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第三百六十一話 ゴキゲン斜めな女たち その4



 近衛府の壁に掛けたクロード氏の絵は苦笑いに迎えられ、吐き散らされる毒に囲まれていた。好感触の証である。


 「これを文章に喩えるなら、『意余りて辞足りず』だろうねえ」


 誠実な動機に基づく正義の言、その内容において耳傾ける価値があるも、議論の持って行き方に難があったため廃案の憂き目を見る……が如きもの。役人やってればよくある話だが。

 ごていねいにもシメイ・ド・オラニエ氏、のしまで付けて解説してくれた。


 「脳筋きみたちの伝で言えば、『体具わり心充ちるも技及ばず』かな」


 前途有為の少年、あるいは心身ともに健やかな初心者に向けられる言葉であろう。

 ベテランと呼ばれる域に達したプロに向けるべき論評ではない、けれど。

 言われてみれば脇の壁に掛かった絵、どこか素人くさいのだ。


 「ただ分からないのは、こないだ見せられたスケッチブックだよ。あれは『技あるのみ』……何?分からない? 技巧に優れているばかりで、作者の思いが見えてこない。その意を体していない。だから心に響かない。そうは思わなかったかい?」


 早口でまくしたてている。絵画から目を離そうとしない。

 問いかけておきながら、シメイは返答を待っていなかった。


 「十日やそこらで、まるきり逆の趣を仕上げてくるものかねえ。何か転機があったのだろうが、探るためには作品を集めて並べないことには」


 興味津々のところ申し訳ないが、立花に限って地道な調査研究を任せる気は無い。

 求められるのは印象論にインスピレーション。何ならインチキを用いても構わないからイントロダクションをこそお願いしたい。


 「この人物が分からないんだよ。誰だろう? 天秤の寓意は?」


 天秤を手にした、身なりに崩れの無い男。

 てっきりイーサン・デクスター……そのものでは無いにせよ、彼を想起させる徴税吏に違いあるまいと思い込んでいた。


 「隣の帳面はミカエル・シャガール……を思わせる人物形象ってことで、構わないよな?」

 

 わずらわしげに頷いている。

 やはり俺の返答など期待していないらしい。

 

 「何より気になるのは祭壇の洒落男だよ。オサム伯父に見えないか? ほら、君らの言う遠山の目付で眺めてみれば」

 

 鎌を掲げた洒落男。多様な解釈が可能な天秤とは異なり、その寓意はひとつしかない。死だ。

 カレワラをおだて上げ、死に追いやろうとしているのは立花伯爵である……思ってもみなかった視点だが、その示唆するところは重い。「すぐそばにある死を思え」という主題にこれほど忠実な描写もあるまい。

 だが次代の王を押し上げんとする若手武官たるもの、「王の友」から拒絶される想像を肯定できる立場には無いわけで。

 ならば力いっぱい否定しても良いところだが、それでは癪に障るのである。

 

 「困ったことに、貴族はみんな洒落男と来る。シメイ、君のようにも見えるし、なんなら復帰した式部卿宮さまや俺が追い出したニルス・デュフォーにも見える」


 王国貴族は洒落男で無いならば、謹厳な官僚すなわち「身なりに崩れが無い男」で。

 つまり鎌の男か天秤の男か、誰であれそのどちらかに(あるいは両方に)当てはめることができてしまうのが都合良い、もとい困りどころ。


 「君と関係が悪い連中かい? ひねりが利いていないよ、それでは。まさしく『洒落になってない』」

 

 「かと言って作者に問い質すのでは……」


 「野暮を通り越して醜悪ですらある。ま、そのうち見えてくるだろうさ。この絵に力があるならば」


 顔をしかめ、喉にやった手をお茶に伸ばしていた。間違いない、飽きている。もともと間を潰すために俺の部屋を訪れたのだから。

 飲み干して、かえって渇きを覚えたものか。オカルトめいた言葉を残したくせに、年神さまも疫病えやみの神もなんのその、今日も今日とて呑みに出る。

 このふてぶてしさと要領の良さが俺には無い。

 


 「失礼いたします!」


 響いた声は俺よりもなお要領が悪い、いや、そんなことを言っていられぬ駆け出しは二年目ソフォモアの少年だった。

 そこまで気合入れずとも、とは思う。中隊長の部屋を直接に訪れるのは小隊長以上、つまりは「仲間」「お友達」なのだから。

 とはいえ叱られてまだ間も無いところ、トワ系には馴染みの薄い外回りを命ぜられた直後とあっては、緊張もやむを得ぬところかと。ここは中隊長閣下直々に扉を開けてやったところが。


 ぬっと突き出されたのは精悍な顔。

 がっちりしたその体躯に隠れるようにして、小柄なアベルが顔を出した。


 「ベンサム大尉より中隊長殿へのつなぎを頼まれたもので」

 

 ティムルめ……いや、アベルお前もか。さては一緒になってからかったなと、その認識はやや厳しさに欠けていた。

  

 「報告いたします。近衛将監のM・クロードが自宅にて殺害されました。死因は撲殺、鈍器による後頭部への打撃です」


 不躾にも顔を逸らし、壁の絵画に目を送らずにいられなかった。

 盛装した女性の振り上げる棒がうなりを上げんばかり画家の後頭部へと吸い込まれてゆくさまに。


 「参考として事情を聴取すべき人物に目星はつけたのですが……」


 中隊長どころか直属上司・小隊長の許可すら得ずして活動する権限を持つ。止められようが駆け回る。それが検非違使庁、あるいはベンサム一党が流儀のはず。


 「アベルでは足りず、私の仲介が必要な相手か」


 なぜ俺はこうも冷静なのだろうと、ふと芽生えた疑念は訳知り顔のティムルと目が合うことで消え去った。

 こうなることをどこかで予感していたのだろう、ふたりともに。


 耳に蘇るクロードの笑い声。天を仰ぎ、おかしくもないことに涙まで流していた。


 あれはマルコ・グリムがヒュームに見せた姿、俺がフィリアに見せた姿では無かったか。

 うすうす感じていた「壁」をあからさま突きつけられて、矮小な己を笑うに笑えず、それでも無理やり嘲り飛ばして心を保ち再起を誓う。

 

 「メル案件です。いえ、話を聞くだけですので」


 再び絵画に目を向ける。盛装の女性に。

 画家、それも王都画壇の中枢に座を占めていた男……と、交流があり。

 なおかつ俺に仲介を頼まなければ面談が難しい、そうした人物。


 「よい機会だ、併せてヴィル・ファン・デールゼンにデュフォー小隊長も呼ぶように。アルノルト・ヴァルメルも忘れるな。立会人、いやあちらの介添えとして必要になる」 


 まとめて絡め取られてしまうことさ。

 クロードのことは、それとして。 


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