第三百五十七話 背 その2
「ダンスのレッスンなら、師範の出勤日に近衛府で受ければ良かろう」
「間に合わないからお願いしたんだよ」
「嘘だね。君たちなら振付けさえ覚えれば、あとは自主練でそれなり仕上げてくるはずだ」
イカチイふたりを引き連れて、近衛中隊長が足踏み入れる街ではないと?
それとも別室で行われている女子のレッスンが気になっておいでですか?
邪魔する気などありませんよ。
「良い顔になったと言うべきなのだろうね。嫌な顔をしていると言って欲しいのだろうから」
レッスンに先立つ午前、近衛府で行われた隊長級会議の件であった。
勤務時間外にまで、仕事の話をすることはなかろうに。
「報告してくれるかな。南嶺はどうだった?」
相手は初陣、まだ子供だからと。
あたう限り感情を消すべく笑顔を浮かべてみたところで。
未来の将軍――それも10万の将――には通じなかった。仏頂面が返って来る。
「語るに足ることなど」
「ええ、ありません」
ふたりは良くやっていた。
しかし、いやだからこそ、口を開けば誹謗にならざるを得ない。
それを嫌う軍営の空気を吸いながら、彼らは育った。
西海の中枢を担うふたり、事故がなければクリスチアンとは50年以上つきあうことになる。
その第一印象が、これでは……後々、よほど折衝が必要になりそうだが。
「やはりふたりには歯応えが無かったかな」
詫びを入れる、ふうを装って。次の言葉を俺は誘っていた。
「段階というものがあります。中隊長殿も初陣はつまらぬ山賊退治だったとか」
「適切なご指示、感謝申し上げます」
ふたりの乳母夫、口にお追従を乗せつつその背は伸びていた。
目の前に座する若き上司は、初陣を終え、戦功を重ね、監察兵站までひと通りの評価を確立した男。いわば優等生だ。
で、あるならば。次に為すべきは何か。
段階というものがあります、ね。さすがよく分かってる。
「われわれ先任はこれから事務で忙しい。両大隊長殿にこの書類、届けてもらえるかな」
評価の難しい戦果、気まずい間合い。
彼等の親分・キュビ侯爵に投げてしまうに限る。
「で、突出した連中の処分だが……」
王都に残れと命じたにもかかわらず、語義どおり「抜け駆け」した連中。
勝って帰ってくれば「チャラ」にしてやることもできたけれど。
「軽い罪ではないが、戦死した者に鞭打つこともあるまい」
勇戦したからと、言い訳は立ててやれる。立ててやる姿勢が求められる。
近衛府は貴族の寄り合い所帯……いや、どうあれ組織である以上、「甘え」皆無では回るはずがないから。
「生還した連中は、北に強行軍か。クリスチアンと雑巾がけ頑張れって?」
「兵站仕事は出費がキツイんだよな」
「それが罰ってことで。運び終えた後は参戦を許されてるんだから有情さ」
こもごも口にする小隊長連も当然分かっている。
甘いだけでは回らない。どうあれ組織である以上、それも当然で。
加えてここは軍府である。
「で、以下の両名」
命に違背して突出しながら、場が「美味くない」と見るや戦傷を言い立て帰京。
各所を歩き回っては上官を中傷し責任転嫁に努めている。
戦で負けても後でひっくり返せば良い、一面の真理ではある。
クリスチアンでなく俺の悪口を吹き回るあたりも、よく分かっている。
が、認めない。
「年が明けたら異動だ。ひとりは紫野離宮留守、もうひとりは白金柵の尉」
紫野離宮。ウマイヤ、山中の里、立花、リーモンに囲まれた平和な――周り中から苦情を申し立てられいびられる――土地。
白金柵。獣と雪の害甚だしき鉱山地帯。その警備隊長は、鉱石搬出の万全にまで責任を負っている。
美名まで含め「命ひとつは奪わない」王国政治、その点描というヤツである。
「僻地のうえ、紛争も無い……機会すら与えないってヒロお前、陰湿な。それぐらいならいっそ」
これがメル家ならば、有力郎党であろうと槍の石突で殴殺したところ。
見せしめとする代わり、家の再興は認めていた。
そのあたり、キュビも感性は似ているらしい。
「先例に無いとは言わないが、ヒロ君。王都――近郊――遠隔地――近郊――王都。それが通常の異動のはず」
王都でしくじっても近郊で挽回をきかせれば、「マシな」遠隔地に配属される。
王都で順調、近郊でも順調なら、「やりがいのある」遠隔地。そしてまた「良い職場」を経て帰ってくる。好調のスパイラルを登り続け、以前述べたが、最後は王都で小隊長、あるいは要衝の責任者として引退できる。
俺が挙げた二つの拠点は王都でしくじり近郊でもやらかした男が回される土地として名が通っている。挽回は困難だが、挑まぬ限り次の近郊で肩叩き。王都に帰れぬままキャリアが終わる。
「中隊長の命令に違背し、戦場にあって敵に背を向け、中傷により戦友の信頼に背く。酌量の余地、無いだろう?」
俺の命令を遵守して、指くわえながら王都に残った連中に示しがつかない。
近衛兵は貴族、経営者であるから。ついても得がない上司の命に従いはしない。
だからA・I・キュビ家による国境侵犯が明白になったいま、戦を得手にする男には戦場を宛がった。春に異動を迎える者には良い職場を回す旨、内示を出した。
だが異動期でない男、戦が得意でない男、最近良いとこ無しの男……あたりにチャンスを配る理由、すぐには思い当たらなかった。
ならば。
せめて即時に示すべきは「従わなければどうなるか」。
王国を代表する大貴族クリスチアン・ノーフォークに、叩き上げの領袖マグヌス・トリシヌス。俺に逆らった大物ふたりの不在、利用させてもらう。
「てめえ何を偉そうに」
俺も最近までそう思ってたさ、エドワード。
だけど偉そうにしなきゃ勤まらないんだよ、近衛中隊長は。
管区まで含めた近衛府内の異動に限り、お前ら全員の、相手が公爵のお孫サマだろうと、人事権を握ってんだ。
その権柄をわきまえていなかったから――地位を確立する前に難敵が現れた不運もあるが――オラース・エランはしくじった。
「お前も、いやこの場にある全員、中隊長の椅子に座る可能性があるんだぞ? そのつもりで考えてくれ」
いま統制を確立すれば、後任はラクができる。
これが俺から幹部小隊長級に、公達に提示できる「旨み」だ。
協力する価値はある、違うか?
「納得行かねえ」
「納得行かない軍令は、己が責任において通さない……だったか? 俺を戦下手だと言うつもりかエドワード」
部下には逆らわせない。ここは軍府、管理統制は絶対だ。
陣定でよく分かった。年内に確立せねば、俺が上から見限られる。
「その辺にしておけよヒロ、エドワードも」
「まず公正と言って良い処分だろう? 少なくともケチのつけようが難しい」
利害得失、ご理解いただけたようで何より。
「左遷される連中の不満を抑えられるなら、だがな」
口ばかりの男など、恐れていても始まらないさ。
手を差し伸べたところでまた迷惑をふりまき、不満を口にするだけだ。
だが一度手を差し伸べ親分を名乗った者は、抱えなければ薄情の謗りを受ける。
その責任、クリスチアンに取らせる。
てめえのケツだ、てめえで拭け……お下品でしたかしら。
ご自身のお背中はご自身で掻いていただきたく存じます。貴族は互助会、孫の手ぐらいはお貸しいたしますので。
「俺の顔なんかより、見ろよシメイ」
小隊長会議など、済んだこと。くだらない話だ。
師範とプリンシパル、ふたりの背中が形作る曲線の美しさに比べたら……。
「にぎやかですのね」
お騒がせしております、プリンセス・イサベル・ナシメント。
紫野離宮:モデルは紫香楽宮です。
白金柵:モデルは丹生(滋賀県)のあたりです。




