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深緑の奥の

お題が恋愛ホラーでした。

恋愛もホラーも苦手で、四苦八苦してやっとできました。

特にホラーに関しては、初めての挑戦となりました。

(怪談は以前にありましたが)

――お前様のご無事を、祈うておりますから。

 行商にでる毎、たゆは守り袋を差し出しながら微笑んだ。

 それと同じ声が、蝉時雨の合間から追ってくる。下生えの中に沈んだ闇の奥から嘉吉を呼ぶ。

 かきち、かきち、かきちかきちかき……

 真夏の陽は大きく張った枝に遮られ、木々の間は薄暗くさえあった。幾重にも伸びる枝葉や蔦は一歩進むのにも難儀し、はやる心をあざ笑うかのように行く手を阻んだ。

 熱く湿った気が肌に纏いつく。絡むばかりで四肢が思うように動かず、もつれた足が太い根に捕らわれた。藪の中に投げ出され、声無き悲鳴に開いた口の中へつぶれた下草が押し入ってくる。汗と混じる青臭い苦味。それが舌を突いた途端、濃い緑の重なる底に朧な白い像が浮き上がった。

 白い――白い、たゆの肌。

 その白さは蠢きとなって嘉吉を誘う。

 かきち、かきち、かきち、さあ……

 嘉吉は起きあがると、振り切るように突き進んだ。

 あの体に紅い小袖は映えたろうに。

 突然開けた光景に目が眩んだ。深い森の間中にぽっかりと畑地が開け、中天の陽を受けて、どこもかしこも白っぽい。何度も瞬きし、ようやく森の大木を背に草むした庵があるのがわかった。周囲にはぐるりと木々が巡り、この小さな空き地へ、重たげな枝が今にも崩れるように圧しかかっている。小さな畑は荒れ果てて、萎れた野菜が僅かに伸びているだけだった。

 水音がする。庵の側、大木の下で動く人影。近づく嘉吉に気がつき顔を上げた。

「これはこれは」

 顔貌は茂みの濃い影が落ちていたが、輪郭から僧形だと分かった。

「山を越えられていらしたのかな。井戸の水をお使いなさるといい」

 何か拭く物を持ってきましょうと言った口元に白い歯が光り、僧は踵を返した。単衣の後ろ姿が一瞬陽光の下を横切って、暗い戸口の中へ吸い込まれる。嘉吉が井戸端に視線を戻すと、地面の水溜まりが木漏れ日にきらめいていた。

 僧は水を使っていた。何のために――暑さのためか。

 いいや違う、と否んだやさき。

 かきち。

 呼ばれて、つい振り返った。

 狭い畑は一方が崖に落ち込み、そこだけ眺望が開けている。張り付いたような蒼穹に雲は無く、こんもりとした向かいの山が眼前に迫る。厚い緑に緑が重なり陽の照り返しで輝く一方、懐に底知れぬ闇が潜んでいた。

 かきち。

 声が一点を凝視させた。

 茂みが一面に覆う山の中腹に異質な色。強く己を放ち、目を捕らえる。

 紅。峠に茂る楠の真下。深緑にかかる鮮やかな紅。

 紅の、たゆの、小袖。

「ここでしたか」

 背後からの声。いつの間にか畑の崖縁に佇んでいる。肩越しに嘉吉が振り返ると、庵の縁に立つ僧の姿があった。

「そのように日向におっては、暑さにやられましょう。ささ、こちらへ」

 縁の前には小庭があり、隅に散らばっているのは薪割り途中の木片だろうか。乾いた白日の下で、湿りのある切り口が生々しい。それに気を取られた目へ一瞬の光が突き刺さる。思わず瞼を閉じたが視界の中に黒々とした陰が残り、首を振った拍子に地から飛び出た大石に躓いた。

「ああ、お気をつけなされ。放ったままで手入れもしていませんで」

 奥に座した僧の姿は、強い日差しのこちら側からは相変わらず影のままで、容貌は全く知れない。しかし記憶に刻まれたその双眸を、嘉吉はまっすぐ見据えた。

「なにか」

 僧頭が小首を傾げる。嘉吉は縁へ一足踏み出した。

「たゆは儂の女房だ。互いに惚れ合うて一緒になった」

 蝉時雨の向こうから、己の掠れた声が遠くに聞こえる。嘉吉は振り返り、片腕を上げて正面の生い茂る山を指さした。

「あの峠、楠から向こうに儂たちの里が見えてな、商いの帰りには、いつもあそこで思いがはやる。たゆは」

 指さす先が小さく下がって、緑の間中の紅に止まる。

「信心深くて行商に出る儂のため、山に入ってはいつも祈ってくれておった。儂が今まで無事に帰ってこれたは、たゆのお陰だ。たゆの」

 上がった腕が力を失い、ぶらんと腰脇で揺れた。

「だからあれを買うたのに」


 行商帰りに寄った市で、目に留まった紅の小袖。たゆは器量はまずまずだったが山村には珍しい色白だった。そこに紅の映える様を思うと、嘉吉はどうしても欲しくなり、少々の無理を押してようやく手に入れたのだ。

 いつものように峠の楠の下で汗を拭きつつ、ふと荷の中から小袖を取りだした。真夏の緑の中で見る紅は、木漏れ日を受けて一層鮮やかに目に染み込み、間もなく触れる肌の感触を思い起こさせる。

 首筋を吐息のような風が行き過ぎた。覚えのある微かな香り、匂い。

――ふふ

 女の声。笑い声。

――ふふふ、はは……ふ、ふふ。

 楠の後ろ、下生えが厚く茂る緑の奥からだった。しばらく紅を見つめていた目に陰の暗さは増して、なかなかに正体をつかめない。やがて、白く蠢くものが朧に浮き上がった。蠢く肢体。二つの体。

――ふふ

 悦ぶ声。たゆだった。

「たゆ」

 嘉吉の叫びに動きが止まる。相手はたちまち茂みに消えたが、女の投げ出された姿はそのままだった。愉悦に潤う瞳がこちらを見上げる。湿った青臭い息を吐きながら、しどけなく開いた体でゆるりと手を伸ばす。

 かきち、さあ。

 気づいた時には手にした小袖を相手の頭に被せ、首を締め上げていた。ぐったりとなった体を抱え上げ、小袖をそのままに楠下の崖に放り投げた。紅は緑の先に消えた。消えたはずだった。


「たゆが山へ入るのは、祈るためではなかったか」

 背後の僧は微動だにしない。蝉の声がこだまする。深緑の中に一点の紅。

 視線をずらした瞬間、再びの閃光が走り、嘉吉は素早く動いた。手に取るや陽を返す鉈の刃。庵の縁を駆け上がり、大きく腕を振り下ろす寸前きつく目を閉じた。眼前が真紅に染まる。

 足下でどさりと音がした。瞼の裏には紅色が広がり、真中の染みのような陰奥に白いものが蠢いている。あの白い二つの肢体。たゆと僧形。

 嘉吉は真夏の陽の下へ飛び出すと、引きずる足で森の中へ走り込んだ。無意識に見当をつけた峠に向かい、下生えを鉈で払いながら掻き進む。それでも変わらず、たゆの声は耳に響いて止まない。

 かきち、かきち、かきちかきちかき……

――なぜ呼ぶ。裏切ったのはお前だ。

 行く手が開ける。また元の畑地だ。峠に向かっていたはずがと訝しんで、息を飲む。真夏の白い陽光はそのままながら、空き地の荒れ具合が先程と違って尋常ではない。畑と小庭の区別無く下草が生い茂り、庵の柱は折れて屋根が落ちている。何より周囲の木々の緑が雪崩込んで、後少しでこの空間を埋め尽くそうとしていた。

 僅かに残った畑側の眺望。向かいの山には、変わらず点る紅があった。あの上の楠へ行きさえすれば里が見えて、道があるはずだ。あそへ行かねばと、またも森の暗がりへ足を踏み入れた。たちまち伸びた草枝が回りを囲む。払おうと掲げた鉈がいきなり軽くなり、手元に錆だらけの持ち手が残った。

 かきち、かきち。

 声が呼ぶ。下草の陰から、枝葉の陰から、木々の奥から、真夏の生気が立ちこめる緑の闇から、それは巡って嘉吉を求める。

 かきち。

 たゆではない。

 嘉吉は、すがるように自分の懐に手を入れた。たゆの守り袋。しかし指は空を掴む。嘉吉の口から叫びが漏れた。言い値を渋った古着屋が、足りない分を守り袋と引き替えにしたのだ。

 生い茂る樹々、緑の陰に蠢くものが嘉吉を呼んでいる。白い腕を伸ばして嘉吉を誘う。

 かきち、さあ。


 

(了)


お気づきかもしれませんが、窓の外の山に茂る木々を見ているうちに思いつきました。

あの緑の影に何かいるんじゃないかと……

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