省から「推薦状」……事実上の素案が中務省に提出されるのである。
そして散位寮内部の人事については、その素案の作成権限が閣議によってカレワラ家に認められていると。「取り纏め」ってのはそらアレ(謙遜)よ。
「成立間も無い散位寮だが、君の主導のおかげもあって運営は軌道に乗ったのであろう? 原則的な形態に戻すべきところのはず」
期限付きの利権であると、禿鷲閣下はそう解釈したいもよう。
(でもどうして……何だアリエル? 鷲鼻閣下との折衝で勝ち取った決定だ?)
当時存命で(やさぐれて)いたネヴィル君は知る由も無いところだが、そういうことだ。
親父どのとやり合っている禿鷲閣下としては、決定を覆すことでその鷲鼻を明かしたいとお考えらしい。
「なお桂花大輔、君については……そろそろ考えても良い頃合ではないかと思うのだがね」
停年が近いことは確かだが、退職勧奨とはねえ。
ここで頷けば桂花大輔は半年以内に自主退職……つまりレームダックゆえ禿鷲閣下としてはやりやすくなるけれど。
「いまだその時にあらず、私はそう認識しております」
ひと言だけ。理由も無し。
そりゃ貴族たるもの、いや男なら進退は自ら決すべきところ。たとえその気であったとしても他人から言われては面白くない。
そもそも桂花大輔と言えば、お歴々すら沈黙せざるを得なかった独裁者に諫言を叩き付けた経歴を持つ男として、いわば「無敵の人」ゆえにあだ名が通っているわけで。それこそ当時のアルバ伯爵、リアル洟垂れ小僧だったはず……は言い過ぎかもしれないが、眩しすぎる先輩だったことは間違いなかろう。
だが禿鷲閣下もそこはキャリア三十年以上、眩しさならば引けを取らぬ。外に同僚とどつきあい内に鷲鼻と突つきあいした官界の雄だけに、負けじと目を怒らせ頭に血を昇らせた容貌は見ものであった。その若き日いや今でも奥の女官を振り向かせる端整な顔立ちたるや、痩身と相俟ってタンチョウヅルを思わせるものがあり。
「総じて式部省内で職責を負うべき者に弛みが見える。君たちの努力は買うが指導介入により官吏が懈怠を覚えるようではこれは俗に言うありがた迷惑、今後は慎んでもらいたい」
そこは格式秩序に最もうるさいアルバ家の総領が送り込まれてきたことを思えば……つまるところ禿鷲閣下、なぜか省内で力を持つに至ってしまった非主流派官僚ふたりを排除して、「お行儀の良い」式部省を取り戻そうとお考えであるらしい。
なるほど官庁内で「ボス政治」のきな臭さが漂い始めたとあれば、未然の綱紀粛正こそが正道である。なお併せて省内政治のリーダーシップを握りたいなら「まつろわぬ部下」を凹まして権威を見せるのが近道でもあろう。俺もつい最近実践したところゆえ、これは素直に頭を下げる気になった。
「近衛中隊長に就任した時点で近衛府また蔵人所の職務に専念すべきでありました。今後は閣下の指導に従い、式部諸子からの業務依頼は断ります」
アルバ家の権勢また禿鷲閣下の力量で式部省の仕事を回していただけるなら何も文句は無い。
同僚の少輔(俺は式部の少輔じゃないから同格と言うのが正しいか)に対するお節介は即時停止いたします。だがしかし。
「が、散位寮の件については閣議決定事項ですので」
大事なことなので二回(ry
「式部省の業務については尚書が指揮監督権を持っている」
「中隊長に近衛府の指揮監督権また軍令発動が認められると同様に、ですか」
てめえの孫を最前線に飛ばすこともできるんだぞオラアン。
それとも何です、平和な支部でおっとりとお過ごしいただくほうがお好みですか?
いえ何もそんな、無言で睨みつけなくとも。分かっておりますとも。
「むろん法の文言また確立した解釈、制度設計の趣旨、権限配分のありよう、慣習に先例……等々により裁量に自制が加わるべきこと、当然と心得ております」
閣議決定を尚書が独自の裁量でひっくり返す、認められないよなあ?
「そう尖ってくれるなカレワラよ。聖上にお願いしてようやく迎え入れた尚書どの、気分良く仕事をしてもらいたいのだ。今日のところは持ち帰って検討を」
優雅な声であった。式部省が機能不全気味に陥っていたこと、さすが宮さまはよく見ておいでだったのだな……なんて言うと思ったか!
他にやり方が無かったのかと。まずはあんたがリーダーシップを取れと。ふつうの宮さまなら尚書は邪魔だイラネって断りたがるもんだろうがと。つくづくこの人とは食い違う……なんて言えないのが宮仕え、つまりはとにかく手土産ね? 「ぐるぐると役所を回って次に行く」お客様をお迎えしたんですから。
「ですから少輔の仕事を手伝っていた件については、閣下のご指導に全面的に従います」
綱紀粛正以上に目立つ実績など必要ないでしょうに、親父どのの引退を待つだけなんだから。だいたい散位寮については機能不全など皆無であります!
「もう少々、何かないものかな。式部を預かる身ではあるが、私は強引な指揮監督権を発動しようとは思わない。意欲的な諸卿による自主的な行動あってこそ、王国の繁栄は続くものと信じている……尚書どのも。散位寮でなければいけないと、そういう話ではあるまい?」
その言葉を聞きたかった!
議論は立派なんだよな、式部卿宮さま。ただ何と言うかこう、そのスタイルを採用されるなら、もう少し我欲は抑えていただきたかった……イヤなことを思い出しそうだ。切り替えなくては。
エミール:建築に強いバルベルク侯爵家総領。差配と指揮の才を持つ
アルバ家:トワ系貴族を代表する公爵家の一つ
式部省:≒文部科学省兼人事院
散位寮:式部省の外局。創設したヒロはその功により権益を認められている
ベルガラック家:式部族「卿の家柄」。当主の三男がサヴィニヤン、長男の子がアベル
桂花大輔:若き日先々代国王に諫言を呈し不興を買ったため出世の道を断たれた硬骨漢




