第三百五十五話 不機嫌な男たち その5
かんじんの戦況だが、悪くなかった。
が、お世辞にも良いとは言えなかった。
そうなりがちな戦場なのだ。
繰り返しになるが、南嶺が戦果を得たいならば大規模攻勢必須である。
しかし今回はいま一つやる気が感じられない。
ならば我ら王国は砦に籠もっていれば良いのだが。
分かっているはずなのに、それがクリスチアンにはできなかった。
この事態を的確に予想していた者は、俺の周辺ではふたり。
ひとりはクリスチアンと付き合いの長いエミールで。
「今次の出兵、容赦を願いたい。クリスチアンの下風に立ちたくはない」
生意気盛りの少年とは異なり、いちおうの会釈を入れて来る。
いま俺とやり合う気はないらしい……と、少し緩んだ頬に皮肉げな目を向けられた。
「勝っても手柄にならないし……いや、やめておく」
出陣前とて控えたその言葉が、現実となった。
前線からの報告を受けて近衛府は奥まった一室に、華の公達が居並んで……しかめっ面を見合わすばかり。
ともかく戦のことならこの男にと、尋ねる前から口を開いていた。
「守備的な戦を嫌い猛攻に出る、それ自体は『ひとつの判断』ってヤツだ。間違いとは言い切れない」
エドワードだから成り立つ判断と言えなくも無いが、それは措く。
「だが報告書を見た限り……毎度、本営を前に出すのが早すぎる。西海の二軍営と連携が取れてない」
アルノルト・ヴァルメルの部隊に至っては、最初から接触を忌避していた。
「戦場を広くカバーし、不測の攻撃に備える」という名目で後陣を申し出たとのこと。
年かさの彼をクリスチアンも煙たく思っていたものか、西海閥との軋轢を避けたか。いずれにせよ、喜んで受け入れたと聞いている。
「主将に対する抗命があると?」
「キュビ四柱の総領君に命を下す? なんぼノーフォークが偉くても、あってはならないことだぜそれは……イーサンよ、お前メル家のソフィアさまに指図できるか? 戦場で、軍の進退をだぞ?」
語調の強さに誘われたように、エミールまでが吐き捨てた。
それこそ戦前に控えた言葉を。
「同じトワ、付き合いの長い俺ですら気に食わないんだ。領邦貴族のキュビとニコラスにすれば戦場は働き口、どころか己の全てを試す場だろう? 動員かけたクリスチアンの政治力は認めても、指揮統率の能力は未知数、しかも若すぎる。素直に従うわけがない」
指揮命令系統を整備・確立する、近衛府改革の目標だが。
「並び立つ貴族たちが支え合い競い合う」というこの気分もまた、近衛府が誇る伝統で。
現にクリスチアンも俺に対して、そのあたりを遺憾なく発揮してくれた。
議論は踊る。それもロンドを。堂々巡り。
現場を離れた近衛府で議論しても仕方無いが、現状把握は必要なのだ。
戦況と方針について、同意を得ないことには始まらない。
しかしクリスチアンも厄介な……。
いや、感情を殺して記憶を反芻する限り、立派なものだと思いはする。
俺が15の時は、方面司令なんか任せてもらえなかった。
「任せてくれ」とソフィア様夫妻に言い出す度胸もなければ、実力の裏打ちもなく。
それをクリスチアンは実力で奪い取ったのだから。
進まぬならばそれでも良いが、思考の遊びも遮られるのだから議論とは面倒だ。
「軍令を何だと思ってる!」
それにしてもまた、ずいぶんと厳しい語調ですこと。
エミールよ、ため息つくその気持ちは分かるけども。
ただの小役人じゃないぞ今のイセンは。
「覚えとけ、戦下手の軍令は通らない。己の責任において通さない。それがキュビの前線部隊長だ……勘違いするなよイセン、苦手なら苦手でも良いんだ。アホ面さげた御輿になって部下にカラダ預ける度量がありゃ、な」
なんでこっち見たエドワード。やんのかコラ。
「クリスチアンに絶対的な指揮権を与えなかったお前の措置は正しいって言ってんだよヒロ! あれだ、『格別に』不愉快な事態を避けられてんのはそのおかげだぜ?」
エドワードには珍しく王国貴族一流の言い回しを採用せざるを得なかったらしい。
なるほどさすがに「流れ矢」だの「闇夜の不慮」だの、口にできるものではない。
そこまで考えて決断したわけではない自分が少しばかり恥ずかしくもなったけれど。
それこそあれだ、結果が正しきゃそれで良い。大事なのは切り替えだ。
「だが、そもそもだ。言うてクリスチアン、センスが悪いってことはない。丸投げする度量に至ってはトワん中でもピカイチだろ? らしくもない、何を焦ってるんだ?」
さらりと下された論評の冷えぶりよ。
関係の良いクリスチアンは「センスが悪いとまでは言えない」、やや険悪なエミールは「軍人の家に生まれてればなあ」と来る。
だがそれだけはっきり極め付けられてなお、クリスチアンはエドワードを兄貴分として慕っている。
いや、はっきりしているからこそ、か。そういうところ気分の問題はあるよなあ、確実に。
「政治行政はアレだが、軍人としてこれは一個の天才だ」……エドワードを正確に理解しリスペクトする、まさに度量だが、クリスチアンはそれを持っている。
裏を返せば、だからこそ今期の中隊長殿には納得が行かないという話にもなる。
「北でA・I・キュビが動いていると聞いたのが良くなかったのだろうね。予定外の戦争は経済に大きな負担をかける。トワ系としてはまさに胃の痛い話さ」
何か、俺のやったこと全てが裏目に出てるような。
パワハラ上司みたいになってないか、これ。
「南の戦線をさっさと押し切ることで二正面作戦を避ける? 分かるがよイーサン、それは気の回しすぎだ。家の力と才能が仇になったかねこりゃ」
目の前に集中せずとも乗り切れた、ゆとりある少年ならではの落とし穴、か。
舐めてるのとは違うんだよな。クリスチアンもノーフォークの男、王国への忠誠心は疑いない。仕事には全力で取り組んで……俺から指揮権もぎ取って。
力と才に恵まれた、だからこそ自分が国を支えるのだと。その心は尊いと思う。
思うけれども。もう少し何だ、その。
おとなやお兄さんに任せようって気にはならんかね?
(フォローしてあげるのがお兄さんでしょ? ソフィア様を思えば、ね)
(甘いんだよアリエル。ヒロには背中を任せられないってバカにされてんだぜ?)
(ネヴィル! それを言ったらまたヒロ君がヘソ曲げちゃうでしょ!)
外野とは言え長らく俺を見ていた連中だもの、おそらく当たっているんだろう。
そのあたりのなんだ、やはり「気分」か。そこまで見越していたのがコンラートだった。
お互いまるっとお見通し、時には無性に腹が立つ、が。とはいえ。
ここで逆ギレする「不愉快な男」では「今後のお付き合い」に響くわけで。
「現状の把握はできたところで、新情報だ。立花領を経て粋華館へ先乗りしたコンラートから、従妹を介して手紙が来た」
挨拶にいろいろ書いてあったけれど割愛させてもらう。
ここは軍府だ、まずは結論。
「『後詰めとしてクロイツ家の兵を大衙に預けた。下命あらば引き連れてクリスチアンの指揮下に入る』とのこと」
中隊長の配置命令が下る前に王都を脱出、フリーハンドを得ておいて。
事後承諾に会釈を送ってくると来た。
「なお『兵站は当家で負担するから心配するな、差配もイセンに頼んである』そうだ」
どの口だ? 「軍令を何だと思ってる」とか言い放った二枚舌は!
こっちの言う事聞きゃしない!
「命令を聞いてくれる二軍団なら押し切れる。勝てるとなれば、西海両営も動かざるを得ない……分かってるじゃないか、ケツアゴのくせして!」
動かなければ、クリスチアンに手柄を独り占めされてしまうから。
感情論とは別にそのあたりの損得勘定、非常にシビアなのが軍人貴族であるからして。
その気分、エドワードにはよく分かっていた。
なお後に続いた言い訳は、読み上げるべきものでもないと思った。
少なくともエミールの前では。
「クリスチアン坊や、危なく見える。『自分はやれる、蓋が邪魔してるだけだ』ってな。勘違いだが15なら当たり前、俺よかだいぶマシだよな。……ただ違うのは、あの頃蔵人頭はロシウさんだったってこと。抜きん出た才の持ち主、年も離れてる。家格にも差がある。だから俺に説教することができた。ドサ周りはさすがにひどいと思ったが、今となってはいい思い出さ。
だがいまクリスチアンがやらかすと、若手で叱れるヤツがいない。あれだ、要はあのクラスになると、間違うことすら許されないんだよ。……『負けたら』、軍人はその言葉を嫌うがあえて言わせてもらうぞ? 『負けたら』どうなると思う?
『負けたのにお咎めなしか。良いご身分とはまさにこれ』、『栄えあるノーフォークの跡継ぎにふさわしからず』、『恥ずかしげも無く、よくも戦を語るものだ』、表立って叩けないから陰に回る。批判は特権の裏返し、当然と言われりゃそれまでだが、まだ15だぜ? それやられると拗らすんだよ。史上何度か例があるんだ。そして拗らせたまま50年、王国の中枢を担い続ける。歪んだ姿勢で国政を攬る。トワ系としては迷惑この上ない。
少年にはお膳立てが必要だ。だから父君ノーフォーク伯も、デクスター家も気を使ってる。今回イーサンが前に出ないのは、そういう意味もあるはずだ。お前も腹立つだろうが、あれだ。婿君バヤジットと同じだと、そう思ってはもらえないか? ここは一番、いろいろ譲ってやってくれ。勝ちさえすれば、総指揮官のお手柄……これは軍人のヒロに言うまでも無いか」
張り合ってるあたり、俺も子供と言いたいらしい。
思えばメルの総領ご夫妻、若手には手厚いフォローの体制を敷いてたよなあ。
それがおとな、権を握った者のゆとりってところかね。
(頼るようならそれまでだって視線もあったけどね。もう忘れたの?)
了解、俺も流れに乗りますよ。
「王国に害為すことは許されない、ただし状況を利用はする」
それはクリスチアンも俺も、イーサンも誰も彼も、みな同じだからさ。
「『いつでも挽回は効く』、理解してもらったところでいったん解散だ」
理解を引き出す、要はひとつの方向に従わせる。
そのために設けるのが議論の場だ、などと言っては悪擦れが過ぎるだろうか。
そして人差し指を天井に向ける、これは演技が過ぎている。
「俺も指示を受けてくるよ」
陣定(閣議)への出頭命令を受けていた。
「お時間です、中隊長どの」
この間は悪いことをしたね、大隊長秘書官(?)どの。
「こちらです」
扉閉める寸前にケツを蹴り上げやがった。
どいつもこいつも!




