第三百六十三話 牛 その1
気のおけない異性とふたり、絵画や書籍を肩寄せるようにして鑑賞する。
至福のひと時である、本来ならば。
先ごろのフィリアと同じく、気のおけない相手であることは確かだった。
懐から顔を覗かせているのは我が創造主・好奇心の女神……の尖兵、猫型ゴーレムのミケだもの。どうしたって纏わりついてくるのだから仕方無い、諦めている。だが、それにしても。
「俺が前から読んでるのに、どうして後ろから読み始めるんだよ!」
雑誌でそれをされると読みづらいことこの上ない。
客人が寄稿した記事を読んでいるのにまるで興味を示さないというのも失礼ではないか。仮にも好奇心の女神に作られたナマモノでありながら。
しかもでんと腰を据えたその丸い姿、これがまたうまいこと左脇と肘の間で邪魔になる大きさで。
引き剥がそうとすれば、二の腕周りをポールダンスよろしく逃げ回る。開いた雑誌を掴み締め熱心に読みふけりながら。
そんな一連のありさまを眺めていたブノワ・ケクラン氏、たっぷりした頬をにやりとゆがめていた。
「後ろからとは分かってる。通ですなあ、そちらのネコちゃん」
雑誌の読み方に通も何もあるのかと。
思わず離した手の下をするりと逃がれたミケめ、訳知り顔で挑発してきた。
「雑誌の後ろのほうに何があるか知ってる、ヒロ?」
チキウの雑誌ならば、まあアレか? 広告……開運ネックレスだの、黒いタートルネックを着た青年だの。だがこういう聞き方をしてくるということは、異世界だろうと何だろうと関係なく、およそ人の世に共通の特徴であろう。……などと推測し、頭をひねることややしばし。
「編集後記、とか?」
「ヒント。業界誌に共通の特徴と言えば?」
肉球のどこに挟んでいるのか、ともかくミケの前腕にぶら下げられた表紙には「律令タイムス」の大文字が並んでいた。新たに出された法令・裁判例あるいは契約形態などにつき法律家や所轄の役人などが解釈やらを発表する、極東地域の季刊誌である。
役人生活も5年になるが、恥ずかしながら読んだことが無かった……などと一歩引いた心の隙間に、この猫型ゴーレムめはしかし、ずかずかと踏み込んでくるのである。
「正解は、懲戒案件です!」
短い両腕いっぱいに雑誌を開いて見せてくる。
見開き2ページ、いやその先まで。戒告、業務停止何ヶ月、退会処分……。
「さすがに弁護士業界は件数が桁から違う! やらかしのバリエーションも豊富だし、これだけ読んでりゃお腹いっぱいだよ私は」
ゲスぅい!
それが好奇心とは笑わせるいや笑えない、食い物にしか興味なさそうなふってぶてしい野良猫ヅラのくせしやがってこの……ああもう、とにかく勘弁しろ!
「頼むからやめてくれ。お前の飼い主だと思われたくない!」
正直な魂の叫びである。
ではあるが、ゲスな話に心ひかれてしまうのもまた人のサガなのである。
「法律の専門家なんでしょう? 脇甘くありません? 例えばこの記事、『預かり金の使い込み』ってそれ、丁稚や見習い騎士でもやらない……」
いや、当カレワラ家でもつい昨年、幹部郎党から出してしまったのであった。
誰だって金は欲しい。目の前に積まれてしまえば目がくらむ。そこを管理する体制の不備、俺にも責任はあった。
ひとのことをあまりとやかく言うものではないな、全く。
「セーフとアウトの境界線が見えていればこそ、ギリギリまで近寄ってしまうんですよ。解釈ひとつを間違えば転落……は、しないか。どうせすぐ復帰するし……ともかく、踏み越えてしまう」
ゲス猫ゴーレム・ミケが目を輝かせていた。「復帰」のくだりに。
そのあたり「よく分かっている」ブノワ・ケクラン氏、自ら補足を加えてくれる。なんでも、除名されようが隣の州なり別の協会に登録すればいいんだとか。なるほど、論理的にして合理的な解決策ではある。
「恥ずかしい話ではありますが、隠蔽するよりは良いかと。自浄作用の現れと解釈してはいただけないでしょうか」
雑誌を持ち込んだ方にそう言われてしまっては、頭を下げるほかどうしろと。
「本当にすみません、先生」
何ともいわく言い難い、微妙な微笑が返って来た。
ハサン殿下邸に逗留している客人、事務弁護士のドッペローム氏から。
英気涵養のための長期休暇(要するにサバティカル)ということで、極東から王都へ遊学に来ているのであった。
その人柄が懐かしくもあり、また滞在先にこちらを選んでくれたこと嬉しくもあった、けれど。
「いえ、こうして受け容れてくださったこと感謝申し上げます閣下」
「先生」と呼んでしまえば、それは「閣下」と返されてしまうわけで。
少し後悔した。なんで俺はこの人を先生と呼んでしまったのかと。
チキウ……現代の日本だったら、おそらく「さん」づけで済ませていただろうに。
議員に教師、医者に弁護士、作家に用心棒。なるほど伝統的に「礼金を受ける」人々は「先生」と呼ばれる慣習はあれど、実のところいまやその名で呼ばれるのは医者と教師ぐらいだと言うのに。
いや、半ばは分かっている。感覚的なものに過ぎないが。
こちらの社会、ガチのマジでやべーヤツ(関西なら「アカン」と言うところだろうか)がごろごろしているからだ。殿下に閣下に○○さまなる人々が実在する。ちょいちょい街ですれ違う。
だからこそ生活実感を伴う権威、あるいは小さな敬意を払いたくなる身近な人々……そうした存在に触れたとき、人は彼ら彼女たちを「先生」と呼んでみたくなるのかもしれない。
身分が高い人には敬称をつけなくては「いけない」社会。だが「えらいさん」と自分たちの目の前にある「立派な人」と、何が違うのか。この人たちにも敬称をつけたい、つけずにいられない。
そうした時心の均衡を保つには、「先生」の称号がほどよいものに思われる。
逆に身分差の少ない社会では、「先生」が大仰に聞こえてしまうのかもしれない。
「敬愛できる身近な人」でなく「形式的にえらいさんとして扱わなくちゃいけない人」のカテゴリに放り込んでしまう、そんな言葉に感じられなくも無い。
……などと、余計なことを考えては小さな逡巡を見せてしまうのが俺の悪い癖。
「同じ事務弁護士でも私とは扱いが違いますなあ」
身分に貴族にお役人、およそそうした「なにものか」に対する反感をバネに飛躍した男。
ブノワの口調はずいぶんな粘り気を帯びていたから。
「どうされました、ケクラン先生?」
どこまでも軽薄に、湿度低めにオウム返ししてやれば。
「なるほど言われたら言われたで、神経を逆撫でされるような心地です。半ば分かっていたくせに、私も何をやっているんだか……ブノワで構いません。かわりにヒロさんと呼べるのだから悪くない。ドッペロームさんも、それで行きませんか?」
身分差が少ないあるいは誰もがフラットな立ち位置を取る、そうした場であればこそ。
40も半ば過ぎ、最年長のブノワがそこはうまいことまとめてくれた。
「ともかく、ドッペロームさん。新都と王都、どこが違います?」
そのまままずはあたりさわりの無いやり取り、そのお手本のような問いを投げかけていたけれど。
「新都も含めた極東ではやはり、軍と一般行政・司法の管轄問題がいつでも鋭い対立を生みますね」
季刊誌に掌を向けたドッペローム氏の回答はしかし、誠実な……あるいは少々堅苦しいものであった。
「王都は全てが官に集中しているからではないかと思っています。紛争になる前に、行政府で調整してしまうでしょう? その点極東には極東道と将軍府、官と軍、軸がふたつあります。我々はその隙間に機会を見出すというわけです」
ゴチゴチと弁論を張るその理由、分からなくも無い。
どうも王都には地方を見下すような空気があるから。興味本位で単純な比較を求めたブノワの言葉にも、その感情が含まれていなかったとは言い切れないような。
そして蔑まれ貶められる側は、いつだってそうした空気には敏感なのだ。
「実体のほうでは、経済成長に伴い投資やなにかの方面で論点が増えているように思います。こちらに来る際も、新都の事務弁護士協会から『当たってもらえると助かる』と言われて来た案件が……」
いや、そうでもないか。
さっさと本題に入るあたり、実のところ相当お悩みであるらしい。




