第三百六十四話 悲風 その3
「競弓、ねえ?」
渟垂河の治安維持活動にあたっていたスゥツ・チェンが帰還したその日。
磐森に集う面々は、いつにも増して平均年齢が低かった。
鶺鴒湖以西の下流域はトワ系の縄張りにして、西国領邦貴族にとっては本国と都をつなぐ大動脈であるだけに。ステークホルダーと言うべき皆さん、周辺の情勢とスゥツの実績と、そのあたりを押さえるためにおでましで。
そのこと自体は良いのだが。
王国の若い男が集まれば、無駄に意地と面子の張り合いが起こらざるを得ぬわけで。
「私は遠慮するよ。若い人たちに立ち交じっては軽々しいし、判者がいなくても困るだろう?」
(自信が無いんですね分かります)
うるせえでございますよ。
こればっかりは文官武官関係無く貴族の嗜み、付け焼刃には厳しいんだよ。
的に当てようと思えば実践的な構えになるし、所作を重んじれば矢がへろへろだし。
「当家からは我が右腕アカイウスを出す。またこの期に客人のレネギウス・エクシアを紹介しよう」
(大人げないよヒロ君)
(主催者が恥かくわけにはいかないんだよ。内心でバカにするのは止められないけどな)
そんなことより見たまえ諸君、すっきりと若々しいスゥツの構えを。
これならロシウ父さんにも見せられる。
いよいよ来春には近衛府入り、これでトワ系最高峰の四公爵家、その後継が近衛府に……。
(頑張って押さえつけなさいよ、冗談じゃ無く)
……相方を務めるユウも立派だなー。
同じ塚原門下の先輩として鼻が高い。
相方と言えば、やめときゃ良いのにアベルがヴィルの相方を申し出たせいで。
「遊芸に用いる弓など、ファン・デールゼン家では持ち合わせておりません。お借りいたしたく」
などとヴィルがさらに意地を張れば、とばっちりを受けるのは俺なのである。
これ言われたら弱い弓を出すわけにいかなくなってしまう。
「面憎き言葉を聞くものだ、ならば当家で手習いに用いる弓を」
トレーニング用、つまり愛用の弓よりも強いヤツを貸すことでお茶濁す。
練習用だし? 俺が戦場で使うのはもっと強い弓だし?
(朝倉振り回すばっかりで弓なんか使わないのよねえ)
(ほんとしょうも無いことで見栄張るんだねえ、男ってのは)
小柄なヴィル、いったん作法どおりに構えて、強弓にふらついて。
無作法にも舌打ちするや、腰を落としたブサイクなしかし力の入る構えに改めて。
それでもやっぱり引き切れていない。
(だが義兄のクラースよりは筋良いぜこれ)
(あいつは軟禁状態だったんだよネヴィル。割引いてやれ)
引ききらぬまま的には当てるのだから、実践弓術も奥が深いと思わされるけれど。
ヴィルめ、アベルを鼻で笑うや弓を肩にかけたまま席に戻っていく。
戦利品、大変けっこうですけれど。あなたそんなに貧乏じゃないでしょ?
(ファン・デールゼン家で「ヒロの弓はこの程度」ってやるためよ、おバカ)
それは微妙に腹が立つ。
それとは別腹で微妙にイラッと来た若い皆さん、「その弓よこせ、俺もそれで当てたるわ」と無意味な競争がひとわたり。
引けたヤツ引けないヤツ、当てたヤツ外したヤツ。競弓なるもの、それならそれで良いと言っている、いや言われるまでもなく品位を示すものと知っているはずなのに。白黒つけるだの第二ラウンドで競馬だの言い出すからめんどくさい。
「身分高き皆さまが手習いの弓を争うとは見苦しい。懐寂しき俺にこそ」
アカイウスから耳打ち受けた説法師のレネギウス、あっさりへし折りおった。
当家で壊せば面子は保たれるには違いない。はいはい、あとで何か奢るから!
「なあヒロ。例の牧場の件、継続交渉にメル家から出てくるメンツな。ひとり場違いに若いヤツがいるだろう?」
年長を気取って競弓に参加もせずと、そんなことを口にするエミールよりは年上だったはず。
「ヒロとは入れ違いに抜擢されたって聞いてるが、やっぱり接触済みか。どこにでも顔を出すんだな」
エミールはギュンメル・ウッドメル、若き両伯爵の従兄弟である。
だから大抵の王都貴族に比べて極東事情に詳しいということはあるが、それにしても。
メル家の郎党事情にまでアンテナ伸ばしている男がよくぞ言うものだと。
「ほどなくしてエッツィオ領に派遣され、2年前の対北賊戦に参加。復員して即、ソフィア様の側近だ。そのあたりまで含めて『ヒロとは入れ違い』って言われてるな、極東では」
何しに来たものやら、と言うより割と俺には密着気味のアルノルト・ヴァルメルの言葉に、ならばさらなる情報をと手招きすれば。
「対北の前線で肩並べましたよ。ソツがない……と言っては悪口か。何やらせてもきっちりこなす男でした。カレワラ家からの援軍と知れてからというもの、ヒマさえあれば閣下のことを聞かれたものです。都での動静、評判」
弓を放り捨てたレネギウス、懐かしげに北の空を見上げていた。
「極東メル家では時の人だからな、ヒロは。『征北将軍は望むべくもないが、カレワラ男爵ならば』。『励んでソフィアさまの目に止まれば俺だって』。さすがは近衛中隊長、王国の若手貴族みな仰ぎ見る模範ってわけだ」
微妙にこすることはないんじゃありません、アルノルトさん?
「交渉メンバーに名を連ねてるとこから見てもどうやら決まりだな、預託商法の発案者。ヒロに学んでその発想を越えてきた、か」
エミールの断言を否定する気にはなれなかった。
大戦直後の鍛錬場、俺を目掛けて「これから戦場はエッツィオ領ですね」と。かけて来た声の張り、見合わせた目の輝き。視野の広い少年だった。
(ああん? 最近だらしねえな)
(そうだね朝倉、小役人めいた最近のヒロ君とは切れ味が違うよ)
言いますがね。社会のシステムが、立場が違うんですよ。
極東は何でも試せるフロンティア、柔軟でありつつ意志強き独裁者を戴いて。
その下で働けるなら……
(カレワラ家がメル家の下に立つことは許さない)
(当主なら己が上に立て。前に出ろ)
「常識的に考えれば、才を生むのは厚い層と広い裾野だろう? どうなってんだ極東は」
「極東が生んだのは、クラースにマグナム。李紘にドメニコ・ドゥオモ、セルジュ・モンテスキュー、それに俺ことアルノルト・ヴァルメル。その『程度』をどう評価していただけるかだな。おっと、かんじんのヒロを忘れてた」
若手の層の厚さ、質の高さに違いがある。エミールはそう信じているし、かつてフィリアも嘆いたけれど。
それでも積み上げ組み込んで、物量そのものが持つ重みでにじるように前進する。
才に乏しいソフィアさまの、それが戦い方で。
「せっかく王都の喧騒を避けての宴、私どもも趣あるお話を陰ながら伺えるものと期待しておりますに」
当家侍女長どのも必死である。
聞こえていたかいなかったか、競弓の若者たちもいつの間にやら戻っていて。
ま、若い男が集まれば……侍女長の期待する話題になるはずが。
「商都土産のお礼言上に参じました」
エミールがさっそくに顔をしかめていた。
男の宴に軍装の可愛げ無き女、しかも鼻つまみ者のヘクマチアルとあっては。
家の代表として挨拶の要があるならば出て来て悪いことも無い、けれど。
いかがなものかとは思う。
留学あるいはホームステイ的に引き受けた13歳の子供に配ったお土産に、返礼と言われても。
それでも箱を差し出されてみれば、周囲の公達連中が興味津々。
呼ばれもせずにしゃしゃり出て、わざわざ場に出すのであれば「退屈だけは許さん」。
相手が男だろうと女だろうと、すべてはそこに集約される。
促されるまま蓋を開けてみたところが、真珠であった。
海産物のお礼に海産物? 男が女に贈るならともかく? それもただひと粒?
その寓意に思いを馳せて言葉を失った俺の顔に、容赦無く視線をぶつけて来る。
目の前の少女、マージダ・ヘクマチアルは子供ではなかった。
「ええ。サンバラ州の名産です」
商都また兵部津と、B・O・キュビ家また双葉の諸豪を繋ぐ島。
「受けていただきたく、参じました」
彼女の伯父ターヘル・ヘクマチアルが10年以上支配してきた土地。
その郎党、地元勢力は海賊そのものと言って良い。
「『王の肱』オーウェル、用兵は禦をもって先と為す。王国側を、サンバラ・商都・兵部津の海域を重視すれば、外縁は二の次にならざるを得ない」
口にして目を細めたスゥツに面と向き合ったマージダの声は低かった。
「翻って我らヘクマチアル、その本質は『賊』。境界に、周縁に生きる家です」
サンバラすなわち王国とキュビ、キュビと双葉島、双葉島と王国。境界となる海域からヘクマチアルが、「まとめ役」が消えてしまった。
王都に帰ったターヘルはユースフと家督を争っているが、いずれ自分勝手なふたりだ。海賊など打ち捨てて顧みないはず。
船手が不安を覚える、ちうへいが折衝で苦労させられる、その本質はここにあった。
「ヘクマチアルの家名は旗印たりえます。しかし私は千早さんと違って霊能持ちではない。軍略を学んだわけでもありません。男子が必要です」
あけすけに女性の……館の主、その妻たる人の名を口に出し、あまつさえ子の話。
なるほど退屈はさせてくれそうもないが、耐えられない男もいる。
「控えろ」
「この真珠を手に取る度胸の無い男が女に愛嬌を求めるのですか」
なるほど、エミールならば必要に応じてそれをする。
いや、誰であれ。横から書類をかっさらうなど王宮では日常茶飯事で。
「『サンバラから外へ向かう航路を望むなら我が手を取れ』かい? ……一本だ、エミール。仕方ないさ、こいつは領邦貴族いや土豪の理屈だよ」
軽く口にしたアルノルト、裏腹にエミールへ身を寄せていた。
気遣い感謝としか言い様が無い。
「家督争いに勝てば、父は中央政府に腰を据え出世のため他家と新たな縁を結ぶでしょう。私は地方に活路を見出す他に無い。ミューラーのように対等を望むことかないませんが、カレワラの寄騎として庇護を受けたいのです。エイヴォンにも負けぬ活躍、お約束いたします」
言葉を切ったマージダがエミールから切った視線は、俺に向かっていなかった。
「心中ではお認めになっているはず。カレワラは強い。強くなった。外海に手を伸ばすほどに。我ら弱小はその外海を、全力を集中して強大の一翼を、伸びた腰を撃つほかに無い。あなた、いえご当主が歩んで来た道と同じです」
言い換えるまでもない。
それは俺では無く、他の大族に対する宣言で。
「同族トワのお歴々において異議をお持ちなら、カレワラに航路を仕切られたくないとお考えなら、どうぞお申し出いただきたい。ご当家でもフレデリク・タレーランさまからはお文をいただきました。私の意図に気づいたのはあの方ひとり、『共にカレワラ家を支えてはいただけませんか。血統身代の不足は承知の上、それでも十年いえ五年の後には必ず』……心動かされました」
待遇改善に必死にもなるわけだ。
内にあって、よく似た俺をじっと見詰めて。
それで良い。それが良い。アカイウスの足引っ張る連中とは違う。何であれ前を見てもがく姿は尊い。
だから俺もなすべきことを。
まずはフレデリクが情熱と焦燥のあまりよそのお家から「ご挨拶」を過剰に受けてはいないか調査である。
「アホが。さっさと夜這いかけて既成事実作ればヒロだって追認するものを……いや失礼、王都のご令嬢にしておくのは惜しい」
口説き文句をばらされて羞恥もとい栄誉に赤くなるフレデリクの頬には青あざが浮かんでいた。
「零細王族だった母からよく聞かされました。白馬で乗り付けたそうですよ、あのユースフ・ヘクマチアルが。そのくせ娘には『身辺の堅固にはよくよく気を使うように』。よくぞ言うものです。血筋目当ての賊魁と、全てを見ぬ振りして都合良く乗っかった嫁き遅れが」
「よほど尊敬しているらしいね、ご両親を」
笑いのうちに話題を転換しつつ、皆さまさらさらとフェードアウト。
十代半ばにもならぬうちから、そうした技術はモノにしているのだからたまらない。
いずれにせよ、メル家のアルノルト、B・T・キュビとニコラスの若君にトワ系の公達連中。大族の集まる前でマージダは宣言してみせたのだ。
「浮いているサンバラ航路をどう押さえるのか、前任者ヘクマチアルはカレワラに委ねるつもりである」と。
高樹……というほど伸び切る前から、大族からの悲風がまたも厳しさを増す。
若い人々の突き上げ、その鋭さ重さもいやというほど思い知らされて。
いや、鋭く重いというにはあまりに荒削り、粗雑であろう。
さすがに俺はもう少しお膳立てに気を使っていたと思う。
(「昔の俺は」、「最近の若い者は」)
(フレデリクともマージダとも違って、行動に出ないくせに?)
(二十歳の老害ってこれもうわかんねえな)
うるさい! 自分で作った縁じゃない他人のふんどしをあてにするなんざ謀略の類だ、実が無い。そう簡単には結果に結びつかんのじゃ!
だいたいだな。ターヘルに捨てられた郎党連中が、ヘクマチアルの紋章見て従うとでも?
(地方豪族はさんざん見て来たでしょ?)
お隣さんを囲んでフクロにできるなら口実は何だって良いんだよな。
故・モリー老の生き様を見るにつけ。
ため息つけば炎色がたちまちにシルエットへと変わり行く頃合いで。
細いうなじを見せていたマージダも、知らず顔をもたげていた。
「父ユースフが私に伝えてくれたのはお歌のみ。ここのところ読み返してみて、思いました。私の気持ちはたぶん、恋とは違うのでしょう」
鋭い目、繊細で品の良い面持ち。
彼女の父ユースフはその中に重く暗い、狂気にも似た情念を抱えていたものだ。
「だからこそあなたと縁を結べる、私はそう信じています」
ひとの来し方を真剣に観察したならば。
その行く末……あるいは人となり。多少の予測が立っておかしくはない。
「真剣だってことは認めるさ」
裏切る……いや、受け入れるにせよ断るにせよ。
斜に構えていなした時、それは憎悪に変わるはず。
「あなたの生き方に興味が湧いた、そのことだけは確かです」
いつの間にやらミケめがマージダの足に顔をこすりつけていた。
渟垂河:淀川
鶺鴒湖:巨椋池
サンバラ州:淡路島
兵部津:神戸
商都:大阪
がモデルとなっております。




