現代におけるいちヴァンパイアの生活
年の差逆転カップル(?)話。
ひょんなことで吸血鬼になったオヤジギャル(死語)と、年下の大人しめの男の子の話。
今日の天気予報は晴れのち曇り。降水確率二十パーセント。予定では雨は降らないはずだった。
けれど天気予報はあくまで予報であり、確実な情報ではない。天気予報を裏切って、夕方には小雨がぱらぱらと天から零れおちてきた。
「ヤバイ、降ってきてしまった」
ぼやいたのは坂崎加奈という女性だった。背が高くてシンプルなグレーのスーツを着こなしている。いかにも仕事ができます、といったキャリアウーマン風。
加奈が手をかざすと手のひらに小さな水滴がいくつか落ちてきた。まだ雨足は遅く、本ぶりになる前には家につけそうだ、と安心しながら、それでも歩く速度を速めた。
雨にぬれないために、そして空腹を満たすために。
加奈の住むマンションは駅からほど近いところにある。おかげでスーツを少し濡らした程度で部屋にたどり着いた。
鍵を開けると思いきり開けて部屋の中にはいる。パンプスを脱いで揃えもせずにそのまま中に入っていった。
「あ、加奈さんおかえりー。ご飯できてるよ」
中から聞こえる明るい声。その声に加奈は笑み浮かべた。
加奈の部屋にいるのは、ひょんなことから面倒をみることになった少年――坂崎麻紀。十七歳。少年というには微妙な年だが、青年とも言うのも微妙。けれど体格だけ見れば十分大人といえる。
苗字を見れば分かると思うが、二人は血縁関係にある。ただし、その関係は口で説明するには面倒なほど、“遠い親戚”という関係だった。
その彼が何故ここにいるのか、になると、遠縁といえど小さい頃からの幼馴染――というやつである。まあ年が離れすぎているため、幼馴染というより、男勝りな性格の加奈にとって子分といっていいかもしれない。
そんな麻紀が進路で家族といさかいを起こし、逃げ出した先が少し遠い所でひとり暮らしをしている加奈のところだった。子分――もとい、かわいい弟分に泣きつかれては、加奈もむげにできなかった。
「ただいま。あ、悪いがそっちのご飯じゃなくて、あっちのほうが欲しい」
「えー? ついこの間したばかりじゃない」
加奈の部屋にいて菜ばしを持った麻紀は眉をひそめるのと、軽く一歩後ずさることで、それが嫌だと体で表現する。
けれど場所が悪い。キッチンの狭い場所に立った彼に、加奈から逃れる術などなかった。
「仕方ない。こっちだって腹減ってんだから」
「だからご飯を……」
「それはあとでしっかりもらう。これは“契約”だと何回も言ったはずだけど?」
引きつった顔の麻紀に加奈の手が伸びる。
女にしては背の高い加奈と、男にしては少し低めの麻紀は同じくらいの背の高さだ。近づけば顔は同じ高さにある。
加奈が笑み浮かべると、同じ高さにあった麻紀の顔がさらに近付き、そして少し下になる。着ていたシャツの襟もとに手をかけて、首筋を露にすると、そこにゆっくりと口をつけた。
「う……」
のしかかるようにされて慌ててこれ以上倒れないようにと、加奈の腕をつかむ。加奈はそれを手伝うかのように麻紀の背中に手をまわした。
「加奈、さん……もう……」
情けない麻紀の声に、仕方なく加奈は麻紀から離れる。曝け出された首筋には、二つの小さな痕があった。
「ご馳走さん。やっぱり若い男の血はうまいねー」
唇に残った血を舌でペロリとなめる。その姿は艶やかに見えるのに、口調がそれに伴わなかった。
「加奈さん…それってオヤジ臭い……」
「あ、焦げてる」
「え? あーっ! 加奈さんが急にあんなことするから!」
加奈の一言で慌ててキッチンへと戻る。そして一部炭化したアジの開きを見て怨みがましい目つきで睨んだ。
「ああ……。もう少しできれいに焼けるところだったのに……加奈さんのバカー……」
「麻紀ちゃ~ん、ここから出てくー?」
「う……。すみません、僕が悪かったです……」
加奈の性格は熟知しているのか、ここで折れなければ夕食の支度もできないと悟り、麻紀は内心悔しいと顔に出てるが一応素直に謝った。そしてそのまま焦げ始めたアジの開きを慌てて焼き網の上から下ろす。
その情けない顔を見ながら、加奈は放り出したカバンを拾って自室へと向かった。
***
坂崎麻紀は小さい頃から料理が好きな少年だった。
料理のみならず、家事全般といってもいいかもしれない。掃除をして部屋をきれいにするのも好きだったし、ガーデニングで花を育てるのも好きだ。
坂崎の家系は勝気というか男気というか一本気というか――気の強いものが多い。そんな坂崎家の中で、女性的な面を持つ麻紀は少々異質な存在だ。確かに芯は強いが、好きなものや性格が親兄弟と全く違う。麻紀は家にいて居心地の悪さを感じながら育った。
それが顕著になったのが高校2年になって進学に関してだった。それまで進路に関して話をしてはいなかったが、親は大学に行くものだとばかり思っていた。けれど麻紀が望んだのは料理学校だった。
当然ここでもめ事が起こる。
不幸なことに坂崎家の一本気が災いし、どちらも折れることはなかった。結果、出ていけ、ああ出ていってやる、の派手な喧嘩のあと、何も考えずに家を飛び出した。
逃げ込めそうな先はひとり暮らしをしている加奈のところ。
昔かわいがってくれた加奈なら、きっとなんだかんだいっても受け入れてくれるだろう――そう判断した結果だ。
けれど世の中そう都合良くいかない。
住むことに関してはすぐに了承してくれたが、一つだけ条件があるという。内容を言わず、その条件を飲むか飲まないかをまず突き付けられた。
ここが駄目なら他にあてはない。麻紀は間をおかずに構わないと返事をした。
今思えばここできちんと内容を先に聞いておけばよかったのだが――残念なことに、真紀は内容を聞かずに喜んだ。
そして告げられた、加奈の出した条件は――
「私に定期的に血をくれること」
「は?」
「あれ、聞こえなかった? 血だよ、血!」
と先ほどよりも声を大きめにして話す。
その短い内容を、真紀は理解するまでかなりの時間を要した。
そして。
「はああああああぁぁっ!?」
どんなことでもするから置いてほしいと思ったが、聞かされた条件は麻紀の想像をはるかに上回っていた。
「なんだよ、それっ!? 血って、あの血? うわ、加奈さん吸血鬼だったの!?」
「うん、そうだよ」
「ちょっ、きっぱり言わないでっ! ってか、おじさんとかおばさん知ってるわけ? じゃなくて、もしかしてみんなそう!?」
あっさり頷かれると、“加奈が吸血鬼である”ということに関して否定できなくなる。となると、最後の砦(?)は加奈の家族になるのだが……。
「あーうちの家族はみんな人間。私だけ吸血鬼」
「なにそれ! そんなのアリなわけ!?」
「ありあり。」
家族は普通でなんで加奈だけ吸血鬼なのか。頭の中は大パニックだ。
落ち着くように、と出されたホットミルクを差し出されると、それを一気飲みしようとして今度は舌を火傷する。
「いい加減少し落ち着けって」
「落ち着いてられないよっ」
どうしてそう冷静なんだ、と思うが、加奈は昔から肝が据わった女だった。
すでに自分が吸血鬼だということを認識し、なおかつそれを受け入れている。
「別に麻紀ちゃんの命まで取ろうというわけではないんだからさぁ」
「いや、あのそんな物騒な話やめて欲しいんだけど……」
あっさりと、本当にあっさりと言われると、これだけ驚いている自分が馬鹿らしくなってきて、麻紀ははーっと深く息をはいた。
「じゃあなんで吸血鬼になったわけ?」
「ん? ああ、私一年前に事故で大けがしたじゃない? どうも、あの時輸血してもらったんだけど、あのあとからみたいなんだよねー」
「あ、あのさ……、もしかして吸血鬼が輸血してくれましたー……なんて馬鹿なこと思ってるわけ!?」
「思ってるというよりそうだろうな。他に考えられないし」
「どこにいるんだよ!? 吸うんじゃくて献血するような奇特な吸血鬼なんて……っ!」
納得できなくても条件飲んだからにはそれなりに血をもらうから、と加奈は念押ししてからホットミルクを口にした。こちらは年齢考慮でブランデー入り。ただしどちらが多いかは謎なくらいドポドポ入れていたはずだ。それをぐいっと普通に飲む。
アルコール慣れしていない真紀は、ホットミルクへの冒涜だと思いながらその様子を眺めていた。
「……で、治そうとは思わないわけ?」
「んー、……まあ血をくれる人がいないと不便には不便だねぇ。いきなりかわいい女の子を襲うわけにはいかないし」
「いきなり女の子を襲っちゃいけません! って、加奈さん女の人でしょう!?」
あれ、加奈はこんな性格だったっけ――と麻紀はふと疑問に感じた。確かに加奈はサバサバした男のような性格と口調だったけれど、女の子が好き、とまでは言ってなかったはずだ。
「うーん。ちょっと好みが変わったかな? 最近はかわいい女の子が好きなんだ。でもさっき言ったように襲うわけにはいかないし。それで困っていたら、麻紀ちゃんが網にかかったんだ♪」
「嬉しそうに言わないで! 網にかかったってなに!? それに僕は男……!」
「若くてかわいい男なら守備範囲♪」
ぐっと親指を立てられて嬉しそうに言われると、もう何も言えなかった。
昔のようにさっぱりしていて性格変わってないな、と思っていたら、実はおっさん顔負けのエロオヤジのような性格に変わってしまったようだ。
(ううう…、見た目は“キレイなお姉さんは好きですか?”なのに、こんなの詐欺だあああぁ……)
心の叫びもむなしく、生きていくために麻紀は己の体を加奈に差し出すハメになった。
***
「ごっそさん♪」
「お粗末様です」
お腹いっぱい満足そうな笑みを浮かべる加奈。食後のお茶を差し出されて、豪快に一口。熱さは気にならないらしい。
「麻紀ちゃん、料理学校行っているだけあるねー。それに温かくて美味しい料理が待っていると早く帰ろうって気になるしさぁ」
この何気ない言葉に、麻紀が来る前の加奈の生活が窺える。
きっと昼間は仕事で気にしないで、夜はコンビニ弁当かもしくは居酒屋か――酒とつまみがあればいいと言った感じだろうか。
「加奈さん……いくら吸血鬼になっても、必要な栄養ってのは他にもあると思うよ」
「んー、まあそうなんだけど、それは若さでカバー?」
「若さって……。そういえば加奈さんって年取らないの?」
ふと思った疑問。吸血鬼となればほぼ不老不死が定番で――そうなると加奈は年を取らずにそのまま生きていくことになる。
「さあ。まだ一年だけだからね。あまり年をとったとか変化を感じないから分からないかな」
「なんか……ずいぶんあっさりしてるんだね。普通もっと慌てない?」
いくらしっかりしているとはいえ、自分の将来がどうなるか分からないというのに、なぜ平然としていられるのだろうか。
麻紀には加奈の感覚が信じられなかった。
「最初は慌てたさ。元からかわいい女の子は好きだったけど、それは私がこんな性格だからって思ってたから。でもさ、なんつーか衝動が抑え切れなくなってきて……」
「それヤバイってば!」
「うん、だから一応我慢したんだよ。でもどんどんその衝動が強くなっていって……」
加奈にしては珍しく動揺しながら話すのに、麻紀は興味を持った。けれど加奈はここまで言うと俯いてしまい押し黙ってしまった。
加奈がこれだけ言い淀むのだから、きっとものすごいことに違いない。
でも麻紀は知りたいという思いのほうが勝ち、促すように尋ねた。
「で?」
「それが……」
視線を横にずらし、恥ずかしいのか頬がほのかに赤みを帯びる。
うわ、こんな顔は珍しい――と、ドキッとするが、その後のセリフで目が点になった。
「我慢に我慢を重ねてた時、居酒屋でうるさいオヤジとケンカしちゃってさあ。気づいたらそいつの喉に噛みついてたんだよね。初めてがむっさいオヤジだよ。うわっやだ、また思い出しちゃったじゃないか!」
それは確かに思いだしたくないはずだ――と麻紀は無言で頷いた。
下手な同情の言葉は言わないほうがいい。
「幸いケンカは店の外でやったから、血ぃ吸ってるのは見られてないと思うんだよね。でもその後はかなり落ち込んだよ」
「オヤジの血を吸ったから?」
「……も、あるけど、なんでこんなことになったんだって。生まれて二十三年――一度もそんなことがなかったのに、ってさ。ちなみに親からそんな話も一切聞いてなかったし」
肘をついて気に入らない表情で加奈はぼやく。
気に入らないとすぐに顔に出るのは昔と変わらない、と麻紀は感じる。
ああ、やっぱり加奈さんだ、と。
吸血鬼になっても加奈は加奈だと思える時。だから麻紀は加奈の突拍子もない条件を飲んだのだから。
そう思うと、ふっと引き結んでいた口が緩んでいく。
「行き着いた結果が事故のことさ。あの時かなり出血がひどくて輸血したって聞いていたし、その割に怪我の治りは早かったし。もう痕も残ってないんだ」
加奈の様子を見ていると、なんだかんだ言っても、勝手に吸血鬼にされた恨みとかはないようで安心する。
どちらかというと、その血を加奈以外の人に使っていた方が問題あったかもしれない――などと思うと、麻紀は妙に納得してしまった。
「ふーん」
「なに?」
「加奈さんって順応力が高いなーって思って」
「それは麻紀ちゃんも同じだと思うけど? なんだかんだ言っても私につきあっていけるんだからねぇ」
そういえば――と麻紀も今さらながらに気づく。
しばらくしてから笑いながら。
「そりゃ、加奈さんのことを一番分かっているの、僕だと思ってるから、かな?」
「私のことを一番知ってるだって? 子分の癖にナマイキ言うんじゃないっての」
加奈は少し照れた顔で麻紀の顔をつねる。
その痛みに麻紀は顔を顰めたが、現在の加奈のことを一番知っていて、そして理解しているのは麻紀なのは確かだった。
他愛ない日常の会話。
普通に考えれば少しおかしいかもしれないが、これが二人の日常的な会話なのである。
昔書いてお蔵入りしていたもの。
切りよく短編になりそうなので、今回掲載しました。