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第三百六十一話 ゴキゲン斜めな女たち その3


 商都に出向中のアカイウスから手紙が来た。

 戦況に河州泉州の地理風俗、商都の動向にロシウの機嫌から船長探しの進捗状況(苦闘中)まで。諜報を担っていたこともあって、よく見ている。

 同じ幹部でも船長探しに当たっているちうへいの「鷹揚さ」とはえらい違いであった。


 手紙が来たと家中に漏らしたとたん、食いついた人物がひとり。

 皆が微笑を浮かべ、ため息をつく。

 子供は気楽でいいよなと。

 

 新入りの侍女、ナオ・ダツクツ嬢(9歳)であった。

 アカイウスの動静に、ことのほか心を痛めている。



 アカイウスが出立した、その日のこと。

 ぱたぱたと駆け寄って来たナオはいつものように遠慮なく、「吉凶を占わせてください」と申し出た。

 手にはすっぽんの甲羅、キュベーレーの投網に捕まったアレ(あの晩行われた祝宴で出汁となった中身ともども当家に尽くしてくれた彼のため、一抹の謝意をここに表しておく)。


 だが出陣とは忙しきもの。登校出勤、あるいは修学旅行のバスに乗り込むさまと変わらない。要するにてんやわんやである。

 そうした空気を顧みないところ、子どもと言ってしまえばそれまでだが。

 出陣前の占いは、彼女たちダツクツ一族の生業ではある。これが自分の仕事だと真剣に信じているものを無碍に退けるのも気が引けるのであった。


 ともかくナオ嬢、なにやら念ずることしばし。

 そういうのは亀の甲羅でやると聞いていたが、すっぽんでも良いものだろうかと小さな疑念が胸に芽生えたその刹那。

 焼け火箸を突き立てられた甲羅が、「ぽくっ」と案外甲高い音を立てた。穴からヒビが走ってゆく。

 

 「あ……」

 

 出陣は縁起ものと知るぐらいには、彼女も年を重ねていた。

 「凶」を上手いこと伝えるには、修辞の術を修めていなかった。

 

 だがそこはカレワラの誇る騎兵隊長アカイウス・アンドリュー・シスルである。すかさず槍先に甲羅をひっかけるや高く掲げてみせた。

 

 「見よ、この華麗な紋! 派手な戦果が約束された!」 

 

 名物と呼ばれる男には、それだけの理由がある。

 何事も任せておけば間違い無い。


 (ネヴィルもそうだったけどさ、顔はキツイのにかっこ良いよね)

 (どっちがボスだか分かったもんじゃない)


 「それでは行って参ります……十分に気をつけた上で」

 

 馬上振り返り、ナオに笑顔を見せるも当の相手は俯いてしまった。 

 険悪そのものの笑顔がアカイウスの精一杯であること、理解するには時間がかかる。

  

 なお後に尋ねたところ、複雑な紋様が示しているのは「紛乱」……どうもゴタゴタしてややこしいという運勢だそうな。

 だが当たるも八卦当たらぬも八卦。手紙によればアカイウス、河州南部から泉州北部にかけ浅く刷くように騎兵を進退させているとのこと。商都のロシウ・チェンから求められているのも示威行動あるいは強行偵察、そのあたりの趣旨を間違うはずなどありえない。



 あらためて書簡を精査し、目を上げたところが。

 届けに来た人物は姿勢を正していた。


 「久しぶりのご帰館でお寛ぎのところ恐縮ですが、お話があります」


 侍女長である。

 後宮は奥に長らく勤めていただけに、邪魔にならぬ居住まいについてはよくご存じで。

 これは待たせてしまったかと気まずさを覚えた時点で、そもそも後手を引いている。


 「侍女たちの不満増長、目に余ります。ご高配をたまわりたく」


 「給金、待遇、また君臣の礼……配慮はしているつもりだが」


 じっと目を据えられる。

 年を重ねた女性は強い。ましてふたりの男子を育て上げたとあっては。

 若い男の弱さ、ずるさはご存じで。


 「後宮に雅院、奥にある女官がたの魅力は私もよくよく存じ上げております」


 遠まわしの自慢ですか? などと混ぜっ返しては火に油だから。

  

 「だからこそあなたに奥を任せている」


 「卿また子爵格のお家柄であることを思えば、奥方様はそうしたところからお迎えになるであろうことまで含め」

 

 ちょっと小じゃれた大人の会話を試みるには修行が足りなかった。

 それは言われ慣れてますものね。女童として後宮に勤めて以来キャリア二十年、いちばんもてる年頃を過ごされたんだから。


 「その上でなお、ご高配をたまわりたいのです。当家の奥にいま仕えている侍女、また今後年頃を迎え出仕を希望する一党の娘たち。その数をお考えください」 


 婚姻政策カップリングとは、いつだって手ごわいシミュレーションなのである。家中でも論争を呼ぶほどに。

 加うるに、何せ新規に立ち上げされたカレワラ家は年齢分布がいびつである。当主周辺の男共に独身が多いという事実もまた、いろいろと「毒」で。

 

 「加えてここのところ、中流貴族の姫君や上流貴族の傍系令嬢が立て続けにご当家入り。お分かりいただけましょう?」


 素敵な「口」が減ってしまうのではないかと。

 不満と不安、フラストレーションが相当に高まっているのだろう。

 御恩と奉公、クリエンテスにパトロネス。飴を与えるから、鞭にも耐える。よき「口」を提示もせずに言うこと聞けと叱っても、まとまるはずがないのである。


 「侍女長が私に面談を求める事態であると、そのことは理解した」


 よろしい、と言わんばかりに頷かれる。

 まるっきり母ちゃんと小せがれである。


 「エドワードさまのところとは違い、私は殿の母君ではありません。これ以上のことは」

 

 「炎髪の御方おほんかたさま」、姪のレイラ嬢の件で当家侍女長と相当にやり取りを交わしているらしい。母親がいない俺の現状をより深く知るにつけ、妙な老婆心まで発揮されている模様。


 「主従といえど、淑女にそこまで言わせるつもりは無い」


 御託はいいからカレワラ党出身の侍女を見繕ってパコれだなんて、ねえ?

 言わせるつもりはないけれど、男には意地がある。抵抗はするのである。

 

 「来春、孫が生まれる。明確に当家嗣子と認め、カレワラ家の正統を確立してからだ」 

 

 お待ちくださいの叫びを背に、別室へ退散。

 引き際の見極めは軍人の必須スキルである。


 (もう少し気楽に考えりゃいいじゃない。カレワラだってそれなりの家なんだし)


 それで生まれた子は修道院送りかと。

 エドワードにクラース……ならば良い。アントニオに修道女たち。闇に葬られた子どもたちもいくたりあることか。

 庶子の悲劇を散々見てきているだけに、どうしても気が重くなる。

 

 (嗣子に生まれようが庶子に生まれようが、生きるためにはもがき抗う他に無い。お前も軍人貴族の当主なら散々見てきたはずだろう?)

 (だいたいさネヴィル、言うてカレワラ家は大手優良貴族でしょ? 養子はけん先ぐらい、いくらだって)

 (必要な前提知識だけど、ヴァガンに言わせるわけにはいかないから……歩留まり半分、そういうものよ?)


 新しい命を授かったとして、母子ともに生を全うできる確率はおよそ五分五分、それが王国社会の経験則で。(実家が)上流貴族と呼ばれる姫君がた、最高の環境でも生存率はおよそ三分の二。

 「そう簡単に庶子などできるものではないし、愛人ならばいくらでも抱えられるぐらいの経済力を持っている」……アリエルが俺に伝えてきたのはそういうこと、だが。


 (面倒から逃げて、愛人を男に限定していたアリエルがそれ言うか~?)

 (うるさいわよピンク! あたしの同性愛はね、一党の結束を高めるため……)


 その愛人たちも、あるいは裏切りあるいは流浪のさなか犠牲となり。

 奔放に見えるアリエルも、もがき抗うようにして生き、命を落としている。

 

 王国びとになりおおせた、つもりだったが。

 この問題ばかりはどうしても。



 「侍女長より、お文を預かってまいりました」


 逃がしてはくれないらしい。

 背後から戞と高い響き、踵を打ち合わせる音が名乗りの代わり。当家入りして以来マージダは、ほぼ軍装で過ごしている。

 郎党扱いか侍女扱いか難しいところだが、いずれ幹部級とあっては無碍に退けるわけにもいかず、差し出された書簡をひもとけば。


 「行儀見習い(・・・・・)の皆さまから、改めて希望を伺いました。忌憚無くとは参りませぬが、女どうしならでは話せぬこともありますから」


 侍女長どの、逃げ出すことなど先刻承知であったらしい。

 俺もエドワードのことをとやかく言えんか、これは。


 「キュベーレー・クロイツ様は、磐森各地を飛び回っておいでです。今は色恋よりお仕事を優先しておいでのご様子……地理に経済、人口に産業。知られた以上、手放すわけには参りませんが」

 

 鉄は打つもの、釘は刺すもの。

 ほっとしたところに冷や水を浴びせにかかるのだから。


 「ナオ・ダツクツ様は、多少おとなにおなり遊ばしたようです。子どもがどうこうとは言わなくなりました」


 (そうね、少しだけ大人になったわねあの子。ややこしいことに……ま、大丈夫でしょ)


 アリエル御大の仰せとあらば信じましょうとも。思考の煩瑣を避けるために。

  

 「その上で。殿にはマージダさまの話を聞いていただきたいのです」


 物騒な予感を示した書簡から目を上げる。

 黒々とした瞳がこちらを見詰めていた。


 「私は嫁ぎに参りました。形式は問いません。夫人扱いされなくとも構わない」


 13歳の子どもが何を言うかと思わなくも無かったけれど。

 真剣そのものの鋭い視線を真っ向から受けてしまっては……この世界ではもう大人だということを嫌でも思い出させてくれて。

 ならば大人の理屈で説き伏せる他もあるまいと。

 

 「これ以上君の父上に、ユースフ・ヘクマチアル男爵閣下に肩入れすることはできない」

 

 マージダの遊学ぼうめいを受け入れた時点で、カレワラはユースフ「持ち」なのだ。

 これ以上肩入れすれば、ユースフの名誉に関わる。兄ターヘルを斃してもヘクマチアルがまとまらない。

 何より俺の評判だ。中隊長ふぜいが他家の騒動に介入するとは増上も甚だしい、右京に進出して利権を独占しようとは身に過ぎた野望……思っても無いことを言い立てられては、為すべき仕事に差し支える。


 しかしマージダは執拗だった。

 必死、と言い換えても良いかもしれない。


 「父が勝とうが負けようが、私には居場所がありません。ヘクマチアルの娘を欲しがる貴族がどこにいます?」


 そう、少女は相手の都合など顧みない。

 カレワラとてヘクマチアルの娘を娶るメリットは無いのだが、そこに触れようとはしない。


 「私が掴み取れる中で最高の夫はあなたしかいない」


 大人の告白ならば、まともに受け止めなくてはいけない。

 少女の微熱なら、いなすに限る。

  

 「視野狭窄だな。居場所など、いくらだって作れる」

 

 何も結婚にこだわることはない。なんらかの「経営者」として生きていく道はいくらでもある。ヘクマチアルのノウハウを叩き込まれたこの娘なら容易いことだ。

 遊学を受け容れた以上は最低限のバックアップもする……お代はユースフかムーサから取り立てるとして。


 「あなたはご自身の価値を理解されていない」


 そう告げるマージダは、己を見ようとしていない。ただただ俺のことを言い募っている。

 こちらの苦労など何も知らず……これだから若い娘は。

 

 「私たち中流貴族から見た上流貴族とは、いわば岩盤です。渾身の一撃を加え、ようやく欠片を奪い取る。身に覚えがおありでしょう?」


 仕える先の男、その事績を調べていた。身を預けるのだから当然と言えばそれまでだが。

 その過程で俺に何を見出したものか知らないが……それは勘違いだよと、告げることすら煩わしい。


 「いまやあなたが岩盤、宝石の詰まった鉱脈なんです」


 「下の者が命懸けで殴りかかって来る、かい?」


 切れ長……あるいは、細いと称すべきマージダの目。その眦が、まさに裂け上がった。

 それでいい。どこまでも相手になろうとしない男の小狡さに付き合うことは無い。


 「そのうち教えて差し上げます」

 

 再び踵を高く鳴らし、背を見せたけれど。

 あまりに細いその後ろ姿は……悪いがとてもその、ね?

 


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