第三百六十八話 四者会合 その2
「マックス……オーウェル男爵閣下に、直接伝える」
「なぜこの場で明かしてはいただけないのです? 私はあるじから任を受けた身。何か不都合でも……」
血気と表情が消えてゆく。口にしながら結論に到達した顔だった。
「すでに試したのだろう? 周囲の忠言は逆効果だ」
案の定、期待通りの展開――あるじが「溺れ込んでいる」のはやはり好ましくない女なのだ――に、いかにもオーウェル家らしい爽快な表情を取り戻した男が無言で頭を下げてきた。
そう、事実がどうあれ批判すべきではないのだ。男の母親・恋人・趣味というものは。友人関係にヒビが入るし、相手はますます頑なになる。チキウに置いてきた苦い思い出だ。
「私たちにも言えない、伝えるべきではないと?」
「マックスさんに判断してもらいます」
やはり半ばは想像がついたであろうリーモン子爵にも、伝えるべき言葉は無いけれど。
「いつまで保つか」
会議の切れ目に席を立った背に投げかけるのは、「王の足」としてどうなのかと。
ともかく、他人が結論を押し付けるべきではないのだ。
できるだけ客観的に彼女の情報を伝えるならば……と、小休止の間に急いで手紙をしたためた。
「名はディアネラ・ハラ。チャイコフスキー商会幹部・ハラ氏の庶子である。
当カレワラ家を襲撃し返り討ちにされたロンディア聖堂騎士団員オーギュスト・ハラ(ハラ氏の猶子)の復讐と称してヒロ・カレワラの暗殺を図る。
その過程で剣士エルキュール・ソシュールと知り合い、相語らって前ロンディア聖堂枢機卿グレゴリウス氏を殺害。またフィリア・メル子爵を狙撃。
3年前には南嶺侵攻の原因となる旧都守備隊幹部連続殺人事件を起こしたと目されている。
その後、兵部津で聖神教の枢機卿を殺害。サンバラ州で船を強奪し南嶺に渡る途中で事故に遭い、死亡したものと見られていた。
なお、連れている男子はエルキュールの子と想像される」
不思議なもので、殺意を向けられている間は大物と思えなかったけれど。
書き起こしてみると凶悪犯罪者、どう好意的に見ても重大政治犯であった。
「現在も聖神教の追及は続いている。鶺鴒湖――クロム州――オーウェル郷のライン以東に足を踏み入れればメル家の諜報担当の手も及ぶ。生存情報が広まれば危険が及ぶゆえ、身元確認は差し止められたし」
反故を一枚作ってしまった。
「ディアネラの身に危険が及ぶ」の一語を訂正するために。
「僕個人としては、思うところ無し。マクシミリアン兄の判断に異を唱えるつもりはない。フィリア・メル子爵閣下にのみ一報を入れる。狙撃された彼女にはディアネラの生存を知る権利があるものと思料する」
オーウェル家の郎党衆に知られれば「殺せ」のひと言だろう。
大メル家と聖神教を敵に回しかねないうえ、カレワラに弱みを握られたも同然と来ては。
……ディアネラは何を間違ったのだろう。
いや、そもそも彼女は何か間違ったことをしただろうか。
(結果が全てだ。ヒロ、お前を殺せなかった。南嶺にたどりつけなかった)
(貴族として言わせてもらえば、恋そのものが好ましくない。オーギュストに惚れたこと、エルキュールに身を許したこと。このふたつが間違いだな)
(ネヴィル、なにも自分を責めなくたって)
いずれにせよマックスも男だ、自分でどうにかするほかない。
そして俺も。男同士の宣言であるからには、他に漏らすなどあり得ぬのである。
……そう思っていた時期が僕にもありました。
繰り返すが、男の「趣味・恋人・母親」に対しては批判を口にすべきでないとされる。
男にとって女(妻)と母はそれぐらいには大切だ、さすがに知っていたけれど。
ひとり異郷にありて異客となった身にはそのあたりの実感がすっぽりと抜けていた。
四者会合を終えた直後の小宴にぱっと花が咲いたと錯覚したのは、躍り出た人影のせいだ。リーモン子爵夫人にニコラス辺境伯夫人、そしてオーウェル子爵夫人すなわちマックスの母君。
待ち構えていたのだろう、ドレスの裾を蹴立てながら間を詰めてくる。
(ドレスの裾はそもそも蹴立てるものなのよねえ)
(ビビリすぎでしょ)
どうにか笑顔を作り直した若僧の機嫌を窺うなど、貴婦人のなすべきことにあらず。「王の足」の名に恥じず最初に口火を切ったのは辺境伯夫人であった。
ご息女レディ・ハンナによく似た、いや、それ以上に鋭角的なつくりを……隠そうとするなど無駄なこと、自分の魅力は自力で押し出すほかに無いと悟りを開いたに違いない。それはもう分かりやすく魅力的なご婦人であった。
「朝廷への復帰、まことにおめでとうございます。四家の題銘に基づき改めてお力添えを願いたく存じます」
甘んじてウチの後塵を拝してりゃいいんだよ……ですか。
夫婦で足並み揃えて前へ前へ、これぞ辺境伯ですわね。
ニコラス辺境伯が規律を重んずる理由もそこはかとなく知れたような。
およそ法なり規律とはナマの力に対抗すべく進化発展を遂げたものだと聞きますし。
「決まりだから」のひと言は、弱き者が身を守るためにあるんだなって。
「マチルダさまからは心尽くしの数々、まことに心強く」
「オーウェル家の温かき励ましのおかげで義父(先代リーモン子爵)が大病を乗り切れましたこと、昨日のことのように……」
……すっかり忘れていた。今度見舞いに行かなくては。
強さばかりではなく、こういうところも奥様がたには及ばない。
「お初にお目にかかりますカレワラ閣下。七日休んでいれば治るとはまことですか?」
お茶出ししていたメイドさんから仕入れたんですね、オーウェル夫人。
すると先ほどの言葉も……
「息子マクシミリアンからは細やかな配慮の持ち主と伺っております」
「ご存じのことがあるならば教えて差し上げるべきでは」
「ご主人が病に倒れられている中、少しでも明るい知らせを」
ここで言わねば不人情、言えば男がすたるというヤツで。
「いつまで保つか」と口にした辺境伯が愉快げにこちらを眺めていた。
「もう8年も前になるのかしら。船でご一緒していた方と結ばれたのでしょう?」
言葉に詰まる若僧に、リーモン夫人が助け舟……のはずが。
「遠く離れているのを良いことに愛人を作っておいでとか。当家でも夫また息子にはよくよく気を配っておかなければ」
こういうところこそ絶対に及ばないとは存じおるつもりではありますが。
それにしても遠く離れた西海にあってよくご存じですね、辺境伯夫人?
「だから男を単身で遠くに遣わしてはいけないのです。せめて安心できる娘か知りたいのが親心」
女性の追及とはこういうもの。
あっち行ったと思ったらこっちに戻ってくるのである。
もう勘弁してくれと。
「言葉を交わしたことがある、それだけのことです。長所を私から口にしては無用の疑惑を招きます。短所を口にしては誹謗となりましょう。マクシミリアン兄からのご報告、またご挨拶をどうぞ楽しみにお待ちください」
聖神教もメル家も、それは言うまでも無く強大ではあるけれど。
母は強い。そして息子に弱い。ならば姑に認められさえすればどうとでも。
ディアネラもいろいろ苦労しただろうけど、これ以上俺にツケを回す理由もあるまい。




