第三百六十四話 悲風 その4
カイン・(略)・ニコラス。
エッツィオまたミーディエと同じく当代からの辺境伯である。
年齢的には両者の間、つまりイーサンの父君デクスター伯爵に近い。
このニコラス辺境伯、王国に転生してより初めて見るタイプの男だった。
いわゆる鬼畜メガネに薄い顔、中背に肉の乗らぬ骨格。いつだかご令嬢のレディ・ハンナが「八代前でしたかしら? 我らの通婚」と口にしたのもむべなるかな。カイン氏の見た目、まるきり日本人なのである。
(いかにも勤め人ふうなのは昔っから。初代は中堅商会のそれこそいわゆる番頭はん、外回り担当だったのは知ってるでしょ?)
(初代湖賊が言えた義理か?)
噂を聞くたび、ものの考え方も俺とどこか似ているとは思っていた。
名高きはその秩序意識、ニコラス家と言えば軍規と返ってくるほどで。
王国人には珍しいその神経質ぶり、まさに日本人の水準に近いものがある。
(でもニコラス家は「王の足」、真っ先踏み出す突撃一番なんでしょ?)
(突撃番長、な?)
鉄兜を被っていようが頭が完全に隠れていようが構いつけはしない。
だが口は開けと。肩を並べているのにひと言も発しないとはいかなる了見か。
無口だとは聞いていなかったのだが。
鴻臚館の高い天井に靴音ばかりが響きわたる。
単調なリズムが物思いを誘う。
思えばこちらの貴族にコミュ強が多すぎるのだ。
目と目が合う瞬間好きだと気づこうが嫌いだと直観しようが構わず話しかけてくる。会話の中ですら主導権を握らずにはいられない、そんな強迫観念が社会に蔓延しているのではないかと思うほど。
おかげでこちらはリアクションさえ間違わねばどうにか過ごしていけるのだが、今日ばかりはそうも言っていられない。
「王都はだいぶ冷えて参りました。西海は暖かいと伺っておりますが」
当たり障りなき話題の鉄板と言えば天候だが、うるさげに頷かれるばかり。
ならば鉄板をもうひと押し。
「今年の北国は長雨で不作、西の豊作には助けられました」
アクが強かっただろうか、やはりはかばかしい返答が得られない。
会話が弾まぬまま鞍に身を任せ、朱雀大路を北へ北へ。
口を強く引き結びまっすぐ前に視線を置いたその様子、あるいは威儀を強く意識するものか。
なにせ都すずめに見物されながらの行列だもの、無様を見せれば噂がすぐに広まってしまう。
辺境伯の上京に、陛下は出迎えとして近衛中隊長を王都の入口まで派遣されたのであった。
これは慣例と言えば慣例、礼遇と言えば礼遇。監視警戒態勢でもある。
現にニコラス辺境伯、領国を出る際には船団を組んだ。友邦キュビ家の港に停泊を重ねたその船団を商都に預け、鶺鴒湖は南西のほとりに座する領村に兵を任せ。
それでもなお百の郎党を率いて王都は羅城門また鴻臚館を訪れたとあれば、そこは軍人を迎えに出す必要があるところ、「よしみ」があるから良いだろうと無神経な大身貴族は顎しゃくり、老獪な宮廷貴族は「これだからめぐり合わせは面白い」とほくそ笑む。
実際、ニコラス辺境伯を迎えたインディーズ軍人三家は妙な緊張状態に陥っていた。
辺境伯に任ぜられたニコラス家、その領地の大きさゆえに「我こそ筆頭」と気負っている。
いや、そこは四家がそれぞれ勝手に自負しているところだが、カイン氏どうも威張っている。
謹厳と評判の家風までが傲岸に見えてくる。
(加えてうちは元々ニコラスと微妙なのよね)
(その謎かけは庶民の私にも分かるよ。「影」は「足」に踏みつけにされる、そういうことでしょ?)
「足」の側にも言い分はあるらしい。
先駆けて一歩を踏み出したつもりが、ぬるりと「影」がついてくる。風除けに利用されている。
ニコラスにとってカレワラは、そうした小ずるい存在に見えているらしい。
(80年の断絶、冷却期間があったんだろ? 当代は似た者どうしなんだし)
(分かってないな朝倉、貴族ってものを)
それぐらいでは埋まらないから微妙な関係と言うわけで。
事実出会ったその時から噛み合わない。
だんまりなら仕方ありませんねと、小さなジャブを打たずにいられなくなるのも相性の悪さゆえ。
陛下に拝謁されて後、四家会合でお耳に入れようと思っていたネタなんですけどね?
「エッツィオとミーディエの両辺境伯閣下から、お言伝てをいただいております」
夫人のご実家クロイツ侯爵家の縁で、ミーディエ辺境伯は南嶺事情に通じている。
そちらの視点から外海航路の重要性について触れてあった。
「エッツィオからも、当該海域の管理については特段の異論無しと。また小さなところで、犯罪者が王畿方面へと逃亡したそうです。『王都の治安を司るインディーズ四家の皆さまでよしなに』と」
犯罪者が邦境を越えるのはよくあること、担当部局レベルで連絡取り合えば済むところだが。
「ひっかかる」とて付け加えられた情報に、俺は頭痛を覚えていた。
そしてここまで何を告げても反応の薄かったカイン・ニコラス氏も、ついに「ひっかかり」と……俺に対する苛立ちを覚えたらしい。
「辺境伯どうし、書簡のやり取りは直接に行ってきたつもりだが。朝廷に復帰するなり忍び入るあたりさすがは『王の影』、恐れ入るほか無い」
どうあっても小ずるく見えるらしい。
東の両辺境伯閣下もこれ、絶対分かって煽りに来たな?
「途次サンバラでも愚痴を聞かされた。『こちらで外海の賊を抑える目途が立ちかけているのに』とのこと。マクシミリアンの愛人、海賊連中の間で妙なカリスマを得ているらしい」
それならそれでも構わない。
国境、また航路。安定してくれるのが一番だから。
「しかし連れ子では難しいかと。悪名高くもいちおう貴族のヘクマチアルと、カレワラと。血統で固めるほうが安定しましょう。水軍のノウハウを持たぬオーウェルには、まず内海を任せてはいかが?……十年以上になりますか、ニコラス閣下。我らはどうも入れ違ってばかり」
淀み無く切り出していくあたり、さすがは立花系……いや物慣れたおとな、生粋の貴族と言うべきか。軍旅宮廷あるいは陋巷、いずれにあっても収まりの良い蔵人頭ウォルター・リーモン子爵閣下が王宮は朱雀門を潜ったところで出迎えに立っていた。
「久しぶりだなウォルター、カインで構わないよ」
和やかなその声、下がった目尻。
当家ばかりがよほどお気に召さぬものかと思ったが。
「だがことの本質は海賊問題だろう? 目に付き次第片付けておいた。辺境の治安を預かるがゆえの辺境伯」
顔色ひとつ変えず、四家の間で切るまでも無い大見得とあっては。
さすがのリーモン閣下もしばし言葉を失うほどで。
(ヒロ。あなたがマージダを抱いてれば、その名で連中の親分になっていれば)
(ニコラスも手出しはできなかったな)
少しばかり憐れを催さないでも無いが、海賊の末路と言えなくも無い。
だがそんな感傷より善後策の算段より先に立つのは反発だった。
国境水域の管理に腐心するオーウェルの面子を潰し、代案出したカレワラにケンカを売り、リーモンの仲裁案を一顧だにせず面前で蹴る?
どうやら西海も極東に劣らず、ゆとり乏しき状況にあるようですね。
同意と協調、王都のお約束をお忘れになるほどに。
「踏み出すゆえに『王の足』、ならば送り足は影に任されたい。ことの本質は三十年にわたり王都を悩ませ続けたヘクマチアル問題――外地へ出向された諸卿には歯が立たなかった食い残しですが――来年中に片をつけます。王都の治安を預かるがゆえの近衛中隊長として」
悲風は人が起こすもの、こちらが吹かせて悪いことも無かろうと。
アカイウスにちうへい、ついでにアリエルの不敵な笑顔を見る限り。




