第三百六十話 闇夜に
「ハサン殿下からのご依頼について、話し合いたいが」
「よくぞおっしゃる。閣下いえ、ヒロさん次第でしょうに」
海外から便り――珍しい品々や情報のことだが――を得るためには、船と「付き合う」必要がある。まず為すべきは、船主と船長(一致することもある)を探し出すこと。
ブノワ・ケクラン氏、そのあたりの事情を踏まえてジャブを打ち込んで来たが、これがなかなか的確で。
実のところ商都にはわが右腕アカイウスのみならず、左腕のちうへい・エイヴォンまで出している。この冬俺が王都を離れるわけにいかない理由の一端である。
「それより先にお願いしたいことがあります。ブランドの件で、ドミナ・メル閣下より連絡が」
アンジェラ・ウマム女史を通じて。
今日も相変わらずの薄着であった。
「かばんメーカーとの契約、3年ってことにしたでしょ? あれを伸ばしてくれないかって」
ボクに任せてと言われるまま、アンジェラに大枠組み上げてもらったことは確かだが。
できあがって来た内容には、前々から疑問があった。だいたい当初は5年契約という話だったはず。
「この世界は(世界なる言葉の便利さよ。業界の意味にも使えるのだから)継続性重視でしょう? 雇用から取引、付き合いに至るまで親子代々。だのに3年なんて超短期契約、どういうつもりで?」
以前から、サロン利用の代償……と言っては生々しいけれど。この件についてはドミナ嬢からいろいろ言われていたところでもあるし。
「ヒロ君、貴族の強みはなんだと思う?」
はいそこ、胸を寄せない。メガネくいっとか、前かがみになって上目遣いとか、何の意味もありませんからね? むしろ変に冷静になるまである……ってことは、歓迎すべきなのか? もうわかんねえなこれ、っていうか質問の意味からわからない。
「こと商売なら……ノウハウ? いや、情報かな。それともシンプルに資本?」
人の和。資金繰りに大口販路といったコネを各所に持っている。
地の利。交通の要路、店の立地といった地理情報。
天の時は無理だが、天の声。役所の情報に庇護、少なくとも妨害は受けない。
なお妨害ということなら、自営のための暴力に至るまで。
「いろいろ挙げてくれたけどさ。要するにそれ、商売については本業以外全てを持っているってことじゃん。つまりこっちの世界、貴族は圧倒的に強いんだよ」
「その本業については、私から。商売なるものをいかに捉えるか、説明の仕方はいろいろあるかと思いますが……契約内容を見る限り、アンジェラさん。『当たるものとは限らない』という側面からの把握でしょう?」
当てる……一過性のブームの意味かと思いきや、それを作るのは割と簡単なのだとか。資本がある限りにおいて。宣伝広告、その他もろもろの都合を動員することにより。規模の違いはあれど情報寡占社会である限り、そこはみな同じというわけ。
ここに言う「当たり」とは、安定的な利益を生む「商い」として成立させること、だそうな。業務の継続こそが難しいのだとブノワは言う。
「その通りだよ、さすがだねブノワさん……だけどねヒロ君、商売が当たろうが外れようが、立場の強い者は損をしないんだ」
理屈と言うかお題目と言いますか、シニシズムと申しますか。
そういう意味合いでは分からぬでもありませんけれど。
「どうやって具現化するんだって話ですよ。その強い立場を、商売の場で!」
「『儲けの大部分はこっちがいただく』。そういう契約にすれば良いだけの話じゃん」
権力にモノを言わせてやらずぼったくり? それは商売と言わないでしょうに。
「代わりに『立場』を渡すのさ。ヒロ君が言うところのノウハウを与えるんだよ。王都における取引慣習の知識、市場調査の方法から法制、従業員の雇用まで全部。『何なら3年後には独り立ちできる』ようにしてやる」
フェアな取引……なのか、それ?
「『もうお前には頼りたくない!』って言われるぐらいの、あれだ。俗に言う『奴隷契約』を結ぶのさ。一過性のブームに乗って、3年でこちらは大儲け。相手は『もう俺ひとりでやれる。提携解消だ!』……その頃にはブームは終わってる。堅実な経営の必要がある」
両手の人差し指と中指を、カニのごとくちょいちょい。「奴隷契約」にはダブルクォーテーションマークが付けられていた。語義そのものではないジャーゴン、「えげつない契約」ぐらいのところだが……。
「ブームのおいしいとこだけ持って行く、やっぱりフェアとはほど遠いじゃないか」などと、できの悪い学生が反論する隙など与えてはくれなかった。
「でも堅実な経営って、当たり前のことだよね? その道で生きよう、かばん作って売るのが本業だって言うならさ」
ブームが定着しないのは、「こちら」が手を引いた後に続けられなかったケースなんだとか。
定着するのは、「こちら」が手を引いても「奴隷」がうまくやったケースで。
「そこで『ああ、我慢して奴隷に頭下げて、契約結び直してたらなあ。もっと儲けられたのに』なんて思っちゃいけない」
ひょいと耳を掴まれた。
振りほどこうにも相手がVITバカのアンジェラではどうしようもない。
――総合商社は業種にこだわる必要が無いんだから。次の種を見つけるんだよ――
吹き込まれ、ひょいと突き放され。
なんだか弄ばれてる男みたいで、不快なことこの上ない。
「ヒロ君自身がいま言ったばかりじゃん。次は船に手を出すって」
いま一段、理解が及ばなかったけれど。
耳を引っ張られてのヘッドロックはゴメンであるゆえ、広げた扇を耳に当てた上で。
「もう少し具体的に説明願えませんか?」
ブノワがひょいと肩を上げ、席を外した。
そうと決まれば遠慮など。アンジェラこと大狸羽田教授の講義……と言うにはやや俗な、独演会が始まった。
昔さ、ティラミスってあったの知ってる? ナタデココとかタピオカとかトリュフとか、次々来たじゃない? あれなんか食べ物だからわかりやすい。
ブノワも言ったけど、定着なんてもの、相当難しいんだよ。
それでも持ち込んだ商社は大儲けしてただろう?
ブームの到来に喜び、去って泣くのは南洋の芋農家……というか、食品会社。
今回はブランドの類、かばんだよね。
かばんと言えば、グッチだプラダだエルメスだ……ヨーロッパのイメージでしょ?
ボクの友達は、畜産大国アメリカの皮革メーカーを日本に引き込んだのさ。
メーカーだもの、品質は優良そのもの。ただ、今みたいな情報化社会が来る前だ。言っちゃ悪いが、アメリカの田舎者……分かるでしょ? アメリカが全てだと思ってる。外国の情報を知ろうともせず、売れなきゃ「この取引はアンフェアだ、俺は悪くぬぇ」。
だから進出したは良いけど、当初はそこまで売れなかった。当たり前だよね。日本の商取引も、消費者の嗜好も知るはずが無いんだから。無論、役所やなんかとの付き合い方も。
そこに目をつけて、提携を申し出た。全てをお膳立てして、代わりに儲けは商社側でガッツリいただく契約を結んだ。
で、期限が到来した5年後のこと。継続交渉は予定通り決裂。提携を解消したってわけ。
タピオカなんかと違って、そのブランドは日本にうまく適応したらしい。そこはさすがアメリカの上場企業ってところかな。
ハイブランドに勝るとも劣らぬ――というか最近のハイブランド、物によってはひどくないかい?――品質の良さ、今では誰もが知るお手ごろブランドさ。そのせいか逆に高級化、高収益化に苦心してるらしいなんて話も聞くけど。
ノックの音に、扇をネイルで弾いてきた。
ぴっとキレイに畳まれるあたり、やはり相当な硬度をお持ちのようで。
「なお関係を続けたいと、向こうの側で言ってきたら?」
「引き続き『奴隷契約』に決まってんじゃん? だからさ、最初から『進出に必要だから手を結んだけど、これ以上はもう嫌だ』って言わせるぐらいの契約を結ぶんだよ」
テーブルの上に肘を乗せ、重ねた手の甲にあごを乗せ。
ブノワが帰って来たせいか、似合いもしない――いや、本性を知らなければ大変に魅力的なんだろうなあ。男の心理嗜好を知り尽くしている元・男ほど怖いものは無いとか聞くし――しなを作っている。
「別れ話を綺麗にまとめたいなら、相手から切り出させるに限るでしょ?」
外道畜生の発想でしょ、それ。
だいたい五十手前まで童貞だった方に言われましてもねえ?
「だいたいにおいてヒロ君。貴族は商会と違う。商売以外に農業収入とか、傭兵稼業とか。やりようはいろいろあるんだし」
「商売に熱を入れ過ぎますと、お貴族の視線が冷たくなるでしょうなあ……いえ、ご安心ください。海運の件、資金はハサン殿下の名義において、小口で集めます。商売っ気を表に出さず、『海外の情報を得んがため』『知的好奇心を満たすため』『老後の無聊を慰めんがため』……殿下が船を出す。親しく交際されている近衛中隊長閣下に依頼して」
綺麗な看板、船手を保持する有力貴族。外れたところで小口出資なら損害は小さい。
安心と安全を匂わせ、あくまで小体に上品に。
「俺個人の儲けは考えなくて良い、ブノワ。採算は取りたいが、なんなら割れても甘受する。……外海の操船に戦闘、船長と船員の役割分担、商慣習。ノウハウを得るのが目的だ」
中隊長の任期はよほど長くて6期3年、平均は2期一年から3期一年半。
来期の留任は決まっていたが、いずれ外へと出されるわけで。
仮にマックスの後任ともなれば、海の知識は絶対だから。
「発起人が無欲ですと、事務方としてはやりやすくて笑いが止まりません。あとは海上保険、こればかりは準男爵の分限を超えておりますのでお願いします」
どうあっても儲けを出せるかばんとは話が違う。
海には嵐が付き物ゆえ、失敗のリスクをどう取り込むかも問題で。
「広い世界に夢が広がる、分かるけどさあ。目の前の問題を片付けてからにしてよ」
そう、かばんである。儲けの堅い奴隷契約……のはずが、その奴隷にはボスがいた。
ドミナ嬢いや、ドミナ嬢では逆らい難い人物が、契約の改訂と継続を願っている。
極東の産業育成に熱心な、総領姫のソフィア様。
ため息どころか冷や汗が出る。
「一度ドミナさんと会合を持って、それからだ。ああ、それと。その件にも関連する……のかな、これ? ともかく極東から客人が」
懐かしの手紙が来ていた。
王都にも知り合いは多いが、貴族もとい行政官僚とは適切な距離を保ちたいと。そういう希望をお持ちゆえ。
「ええ、聞いています。滞在先としてこちらはいかがかと、打診はしておきました」
引退した王族の住居、執事(?)は準男爵。
格と軽さを兼ね備え、なかなか便利な邸宅であった。
「すっぽん鍋を囲んだ時には気づきませんでした。しかし思えば、公達が私なぞと席を共にしたがるはずも無し。ここまで見越して取り込みに掛かるとは、かないませんね」
「狙ってやったわけじゃないさ」
好奇心の神、その導きのままに。
「だいたい、上流貴族なら誰だって。『外付けの便利屋』、キープしてるものさ」
大メル家が住所不定無職の死霊術師を使ったように。
「一連の振舞いが他人からどう見えるか、これはまた別だけどね。歴史を掘るたび現れる、実像とイメージの乖離と来たら。知るたび草生やさずにはいられないよ……ああ、それとヒロ君」
アンジェラ女史は学者である。
そのこと、久々に思い出させてくれた。
「歳末の行事、あれ王都由来じゃない。少なくとも旧都時代には存在していた。どうも西から伝わった風習に思えるね」




