第三百六十七話 アケm@steおめでとうございます その2
門を潜れば我ら近衛は気楽な限り、陛下と王室の皆さまが和気藹々とお過ごしになるその周辺を固めておれば良いだけで。
住まいは夏を旨とすべしなどと言うが、都の西北は山裾に鎮まる離宮では床から這い上がる冷気も厳しく、それでも注ぐ陽射しがようやく頬に暖をもたらす頃合、にわかに奥が活気づいた。ほぼタイムスケジュールどおり、昼餐のお時間である。
次の間に控える我らにもお振舞いがあったが、「改めて警護に指示を……」と席を外してひとわたり、侘びた庭など眺めること小半刻。要は蔵人頭やら辺境伯やらを毒見役に使っているのだ。
警護のためそれを許されるのが近衛中隊長、一目置かれるとはこのことで(なお、陛下また諸殿下の毒見は先乗りした専門職の仕事である)。
そして若僧に、そう……「凌がれる」不愉快が理由というわけでもあるまいが、在席の皆さま――おおまか「えらい」順にニコラス辺境伯、蔵人頭リーモン子爵、アルバ前男爵にエドワード・キュビ&アルノルト・ヴァルメル両小隊長――が、揃いも揃って胸焼けでもしたかのような苦い顔。
なるほど正月行事で我ら軒並み胃には負担がかかっているけれど。
それほど濃厚な料理でも並んでいるかとひそかに卓を眺めやれば。
むしろなんだ、素朴?……お年を召された王太后陛下のお好みに合わせているのかな、などと。
(王室の昼餐会じゃないのよ? 客が若手中堅と分かってれば合わせるに決まってんじゃない)
(単にセンスが古いんだよ。王室のレベルを知らない俺が言って良いかは分からんが)
お前が何かとセンスあることは知ってるけどさネヴィル。賞味期限じゃあるまいし、料理に古いも新しいも……いや、あるか。チキウでも二郎系とか家系とか、たぶん21世紀になって生まれた言葉だろうし。
ああジロウ、お前には関係ない。磐森帰ったらトンコツが待ってるからな。
しかしなるほど、そうした視点で眺めてみれば。
離宮らしき雅趣に静けさ、そう思われたあれこれがうらぶれたもの寂しさのごとく目に映り始めるのだから不思議なものだ。
白磁の器に浮かぶわずかなくすみ、部屋に掛けられたファブリックの小さなほつれ。調度に絵画、給仕にあたる人々の服装に至るまで、そこには何かと「至らぬ」磐森とはまた違った「欠け」が存在していた。注いだ丹精が小さな隙間からこぼれ続けているかのような……そう、心象風景とはこれを言うのだろうか……一面の眺めに、寒中とはまた違った冷えがぞくりと背筋を這い登る。
(かつての磐森、いえ私よヒロ。責任から逃げて都落ちした)
(体を、いやまさに身を「持ち崩す」ってヤツさ。心の支えを失った男と同じ)
舌打ちが聞こえた。そのガラの悪さが、荒削りな力強さがこの時は好ましかった。
幸いにして周囲の人々が覚えた興味は明らかに異なっていたらしい。
思えば列席者はほぼほぼ軍職であった。それもひとりならばともかく四人五人、インディーズにメルにキュビと来ればなおのこと、集団心理を生ぜずにはいられない。
食い物の好悪、器の美など口にするのは軟弱だ、何でも残さず詰め込むべしと。そうした軍人気質・益荒男ぶりをことさら張り合うに決まっているはず……と開き直れば、どうにか主人と目を合わせることもできるというもの。離宮の入口で挨拶を交わした五十がらみの男、公爵・王太后宮大夫であった。
が、そもそもそこから食い違っている。職責上、王太后陛下主催の昼餐会を取り仕切っているはずなのだ。
だが頽廃を思わせようとそこはトワ系の高官らしく、こちらの疑問に先回り。
「王太后陛下のお申し付けにより、こちらへ回ることに」
「それは……」
光栄ですだの、口を開きかけたところで。
「感謝してもらいたいものだ」
冗談でも皮肉でも無く、正面から言い放たれては言葉を失わざるを得ない。
いや、幸か不幸かこの手の扱いを受けた経験も皆無ではない。
だがそうした人物は決まって必要以上に傲岸不遜、意識的にマウント取りに来たもので。
ならばこちらとしては流すなり毒づくなり真正面からマウント取り返すなり、対応策もあるのだが。
ところがこちらの公爵閣下、明け透けな笑顔を浮かべて言い放つのだからたまらない。
「え、ええ。破格の待遇感謝申し上げます」
そこは客らしく下手に出れば、男いや公爵はどこまでも上機嫌であった。
酔っているわけでもなさそうだがその頬は妙に紅潮していて。
「まこと殊勝である。御世替わりも近いようだが、何か欲しいものはあるかな?」
はいアウトー。助かった、いや大問題だが助かった。
エヘンエヘン、へっくしょーい。
「何を誤魔化す。若い者が遠慮などするものではない。御世が替わったその暁には……」
だから、御世替わりってのは!
口にすべからざることが起こるか、お疲れを覚えられ……やはり口にすべきことではない。ともかくパブリックな場で「下」が口にしては大変なことになる。
「エドワード! 公爵閣下が貴君にお庭を見せたいと仰せである」
がさつに見えるエドワードだが、実家にあっては微妙な立場。「継承周り」の繊細さはよくよくご存じのところだから。
肩を極め……肩を組んで出て行くふたりの姿に一同安堵のため息ひとつ、すかさず顔を見合わせる。
「前からこんな調子なのかいウォルター? たしかお年は五十……」
アルバ前男爵がその高い鼻を、ひと昔前ともに近衛府で過ごした友に向けていた。
「お年のせいでも何でもなく、以前よりこの調子だ。今回君が、アルバ家が参加と聞いて正直冷や冷やもので……ヒロ、君もだ。これまで朝覲行幸のたび外の警備に回した理由、分かってもらえるか?」
どうやら歴代中隊長の申し送り事項であったらしい。
「アレ……失礼、あの方を相手の会話は相当に注意が必要ですね」
先代陛下と外戚の公爵と、トワ系の顕官と。
そうした人々の関係を知らぬままではどうにもならない。
「なるほど、田舎育ち庶民上がりの年少者には厳しいものがある。私が外に出て二十年も過ぎようか、その間も近衛府は機能し続けているようで何より……しかし主人をつまみ出すとは」
都と鄙と。そういう考え方には賛同いたしかねますがね、ニコラス辺境伯閣下。
それを言うなら二十年西海の潮風に当たり続けた方のズレってものも……ああもう!
「聖上陛下が別室におわすこの状況で、館のあるじを斬るわけにいかないでしょう?」
大乱闘待ったなし。御身に危険が及びかねない。
「だから退席を命じつつ人質に取る、ね。エドワード……キュビは継承権者と関わりがないからか」
アルノルトは分かっている、というかやっぱり俺のセンスはメル仕込みなのだろう。
「我らトワ系が見て見ぬふりをしていたせいで、インディーズの諸卿には妙な苦労をかけていたらしい。それにしても斬る斬らないとは……いや、大逆とも受け取られかねぬ発言か」
それが軍職であります、アルバ前男爵閣下。
カイン・ニコラス氏相手に少々意地を張ったことは否定できませんけれど。
だいたいどうもこの離宮に来てからというもの、何かがおかしい。
平衡感覚が狂わされているかのような……。
「王太后陛下より、カレワラ中隊長に拝謁を許すとの仰せです」
それも大げさだ、何かおかしいと思いはすれど考えがまとまらない。
先を歩む女官殿とどうにも歩調が合わないからだ。
募る苛立ち、しかしその気配に勘付いて口を開くあたりはさすがメル家の幹部衆。
「それらしいものですわね」
王太后陛下へのお目通り、もちろん名誉ではある。
だが「警護責任者が部隊からひとり切り離される」状況に陥ることも間違いない。
ならば「一時的に指揮権を蔵人頭どのに預けます」と宣言するのは当たり前、「それらしい」も何もあるものかと。
「なぜ私が呼びに来たかとおっしゃいます? フィリア様の不参加はご存じでしょう?」
アスラーン殿下(ご夫妻)がおいでである以上、王国のタブーに由来するマナー(妹が同母姉の夫と行を共にするのは好ましくない)からフィリアが参加できないことは当然で。
重ね重ねの「当たり前」にフラストレーションは高まるばかり。
「それとも立花典侍さまを期待されて?」
レイナは出席している。父伯爵閣下ともども。
朝覲行幸はそれぐらいには大行列なのである、けれど。
そこではない。別室に控える臣下を呼ぶのに、末端でもゲスト(アスラーン殿下付き女官)のミッテラン女史を使うことはあるまい。王太后宮に勤める女官で何がいけないのかと。
「こちらの女官がたは『気後れがいたします』と。奥床しいのではなく責任逃れですわね。近衛中隊長閣下を何だと思っているのでしょう」
まんま返して良いですか、ミッテランさん?
こっち来てから正直しんどいのでね、殺気と言わぬまでも暴れたい気分を抑えるのに必死なんですが。
「これは、次席掌侍さま」
声をかけるや、先導してきたミッテラン女史が俺の後ろに回った。
案内を代わるあたり女官の「格」の問題だろうが、ともあれ正直助かった。
程度問題に過ぎない……胃もたれの代わりに胸焼け、鳥のから揚げをウォッカで流し込む心地だが、それでも。
「歳末の追儺は近年まれに見る盛事でしたわね。スレイマン殿下と息を合わせての競演、見惚れる女官も数知れず」
次席掌侍、スレイマン殿下の母君王妃殿下の懐刀だが。
それにしてもあれを「陛下の信任厚き」中隊長と「継承権に近い」王子との共同作業と言い張るあたり、ご苦労の多いことで。
それでもミッテラン女史がすかさず反論の嫌味を挟むあたり、どうやら俺にはモテ期が来ているらしい。だがおふたかたいずれにせよプロデュースするには、その。お年、いえキャリアが。私ごとき軽輩には勤まらぬのであります!
「新年のお祝いを申し上げます」
ヘヴィ級女官のジャブをかいくぐった後では、お目通りのプレッシャーなど……やっぱりキツい。
「ええ、まことにめでたき年ですわね。アスラーン殿下とクレメンティア妃殿下にお祝いを申し上げます」
ご懐妊の公式発表は朝覲行幸でと、これも閣議決定事項であった。
王室・ご家庭の行事にして、国の行事としてもなかなか重要なのである。
「中隊長どのにもひと足お先に慶事があるとか。お孫さま、来月なんですって?」
なんのかんのと、必死の答礼長広舌。
はい、これでお目通り終わり!……のはずが、さらにひと言加わった。
「うっかりしておりました。朝廷への復帰、お祝い申し上げなければいけませんでしたわね。幼き人々の幸せを願うあまり」
帳の向こうが騒がしい、つまり不規則発言である。
「老人は話が長くなっていけません。さ、中隊長どのにお茶を」
清げな童子……「幼き人」ですわね。
お茶出されるだけでも破格なのに。
「権を振るった亡き父また兄、甥の現公爵は自業自得。その息子も仕方無いこととは思います。が、四代にわたる不遇をさらに幼き人にまで背負わせるのはあまりに哀れ」
やっぱそういう話ですよねー。
甥御さまよりはよっぽど性質悪い、もとい筋が通っておいでであります。
でもこういうことは立花家なり中務宮さまなりの担当でしょう。あるいはせめてアスラーン殿下にお縋りするとか。なぜに私を選んでお話しになるのかと。
いや、かわいそうだとは思いますし、かわいらしいお子さんでもありますけども。
「断絶を経た方ならでは、私どもの気持ちを」
それを言われると弱いのである。
断絶を身に沁みて感じているとは……身を偽っているだけに。
「いえ、孫に等しき若君の晴れ舞台をお任せしたい、それだけのこと。どうぞお気軽に……」
せめて誰をプロデュースするか、リセマラとは言わないけどガチャ引くチャンスぐらいは……いや、レアキャラだよな間違いなく……でも何だろう、得した気がしないんですけど……。
王太后宮(離宮)の位置、モデルは四円寺や仁和寺のあたりです。
ロンディア聖堂(龍安寺・鹿苑寺あたりがモデル)の南西にあたります。




