第三百六十三話 牛 その3
はいそれじゃ解散……はしてくれなかった。
ここはラウンジ、ちょうどお茶の時間に入ってしまえば雑談と言う名の第二ラウンド。
「だがどうして牛なんだって話だよ。『財産を丸ごと預ける、後で利益を分配する』……その典型と言えば、ふつう最初に思いつくのはいったん所有を代表者に帰せしめる海上貿易じゃないか」
エミールの指摘に、皆さまの目がこちらに集まる。
ええ、小遣い稼ぎに熱心だって、そうおっしゃりたいのは分かりますがね。
わたしゃ預かり金をネコババなどいたしません。と言うか、預ける側もそこは貴族の看板を信用するわけで。
「そもそも預託という構成自体が気になるんだけど。新興の商会によく預ける気になるもんだ」
矛先をかわしきれないのは承知の上、それでも言わぬよりはマシ。
新都の状況を目で見て知っている人間は限られるから。
「預託に近い発想は古くから存在するんだ」
呼ばれていた周一・夕陽が口を開く。
例の「奇妙な法的問題」をトワ系にレクチャーしていたのは彼であったらしい。
「牛、耕牛。詳しいことは知らないが、飼育には大量のエサにノウハウも必要らしいね」
だから共同所有が行われた。
例えば村全体で一頭を所有し、日ごろの世話と利用はノウハウ持ち――村の知識層、後世顔役だ名主だ村長だへと変じていく立場の者――に一任の上、農繁期や開墾などの際に代わる代わる使役する。王国が存在する前から行われていた慣習だとか。
「その際、なぜか貸し出しではなく一時的な単独所有と構成するケースが多かったんだ。発想としては『講』に近いかな? いや、これは余談か」
いずれにせよ、全員がオーナーであると。その牛を村に、代表者に預けておく。
その概念に馴染んでいたから、預託商法も受け入れられた。
ワロタ牧場など、「ぜひ、知り合いの皆さまお誘いあわせてご参加ください」とぶち上げている。
それは一頭の牛を仲間内で所有する古き農村社会の良き思い出、慣れ親しんだ生活実感で。
この点も、やはり非難は難しいところ。
「悪質な業者はサクティでも取り締り、手打ちも済んでいるんだろう?」
言葉に力が入らないのは、ワロタ牧場の目の付け所、その鋭さのせいだ。
商売人としての鋭さが、過剰な利益主義へと転ずる危険を思わせるから。
「経済への影響でも、まして被害額の多寡ですらない。そう言えば分かってくれるだろうヒロ君、いまやめさせなければ……」
一義的な責任を負わせられる犯罪者では無い。現時点では「好ましき商会」なのだ。
しかし「領邦所属の」その商会が、「王国直轄領に」被害をもたらす事態が明白に予測されているとして、取り締ってもらえぬならば。それは事後に何かしら報復する必要が出てくる。やらねば上は聖上の負託に背き、下は民の信を損なう。大は国家の栄辱を左右し、小は勤務評定に響くのであります。
「相手が相手だ、バックアップは約束するから」
これはラウンジの雑談、座長も定めず員数確認もせねば記録も取っていない。
だがイーサンはすでに一筆したためていた。
「王国の権威を保ち弱き民を守るため被害は未然に防ぐべき、了解だ」
報復に要する心技体――心労、強制力、政治技術――に比べれば、事前折衝のそれは小さい。カッコつけても、つまるところはそういう話。
俺から言質を取ったイーサンに、トワ官僚団が向けるまなざしの熱いこと。
大枠の方針を定め、責任取れそうな男に実務を投げる。これぞデクスター公爵家嫡男の本懐。
近衛中隊長など、哀れ祭壇に祭り上げられた暴れ牛に見えていることだろう。
「講だ株だと言えば、そういう時期だよなヒロ。ウチは来期、四人お願いしたい」
帰って来たケツアゴマンことコンラートもまたさすがクロイツ侯爵家の跡取り、貴族の中の貴族であった。
話題は軽やかに、苦しむ友には助け舟、そして要求は押し付ける。
春はあけぼの。やうやう広くなりゆく官途すこしあかりて、新規採用のご相談である。
近衛兵の採用権者は蔵人頭だが、そこへ候補者名簿を持って行くのは現場すなわち中隊長であるゆえに。
「ああヒロ、俺も頼む。あとで中隊長部屋にお邪魔するよ」
一事が万事の貴族社会、ここにおいても株・「固定枠」が存在している。
エミール、いやこの場合「バルベルク家」が適切か。ほかチェン家だノーフォーク家だに始まり、家格や実力に従い大なり小なり「推薦枠」を確保している。
枠を幾つも持っている「上」はともかく、「下」――近衛府入りできるかできないか、そのクラスにある家――は、定期採用のたびに苦労を重ねているわけで。
しかし彼らは為す術持たぬ庶民(庶民も相当に暴れるという事実は今は措く)ではない。一家の浮沈を背負う経営者であれば、たとえば「親族関係にある五つの家で、数年に一度の枠を死守」と。そういう工夫を編み出してくる。
これまたまさに株仲間、内部的に見れば講である。
だが零細武家が5人集まったところで、それこそデクスターあたりと張り合うことはできないわけで。
しかも来春から、ロシウ肝煎りの滝口衛士ルート採用が始まるものだから。
滝口衛士のプロフィールには目を通してある。
地方貴族の嫡男、また中央の次男以下で出頭と評される男たち。採用時に厳しい選抜を経た実力者揃いだ。
暗殺未遂に右京焼亡、ぱっとしない戦果。ここ十年にわたり、近衛府は不祥事続き……あるいは原因不明の体調不良がごとき状態が続いている。
ロシウ・チェンはその近衛府に活を入れる制度を立ち上げてみせたのだ。
イーサン・デクスターも今まさに、官僚たちの職場環境を交通整理したわけで。
そして極東の経済成長に懸命なソフィア・P・メル。
引き比べるに、どうも俺の仕事はダイナミズムに欠けるよなあ。地味と言うか。
(ロシウあたり最初から尻拭いさせるつもりだったんだろうな)
(近衛府の組織改革を形にしたのはお前だろ?)
(そっちで音頭取らせてるんだから、こっちの肝煎りでも働けって言われてんのよ)
冷えた心に小さな自信を取り戻し、午後の陽射し柔らかなる中隊長部屋にて身にぬくもりを覚えたところで。あらためて零細近衛兵たちから差し出された推薦状に目を通したところが。
「某州○×、弱冠にして勇名高し。某州○○、その性敏にして聡。同××、堅志力行以て達す……」
脳筋。お調子者。真面目以外に取り柄無し……
(ヒロ君だったらどうなるの?)
(その性温にして深慮あり、かしらねえ)
優柔不断で悪かったな。ともかく、人をとやかく言えるほど俺もご立派ではない。
先ほどの件ではないけれど、なべてこの世はお互い様と思いつつ。
ミケではないが三十数名のプロフィール、その後ろを眺めてみれば。
百名近くの連署に見える、数は力が骨まで沁みた軍人稼業の悲しさよ。
四人五人でかなわぬならば、中隊規模で集まらんのみ。この頭数なら無視できまいと言わんばかり「百の近衛兵が三十の新人を推薦する」ような真似をしてくるのであった。
王国が労働組合制度を「発見」する日は案外近いかもしれない。
そのくせかたちばかりの遠慮を見せてくる。
枠が三十なら三十五人を推薦しておいて、「押しつけるだなんて畏れ多い。中隊長閣下の御意に従う、選んでいただく」体を装いに来るのだからねちっこい。
現に代表者――仲介者だな、零細とは言えない家柄だ――は典礼でも無いのに正装に身を包み直立不動。
「狎れは軍規の弛緩を招きますから」
弟の威光、虚実不明のその力を利し悪評を愛嬌に変え、足りない腕はティムルを担ぎ。
フィリップ・ヴァロワ、俺とアカイウスの流儀や呼吸など当然把握済みであった。
末端に至るまでの人間関係――あるいは混ぜるな危険の地雷原――を教えてもらっているのだから、こちらも文句言えた義理ではないけれど。
後ろに(笑)をつけられずに済む「組織の潤滑油」って存在するんだなって。
生き死にかかる軍隊で、そこに死活を見出した男の生き様と思えばとても笑い飛ばせたものではない。
「王都は何年になる?」
「慣習はご存じでしょう? 閣下の栄転を期に地方へ出ることをお許しいただけますよう、願い奉ります」
公達任官の時点で付いたメンターは、停年にならぬ限りは公達の卒業と共に異動する。
その間中央に居座ることができる。
「蔵人頭どのとも話はつけてあるか?」
返事など聞くまでも無い。フィリップとウォルター・リーモン子爵は、立ち位置こそ違えど同期任官。関係の良さは知れ渡っている。
俺にできることなど目配せのみ。応じてフィリップが中隊長部屋のドアを開けた。
「彼らの推薦ならば信用できる。全員を採用すべく、カレワラ手持ちの枠をさくっと融通し…じゃなかった、厳しいんだけどなーしゃあねえなー……無理でも蔵人頭に掛け合って来よう!」
いまだ係累少なきカレワラ家は、手持ちの「枠」を埋めきれないのである。
ここ数年もそこを各家に融通して、小さな恩を売って来た。
俺が近衛府入りした時など、マクシミリアン・オーウェルが利用したらしい。
「諸君の近衛府入りは、カレワラ小隊長の枠による!」と、事前に言い含めて義理を果たしつつ。
どうりで「愉快な連中」が俺の下に集められていたわけだ。
そう、近衛府におけるインディーズ四家の存在と協調の意味は大きい。
蔵人頭と中隊長、その椅子をともに占める時期は仕事が捗ること捗ること。
「まあ妥当なところか。あと残るは……ヒロ、ニコラスとB・T・キュビの御曹司、どう思う?」
首を振る。
まだ早い。実力が無いということではなく、焦る必要が無い。
近衛府入りと同時に就任する侍従やら少納言やら各省の少輔やらのほうに問題がある。どうしても上役との関係が生ずるが、彼らは後々「親分」になる少年いや子供だから。いましばらくは地元にあって「お山の大将」の経験を積むほうが良い。
「私の息子は5つ……そうしてもらえると助かる。ヒロのところは来春生まれるんだろう? 男子であれば我々としてもめでたい限り」
インディーズ四家から、誰かひとりは近衛府に所属している状況が望ましい。
ウォルターが抜けるか抜けないかのところでマクシミリアン、マックスが抜けるか抜けないかのところでヒロ、俺が抜ける直前あたりでニコラス家から近衛府入り、その彼が出る頃にはウォルターの子、そしてヒロの養孫(?)……。
現代日本ではとても通らぬ理屈だが、子を繋いでいくことも半ば社会的義務なのである。
「マックスもいいかげん身を固めて子を生してくれぬことには」
ウォルターさんが頑張ってもええんやで?
兄弟が続けて近衛府入りしたって構わないのだから。
「何か言いたげだな? 貴族の義務、人生の墓場から逃げておいて」
細められた目。戻って来たとき、日ごろに比べやや大きく見えた。
「やはり気にしているのか」
頷いておく。血統の問題であると。
嘘でありつつ、嘘では無い。
「妾の子が家を継ぐことも当たり前にあるのだから、気にすることもないのだが。まあ良い、とりあえず王都に帰還されたニコラス辺境伯閣下にどう説明するかだ」




