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聖ニクラウスの不在

某所イベント参加作品。

世界や場所、人物設定をシェアして各人が物語を作るイベントです。


場所は日本、八雲町。高校、大学、駅前商店街、一級河川のある長閑な街でのクリスマスの出来事。

 サンタクロースはいない。

 そんなことは小学五年生にもなれば常識だった。小学校に上がった頃にはうすうす感じてはいたが、一昨年から現れなくなった事実は、それを直輝に確信させた。クリスマスの朝、枕元のプレゼントは真夜中に親が置いた物。これが真相。 

 光瞬く商店街広場で、雑踏の中に茉莉奈の姿を見つけた直輝は、慌てて目を伏せた。ジャケットの襟を立て首を縮めて顔を隠す。級友に気づけば向こうは声をかけてくるだろうし、今時ベンチに座っている理由を訊かれでもしたら面倒だ。脇に置いてある手製のキャンドルを体の陰に引き寄せながら、ふと下校時に漏れ聞いた茉莉奈の一言が思い浮かぶ。

――今年のサンタさんは何をくれるのかなあ。

 何の屈託もなく上った笑顔に、直輝は口端をゆがめた――馬鹿じゃね。

 しかし茉莉奈は学年一の優等生だ。先日共に受けた塾の模擬試験では幾度目かの首席を確保し、上位優秀者の結果発表を見た母が渋い顔をした。

――こんな田舎町の子に負けてちゃ、良い大学には行けないわよ、直輝。

 去年、意に染まずこの町の実家へ戻って以来、母は事ある毎に一人息子へ発破をかけた。パート収入の内、生活費を除いたすべてを教育費にあてるほどに。

――学歴があれば、よけいな苦労をしなくてすむの。

 その真偽はわからなかったが。

 確かなことは直輝にはサンタクロースはこない。いない。

 無意識にジャケットの大きなポケットの中身をまさぐった。どんなに最新式のゲーム機でも、今のままではただの機械の板。

 サンタクロースはいない――いなければどうする。

「五千円だと」

 いきなり頭上から野太い声が降ってきて、イルミネーションが陰った。顔を上げると直前に真っ黒い巨体がそそり立ち、指さす先は腿脇に置かれたデコレーションキャンドル。

「あっ」と己の目的を思い出した直輝は、値札のついた紺色の塊を差し出した。グローブのような掌がそれを受け取り、髭もじゃの顔へ近づける。一瞬サンタクロースを連想させる様相だが、よく見れば刈り込んだ髪や顎髭は白髪交じりで、膝まである上着とズボンは真っ黒だ。ブラックサンタ、そんな言葉が直輝の頭をよぎる。

「よ、四千五百円でもいいです」

「クリスマスらしからぬ色柄が面白いが、いかんせん高すぎる」

 キャンドルを矯めつ眇めつした奥深い瞳がこちらを向き、値札に書かれた「手作り」をいう文字を示す。

「君が作ったのか」

 町内の工作教室で作り方を覚え、クリスマスに売れるのではと、自分なりに工夫して手の込んだ物にしたつもりだった。

「よ、四千でも、いえ三千五百……」

 頷いた直樹がもつれる舌を無理に動かすと、浅黒い頬が軽笑めいて盛り上がった。

「どこまで下がるか見物だな。まあ、荷物持ちを手伝ってくれたら買わんでもない」

 男は、手に持つ商店街ロゴ入りのショッピングバッグを上げた。

 大きな黒い背を見上げながら商店街を進む。電気屋、金物屋、パン屋、弁当屋、一軒一軒回る毎に膨らみ肩に食い込む袋の中身が、これから開くどこぞのクリスマスパーティ用だと察せられた。だとしたら――

「あ、僕、ここで待ってます」

 総菜屋の入り口で声をかけた直輝に、髭顔が太い片眉を上げて店内に入っていった。来客を避けて店端に身を寄せれば、すぐ横のイルミネーションが人々の流れを彩ってまぶしい。と、しばたいた直輝の目が見慣れた姿と色を捉え、身が堅くなる。

 母の赤いショール。

 が、違った。授業参観で見知った顔は茉莉奈の母親だ。急ぎ足に向かいビルの脇階段を上へと姿を消す。キャンドルの入ったショルダーバックに手を当て、直輝は自嘲した。今頃外を歩いているわけもなく、なにより見るからクリスマスプレゼントとわかる包みを抱えているはずもない。自分の母なら。

 そっと覗いた総菜屋の店内は、鳥料理が評判なだけあって、いつにも増しての混雑ぶりだ。時折見えるカウンターの奥では、数人の料理員がてんてこまいの忙しさ。再び眼前が黒くなる。

「いくぞ」

 自前の保温袋にチキンの包みをいれ、更に足を運んだ。

 商店街から出た駅前コンビニで、ケーキ売りのサンタクロースに呼び止められる。約束だからなとつぶやいた大男が中箱を手にすると、何度も下げた赤帽子の白玉が跳ね回った。

 コンビニ駐車場の黒光りする大型バイクが、直輝の目を奪う。大股に歩み寄った男は後部ボックスを開け、ヘルメットを二つ取り出した。

「こ、これでキャンドルを買ってくれるんですよね」

 荷物袋を渡しながら直輝が訊くと、ヘルメットの一つが差し出される。

「私は買わんが、買いそうな客のところへ案内しよう」

 だまされたと思った。物欲しげなところをつけ込まれたのだと、失意と怒りが相手と自分とに対してわき上がる。直輝は震えそうな唇を堅く引き結んだ。脳裏を掠める消えない母の呟き。

――お人好しをつけ込まれた挙げ句に、あの人は……

「どうする。まあ、知らない人にはついて行ってはいかんな」

「行くよ」

 子供らしからぬ剣呑な視線が、鋭く男を見上げた。

 尻の下で響く大型エンジンの重低音が、妙に心地よい。黒く広い背中に張り付き、いささか大きいヘルメットの陰からは、曇り空に沈む光景が覗かれた。郊外への道は次第に家屋がまばらになって、落葉樹の大木があちこちに黒くそびえ出す。一年以上住んでいるが、この辺りは不案内だ。とはいえ、投げやりであっても見知らぬ場所へ連れて行かれる心細さはなく、それが張り付いている背中の温かさと匂いのためとわかったのは、しばらく後だった。肌と鼻に染み込む感覚が、不思議な安心感をもたらす。

 おじさん、と直輝は声をかけた。

「サンタクロースっているかな」

「いや」

 素っ気なく返された言葉が、心へ思わぬ波紋を呼んだ。とうに知っていたはずなのにと、直輝は鼻奥にこみ上げた熱さをすすった。

 サンタクロースはいないのだ。

 宵闇が降り掛ける頃に目的地へ着く。草陰の石板に「小泉池自然公園」の文字がなんとか読めた。バイクを降りた大男は再び買い物袋を直輝に持たせ、池の畔の広場に向かった。禿げて枯れた芝生の中に、水場とトイレらしい小さな四阿あずまやがあり、囲む木立の間からブルーシートが照明灯の光を照り返している。

「クロさん、いつも済まないね」

「ああ、今年も元気そうだな」

 シートの陰から現れた真っ白な髪の老人へ大男は手を上げて挨拶し、水場の脇に買い物袋を置いた。それに倣った直輝へ老人の視線が止まる。

「あんた達に客人だ」

「ほう」

 皺の口元が丸まる後ろから、「やあ、クロさん」と口々に、上背が極端に違う老人二人が姿を見せた。

「客人だ」

 最初の老人の言葉に、高さを違えた二組の目が激しく瞬く。身じろぎする直輝へ視線を注いだ後、互いに頷き合って老人達は笑顔を向けた。

「ようこそ」

「初めまして」

「で、何を持ってきてくれたのかね」

 立て続けの挨拶を受け、彼らが客かと直輝は訝った。こんな所で生活をしている者が、デコレーションキャンドルなどを買うのだろうか。だいたい金を持っているかも怪しい風体だ。まさか只で取り上げられるのではと急に心配になり、大男へ疑問を向けると、小さな目配せが返っただけだった。

 そこへ、いきなり木立がこだまし、冷たい風が広場を吹き抜ける。それぞれが身を竦める中、直輝もたまらずポケットに手を突っ込んだ。

 指先に触れる堅い板。それが直輝の背を押した。

 ショルダーバッグから取り出したキャンドルを差し出す。白髪の老人が劇中の仕草のように恭しく受け取り、六つの目が紺色の塊を取り囲んだ。

「夜空に星か」

「荒野の羊もおるぞ」

「これは御使いの輝きか」

 側面の模様を示しながら上がる喜びの声の中へ、直輝は思わず口を挟んだ。

「そ、それ、海の中です」

 驚きの顔を一斉に向けられ、しまったと思う。しかし、仮にも精魂込めた作品を誤解されるのは、どうにも釈然としなかった。

「ヒトデと、イソギンチャクと、揺れているワカメ、です」

 突然起こった哄笑が冷たい空間に響きわたった。身を仰け反らせ手を叩いた大男が、喉奥に笑いを残しながら老人達に訊く。

「どうする」

「いくらかね」

「五千円」

 素早い言い値が、直輝があわてて口を開くより早く、更に念を押して繰り返された。

「五千円だ」

 互いに見交わした老人達は、頭をつき合わせて相談を始めた。

 乏しい中、目的に合わない品を正価で買う者などいない。せめて元手だけでもと思っていた直輝は、僅かに残った希望が打ち砕かれ、恨みがましく大男を見上げた。が、髭面には先ほどの笑いはとうに消えて、緊張の気配を漂わせている。老人達が顔を向けた。

「買おう、捧げ物だ」

 枯れ枝の手がキャンドルの上を一撫でした。灯りが点る。真っ直ぐ立った炎は揺らぎもせず、三人の真中に高く掲げられた。

 帰路の夜道は、街頭の明かりが後ろへ流れて行くばかりだ。直輝の心臓の高鳴りは、今も収まらずにバイクのエンジン音と重なる。腹に抱えるショルダーバックに、ビニール袋入りの小銭が五千円分。これでポケットにあるゲーム機のソフトが買える。先月の誕生日、母親に内緒で祖父が贈ってくれたゲーム機だが、切り詰めながらの年金生活の中、これだけでは遊べないとはどうしても言えなかった。

 サンタクロースはいない。

 ならば、自分でサンタクロースになるしかない。どんなゲームを買おうかと胸が膨らむ。

 駅前コンビニの近くでバイクが止まり、礼を言った直輝は脱いだヘルメットを差し出した。

「おじさん、クロさんて言うの?」

「クロウって名前でな」

 大男はヘルメットを受け取る替わりに、小さなアルミの包みを直輝に持たせた。ほのかに残る温かさで中身が察せられ、思わず眉が寄る。

「腹が空いているんじゃないかと、爺さん達からだ」

 目を見張った直輝に、小さな笑みと共に「じゃ」と軽く手を振り、黒い背が街路灯の奥の闇へ溶けていった。

 踵を返す。頭上にイルミネーションで縁取られたアーケードの入り口アーチ。その下を潜ったとたんに昂揚し、めくるめく光と音に押されて足が次第に速まった。

 欲しかった物が、これで手に入る。サンタクロースなんていなくて大丈夫だと、訳の分からない勝利感が湧き上がる。店が見えた。数々のポスターが誘ってきた。その瞬間――

 赤いショール。

 目的のゲーム屋の隣。洋品店のショーウインドウに飾られた鮮やかな色。擦り切れてもくすんでもいない柔らかそうな生地は、母が毎日身につけているものとは大違いだ。しかしそうではなかった時が、突然思い出される。母の笑顔と共に。

――サンタさんからもらったのよ。

 サンタクロースはこない。いない。

 ならば――

 ショルダーバッグを探ろうとして、先ほどの包みを持ったままと気づいた。公園の老人の手で包み直されたアルミは、皺だらけの灰色の塊ながら香ばしい。にわかに空腹を覚えて包みを開く。

 こんがりした皮目に歯を立てれば、母の作ったチキンは柔らかい。

 鼻の奥がまた熱くなった。


(完)


次作はこの続編です。

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