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第三百六十三話 牛 その4


 エミールと思って扉を開けたところに、違う顔が覗いていた。

 思えば近衛府での接触は案外少ないかと、目尻を下げたのはこちらばかり。


 「捜査資料になってるクロードさんのスケッチブック、見せてくれるか?」


 切り口上から流れ作業、ぱらぱらとめくってゆく分厚い掌の下にあの日見た牛のデッサンが次々と現れる。

 あるいは老人と並んで立ち、またあるいは三頭がそれぞれ広い背に子供を乗せて歩み。丘の上で腹ばいになり、麓の炊煙に目をしばたたかせ。

 大きく頷いたマグナム、この際言葉づかいは許せと吐き捨てた。


 「完成した絵の所在、被害者の取引先という事になるだろう? あたりはついたか、ヒロ」


 考えたことも無かった。

 今のところ、画家ではなく鑑定家のセンで捜査が進められているから。 


 「お前でも分からないなら、他に近衛で分かるヤツはいないと思う。……富農、あるいは地生えの家名持ち。そのクラスを当たってみろ」


 まるで分からないと目を剥けば、微笑が返って来た。

 マグナムには珍しく、どこか中途半端な顔だった。


 「『ウチでは祖父様の代に牛を手に入れた』、『三人の孫に牛を相続させてやれるんだ』、『この牛が眺めている範囲全体、俺の農地だぞ』……そういう小さな自慢なんだよ、このテの絵は」


 シメイとはまた違う、それは絵画の解釈論で。


 「いい絵だよ。絵描きと言えば我が強いもの、都びとと言えば田舎を蔑むもの……僻みかな? ともかく、このデッサンはそうじゃない。まるで皮肉が感じられない。痩せ牛でも太らせて、疥癬持ちでも毛に艶を乗せて。誰に媚びる必要も無い名の通った画家なのに、客の気持ちを存分に汲み上げてる。誠実な仕事だと思わないか?」


 ティムルが調べたクロード、マグナムから見たクロード。

 シメイの評するクロード、俺の目に映ったクロード。

 人間というもの、ひと色ではない。知らぬでもなかった、つもりだが。


 「分かってもらえるか? 牛は俺たちにとって、それぐらいに特別なんだ」


 大きな背中越しに見える、俺には不相応なほど分厚い扉。

 思えばその頑丈な拳に叩かれることはめったに無かった。

 マグナムはいつまで「俺たち」の側でいるつもりなのかと。

 覚えた小さな苛立ちは、そのやり場を探す前に流されてしまう。


 「牛の預託商法、ヒロが担当になったって聞いた。規制してくれるんだろう?」

 

 規制する、そう画一的一方的に極め付けて良いものか。迷いどころではあった。

 例えば産業育成に熱心なノーフォーク家、その代理人ウコンからはまた別の要望が出されている。

 一律禁止でこちらの手まで縛るような交渉は避けるべきだ。節度を保つ限り預託商法はなかなか悪くない、王国の官営牧場等でも活用できるからと。

 「かつて右馬頭に任ぜられたヒロさんならお分かりいただけるでしょう?」の言葉、なかなかに響いたもので。そうして例のごとく煮え切らぬ顔を見せれば、それは駄目押しを呼び込まざるを得ない。

 

 「投資の知識も持たず、損を引き受ける余裕も無い。身のほど知らぬ極東の田舎者が見栄を張って金儲けにうつつを抜かすなぞ……近衛府を歩いてると嫌でも耳に入るんだ」


 このテの言葉を聞かされるたび、小さな憂鬱を覚えなくもない。

 しかし憂鬱で済ませ身のうちにとどめる俺を目の前にするたび、マグナムは小さな苛立ちを見せる。

 

 「どの口が言うんだ? 近衛府に入りたくて、上役に金の鳥を積む中流貴族か。中隊長になりたくて、戦場で足を引っ張る上流貴族か。年をとったら卿に閣僚になりたいって、なったんだぞって小さな見栄を張るお歴々か」


 誰に聞かれようと構わない、むしろ音にも聞けとばかり声を張り上げていた。


 「身内の恥をさらすぞ。知っての通りウチでは上の兄貴が農地を継いだ。下の兄貴が新都へ働きに出た。三男が俺、霊能のおかげで食えている。四番目の弟は好景気のおかげで小さな農地を分けてもらえた」

 

 「食えている」の言葉にだけは、苦笑を送っておく。

 仮にも近衛兵であれば、いわゆる「意識低い」発言ととられかねない。

 誰も良い思いをしない。得をすることもない。

 

 「下の兄貴、立場無いんだよ。イヤな言葉だが、兄弟で一番の負け犬だ。少しマシな負け犬、やっぱり土地をもらえなかった俺以外とは連絡を取ろうとしない。正月も『仕事が忙しいから』って言い訳して田舎に帰ろうとしないんだ」


 世間的にどれほど出世しようとも、なるほどマタコニ村におけるマグナムの扱いは「柿の木の家の三男坊」、「厄介者」にして「負け犬」であった。

 たまに帰省すれば、「お、マグナム。兄さんから聞いただろ? ウチの開墾手伝ってくれよ」と兄貴の命令で働かされるご身分で。


 「それでもな、メル家やイーサン、それにヒロ。お前たちのおかげで極東は平和で好景気。下の兄貴も小金を貯めた。そこに、『あなたも牛の共同所有者オーナーになれます。投資額が一定に達すればおひとりで引受けることも可能です』……」


 自分を棚に上げるなと言いたくもなったが、もたらされた情報が重かった。

 庶民にとって牛は特別。だから投資する気にもなる。当て込んだ商売が成り立つ。

 何が起きたか、マグナムがなにゆえ怒鳴り込む気を起こしたか。

 分からぬほどに鈍くはない、お互い分かっているはずなのに。


 「ああ、ケチな見栄だよ。カッコつけたかったんだ兄貴は。『俺も牛を買えるぐらいにはやれてんだ。マタコニで使ってくれ、使用料は安くしとくよ』……俺が兄貴だって同じこと考えるさ。金の問題じゃない。少しは見返してやりたかった、いや兄弟相手に肩身狭い思いするのが嫌だった、たまには実家に帰りたかった。それだけなんだよ。どんだけ夢膨らませてたかって思うと」


 新都で牛飼うわけにはいかない。

 一概に共感するわけにもいかない。流されること、俺には許されない。

 だから。不謹慎でも脳裏に流す、元祖日本語ラップミュージック。

 

 「手紙で金の無心されて知った。兄貴、メチャクチャに凹んでる。『恥ずかしくて。欲かいた報いかな』ってな。そうさ、あんた方貴族から説教されるまでも無い。分ってものぐらい俺達はわきまえてる!」


 他に誰もいない執務室。「あんた方」にはさすがに堪えかね席を蹴る。

 構わず投げつけられた紙束には大きくて不ぞろいな字が並んでいた。


 ――土地ももらえない次男の俺なんかが夢見ちゃいけねえよな、そりゃ。

 ――マグナム、お前みたいに学があったら騙されなくて済んだのかな。

 ――いまさら字を覚えたよ。誰にも言えない、代筆なんか頼めないからさ。


 「それで知ったよ。被害者は訴え出た人数の何倍もいるってな。なら兄貴から金を巻き上げたヤツは今どうしてるかって話だろ? 李老師に消息聞いたさ。『どこにもおらぬよ。残念であろうが、の。マグナム君、お主が為すべきは他にある、そういうことなのであろ』だとよ……いきり立ったら腕極められた」

  

 立ち姿がゆがんでいるとは思っていたが、どうりで。

 苦笑いひとつ、肩を回して背を伸ばし。ようやく「らしさ」を取り戻していた。

 

 落ち着きついでにこちらもひとつ、ドッペローム氏の論文には触れられていなかった事実を発見した。

 メル家による債務者保護、その目的は円滑な債務整理にあると。清算終了をもって解かれたという事実から見るに。

  

 「残ってるのはワロタ牧場、ほか幾つだ? 被害が出るまでは王国の法じゃ裁けないんだって?」


 あえて穏やかな口調に笑わぬ目。さんざん見て来た。

 王国男児がこうなってしまっては、サクティ領もソフィア様もない。


 「『現時点では、ワロタ牧場は一切被害を出してない』。そのことは知っておいてくれ。かりにいま商売を畳むなら、誰に非難されるいわれもないんだ」


 「庶民を相手に牛で釣る、牛で金儲けを企む。それだけでも許せないんだよ俺は!」

 

 新都あるいは極東における中産階級の、それが気分であると見てよいのだろう。

 問題の重さを教えてくれたこと感謝する。こちらも腹が据わったよ。


 「知ってのとおり、俺がどうにかすると決まった。手出しは無用だ」


 何も言い返して来ない。ただただこちらを見下ろすばかり。  

 身長をコンプレックスに思ったことは無いが、20cmの差が今はもどかしい。やりきれない。体ばかりでかくなりやがって。


 睨み合い膠着するほか無い状況はノックの音に破られた。

 待ち人来たる、最高のタイミングで。


 「少し良いか?……ああマグナム、席を外すことはない。極東出身なら、むしろいてくれたほうが……ヒロ、例のワロタ牧場だの預託商法だの、君が考えたわけじゃないよな? 極東への置き土産って」


 最低であった。

 エミールめ俺を殺すつもりかと。


 「何だ? 言わせてもらえば思考の筋道が似ているんだよ。どうにも読めないってだけの話だが」


 睨み合いのマッチメイクが書き換えられても冷笑を浮かべるばかり。

 こいつも大概良い根性してる。


 「預託商法なんか知るか。ややこしい話ならトワの専売特許だろうが」


 ずれた反論をして気づく。

 これがエミール――宮掖に長ぜし者――の、頭の回し方かと。

 

 「知識じゃなくて筋道だと言ってる。みょうちきりんな着想から変な引き出し開けてくるところだ。悪く言う気は無いが、庶民育ちだったんだろう?」


 傍らの大男に視線を投げ、首を振られていた。


 「だがなるほど、庶民のほうが思いつきやすいとは思うぜ?」


 ふうん?と曖昧な返事をひとつ、鋭い目を細めていた。

 少しばかり感じた薄気味悪さを振りほどきたくて、早口で極めつける。


 「誰が思いついたにせよだ、エミール。サクティは侯爵閣下の一存で物が決まる、それは知ってるだろう?」


 「ヒロでないなら、他にありそうな名前は……まあ良い。そうだ、独裁だった」


 誰ならば考えつくか、頭をどう回せば考えつくものか。

 それはどこか謀略じみた発想で、これまで無駄だとばかり思いなして来たけれど。 

 

 「独裁はリーダー次第、ならそう恐れる必要もないか。成果、期待してるよ」


 俺の目に映ったソフィア様と、エミールが見るソフィア様と。

 その姿はだいぶ異なっているらしい。

  

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