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第三百五十五話 不機嫌な男たち その1



 客舎ゲストハウスに足を踏み入れるや、目に入る調度やらの素朴さ()よ。

 「こういうとこも足りてないなあ」などと感じた引け目をごまかすべく、とりあえず怒鳴りつけてやろうと大ぶりの扇子を肩に担いだところが。


 「大隊長閣下キュビ侯爵より、お呼び出しだ。『明日の昼で頼む』だとよ」


 すっと詰めてきて耳元で囁いたかと思ったら、ひょいと二足の間を空けられた。

 にやついてやがる。

 ああ、公務だな。使者の仕事は文句無く公務だ。

 いち兵卒の仕事だという点に目をつぶれば。


 「簡潔なる報告、さすがは仗家の範たるエドワード君だ。早速王宮に戻り、警備の指揮に当たられたし」


 兵は神速を尊ぶ。余計なお手紙を待ってる暇は無いよなあ?

 

 「せっかくの機会ゆえひと言申し上げること、お許し願いたい。正門はさすがの堅さだが、南東な? 『誘いの隙』にしても少し見え透いてるんじゃないか」


 これだからこいつを足繁く通わせたくはないのだ。

  

 「まあ館(政庁)なら十分か。ほかに籠城専門の砦、あるんだろ? これだから蓄積たくわえのある家は……クッソ、腹立ってきた」


 ええ、ありますよ。崩れ去っておりますがね。

 どうせエドワードのこと、およその位置まで嗅ぎ当ててるに違いない。


 などと、赤毛に似合わぬ(暴論)遅滞戦術をちくちく採用して待ち望んでいた続報であるが。

 

 「迎えに出した二十名、さきほど無事に帰還! シスル隊長は治療を終え、報告のためこちらへ向かっております! ……なお、権中将どの宛書簡を預かっているとのこと」


 恋文をアカイウスに橋渡しされるって、それ罰ゲームにもほどがある。

 腹いてえ。防諜のため検閲されてなきゃいいなエドワード!


 だが腹筋をよじる思いをしたのはお客人であった。

 なるほど怪我の箇所から治療担当まで、これほど簡潔な報告もない。

 「急急如律令」と書かれたお札が額から垂れ下がっているのだから。


 爆笑する赤毛を前にしたアカイウスが同心結を無言でほどき始める。

 これはエドワードが悪い。


 「やめろアカイウス! そんなことだから奥向きに嫌われるんだぞお前!」

  

 宦官外戚VS科挙官僚、コネ入社VS営業戦士、愛人秘書VS経理のおばちゃん……奥向き・閨閥と外朝官僚とは犬猿の仲、およそ経営体なら大小問わずいつの時代・どこのご家庭でも同じである。

 加うるにアカイウス・A・シスル氏、彼の敬愛すべきご主君に「取り入る」ような動きをする輩に厳しいと来ては。

 だがそのアカイウスが珍しく、新入侍女を評価していた。


 「みな、即戦力ですね」

 

 きくならく。

 軍人組のレイラ・キュビにマージダ・ヘクマチアル、アカイウス氏が軽傷と見るや挨拶だけして奥に引っ込んだらしい。


 「ぎゃあぎゃあ騒がぬあたり、心得をお持ちだ」


 槍振り回して血を流した直後、興奮状態にあるところだもの。騒がれると落ち着けない。下手すると勢いで殴りつけそうになる。

 かつて俺もピーター相手にそれをした……のは、こちらに心得が足りなかったから、ですけどね。


 対する文官組、キュベーレー嬢はお節介を焼いてしまった、けれど。

 膏薬を取り出し一歩を進めたところで、アカイウスの険しい視線に気がついた。

 で、傍らの小さな掌にそっと乗せたのだとか。


 「よく理解しておいでです」


 「家臣なるもの・男というもの」、その存在と心理を。ついでに子供の扱いも。


 そして新たなお友達のお姉さんに励まされたナオ・ダツクツ嬢、大張り切り。

 怖い顔した三十男をしゃがませて、膏薬をべったり額になすりつけた上から霊符をぺちん。


 「『霊験、効果が収まれば自然に剥がれます』とのこと。一日で治る怪我ですし、こうなったからには、まことに効くものか検証します」

 

 好奇心の神に取りつかれた主君が試したがる前に。かくてこそアカイウス。

 誠忠の軍人が吐くその声に、乗馬で鍛えた肺の吸う息に、お札がぴろりぴろり。

 笑うなよ、笑うんじゃねえぞエドワード、俺も止まんなくなるからよ。

 カレワラの党員を守んのは俺の仕事だ……なら俺は次どうすればいいかって。

 

 「ムーサ・ヘクマチアル氏においでいただくよう!」


 あちらさん(ターヘル)に挨拶ぐらいはせにゃならんのでね。

 よく帰って来てくれた、アカイウス。

 

 「その間に、急を救ってくれた恩人を紹介します……入りたまえ!」


 半弓に比べても、はるかに小振りな複合弓。

 馬上に叢中、活躍の場を問わぬ代わり威力に乏しいはず、そう思っては見誤る。

 使い手は説法師、剛力の持ち主なのだから。

  

 レネギウス・エクシア。王都学園の卒業生。

 エッツィオ辺境伯領で活躍の後、極東を経て王都に帰還したところであった。


 「何が起きてるか分からなかったから、とりあえず当てないようにぶっ放したけど、それで良かったんですかね」


 雑な物言いとは対照的な精密射撃――それも得物を問わず――を持ち味とする青年が、照れ臭げに白い歯を見せていた。

 どう礼をすべきか、いやそもそも何から話せば良いのか。

 分からないならとりあえず、いや分かっていてもとりあえず。

 

 「酒だ酒!」


 「いや、実家帰らないと。俺は一緒にエッツィオ行った連中を代表して、挨拶のつもりで」


 いいからいいから。ご両親の了承ならこっちでもらっとく。なんなら呼ぶよ、こっちに家建てちゃう。何せ今俺忙しくて、でも君の話どうしても聞きたいからさ、ちょっとの間だけ側にいてくれないかな。これとりあえず謝礼、先に渡しとく。友達も一緒に呼んじゃってよ、それなら安心でしょ? 近衛府とか、見てみたくない? 絶対気に入ると思うんだけどなあ。

 (以上五行、意訳に基づいてお送りしております)


 (どうしてそのノリで女が口説けないか、これが分からない)

 (カラダはヤリチ○、ココロは童貞……うん、ただただ気持ち悪い)


 冗談はともかく、いやスカウトは本気も本気なんですけどね?


 「郎党頭の危急を救ってくれたこと、感謝する」


 ちょうどムーサ・ヘクマチアルが入って来たところでもある。

 エドワード・キュビにカレワラ、複数の貴族を前に「面目を施す」……それは「家名持ち」階級クラスにとって、大きな実績になるから。


 「それにしてもアカイウスを怪我させるとは、何者だ?」


 白銀の貴公子こと故・ウッドメル伯爵の、筆頭使番まで務めあげた男を。

 使番、本営と前線を騎馬で往来し軍令を伝達する役職である。前線の将校に不慮や粗忽があれば、その地位を襲って指揮を取ることもある。

 連絡が途切れては戦線はズタズタ、したがって何より求められるのは生存というわけで。ゆえにアカイウス、騎馬の扱いは巧みというも愚かなほど。

 これをRPG的に言うなら「回避値」が異常に高い。SLGを併せるなら「統率」も抜群で、ただし「武力」パラメータはやや控えめ……

 

 「ターヘル・ヘクマチアル当人が出ていました。出会いばな、馬を射倒したところが」

 

 控えめにそういうことを言ってのける。


 「妙なのです。短躯はともかく……ああ、そうそう。顔立ちは、ご主君も面識ある彼らの父、ムハマド・ヘクマチアルによく似ております」


 なぜ容姿から入るのか、そこがそもそも妙だけど。


 「しかしあれの息子と言うより、兄と言ったほうが通ずるぐらいの老け顔で」


 ターヘル・ヘクマチアル、四十前のはず。その父ムハマドは六十前後。

 顔立ちの整った弟のユースフが若く見えることを差し引いても、さすがにギャップが大きすぎて面食らったとのこと。


 「老人とは言いませんが、体力で負けることはあるまいと思いきや猛烈に粘られたのは誤算でした」


 それで容姿の説明から入ったわけね?

 報告の珍妙さと言い、どうもアカイウスつくづく調子を崩されたらしい。

 

 「ターヘル兄を相手によくぞご生還を」


 はい? と大音声、ぶわりと持ち上がったお札の下からのぞく凶相。

 エアリーディングのスキルも不要、「なめてんのか」と告げている。


 「いえ、さすがと申し上げます」


 腕は三兄弟でも一番良いらしい。

 ティムル・ベンサムがその若き日、ヘクマチアル党を抑え切れなかったのも、ユースフとターヘルのふたりを――しかもそれぞれ勝手に暴れまわるふたりを――相手にせざるを得なかったからというところはある。

 誰が企んだか、兄ターヘルをサンバラ知州に栄転()させたおかげで、どうにか王都は均衡を取り戻した。


 (そして誰かさんが近衛中隊長に就任するタイミングで呼び戻した)

 (考えすぎじゃない?)

 (自己評価高すぎるぜ)

 (カレワラにはそれぐらいの力はあるの! 蔵人頭にリーモンと重なれば、大掃除のチャンスよ間違いなく) 


 内閣大学士のお顔を順に思い浮かべる。貧乏くじという言葉を飲み込みつつ。

 でかぶつメル、曲者キュビ、酔いどれ立花、かんしゃく親父の按察使ウマイヤ、鷲鼻アルバに鋼鉄ノーフォーク、高峰デクスター、なあなあのチェンいや実際は深淵ロシウ、三巨頭を中心に各省の宮さま、さらに侯爵がた。

 どいつが企んだとしてもおかしくないし、ひとりが言い出せばノリでかぶせる連中だが……とりあえず今大事なのはターヘルの情報である。


 「最初に馬を倒しておかなければ危なかったでしょう、公正に見て」


 ムーサのその言葉とアカイウスの報告を聞くに。

 騎馬と徒歩、弓・長槍と両手剣。そのリーチ差によるアウトレンジ攻勢に持ち込めたのが勝因だった。


 「腕の冴えもさることながら、ご指摘どおり体力が尋常でない、それが兄ターヘルです。武術に限らず、戦場でも政治の場でもとにかく精力的に粘り続ける。いつ寝ているのかと思うほどです」


 長男の、総領の責任をよく果たしている、そう聞こえなくもない。

 部下から見れば頼もしく、それゆえ斃さぬ限りはユースフに浮かぶ瀬もないと。


 「霊能者ですが、説法師とも浄霊師とも違うらしいと。それ以上のことは……」


 異能は千差万別。切り札だもの、詳細はよほど信頼できる相手にしか教えない。

 確実なのは「初見殺しではない」。体力に関わる何かでもあろうかと。

 

 「カレワラ家(そちら)で討ち取ってくれるなら、これはありがたい話ですが」 


 「父との共倒れが理想ではありませんの、叔父さま?」


 ムーサを呼ぶなりついて来て、お茶出しなどしてちゃっかり場に居座る。

 この要領の良さ、マージダ嬢もヘクマチアルの名に恥じぬ令嬢であった。


 「ユースフ兄に出世してもらって、おこぼれにあずかるのが理想だよ」


 姪を、13歳の少女を前にしゃあしゃあと言ってのけるのだからムーサの横着も相変わらずで。


 「粘りに粘りくさっておいて、レネギウス君が参戦した途端に退却です。機会しおを見る目がある。敵に回すとやっかいですよご主君」


 ユースフとムーサの兄ってだけでも、めんどくさいヤツと分かりきってる。

 部下に怪我をさせたからには敵、分かりきってるくせにわざわざ口にするアカイウスも大概めんどくさい。

 それでも幸いにして、「急急如律令」のお札は剥がれ落ちていた。


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