第三十話 メル家にて その3
「ようこそメル家へ。座ったままで失礼します。」
にこやかに微笑むソフィア様は、書類の山を相手にしていた。
「千早さんとヒロさんですもの、遠慮はしません。お二人も……特にヒロさん、緊張しないでくつろいでくださいね。」
そんな言葉も、書類にサインをしながら発せられる。
本当に「準・身内」扱いしてくれているんだと実感した。
「それにしても姉さま、書類を片付けてからでも……。」
「ただサインするだけの退屈な作業ですもの。おしゃべりでもしていないと、ストレスがたまってしまうわ。かわいそうな姉のためと思って付き合って。ね、フィリア?」
っと、これリテイク。
そんなことを口にしたソフィア様。
笑顔を俺たちに向けたまま、書類を弾いていた。
「悪いわけではないけれど、どこか引っかかります。事情がありそうだから、このまとめの元になった資料を持ってくるように伝えてください。」
脇に控えていた、秘書らしき人が室外へと去っていった。
サインするだけって……ちゃんと見てるじゃないですか。
にこやかにおしゃべりしながら。
「もう!本当に面倒。フィリアも手伝ってくれる?」
「何の書類ですか、姉さま。」
「サクティ・メルの年度末報告と、新年度の人事関連よ。ざっと目を通すだけでも、お願い。……これは、こっちね。アレックスにも見てもらう必要があります。」
書類を右手にある箱に入れる。分量にして全体の2割程度。
左にも秘書らしき人がいる。アレックス様に見てもらう必要がない文書は、そっちに行くようだ。
……って、この人、ソフィア様の下にサインしてる。アレックス様の名前を。
アレックス様の秘書か!
あれ?
サクティ・メルって、総督はアレックス様じゃないの?
ほとんど全て、ソフィア様が宰領しているみたいだけど?
……という疑問が、全て顔に出ていたようだ。
こちらを見て悪戯っぽく、でも少し悲しげに微笑んでいるソフィア様と目が合った。
「サクティ・メルはメル家の領邦。『メル』の名がなければ動きません。実権を握っているのは私です。」
ひょいと書類を取り上げ、ひらひらと動かして見せる。
「たとえば、アレックスがサクティ・メルの人間に命令を下したとしても、動いてくれる人はいません。フィリアの命令なら動くでしょうけれど。……父がアレックスを総督に任命したのは、メル家内部に対する『箔付け』です。サインに連署することで、家中の者に権威を示し、徐々に実権も、という計らいなの。」
「姉さま、私が頼み事をしたとしても、さすがに正式に動く事はあり得ないと思いますよ。」
書類をチェックして、やはり左右に分けながら会話に参加するフィリア。
「こちらは、姉さまがチェックするまでもありません。サインだけお願いします。そちらは、チェックをお願いします。」
フィリアの言葉を受けて、ソフィア様がまた言葉を投げ返してくる。
「『正式に動く事はあり得ない』、そういうことです。正式に動かなくとも、サクティ・メルの人間ならば、フィリアのために、ありとあらゆる便宜を図るはずよ。でも、仮にアレックスが頼み事をしたならば……。郎党達は、最低限の協力をしつつ、私に報告を上げてくるでしょうね。『アレクサンドル様からこのようなご依頼を受けましたが、ソフィア様もご了承の上ということでよろしいでしょうか?』って。」
「かー。奥さんの尻に敷かれっぱなしかー。どれほどイケメンでも、それは情けないよ。浮気の一つもできないんじゃない?。小説のネタにもならない!」
暴言を吐いたピンクへの制裁を、アリエルに任せる。
こめかみをグリグリしていた。
「はい、サクティ・メルの分はおしまい!皆さんのおかげではかどりました。フィリアもありがとう。助かったわ。」
「ファンゾ島に関連する書類をお持ちいたしますか?」
秘書さんがお伺いを立てる。
「ええ、お願いします。退屈でしょうけれど、もう少し付き合ってくださいね?」
書類が運ばれてくるまでの間、しばし休憩。
「そう言えば、ファンゾ島って、どんなところなの?」
「新都の南東・ミーディエの南にあり、南へと伸びる大きな島でござる。」
千早が、口を開いた。
「『北ファンゾあるいはハイランド』、『中ファンゾあるいはローランド』、『南ファンゾあるいはプロヴィンス』の3つに分かれているでござるよ。大まかに申して、北は山岳、中央は平地、南は森。それとはまた別に、南北に複雑な丘陵地帯が走っている。そのような地域でござる。」
「詳しいんだね。」
「某は南ファンゾの生まれにござるゆえ。」
それ以上のことを言おうとしない。
天真会で集団生活を送っていたということだし、家族についてはあまり言いたくないのかもしれない。
これは、話題を少し変えるべきかな。メル寄りに。
そう思って、質問した。
「ファンゾ島は王国の直轄地ではないんですよね?メル家の領邦なんですか?」
「どちらでもない、と言うべきですね。リージョン・森と同様、現地の有力者による自治に委ねられています。」
フィリアが説明を替わった。
「30~40年前から、王国は極東に進出してきました。当時、いまの新都やカンヌ州にあたる地域に住んでいた『北賊』と、ファンゾの民は対立していたのです。進出してきた王国とファンゾの民は手を結び、北賊を排除していきました。その際の協定として、自治を認められた、というわけです。」
「もう少し細かく説明する必要がありますね。次に来る書類との兼ね合いでは。」
と、これはソフィア様。
「王国の極東進出は、当時から主にメル家の担当です。ファンゾの民は、王国ではなく、メル家に庇護を頼んだのです。彼らの自治は、メル家を通じて得られたもの。」
「知らないけれど、理解できる」ひとに教えるのって、楽しいものね?
俺を見てそんなことを口にしながら、ソフィア様の説明は続く。
「つまり、メル家とファンゾの民は、『親分・子分』、あるいは『主家と寄騎』の関係にあるのです。民と言うか、これも正確には有力者ね。俗に言う『ファンゾ百人衆』。」
「じゃあ、領邦ではないと言っても……。」
「ええ、実質はメル家の勢力圏です。自治の範囲を超える業務、紛争の裁定、賞罰、全てメル家の仕事です。戦争があれば彼らには兵を出す義務があり、私たちには彼らを保護する義務がある。そういう関係なの。」
ちょうど秘書さんが帰ってきた。
書類は3つの山に分けられていたが……。
一つだけがカートにうず高く積まれている。残りの二つは書類箱に収まるサイズ。
「今年も、ですか。」
ソフィア様が苦笑した。
「はい、紛争案件が。」
秘書さんが答える。
「まずは少ないほうから行きましょうか。賞罰の多くは、自治に任せていますので……。っと、どうやら北賊のスパイが捕まったようですね。こちらに伺いを立てています。」
そう言って、書類箱に入っていた文書をフィリアに渡すソフィア様。
勉強しろ、ということか。
「お二人もどうぞ。」
え?メル家の内部資料でしょ?まずいんじゃ?と思って顔を上げる。
秘書さんもやや怪訝な顔。
「ぜひ。お二人は身内同然ですもの。」
ソフィア様の目が笑っていない。
秘書さんが慌てて顔を伏せる。
すんませんっしたー。謹んで拝読いたしますです!
「相変わらずですね。スパイを捕まえた経緯や供述内容よりも、隣の豪族誰それが怪しいとか、いや、何某の領地の浜辺から上陸した、手落ちがあるとか。そちらに熱心。」
「フィリア殿。こればかりは変わらぬと存ずる。これがファンゾの民でござる。」
「アクの強い連中ってことでいいのかな、千早?」
ソフィア様が、2つ目の箱から書類を取り出した。
「後は、定例の挨拶に、……留学している子弟を交代させたい、等の話ですか。まあ問題はありませんね。フィリアも一応、読んでおきなさい。」
「ソフィア様。留学している子弟とは、つまりは人質ですか?」
ソフィア様に代わり、千早が教えてくれた。
「さよう。人質でござるよ。人質など出さずとも、メル家に逆らえば周囲から袋叩きでござろうに。」
「真面目な意味での留学でもあるのですよ。学問や鍛錬をし、メル家その他の新都の有力者と顔をつなぎ、戦争に備えて互助の約束を結んでおく。」
弱小勢力としては必須の外交と、そういうことか。
ニンジャのヒュームと同じ理由ね。
「交代ということは……代替わりですか。この家は現当主が健在ですから、問題は少なそうですね。」
ソフィア様から渡された書類を見たフィリアが、感想を述べる。
「舐められて周囲からちょっかいを出されるという小競り合いはござるまい。」
「さて。それでは本命にとりかかりますか。」
2つの書類箱を処理したソフィア様が、カートを見て微笑む。
「まさに山のごとき紛争案件。ファンゾ出身者としては、恥ずかしくなるでござるな。」
「千早さんが家を継いでくれれば、一番問題のある南ファンゾもまとまると思うのですけれど……。」
千早の顔が強張る。
「ごめんなさい、今の言葉は忘れて。」
ソフィア様が、即座に頭を下げた。
「もったいないお言葉にござる。申し訳のしようがないのは、むしろ某でござる。お許し願いたく……。」
千早も頭を下げる。
「さあ、姉さま、千早さん。とにかく仕事をしましょう。」
フィリアが強引に場を取り持った。
「百人もいるんじゃ、紛争も起こるよな、そりゃ。」
「『ファンゾ百人衆』は、通称でござる。おそらくは……。」
「ええ、もう少し多いですね。」
げんなりだ。