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第三百六十一話 ゴキゲン斜めな女たち その2


 第三極と言うからには、かたまりは3つ。それが理屈でありまして。


 雅院はメル家の牙城であると述べてきた。事務を仕切っているのはフィリアであるとも。

 そのこと決して間違ってはいないのだが。

 フィリアが率いるのは「色ナシ」女官……「純然たる事務官あるいは警護役にして、アスラーン殿下と対面することがない」女官連である。

 

 だがそれだけでは殿下の私生活が回らぬわけです。その、いろいろと。

 当然ながら「奥向き」の女官連も雅院には所属しているわけで。

 これがまたひとつの極……いやむしろ、クレメンティア妃殿下を頂点とする彼女たちこそが、雅院の本流。事務方(フィリア閥)はひとつだが、そうした閨閥は今後増えて行く。

 クレメンティア派、ラティファ・ウマイヤ派……入内してくる姫君ごとに。だが少なくとも、今のところは三角形。


 しかしこれをメル家の側から眺めれば、また別の三角形が発生する。


 ソフィア様が、「使える」部下――能力があり、かつ「総領に過ぎぬ身でも気軽に使うことができる」つまり「当主に重用されていない」人々――をかき集めれば、あぶれ者が出る。

 結果。公爵閣下に密着している人々、メル一党でも家格の高い人々、ほか何かと面倒な人々……の中に、(フィリアでもエッツィオ閣下でも、あるいはメル家本領でもなく)クレメンティアさまに身を寄せる一派が現れた。

 

 なぜと言って。

 順当に行けば、アスラーン殿下は太子宣下を受け、次代の国王陛下となる。

 するとクレメンティア妃殿下は王后陛下に昇り、つまり身分としては次代のメル公爵である姉・ソフィアさまの上に立つ。

 そのためソフィアさまとソリが合わない人々、厳しい処分に含むところがある人々、その能力に疑いの目を向けている人々……が身を寄せるには、クレメンティア閥は大変に居心地が良いのである。


 俺に声をかけた故・ミッテラン氏の妹なども、クレメンティア様とは長い付き合いだと聞いている。

 腹心のひとりとして忠勤に励んでいるとか。

 

 「中隊長どのは腰の定まらぬ方などと……無責任な噂と思っておりましたが?」


 陰謀に長けた兄、企画と実務に長けた妹。

 切れ者と名高かった兄妹の父・先々代ミッテラン氏が、才の齟齬を嘆いたと噂されている。

  

 「至らぬ身ではありますが、王長子殿下への忠誠を疑われるのは心外です」


 ……目を注いでいる。御簾の向こうから、間違いなく。

 クレメンティア妃殿下についての言及を求めている。


 彼女の目標はクレメンティア様を王后陛下に押し上げることだから。

 対する俺の目標はアスラーン殿下を国王陛下に、まずは太子に押し上げること。

 

 同じようにも見えるが、そこには微妙な違いがある。

 両者の目的が達成された後には政局いや政策上の対立が生じかねない。


 御簾の向こうの女官どのも、薄々感づいてはいるらしい。

 が、明確な理解にまで至っていることやら。アスラーン殿下と俺のような腹の割り方など、彼女たち主従に可能だろうかと……いずれ確信が無い以上、ここはお茶を濁すに限る。


 「御厨子のおわす限り」


 アスラーン殿下からの引き出物へと形を変えた、海竜の逆鱗。

 クレメンティア様のお部屋に飾られている、はず。


 つまりお二人の仲が破綻せぬ限り、俺はクレメンティア様へも等分の忠誠を誓っていることになる……どころか、お二人の雲行きが怪しくなった場合など、仲を取り持つ責任を負っているとすら言える。

 その一点に限っては、俺は殿下の後見人メル公爵と対等の立場なんですのよ? そこはあなたもご存じでしょう、ミッテランさん?


 「妃殿下への忠誠をあまり直截に申し上げて、不謹慎のそしりを受けたくもありません」

 

 もうひとりの妃殿下と言葉を交わして不謹慎だの言われた直後ゆえ、逆ねじ食わせやすい状況であることも幸いであった。


 「御厨子を持ち出されては、他にくだくだしき言い訳など無用ですわね。軍人でいらっしゃること、つい失念しておりました」


 バカにしている。軍人と言えるのはメル一党のみと?

 何か言い返してやろうかと思ったが、ワニと女性は年を重ねるほど強い……失敬。しかしこれは正直な実感で。現にこの場も、噛み付く前にいなされた。


 「お手にお持ちの、そちらは?」


 「描かせた絵が完成したので、女蔵人頭どのと眺めようと」


 色恋沙汰で誤魔化されて……は、くれないだろうけれど。 


 「あらまあ!」


 案の定、わざとらしいまでの歓声。


 見えているのだ、彼女には。

 フィリアにとって、クレメンティア様は盾……どころか生命線であると。

 当主公爵の地位に昇って後ソフィア様が仮に粛清を思っても、「王后陛下」が不快を表明すれば強行は難しくなることを。

 したがって目の前の若僧がフィリアに「忠誠を誓う」存在であるならば、自分たちに逆らえないと。

 

 「これは野暮をいたしました」

 

 やはり含み笑いを残して去って行く。

 耳の奥に残る、少々不愉快な声であった。





 「これが例の?」


 「ああ、『祭祀の牛』だよ」 


 こちらの視線を受けて、すっと身を寄せてきた。

 ささやく声は、耳の奥に……刺さった。棘があった。


 「余計な心配は無用です。トワ系と一緒にしないでください」

 

 クレメンティア妃殿下閥は、フィリアに対して好意的なのだとか。

 互いにソフィアさまとは微妙な関係にあるからという、「政治力学」を思うのは……俺が中央政府に、トワ系に浸かりすぎているからで。


 「ミッテランも悪い人ではないのですが、姉を甘く見ているふしが」


 メル家における評価基準は単純だ。フィリアは戦上手であるからと、その一事に尽きる。小戦では負け知らず、大戦では10万を仕切り回して見せたのだから。

 若き日に習わぬ戦で失態を重ねたソフィアさまに向けられた冷たい視線は、そのぶんだけフィリアへの好感情へ振り替えられている。


 肩寄せて絵画を鑑賞しているというのに、色気の無い話ばかり。

 さすがにフィリアも飽きたらしい。

 

 「この牛がヒロさん? 辛辣に過ぎませんか?」


 牛の角に結わえ付けられた緋扇、カレワラの象徴。

 下向きに広がるそれは、さながら巻纓けんえいおいかけに似て。

 あるいは競馬における遮眼帯ブリンカーの如く、道化の嘲りから牛の視線を遮っていた。


 「それに、周囲の人々。まるで似せていないのに……ふふ」


 牛を追い立てる赤毛の青年、尻を鞭で打つ肌の黒い子供。

 祭壇へと続く道は、身なりに崩れ無き男と鬢の白い男に遮られていた。片や空の天秤を持ち片や帳面を掲げ激論を交わしている。祭祀からまで税を取り立てようとしている、と解釈すれば良かろうか。


 「露骨ですけれど、そうでなくてはいけないのでしょうね」 


 祭壇の隅には砂時計、鎌を持った洒落男。

 絶頂に思えるとき、すぐそばにある「それ」を思えと。

 フィリアの言うとおり、露骨ではあるがこれが絵のテーマ。

 

 「注文主の依頼とは言え、さすがに……しかし、ならばこれは逃げでしょう。それとも当然の配慮ですか?」


 ラス・メニーナスよろしく、中央に画家がいた。フェスティバルにはつきものの似顔絵描き。こればかりは明確に、作者クロード氏の自画像であった。

 得意満面、なかなか小憎らしい顔つきであったが……背中合わせに、祝宴を待ちきれぬ女性が描かれてあった。振り上げた肉叩き棒が画家の後頭部に迫っている。

 ひとびとを散々笑い者にし、依頼者をいけにえ扱いした作者だが、彼もまた画中で報いを受けると。その旨エクスキューズを入れている。

 

 「しばらく近衛府に飾ったら、孫に伝えようかと思ってるんだ」


 「来春にはお祖父ちゃん、さすがに早すぎませんか? 日ごろ私たちのことを生き急いでいると憐れんでいるのに」


 憐れむ……上から目線ではないつもりだが。何か哀しみのようなものを覚えていることは間違いない。

 俺の視線を正確に理解していたフィリアはしかし、さらに踏み込もうとはしなかった。


 「寓意はともかく、見せに来るほど出来の良い絵ですか?」


 正直、絵のことは分からない。

 ただこれを持ち込んだクロード氏の顔は青褪め、目は血走っていた。

 仕上げは三日完徹でしたと早口でまくし立て、「ありがとうございます……これでまた絵が描けます」。言い残すや、一刻も惜しいと言わんばかりに背を翻していた。


 人には、生き急がなければいけない時期があるのかもしれない。

 フィリアに言わせれば、俺もまた。

 あるいは単に、俺も無事王国びとに成りおおせたと、それだけのことだろうか。

 

 「絵は口実、こうしてひと目会わんがため……」


 照れ隠しとは言え、あまりに不誠実な口舌。

 目が尖るのは、まいど見慣れた景色で。

 

 「失礼しました、絵画の出来ね? 俺もそこが分からなくて、シメイに聞いたんだけど」


 続けてください、そのままにと。告げるフィリアの目は細められていた。

 部屋の外にある気配が、応じて小さくなった。

 

 「それで?」


 肩をそっと引き寄せた、けれど。

 こちらに顔を向けてはくれなかった。中空の一点を睨んでいる。


 「エミリ・シャープ。クレアの姉です」


 仕方なく、こちらは絵画に目を落とす。


 「メル家幹部にあってはミッテラン・モンテスキュー・グリムなどに続く、二番手と言うべき家格。ソフィア様とは同年代の姉妹が……女性ゆえ親しく接し、またそれぞれ異なる才を発揮したため重用されている、で良かったっけ?」


 長女は、まさに長女らしく経営や政事に長けていたゆえに、ソフィアさまの補佐を務めている。チェン家の有力郎党から婿を迎えているあたり、案の定いろいろと「隙が無い」。極東にあった時から薄々感じてはいたが、その存在感はさらに重みを増しているとのこと。

 霊能持ちの三女クレアは、当初やはり霊能持ちのフィリア付きに近い形で登用された。心映えの点においてガチガチの公爵親衛隊だったドゥオモ家に嫁ぎ、今では郊野(新都郊外)の抑えを担当している。

 いま部屋の外にあるのは、次女エミリ。その立ち位置は?


 「一家を挙げて姉・総領にベットしている。そう表現するのが妥当でしょう。跡継ぎに忠誠を誓うのは当たり前と言えばそれまでですが」


 フィリアの身近にあるソフィア派かと……なお交わすひそひそ話に、外の気配が再び大きくなる。

 

 「さすがにバカにしてないか?」


 いちおうの使い手になった俺と、気配探知に優れたフィリアを相手に回して、ばれないとでも?


 「不埒な真似をしながら、よく言います」

 

 そっと突き放されたけれど、その腕には力を感じなかったから。

 思わず……そう、それこそ反射的に、再び肩を引き寄せたところに。


 「何をしているのです、はしたない! そんなことだから嫁き遅れなんですよあなたは!」


 二度目の拒否は全力の肘打ち。

 嫁き遅れのひと言は、下手な号令などよりよほど気合を入れるものらしい。


 むろん、前男爵イライザ・メルさまの叱声は、俺やフィリアに向けられたものではなかったけれど。

 この日その後、フィリアの間合いが一投足以内に詰まることは無かった。


 「恨みがあるなら、エミリに言うことです」


 ともかく、フィリアの周辺には「虫」がいる……あ、俺もか。

   



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